第9話 嵐の去った朝
翌朝。
ヴォルフィード要塞の上空には、久しぶりに澄み渡った青空が広がっていた。
玄関前には、王家の紋章が入った豪奢な馬車と、鉄格子のはまった護送車が並んでいる。
護送車の中では、やつれ果てたザイラスが体育座りでブツブツと何かを呟いていた。
「……熱い、熱いのは嫌だ……」
どうやら、お義母様との「灼熱の共同作業」がよほどの傷になったらしい。
自業自得である。
『世話になったな、辺境伯』
国王陛下が、馬車の窓から声をかけた。
ジェラルド様が最敬礼をする。
『はっ。道中、お気をつけて』
『うむ。……ミランダよ』
陛下が、見送りの列に混ざっていた私の「遠隔義体」に視線を向けた。
『例の件、忘れるでないぞ?』
『……承知いたしました』
私は義体を通じて、引きつった笑顔で答えた。
陛下からの正式発注。
「余と瓜二つの精巧な義体を一台。公務中の居眠りがバレない仕様で頼む」とのことだ。
国の頂点がそれでいいのだろうか。
まあ、技術料として破格の予算を提示されたので、断る理由はないのだが。
馬車列が動き出す。
遠ざかっていく砂煙を見送りながら、私は地下室で大きな伸びをした。
「ふぅ……。やっと帰った」
肩の荷が下りた。
これでようやく、日常が戻ってくる。
『さて、と』
隣で、真紅のドレス(昨日の焦げ跡は補修済み)を着たエレオノーラ様が、背中の戦鎚を担ぎ直した。
『私もそろそろ行くとするか』
『えっ? 母上もですか?』
ジェラルド様が驚いて振り返る。
『おうよ。本当はもう少しゆっくりするつもりだったが……』
彼女はチラリと屋敷を見た。
『動力炉の修理が終わるまで、風呂も沸かせんのだろう? ぬるい水浴びなど御免だ。南の別荘に戻って、温泉にでも浸かるさ』
『そうですか……』
ジェラルド様が少し寂しそうな顔をする。
私も、意外なほど胸に穴が空いたような気分だった。
あんなに騒がしくて、暴力的で、私の設計図を台無しにした人なのに。
いざ去るとなると、名残惜しい。
これが「嵐の後の静けさ」というやつだろうか。
『おい嫁! 聞いているか!』
不意に名を呼ばれ、私は意識を義体に戻した。
『は、はい! 何でしょうか!』
『これを受け取れ』
エレオノーラ様が、革袋を放り投げてきた。
ドスッ、と重い音がして、義体の腕が沈む。
中身を確認すると、眩いばかりの金貨が詰まっていた。
『壊した人形の代金だ。それと、修理費の足しにしろ』
『こ、こんなに頂きましても……』
『いいから取っておけ! 武人の誇りだ!』
彼女はニカッと笑うと、私の義体の肩を――今度は壊さないように優しく――ポンと叩いた。
『いい腕だったぞ、ミランダ。……ジェラルドを頼んだぞ』
『はい。……お義母様も、お元気で』
『うむ。……ああ、そうだ』
彼女は何かを思い出したように、懐から一冊の書物を取り出した。
分厚い革表紙の、古びた本だ。
『これをやる。ヴォルフィード家に代々伝わる「奥義書」だ』
『お、奥義書!?』
ジェラルド様が目を見開く。
そんな重要なものを、私が貰っていいのだろうか。
魔導技術に関する秘伝書かもしれない。
私は期待に胸を膨らませて受け取った。
表紙を見る。
そこには、力強い筆致でこう書かれていた。
『夫を躾けるための百の関節技 ~絞め技から打撃まで~』
「…………はい?」
私は地下室で絶句した。
パラパラとめくってみる(義体の視覚情報で)。
そこには、筋骨隆々の女性が、男性を複雑な体勢で折り曲げている挿絵がびっしりと描かれていた。
「背骨へし折り」「地獄車」「三角絞め」。
技術書違いだ。
これは「物理」の技術書だ。
『夫婦円満の秘訣はな、妻が強いことだ』
エレオノーラ様が真顔で説く。
『男というのは、放っておくとすぐに調子に乗る。だから、定期的に肉体言語で分からせてやる必要があるのだ。……言葉で勝てぬ時は、関節を極めろ。そうすれば大抵のことは解決する』
『母上!? 何を教えているんですか!』
ジェラルド様が悲鳴を上げる。
なるほど。
先代の辺境伯様が、なぜあれほど夫人に頭が上がらなかったのか、理解できた気がする。
『ふふっ。……肝に銘じますわ』
私は本を懐にしまった。
使う機会がないことを祈るが、知識として持っておくのは悪くない。
いざとなれば、義体にこの動きをプログラムすればいいのだから。
『よし! では達者でな!』
エレオノーラ様は愛馬に飛び乗った。
馬車ではない。
馬に直接跨っている。
しかも、鞍なしで。
『ジェラルド! 次に来る時までに、孫の顔を見せろよ! でないと次は屋敷ごと叩き潰すからな!』
『ぶっ!?』
ジェラルド様が盛大にむせる。
エレオノーラ様は「ガハハ!」と高笑いを残し、砂煙を上げて去っていった。
まさに、嵐のような御方だった。
静寂が戻る。
残されたのは、私(義体)と、顔を赤くしたジェラルド様、そして呆気にとられているリリア様だけ。
『……行っちゃいましたね』
リリア様が呟く。
『ああ。……疲れた』
ジェラルド様が肩を落とす。
私も同感だ。
けれど、不思議と悪い気分ではなかった。
私は地下室で、制御卓から立ち上がった。
宝冠を外す。
義体越しの会話は終わった。
でも、最後くらいは。
「……行きましょうか」
私は管理室の重い鉄扉に手をかけた。
今まで、外敵を拒むために閉ざしていた扉。
でも今は、外の空気を吸いたい気分だった。
ギィィィ……。
扉が開く。
地下通路を歩き、階段を上る。
一歩一歩踏みしめるたびに、屋敷の静けさが肌に馴染む。
玄関ホールに出る。
そこには、まだ立ち尽くしているジェラルド様の背中があった。
「……旦那様」
私が声をかけると、彼が弾かれたように振り返った。
「ミランダ!? ……本体か?」
「ええ。お見送りには間に合いませんでしたけれど」
私は彼の隣に並び、開け放たれた扉から外を見た。
雪解けの風が吹き込んでくる。
冷たいけれど、春の予感を含んだ風だ。
「……行ってしまわれましたね」
「ああ。……騒がしい人だった」
ジェラルド様が苦笑する。
そして、そっと私の手を握った。
「すまなかったな。色々と振り回して」
「いいえ。……退屈しない数日間でしたわ」
私は彼の手を握り返した。
温かい。
義体越しには感じられない、本物の体温。
「それに、素敵な贈り物も頂きましたし」
「贈り物?」
「ええ。……夫婦円満の秘訣です」
私が悪戯っぽく笑うと、ジェラルド様は「ああ、あの本か」と顔を引きつらせた。
「頼むから、実践しないでくれよ? 俺の体は母上ほど頑丈じゃないんだ」
「ふふっ。善処しますわ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「さあ、戻りましょうか。……屋敷の修理に、義体の量産。やることは山積みです」
「ああ。……だが、その前に」
ジェラルド様が、玄関の大扉に手をかけた。
「少し休もう。君も、俺も」
バタン。
重厚な扉が閉められる。
外の世界の喧騒が遮断され、心地よい静寂が二人を包み込んだ。
「……そうですね」
私は微笑んだ。
ここからは、私たちの時間だ。
誰にも邪魔されない、愛すべき引きこもり生活の再開だ。
「お帰りなさいませ、ミランダ」
「ただいま戻りました、あなた」
廊下に伸びる二つの影が、一つに重なる。
屋敷の主が帰還したことを祝うように、魔導灯が柔らかく瞬いた。




