第4話 本体は出ません。人形でお茶を
扉の向こうから、咀嚼音が聞こえる。
クチャ、クチャ、バリボリ。
「……野生的すぎますわ」
私は魔導管理室の椅子で頭を抱えた。
あれから二時間。
エレオノーラ様は、私の部屋の鉄扉の前で完全にくつろいでいた。
持参した干し肉を齧り、水筒の酒を煽り、まるで戦場の野営地のように陣取っている。
『母上、そろそろ客間へ移動しませんか。床の上では体が痛くなりますよ』
ジェラルド様の嘆願が聞こえる。
『軟弱なことを言うな。石畳の上で寝てこそ、戦士の背骨は鍛えられるのだ』
『ここは屋敷の中です! 戦場じゃありません!』
会話が成立していない。
私は深い溜息をついた。
このままでは、私が厠に行くこともままならない。
部屋の中に設備はあるけれど、扉のすぐ向こうに姑がいる状況で用を足すなど、貴族の矜持が許さない。
その時、ジェラルド様が扉に近づき、小声で囁いた。
『……ミランダ。聞こえているか』
私は操作盤の「伝声石」を起動した。
「ええ。騒がしくて耳が痛いくらいですわ」
『すまない。……提案なんだが、あれを使えないか? 今朝見せてくれた、あの人形を』
私はハッとした。
遠隔義体。
私そっくりの姿をした、魔導操作人形。
『母上は「顔を見せろ」と言っている。だが、君が直接会うのは危険すぎる。……人形を代わりに行かせて、茶でも出せば、とりあえずの面目は立つんじゃないか?』
「……なるほど」
一理ある。
顔を見せろと言うなら、見せてやればいい。
それが生身の肉体である必要はないはずだ。
「分かりました。……ただし、あの方は野性の勘が鋭そうですわよ? バレたら余計に怒るのでは?」
『その時は俺が盾になる。頼む、この状況を打開したいんだ』
ジェラルド様の悲痛な声。
愛する夫にそこまで言わせては、断れない。
「了解しました。……『ミランダ一号』、起動します」
私は制御卓の別のレバーを引いた。
部屋の隅に安置されていた等身大の人形が、カクリと動いた。
私は頭に「同調の宝冠」を装着し、意識を人形へと飛ばす。
フッ、と視界が切り替わる。
私の目は今、人形に埋め込まれた水晶の義眼を通して世界を見ている。
「動作確認。……よし」
私は(人形の体で)立ち上がり、優雅に臣下の礼の練習をした。
少し関節がぎこちないが、薄暗い廊下なら誤魔化せるだろう。
私は手押しの配膳台に熱い茶と焼き菓子を載せ、管理室の裏口――資材搬入用の隠し通路へと向かった。
◇
数分後。
地下通路の曲がり角から、私は配膳台を押して姿を現した。
『あら、お義母様。こんな所でお待たせして申し訳ありません』
私が(人形の口で)声をかけると、あぐらをかいていたエレオノーラ様がバッと振り返った。
『おお! やっと出てきたか!』
彼女は立ち上がり、じろじろと私(人形)を観察した。
距離、約二メートル。
心臓が――本体の方の心臓が――早鐘を打つ。
バレるか?
作り物の肌だと気づかれるか?
しかし、エレオノーラ様はニカッと笑った。
『なんだ、思ったより華奢で小さいな。こんな細腕であの死の罠を操っていたのか』
気づいていない。
地下の薄暗さと、私の精巧な作り込みの勝利だ。
私は安堵しつつ、配膳台の上の銀の急須を手に取った。
『お見苦しいところをお見せしました。……粗茶ですが、歓迎のしるしに』
私は白磁の杯に茶を注ぎ、差し出した。
エレオノーラ様はそれを片手で受け取り、一気に煽った。
熱くないのだろうか。
『うむ! 悪くない香りだ!』
彼女は空になった杯を台に置き、豪快に笑った。
『気に入ったぞ、ミランダ! 罠で私を試し、最後は自ら茶を持ってくるその度胸! 辺境伯の嫁として合格だ!』
『は、はあ。恐縮です』
誤解だ。
私は本体を安全圏に置いたまま、人形を送り込んだだけなのだが。
しかし、怪我の功名だ。
これで彼女の機嫌が直れば、客間へ移動してもらえる。
『ジェラルド! お前もいい嫁をもらったな!』
『あ、ああ……そうですね』
ジェラルド様が冷や汗を流しながら相槌を打つ。
彼はハラハラしながら、私(人形)と母上の距離を警戒している。
『よし! ならば祝いだ! 今夜は朝まで飲み明かすぞ!』
エレオノーラ様が、感極まった様子で一歩踏み出した。
『これからのヴォルフィード家を頼んだぞ、嫁!』
ドォォォン!!
彼女の巨大な掌が、親愛の情を込めて、私(人形)の背中を叩いた。
バキッ。
ガシャァァァン!
