第2話 物理最強の姑 vs 絶対防御の嫁
ズズズズズ……。
地鳴りが近づいてくる。
私は魔導管理室の椅子にしがみつき、固唾を飲んで「映写水晶」を見つめていた。
画面の中。
雪煙を上げて突進してきた暴走馬車が、屋敷の正門前で急停止した。
いや、停止ではない。
屋根の上に立っていた赤いドレスの巨体が、跳躍したのだ。
ヒュンッ。
ドゴォォォォン!!
爆発音ではない。
人間が着地した音だ。
玄関前の石畳が蜘蛛の巣状に砕け散り、破片が飛び散るのが見えた。
砂塵が晴れる。
そこには、身の丈ほどの巨大な戦鎚を軽々と担ぎ、仁王立ちする女性の姿があった。
燃えるような赤髪。
五十歳を超えているとは信じがたい、鍛え抜かれた肉体美。
そして、猛禽類のような鋭い眼光。
前辺境伯夫人、エレオノーラ・ヴォルフィード。
通称「鮮血熊」。
噂には聞いていたが、現物は想像を絶する迫力だった。
『ジェラルドォ! 嫁はどこだ!』
彼女の咆哮が、水晶の集音機能を最大化していないのに、ビリビリと響いてくる。
玄関から飛び出してきたジェラルド様が、彼女の前に立ちはだかるのが見えた。
『母上! おやめください! 久しぶりの帰還で、いきなり玄関を破壊するなんて!』
『うるさい! 手紙の返事も寄越さず、こんな要塞に引きこもって! 嫁にたぶらかされて腑抜けたか!』
『腑抜けてなどいません! ミランダは……彼女は素晴らしい女性で……』
『なら顔を見せろと言っているんだ!』
ブンッ。
エレオノーラ様が戦鎚を片手で振るう。
風圧だけで、ジェラルド様のマントが激しくはためいた。
『どきなさい。……そこを通さないなら、お前ごと叩き潰して入る』
本気だ。
あの方、実の息子を「障害物」としてしか見ていない。
地下室の私は、冷や汗を拭った。
これは対話で解決する相手ではない。
だが、このままジェラルド様が殴られるのを見過ごすわけにはいかない。
私は深呼吸をし、操作盤の「伝声石」に魔力を流した。
「……ごきげんよう、お義母様。初めまして、ミランダです」
私の声が、玄関ホールの拡声魔石から響き渡る。
エレオノーラ様がピクリと眉を動かし、キョロキョロと周囲を見回した。
『どこだ!? どこにいる!』
「姿をお見せできず申し訳ありません。現在、少々……いえ、かなり体調が優れないため、こうして声のみで失礼いたします」
嘘ではない。
貴女の迫力に胃が痛くなりそうですから。
「長旅でお疲れでしょう。別棟に客室を用意させましたので、まずはそちらで旅装を解いて……」
『ふざけるな!』
エレオノーラ様が、拡声魔石のある柱を睨みつけた。
『声だけで挨拶だと? 辺境伯の嫁が、そんな軟弱で務まると思っているのか!』
「軟弱と言われましても、これが私の流儀ですので」
『気に入らん! 魔導だか何だか知らんが、こそこそと隠れおって! 私はそういう「見えない力」が大嫌いなんだよ!』
彼女は一歩、玄関の大扉へと踏み出した。
ジェラルド様が剣を抜こうとして、躊躇う。
その隙に、彼女は戦鎚を振りかぶった。
『出てこないなら、引きずり出してやる!』
「っ!? ジェラルド様、離れて!」
私は叫び、防御術式の出力を最大値で固定した。
『開けぇぇぇぇぇっ!!』
豪快な掛け声と共に、鉄塊が振り下ろされる。
狙うは、古代魔導文明の粋を集めた、絶対防御の結界。
物理攻撃無効。
魔法攻撃反射。
理論上、この扉を破れるのは戦略級の攻城兵器だけだ。
ガギィィィン!!!!
鼓膜をつんざくような金属音が響いた。
青白い火花が散り、衝撃波が周囲の雪を吹き飛ばす。
結界は……割れていない。
当然だ。
私の計算に狂いはない。
「ふぅ……。驚かせないでくださいまし」
私は安堵のため息をつき、手元の白磁の茶器を持ち上げた。
喉が渇いた。
温かい茶で落ち着こう。
その時だった。
ズズズ……ガタガタガタッ!
遅れてやってきた衝撃波が、地下の管理室を揺らした。
「え?」
机が跳ねる。
カップの中の茶が波打ち、そして――。
バシャッ。
茶色い液体が、手元に広げていた「自律清掃の魔導具」の設計図の上にこぼれた。
あ。
滲んでいく魔導墨。
一晩かけて描いた、複雑な魔導回路の図面が、茶色の染みに変わっていく。
部屋の揺れは収まった。
結界は無事だ。
だが、衝撃そのものを完全に殺すことはできず、振動となって屋敷全体を揺さぶったのだ。
映写水晶を見る。
エレオノーラ様は、痺れた手を振っていたが、その顔には凶悪な笑みが浮かんでいた。
『ほう。硬いな。……だが、叩けば響く』
彼女は再び、戦鎚を構え直した。
『壊れるまで叩けば、いつかは開くだろう?』
ドガン!
ドガン!
ドガン!
拍子を刻むように叩きつけられる轟音。
その度に、地下室が小刻みに揺れる。
棚の魔導書がズレ落ち、空の薬瓶がカタカタと音を立てる。
「…………」
私は汚れた設計図を、無言で紙屑入れへ捨てた。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
怖い?
ええ、怖いですわ。
あんな筋肉の塊、生物として勝てる気がしません。
でも。
「私の……安息を」
許せない。
私の静寂を。
私の完璧な空調管理を。
そして何より、私の至福の茶会と、愛する図面を汚したことを。
「絶対に、許しませんわ」
私は操作盤に向き直った。
もう、敬老精神など不要だ。
あの人は「お客様」ではない。
我が領土を侵す「敵性存在」だ。
「ジェラルド様。……そこを退いてください」
私は冷徹な声で告げた。
水晶の中のジェラルド様が、私の本気を感じ取ったのか、青ざめて飛び退く。
「お義母様。物理がお好きなら、物理でお相手しましょう」
私はレバーに手をかけた。
第1章でイザベラの私兵団を撃退した「迎撃機能」。
あれは対集団用だったが、今回は違う。
対個人。
それも、規格外の耐久力を持つ怪物専用の調整が必要だ。
「ヴォルフィード要塞、迎撃態勢へ移行。……目標、玄関前の赤熊」
私はニヤリと笑った。
その顔はきっと、水晶の向こうの姑に負けないくらい、獰猛だったに違いない。
「教育的指導の時間ですわ、お義母様」
起動紋を叩く。
屋敷が、低く唸りを上げて目覚めた。




