第10話 公認された引きこもりと、深淵からの呼び声
平和な午後の陽射しが、修復された窓から差し込んでいた。
「……素晴らしい眺めですわ」
私は魔導管理室の壁に、真新しい額縁を飾った。
中に入っているのは、王家の紋章が入った羊皮紙。
そこには優美な文字で、こう記されている。
『ヴォルフィード辺境伯夫人ミランダに対し、永続的な「在宅防衛任務」を命じる。公的行事への出席義務を免除し、要塞の維持管理に専念することを許可する』
要約すれば、「国家公認の引きこもり許可証」だ。
国王陛下も粋な計らいをしてくださる。
これさえあれば、面倒なお茶会も、王都への召喚も、すべて「公務(在宅)」を理由に断れる。
私にとっては、爵位よりも価値のある紙切れだ。
『義姉様、見てください! 動きました!』
映写水晶から、弾んだ声が聞こえる。
画面の中では、リリア様が頭に宝冠を載せ、私の予備の義体を操作していた。
ぎこちない動きだが、義体が不器用に手を振っている。
「筋が良いですわ、リリア様。魔力の波長が適合しています」
私は伝声石で褒めた。
どうやら彼女には、技術者としての才能があったらしい。
最近では「隠し避難所」に自分好みの家具を持ち込み、第二の拠点にしつつある。
素晴らしい。
この屋敷に、頼もしい「引きこもり同盟」が結成されたわけだ。
『ふふ、これでお兄様が部屋に入ってきても、狸寝入りしながら追い返せますね!』
『……リリア、俺の扱いが酷くないか?』
画面の隅で、ジェラルド様が肩を落としているのが見えた。
平和だ。
筋肉の嵐が去り、陰湿な学者が去り、ここには穏やかな時間だけが流れている。
◇
その夜。
主寝室で、私はジェラルド様の背中に湿布を貼っていた。
激戦の疲れか、それともお義母様に叩かれた古傷か、少し背中が張っているようだ。
「……痛みますか?」
「いや、心地いいよ。君の手は温かい」
彼はリラックスした様子で、寝台に腰掛けている。
私は作業を終え、彼の方へ回り込んだ。
ふと、脇机に置いてある「あの本」――お義母様からの贈り物である『関節技の奥義書』に目が留まった。
ジェラルド様もそれに気づき、ビクリと体を強張らせた。
「ミランダ。……その、練習台にはならないぞ?」
「あら。試してみたくはありませんか? 第三章、『愛の三角絞め』とか」
私が悪戯っぽく指を伸ばすと、彼は本気で青ざめて後ずさった。
「勘弁してくれ。母上に技をかけられた時の音が、今でも悪夢なんだ」
「ふふっ。冗談ですわ」
私は彼の隣に座り、肩に頭を預けた。
逞しい腕が、そっと私を包み込む。
「……ありがとう、ミランダ」
彼がポツリと言った。
「君がこの家に来てくれて、本当に良かった。母上も、リリアも、そして俺も。君に救われたんだ」
「救われたのは私の方です。……こんな変わり者の私に、居場所をくださったのですから」
私は目を閉じた。
冷たい鉄の扉を閉ざし、世界を拒絶していた私。
でも今は、その扉の内側に、大切な人たちがいる。
それだけで、この要塞は冷たい牢獄ではなく、温かい城になるのだ。
「愛しています、ジェラルド様」
「ああ。俺もだ」
口付けが落ちてくる。
甘く、優しい時間。
私たちは互いの体温を感じながら、深い安らぎの中に沈んでいった。
その時は、思っていた。
この平和が、ずっと続くと。
この屋敷の秘密は、すべて暴ききったと。
そう、信じていたのだ。
◇
深夜。
ふと目が覚めた私は、喉の渇きを覚えて寝台を抜け出した。
ジェラルド様は隣で安らかな寝息を立てている。
起こさないようにそっと部屋を出て、習慣のように地下の管理室へと足を向けた。
冷たい水を飲み、一息つく。
帰ろうとして、ふと制御卓の警告灯が「黄色」に点滅しているのに気づいた。
「……? 故障かしら」
私は眉をひそめた。
動力炉は安定している。
侵入者もいない。
結界も正常だ。
なのに、なぜ?
私は操作盤を叩き、信号の発生源を探った。
外部ではない。
内部だ。
それも、動力炉のある最下層――地下四層よりも、さらに「下」。
「……え?」
表示された深度計の数値を、私は二度見した。
地下二百メルテ。
そんな深さに、部屋など存在しないはずだ。
実家の父から受け継いだ設計図にも、そんな階層は記されていない。
しかし、確かにそこから「信号」が届いている。
規則的な、鼓動のような魔力波長。
まるで、今まで眠っていた何かが、私の魔力に呼応して目覚めたかのような。
『――認証。契約者の生体反応を確認』
合成音声ではない。
もっと古く、掠れたような声が、伝声石からではなく、私の頭蓋骨に直接響いた。
『封印区画、第五階層、奈落。……解放儀式、待機中』
ゾクリと、背筋に悪寒が走った。
第五階層?
この要塞に、まだ私の知らない「底」があるというの?
映写水晶には、ただ真っ暗な闇が映し出されているだけだ。
だが、その闇の奥から、何かがこちらを見上げているような気配がした。
「……ジェラルド様」
私は無意識に、夫の名を呟いていた。
この屋敷は、ただの防衛要塞ではないのかもしれない。
もっと恐ろしい、あるいはもっと偉大な「何か」を隠すための、蓋なのかもしれない。
闇の鼓動は止まない。
私の「引きこもり生活」を脅かす、新たな謎の予兆。
私は震える手で、制御卓の「封鎖」レバーを握りしめた。
見なかったことにする?
いいえ。
技術屋の好奇心が、それを許さない。
「……退屈はしなさそうですわね」
私はニヤリと、強がりの笑みを浮かべた。
受けて立とうじゃないの。
地底の謎だろうが、古代の呪いだろうが。
この屋敷の管理者は私だ。
私の許可なく、勝手な真似はさせない。
私は新たな戦い――第3章の予感を胸に、闇に向かって静かに宣戦布告した。
「おはようございます、未知なる同居人さん。……家賃は高くつきますわよ?」
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