第6話 交渉決裂、そして強奪
地下への螺旋階段を、転げるように駆け下りる。
息が切れる。ドレスの裾が足に絡みつく。
けれど、止まるわけにはいかない。
第四階層、動力炉エリアを通過。
さらにその下。
分厚い岩盤を穿って作られた、封印されし「第五階層」へ。
「……空気が、違う」
最下層の扉をくぐった瞬間、肌を刺すような冷気と、油の匂いを感じた。
そこは、屋敷というよりは「巨人の工房」だった。
天井まで届く巨大な歯車。
脈動するように明滅する太い魔力管。
そして、部屋の中央に鎮座する、玉座のような巨大な制御卓。
その玉座の前に、彼――ヴァルガスは立っていた。
「遅かったですね、奥様」
彼が振り返る。
その手はすでに、制御卓の中枢にある水晶球に触れていた。
水晶は、いつもの青色ではなく、どす黒い紫色に濁り始めている。
「離れなさい!」
私は魔導短銃を構え、警告なしに発砲した。
魔力の弾丸が直進する。
だが、着弾の瞬間、ヴァルガスの足元から影が立ち上がり、壁となって弾いた。
「無駄です。……ここはすでに、私の支配領域」
ヴァルガスは薄く笑い、朗々とした声で詠唱を始めた。
『――古き盟約を破棄する。我は新たな主、影を統べる者なり』
空気が震える。
それは、私が知る起動術式ではない。
古代語の文法を無視し、強制的に従わせるための、汚らわしい「呪い」の言葉。
「やめて! その術式は屋敷を傷つけるわ!」
「傷つく? いいえ、これは『更正』ですよ」
彼は詠唱を続ける。
『眠れる牙よ、目覚めよ。平和という惰眠を貪る城塞よ、真の姿を晒せ!』
「禁忌術式――『簒奪』!」
ズズズズズズズ……!!
地響きが鳴り響いた。
第五階層だけでなく、遥か頭上の屋敷全体が、悲鳴を上げるように軋んでいる。
制御卓の水晶が、完全に黒く染まった。
同時に、私の頭の中で繋がっていた「屋敷との繋がり(パス)」が、ブチブチと音を立てて切断されていく感覚。
『――警告。管理者権限、強制書き換え。……新・管理者、登録完了』
無機質な合成音声が、絶望を告げる。
「嘘……屋敷が、奪われた?」
私は膝をついた。
テックライン家の血統認証すら上書きする、帝国の「裏呪文」。
彼らは長い時間をかけて、この要塞の合鍵を偽造していたのだ。
「素晴らしい……! これが古代の叡智、次元潜行船の力か!」
ヴァルガスが恍惚とした表情で両手を広げた。
彼の意のままに、屋敷が変貌していく。
ゴゴゴゴゴ……!
映写水晶に、地上の様子が映し出された。
優雅な外観を誇っていたヴォルフィード邸の壁面が、重々しい音を立てて展開する。
そこからせり出してきたのは、バルコニーでも出窓でもない。
無骨で、凶悪な「魔導砲門」の列だった。
屋根が割れ、主砲塔が天を仰ぐ。
美しい庭園は装甲板に覆われ、要塞化していく。
これが、この屋敷の本来の姿。
「家」ではなく、「兵器」。
「なんてこと……」
私は震える手で口元を覆った。
私の愛した引きこもり城が、戦争の道具に成り下がってしまった。
「さあ、見せてあげましょう、ミランダ殿」
ヴァルガスが私を見下ろした。
その目は、完全に勝利を確信していた。
「この船の本当の使い道というものを」
彼が指を弾く。
壁から、数体の警備用ゴーレムが出現した。
今まで私を守ってくれていた、鉄の兵士たち。
だが今、その瞳は敵意の赤色に輝き、私に銃口を向けている。
「排除しなさい。……旧・管理者を」
ガシャッ。
ゴーレムたちが一斉に踏み出す。
「くっ……!」
私は床に転がり、物陰に滑り込んだ。
直後、私がいた場所に魔弾が撃ち込まれ、床石を砕く。
「ジェラルド様! リリア様! 聞こえますか!」
私は伝声石に向かって叫んだ。
『ミランダ! どうした! 屋敷が変形しているぞ!』
ジェラルド様の焦燥した声。
「乗っ取られました! 第五階層が制圧され、屋敷の兵装機能が奪われました!」
『なんだと!?』
「今すぐ防衛戦を用意してください! 屋敷そのものが、私たちを攻撃してきます!」
言い終わる間もなく、頭上を魔弾が掠める。
ヴァルガスは玉座に座り、楽しげに私を追い立てている。
「逃げ惑う姿も美しいですが、諦めてはいかがです? 貴女に勝ち目はありません」
「……お黙りなさい!」
私は瓦礫の陰から、彼を睨みつけた。
「家主を追い出そうなんて、いい度胸ですわね。……家賃は命で払っていただきますわよ!」
私は懐から閃光の魔石を取り出し、床に叩きつけた。
カッ!!
強烈な閃光が部屋を包む。
ヴァルガスとゴーレムの目が眩んだ一瞬の隙に、私は出口へと走った。
逃げるのではない。
態勢を立て直すのだ。
第五階層は奪われた。
だが、まだ「第四階層」にある私の城(管理室)は生きているはず。
そこには、彼が知らない予備回線がある。
「待っていなさい、泥棒猫ならぬ泥棒執事!」
私は鉄扉を抜け、階段を駆け上がった。
背後で、ヴァルガスの嘲笑が響く。
「逃げ場所などありませんよ。……この船の全ては、私の手足なのですから」
戦いが始まる。
一つ屋根の下、部屋と機能を奪い合う、史上最大の夫婦喧嘩……いいえ、大家と不法占拠者の戦争だ。
私の「引きこもり権」を賭けた戦いは、まだ終わっていない!




