表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は引きこもる  作者: 九葉(くずは)
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/30

第1話 おはようございます、ここは奈落の底です

揺れが、止まった。


昨晩から続いていた、天地がひっくり返るような激しい震動。

それが嘘のように消え失せ、不気味な静寂だけが残っている。


「……ん」


私は重いまぶたを持ち上げた。

隣では、ジェラルド様が剣を抱いたまま、浅い眠りについている。

昨晩、揺れが始まってからずっと、私を落下物から守るように抱きしめてくれていたのだ。


「朝……かしら?」


私はそっと寝台を抜け出した。

いつもなら、窓の隙間から鋭い朝の光が差し込んでくる時間だ。

北部の朝は遅いけれど、それでも太陽の気配はあるはず。


けれど、今日は部屋の中が薄暗い。

分厚い遮光のとばりの向こうから、何やら「青白い光」が滲み出ている。


嫌な予感がした。

背筋を冷たいものが這い上がる感覚。


私は恐る恐る、窓辺に近づいた。

帳の端を掴み、勢いよく開け放つ。


「…………は?」


言葉が出なかった。

そこにあるはずの光景――白銀の雪原も、遠くに見える針葉樹の森も、何もかもが消え失せていた。


代わりに広がっていたのは、「闇」と「光」の幻想的な世界。


空がない。

遥か頭上には、ゴツゴツとした岩盤が覆いかぶさっている。

そして、眼下に広がる大地には、太陽の代わりに無数の「発光苔」が群生し、青白く、あるいは毒々しい紫色の燐光を放っていた。


遠くには、鏡のように静まり返った巨大な湖。

その水面もまた、底知れぬ闇色を湛えている。


「ここは……どこ?」


夢?

いいえ、頬をつねれば痛い。

それに、窓ガラス越しに伝わってくる魔力の気配が、あまりにも濃密すぎる。

肌がビリビリと痺れるほどだ。


私は寝間着の上に上着ガウンを羽織り、部屋を飛び出した。

廊下は静まり返っている。

使用人たちはまだ、自室で震えているのだろうか。


私は玄関ホールへと急いだ。

確かめなければならない。

この屋敷が今、どこに在るのかを。


重厚な大扉の前に立つ。

深呼吸を一つ。

防衛結界の術式が正常に作動していることを確認し、私はかんぬきを外した。


ギィィィ……。


重い音を立てて、扉が数センチだけ開く。

隙間から、外の空気を吸おうとして――止めた。

鼻を突く、腐った卵のような異臭。

瘴気だ。


そして、隙間から「何か」が見えた。


屋敷を包む半透明の結界。

そのドーム状の壁面に、巨大な影が張り付いていた。

体長三メートルはあろうかという、鉄錆色の甲殻を背負った多足の蟲。

それが、無数の脚をワシャワシャと動かし、結界をガリガリと齧っている。


ギョロリ。

複眼の一つが、隙間から覗く私と合った。


『キシャァァァァッ!』


「ごきげんよう、さようなら!」


バタンッ!!

ガチャン、ガチャン、ガチャン!!


私は反射的に扉を叩きつけ、全ての鍵と閂をかけ直した。

心臓が早鐘を打っている。

あれは北部の森にいる魔獣ではない。

文献でしか見たことのない、古代の深層生物だ。


「……確定ね」


私は扉に背中を預け、へなへなと座り込んだ。


ここはヴォルフィード領ではない。

地上ですらない。

昨晩のあの光。地下深層からの呼び声。

屋敷は、空間そのものを跳躍し、どこか別の場所へ移動してしまったのだ。


「ミランダ! 無事か!」


階段の上から、ジェラルド様が駆け下りてきた。

剣を抜き放ち、私の元へ滑り込む。


「敵襲か!? 今、悲鳴が……」


「いいえ、旦那様。……ご近所さんへの挨拶が済んだだけですわ」


私は震える足で立ち上がり、努めて冷静に振る舞った。

ここで私が取り乱せば、屋敷全体が恐慌状態に陥る。


「ジェラルド様。落ち着いて聞いてください」


私は彼の目を見つめた。


「私たちは今、とんでもない場所にいます。……おそらく、地底の深淵アビス。古代文明が封印した、奈落の底です」


「な……!?」


ジェラルド様が絶句し、周囲を見回す。

窓の外の異様な光景に気づき、彼の顔色が蒼白に変わった。


「屋敷ごと、転移したというのか……?」


「ええ。昨晩の『解放儀式』が原因でしょう。……この要塞には、まだ私たちの知らない機能があったようです」


私はドレスの裾を翻し、地下への階段へと向かった。


「参りましょう、魔導管理室へ。状況を把握し、対策を練らなければ」


「あ、ああ。……だがミランダ、大丈夫なのか?」


「何がですの?」


「その……外は化け物だらけ、空気も毒気を含んでいる。……絶望的な状況だぞ」


ジェラルド様の声が震えている。

無理もない。

領地を守る騎士として、守るべき土地を失った喪失感は計り知れないだろう。


でも。

私はニヤリと笑ってみせた。


「あら、旦那様。お忘れですか?」


私は地下室の鉄扉の前で振り返った。


「私は『引きこもり』ですのよ?」


「……え?」


「外が地獄だろうと、魔獣の巣窟だろうと、関係ありませんわ。……この屋敷いえの中さえ快適なら、私は一歩も外に出ずに生きていけますもの」


そう。

むしろ好都合だ。

面倒な夜会も、王都からの呼び出しも、ここなら届かない。

あるのは、私と、家族と、この頼もしい要塞だけ。


「それに、見てご覧なさい」


私は管理室に入り、動力源となる魔導炉の火を入れた。

ブォン、と低い音が響き、壁一面の映写水晶クリスタルが輝きだす。


『――魔導中枢、覚醒。全階層、異常なし。空気浄化結界、稼働中』


古代の合成音声が、頼もしく響く。


「水も、食料も、魔力も備蓄は十分。……このヴォルフィード号は、不落の城塞ですわ」


私は制御卓の伝声石を握りしめた。

屋敷中で不安に怯える使用人たちへ、あるじとしての第一声を届けるために。


『おはようございます、使用人の皆さん。当主夫人のミランダです』


私の声が、全館に響き渡る。


『現在、当屋敷は少々遠くへ……そう、地底の果てまでお引越しをしました。窓の外を見て驚かないように』


水晶越しに、侍女たちが抱き合って震える様子が見える。


『ですが、安心なさい。外がどんな環境であろうと、この屋敷の中は、昨日と同じ「日常」を維持します』


私は断言した。


『温かい汁物スープ、ふかふかの寝床、そして安全な職場。……すべて私が保証します。貴方たちはただ、いつも通りに働き、いつも通りに笑っていなさい』


そして、最後に付け加えた。


『ただし、絶対に玄関と窓を開けないこと。……招かれざるモンスターの押し売りはお断りですので』


放送を切る。

ふぅ、と息を吐くと、隣でジェラルド様が苦笑していた。


「……君には敵わないな。この状況で、日常を宣言するとは」


「非日常なんて、疲れるだけですもの」


私は椅子に座り、まだ解析されていない「第五階層」の表示を見つめた。


「さて、旦那様。……これから忙しくなりますわよ」


帰る方法を探す?

ええ、もちろん。王都からの取り寄せ(通販)が届かないのは不便ですから。

でもその前に。


「まずは、この新しい『領地』の調査から始めましょうか」


引きこもり令嬢の、異世界深淵生活。

優雅に、快適に、そして徹底的に、外敵を排除して差し上げましょう。


私の平穏を脅かす者は、深淵の魔獣だろうと許しませんわよ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