嫌な音がした。
私の視界がガクンと傾く。
『……ん?』
エレオノーラ様が固まった。
ジェラルド様が天を仰いだ。
私の右腕――茶を注ぐために前に出していた腕が、肩の関節から外れ、ボトりと床に落ちたのだ。
さらに、叩かれた衝撃で首の魔導繊維が切れ、頭部が百八十度回転して背中側を向いてしまった。
静寂。
地下通路に、腕が落ちた乾いた音だけが響く。
『……し、死んだ?』
エレオノーラ様が、震える手で自分の掌を見つめた。
『わ、私が……ちょっと叩いただけで……嫁の腕が取れて、首が回って……死んだぁぁぁぁっ!?』
『違います母上! 落ち着いてください!』
ジェラルド様が叫ぶが、エレオノーラ様は狼狽している。
顔面蒼白になり、私(人形)の落ちた腕を拾い上げようとして、さらに足を踏み外し、人形の胴体ごと押し倒してしまった。
ガシャン!
錬金術で強化された白磁の体が砕ける音。
完全にバラバラだ。
地下の管理室で、本体の私は頭を抱えた。
「あーあ……」
もう誤魔化せない。
私は壊れた人形に残った「伝声石」の回線を最大出力にした。
床に転がった人形の生首が、口を開く。
『……お義母様。痛いですわ』
『ひぃぃぃぃっ!? 生首が喋ったぁぁぁっ!!』
最強の女傑、鮮血熊のエレオノーラ様が、腰を抜かして尻餅をついた。
涙目になっている。
可愛いところあるじゃない、お義母様。
『ご安心ください。私は死んでおりません』
私は淡々と説明した。
『それは私の作った「魔導人形」です。本体は、まだ部屋の中にいますので』
『……は?』
エレオノーラ様が、涙を拭って生首を見つめた。
そして、恐る恐るその断面――歯車と魔導繊維が詰まった首の付け根――を覗き込んだ。
『人形……? これが?』
彼女は落ちていた腕を拾い上げ、その指を動かしてみた。
精巧な関節。
人間そっくりの質感。
『お前が作ったのか? この部屋の中から、これを動かしていたのか?』
『ええ。私が外に出るのは危険ですので』
怒られるだろうか。
不誠実だと、また戦鎚を振り回されるだろうか。
私は身構えた。
しかし。
『……すごい』
エレオノーラ様が呟いた。
その目に宿っていたのは、怒りではなく、純粋な驚嘆だった。
『私が触るまで、人間だと思っていた。……これがあれば、戦場で矢面に立たずとも、敵将の首を取れるのではないか?』
発想が物騒だ。
でも、彼女は壊れた人形の部品を、まるで宝石でも見るかのようにキラキラした目で見つめている。
『ミランダ! お前、天才か!』
『はい?』
『これだ! 私が求めていたのはこれだ! 老いて足腰が弱っても、これがあれば一生戦える!』
彼女はガバッと立ち上がり、鉄の扉に顔を近づけた。
『おい嫁! これの「頑丈なやつ」は作れんのか! 私の全力の殴打に耐え、ドラゴンの炎にも溶けないやつだ!』
『い、いえ、素材的にそこまでは……』
『金ならある! 南の別荘を売ってでも作る! 私専用の「最強の代理人」を作ってくれ!』
まさかの展開だ。
筋肉至上主義の姑が、魔導技術の虜になってしまった。
いや、彼女にとってはこれも「新しい武器(筋肉の延長)」に見えているのかもしれない。
『母上、とりあえず落ち着いてください。ミランダも困っています』
ジェラルド様が助け舟を出すと、エレオノーラ様はハッと我に返り、咳払いをした。
『……うむ。すまん。取り乱した』
彼女は壊れた人形の腕を、丁寧に配膳台の上に置いた。
『悪かったな、壊してしまって。……詫びに、この修理費は私が持つ。だから、あとでその……設計図とやらを見せてくれんか?』
扉越しに伝わる、モジモジとした気配。
私は思わず吹き出しそうになった。
「分かりましたわ、お義母様」
私は本体の口で、直接答えた。
「まずは客間へ行って、泥を落としてきてください。詳しいお話は、その後で」
『うむ! 約束だぞ!』
エレオノーラ様は嬉しそうに頷くと、戦鎚を担ぎ直し、上機嫌で階段を登っていった。
その後ろ姿は、来た時よりもずっと軽やかに見えた。
「……やれやれ」
私は宝冠を外し、椅子に深く沈み込んだ。
とりあえず、最大の危機は去ったようだ。
扉は守られた。
しかし、新たな問題が発生した気がする。
あの脳筋お義母様が、魔導技術に目覚めてしまったら。
屋敷中が「強化された筋肉魔導具」で溢れかえる未来が見える。
「ジェラルド様……貴方の家、大変なことになりそうですわよ」
水晶の中で、疲れ切った顔で床の白磁片を片付ける夫を見ながら、私は苦笑した。
まあいい。
少なくとも、彼女は私の道楽(技術)を否定しなかった。
それだけで、この「遠隔茶会」は成功だったと言えるだろう。




