第7話 支配権の奪い合い
バンッ!
私は魔導管理室の鉄扉を閉め、閂を下ろした。
息つく暇もなく、制御卓の椅子に滑り込む。
「……間に合いましたわね」
術式盤を見る。
盤面の大半――特に外壁や動力炉を示す部分は、不吉な赤色(ヴァルガスの支配下)に染まっている。
けれど、屋敷の内側、居住区画を示す光は、まだ青色(私の支配下)を保っていた。
『無駄な足掻きを』
伝声石から、ヴァルガスの嘲笑が響く。
彼は第五階層の玉座で、勝利の美酒に酔っているのだろう。
『兵器と動力を握った私が、この船の新たな王です。貴女に残されたのは、ただの「空調と照明」の操作権だけ。……それで何ができるのです?』
「あら。生活こそが最も重要ですわよ?」
私は強がって見せた。
同時に、指先で複雑なルーン文字を描き始める。
フッ。
管理室の明かりが消えた。
いや、屋敷中の照明が落ちたのだ。
ヴァルガスが電力供給を断ったのだ。
「暗いのはお嫌い?」
私は即座に予備回路を接続した。
パッ、と非常用の燐光が灯る。
ガシャン!
今度は、廊下の防火扉が一斉に閉鎖された。
ジェラルド様たちを分断する気だ。
「通行止めは困りますわ」
私は解錠の術式を叩き込む。
ギギギ……と音を立てて、扉が再び開く。
『ほう。……しぶとい』
ヴァルガスの声に、苛立ちが混じり始めた。
ここからは速度勝負だ。
彼が「閉じる」と念じれば、私が「開く」と書き換える。
彼が「熱く」すれば、私が「冷やす」。
目に見えない魔力の奔流が、屋敷の壁の中を駆け巡る。
それは、陣取り合戦だ。
私の神経と、彼の呪いが、屋敷という巨人の血管の中でせめぎ合っている。
『ミランダ! 大丈夫か!』
ジェラルド様の声が飛び込んでくる。
彼は今、一階で暴走した警備ゴーレムたちを相手に、孤軍奮闘しているはずだ。
「平気です! 貴方はそこで食い止めてください! 私が元栓を閉めます!」
そう。
このまま泥仕合を続けても、ジリ貧なのは私の方だ。
彼には「動力炉」という無限の魔力源がある。
対して、私の管理室は予備電源で動いている。
持久戦になれば負ける。
だから、一撃で決める。
「……リリア様。準備はいいですか?」
私は隠し回線を開いた。
この屋敷には、歴代当主すら知らない「裏口」がある。
曾祖父様が愛人のために作った隠し部屋。
そこに繋がる回線だけは、メインの中枢を経由せずに、屋敷の深層へアクセスできるのだ。
『はい、義姉様!』
少女の凛とした声が返ってきた。
彼女は今、隠し避難所の中で、私と同じような制御盤に向かっているはずだ。
『いつでもいけます!』
「合図と同時に、第五階層の『環境維持結界』に魔力干渉を流し込んで。一瞬でいいわ」
『了解です!』
私は深呼吸をした。
タイミングは一度きり。
ヴァルガスが攻撃に集中した、その瞬間を狙う。
『飽きましたね。……そろそろ、終わらせましょう』
ヴァルガスの声が低くなった。
術式盤の数値が跳ね上がる。
彼は動力炉の魔力を最大出力で解放し、私の管理室の防御結界を、物理的に焼き切ろうとしているのだ。
『消えなさい、旧き管理者よ!』
ドォォォン!!
衝撃が走る。
天井から砂が落ちてくる。
結界に亀裂が入る音がする。
今だ。
「リリア様、今ッ!」
『――強制介入、開始!』
リリア様が魔力を流し込んだ。
それは攻撃魔法ではない。
ただの「雑音」だ。
膨大な無意味な信号を、第五階層の制御盤に送りつける。
『な、なんだ!? 術式が遅延して……!』
ヴァルガスの狼狽する声。
彼の意識が、手元の制御盤の不具合に向けられた。
防御が手薄になる。
その隙を、私は見逃さない。
「盤上の詰み(チェックメイト)……いいえ、王手ですわ!」
私は残った全魔力を指先に込め、一つの術式を完成させた。
対象は、第五階層の「空調管理」。
「第五階層、環境設定変更。……『強制排気』」
私はレバーを叩き下ろした。
ゴオオオオォォォッ!!
地下最深部で、暴風が吹き荒れる音がした。
第五階層を包んでいた空気循環が逆転し、強力な送風機が、部屋の中の空気を一瞬にして外へ吸い出したのだ。
『がっ……!?』
伝声石から、空気が漏れるような音が聞こえた。
窒息。
魔導師といえど、呼吸ができなければ詠唱はできない。
脳に酸素がいかなければ、思考して術式を組むこともできない。
『あ……が、ぁ……』
苦悶の声。
術式盤の赤い光が、急速に明滅を弱めていく。
彼の支配が揺らいでいる。
「勝負ありですわ、ヴァルガス」
私は冷徹に告げた。
「貴方は兵器を奪ったつもりでしょうが、ここは私の『家』です。……家の空気を誰が吸うかは、家主である私が決めます」
映写水晶の中で、ヴァルガスが喉を掻きむしりながら膝をつくのが見えた。
このまま意識を失えば、私の勝ちだ。
後はジェラルド様に向かってもらい、拘束すればいい。
そう思った、その時だった。
ヴァルガスが、充血した目でこちらを睨みつけた。
その顔には、敗北の絶望ではなく、狂気じみた決意が張り付いていた。
『……ならば……道連れだ……!』
彼は懐から、小さな硝子瓶を取り出した。
中には、毒々しい紫色の煙が渦巻いている。
『貴様らが……大事にしている……この城ごと……食らわせてやる……!』
彼は震える手で、瓶を床に叩きつけた。
パリンッ!
硝子が砕け散る。
瓶から溢れ出した紫色の煙は、私が発動させた「強制排気」の風に乗り、換気口へと吸い込まれていった。
「な、何をしたの!?」
嫌な予感がした。
あの煙は、ただの毒ではない。
もっと根源的な、生物の本能を刺激する「誘引の香」だ。
それが今、換気口を通じて、屋敷の外――地底湖全体へと撒き散らされたのだ。
ズズズズズズ……。
地響き。
屋敷の揺れではない。
もっと巨大な、大地そのものが震えるような振動。
私は慌てて外部監視の水晶を見た。
地底湖の水面が、大きく盛り上がっていた。
そして、その下から現れたのは。
『――グルルルルルォォォォォォォッ!!』
鼓膜を破らんばかりの咆哮。
岩山のような背びれ。
城壁よりも太い首。
そして、すべてを焼き尽くす灼熱の瞳。
「嘘でしょう……」
私は絶句した。
深淵の主。
古代文献に記された、災害級の超巨大魔獣、「地底竜」。
ヴァルガスは、排気風を利用して、自分もろともこの屋敷を魔獣の餌にするつもりだ。
『ハ……ハハ……!』
酸欠で意識を失いかけながら、ヴァルガスが音のない声で笑う。
私の「引きこもり生活」最大の危機。
大家として、これ以上の狼藉は許されない。
「ジェラルド様! 警備ゴーレムは無視してください!」
私は叫んだ。
「外です! とんでもない『大食らい』が来ましたわ!」
もはや、空気の奪い合いなどしている場合ではない。
屋敷の全機能を解放し、あの怪物を撃退しなければ、私たちは骨も残らない。
私は制御卓の「安全装置」を解除した。
禁断の兵器使用許可。
これを使えば、屋敷は本当に「要塞」になってしまうけれど。
背に腹は代えられない。
「総員、衝撃に備えよ! ……ヴォルフィード要塞、全砲門起動!」




