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クラウンクレイド  作者: 茶竹抹茶竹
【23章・呼び声に応えて/弘人SIDE】
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『23-6・To stay silence』

23-6


 床に仰向けに倒れた桜の肩を弘人は揺さぶり、名前を何度も呼ぶ。桜は力なく瞬きを繰り返して、そして遅れて顔を歪ませた。苦痛の表情を浮かべる彼女を前に弘人は動揺する。桜は口を開くも、浅い息が漏れるばかりだった。


「桜しっかりしろ!」

「……弘……人」


 微かに漏れたその言葉は、彼女の苦痛を物語っていた。その身を動かそうとするも、数センチ動いただけで、苦痛に塗れた悲鳴を上げる。弘人がその肩を抱き起そうとするも、桜の声にその手は止まった。落下した衝撃で、何処かの骨が折れている可能性がある。

 動かすべきではないかもしれないが、そう言える状況でもなかった。


「俺があんな事言わなければ」

「逃げ……て」

「出来るかそんな事!」


 桜の言葉を言い切る前に否定して、弘人は周囲を見渡す。何か武器になるものを探す。先程、投擲された男性の死体を思い出した。廊下の隅でひしゃげて転がっていた死体に駆け寄る。衝撃と死後の筋肉収縮で、関節でない部分から身体が曲がってしまっているのは、中々に応える光景だった。


 男性のその手に握られていた消防用の斧の柄を掴んだ。死体の指先が固くそれを掴んでいて、弘人はその指の一本一本を無理矢理引き剥がす。まだ生暖かい指先の感触が、鳥肌を立てさせる。奪い取るようにして手に入れた心許ないその手斧。それを片手に、弘人は駆け出した。

 

「うおぉぉぉ!」


 香苗へ向かって斧を振りかぶり走り込む。振り下ろされた腕を咄嗟に躱した。耳元で空を切る音がした。風圧すら、肌を切り裂かんとするほどで。雄叫びを上げながらその心臓へと斧を突き立てる。血飛沫が散って、弘人の腕を伝っていく。しかし、刃は食い込んだ途中で止まり、それを破るには至らなかった。露出した心房に刃が突き立てられているにも関わらず痛がる様子も見せない。

 浅かった、その判断が口をついて出る。


「しまっ……!」


 一瞬、弘人の視界が暗転した。

 息が詰まる。

  自分の首が絞められている事、そして自身の足が宙に浮いている事に気が付く。香苗の腕によって首を掴まれて持ち上げられていた。喉仏を押し込まれ、舌が口の中で浮き上がる感覚がする。弘人は必死にもがくも、掴んで来たその手の力強さに身動きが取れない。呼吸が上手く出来ず意識が遠のきそうになる。


「香苗……!」


 その瞳に見つめられて、弘人はその名前を呼ぶ。

 その顔は変質しつつあったが、それでも香苗であることは間違いなく。どんな感情を持っているのか、いやそれともそんなもの欠片もないのか、分からないまま。


 弘人は自身の首を掴むその手に爪を立てた。びくともしないその手を掴む。

 視界がぼやけ始めた。死を意識しているのが分かる。

 暗転した意識の向こうで、弘人はそれでも香苗の名前を呼ぶ。


 その言葉は届かなくても良いかとも思った。此処で死んでしまうのも、また良いかとも思った。香苗が此処で死を迎えたと同義なら、ならば、共に死んでしまおうと。決して、この哀しみはもう消せないのだから、此処でそれが終わるのなら。それは、それで、良いかと思った。


 意識も視界も黒く染まって、思考が途切れて。首を絞められる感覚も分からなくなって、世界から切り離された様で。


「こんな時くらい、あたしの事を見なさいよ!」


 それは。その言葉は。桜の声だった。

 弘人の鼓膜を通ってその先、もっと奥の場所まで響いた気がした。

 一瞬、意識を取り戻す。感覚が戻ってくる。

 苦しいという感情が四肢を刺激する。

 弘人は声を絞り出す。

 届かなくても、それでも伝えなければならない言葉だった。


「香苗……、お……れ……は……、お前……が好きだった」


 その感情はいつの間にか芽生えていたもので。幼馴染だったその少女は、いつしか目で追ってしまう相手になっていた。上手くそれを伝えられずにいた内に、世界がいつの間にか壊れてしまっていて。その想いは言葉にする切っ掛けを失っていた。


 伝えようとした時は、あの日、死を覚悟した時だった。感染した梨絵に噛まれ、意識を失いそうになった時。香苗の事を巻き込みたくなくて、傷付けたくなくて、彼女から離れようとした。最期を覚悟した時、香苗に想いを伝えることが出来なかった事を悔やんだ。

 そして、今。また伝える機会を逃したままだった。今で無ければ、もう二度と伝えられない言葉だった。そして、区切りをつける為の言葉でもあった。


「だから、必ず追い付くから」


 一瞬。弘人を掴むその手の力が緩んで。出来た隙間で身体の自由を多少取り返す。一気に肺に滑り込んで来た酸素が、脳を横殴りにして。視界が点滅する。

 弘人は掴まれた手から抜け出そうと、勢いを付けてもがく。弘人がもがいた足が、その心房に突き刺さった斧を蹴飛ばして。その勢いに押されて、刃が沈み込む度に新しい血が洪水の様に流れ出す。


「今は、先に行っててくれ」


 弘人の首を掴んでいた手の力が一気に緩んだ。支えるものをなくした身体は重力に引かれて床に落ちる。咄嗟の事に着地の姿勢を取れず勢いよく落ちる。足首に激痛が走って、捻ったのが分かった。

 それでも、それを無視して、大声を上げながら弘人は床を蹴る。心房へと突き立てた斧の柄へと手を伸ばし、それを掴み引き抜いて。赤い飛沫が散る目の前の光景、その向こうへ向かって勢いよく再度叩き付けた。

 沈み込むような感触。びしゃりという嫌な音。赤く重たい血飛沫が勢いよく上がっていく。それを頭から被りながら。

 視界の向こうで、ゆっくりと、香苗が倒れていくのが見えた。

 

「香苗……待っててくれ」

 

 床に倒れたその亡骸を前に、弘人は声を震わせた。今手を下した存在が、息絶えていくのが分かった。その胸元に空いた穴から血液が流れ出していき床に血だまりを作っていく。肺が隆起する度に、上手く鳴らない笛の様な甲高い音が漏れた。変わり果てた姿でも、その顔は安らかな表情で目を閉じていて。

 弘人は床を蹴って、吠えた。涙で見上げた天井が歪む。弘人は自分に言い聞かせた。

 これで良い。これで良いのだ。

 置き去りにされるのは、昔から慣れてるのだから。




【23章・呼び声に応えて 完】

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