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クラウンクレイド  作者: 茶竹抹茶竹
【19章・君が傍にいて欲しい/祷SIDE】
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『19-2・矜持』


19-2


 寝室を出て、私は廊下の隅で呻いた。

 何だったのだろうか、今のは。

 明瀬ちゃんのあんな表情を初めて見た。それを見て、ひどく動揺している自分がいた。その表情は、自分に向けられる類のものではない気がしたから。友達に見せる類のものではないような気がしたから。

 どうしていいか分からず、私は再度呻いた。私が逃げ出すように立ち去ったのは伝わってしまっているであろうし、かといって明瀬ちゃんが何を求めているのかも分からなかった。いや、本当は分かっていた。それに手を伸ばすのが怖かった。

 そんな時。

 私の呻きに混じり、それとは違う呻き声が微かに聞こえて。身が強張る。確かに聞こえたのは、人のものではないあの声だった。


「侵入された……?」


 音の近さからして、音の出所が建物内にいるのは間違いがなく。私は足音を立てないようにしながら、音が聞こえてくる方向へとゆっくりと進む。

 いつ侵入されたというのだろうか。ゾンビの侵入を許すような高さの壁ではなく、仮に何らかの手段を用いて壁を超えたとしても、ゾンビが夜間にそれほど活発に移動してくるとは思えない。


「通常のゾンビなら……だけど」


 私の脳裏を過ったのは、あのアダプターの事だった。


 音の聞こえてくる二階の奥へと、私は急ぎ、しかし足音を潜ませて進む。廊下に敷かれた分厚いカーペットが、私の足音を吸ってくれるのが救いだった。進む度に、その先の道は暗い闇でひた隠しにされて行き、私の鼓動は自然と緊張で早くなる。

二階の廊下の先、月夜のそれも、電灯の欠片もなく。薄暗くてその進む先が全く見えず、私は右手にそっと炎を翳した。踊る焔が闇夜を照らし出す。物音は一瞬、その焔に反応したのか途絶えた。私は奥歯を噛みしめて、そっと足を踏み出す。

廊下の突き当りにある一番奥の部屋の前に、人影が見えて。私は息を呑んだ。


「あなたは……」

「何故、此処に来たのでしょうか」


 人影が発した声は、恭子さんのもので。

彼女はゆっくりと歩いてきて、私の翳した炎に照らされると、その顔がはっきりと見えた。その服装からして就寝前であったようだが、その後ろ手には、何か杖の様な物を持っていた。


「奥の方から物音がしたので」

「奥は夫の部屋ですから、物音というのは多分それでしょう」


 私はその答えに頷きながらも、一歩後ずさる。彼女の顔から視線を一瞬も外さなかった。 私の手の平の炎で照らされた、彼女のその表情は冷たく、けれども恐怖や狼狽の色は見えない。

廊下は一本道で、彼女が歩いてきたのは奥の部屋からしか有り得ない。彼女の言う、夫の部屋の中から現れた。何食わぬ顔で、いや、私を警戒した様な表情で。

呻き声が、今も確かに続いているこの状況で。


「その奥の部屋に、ゾンビが居ます」


私は炎を絶やさぬまま、言う。


「知っています」


 一切の躊躇いもなくその答えが返ってきた。

 そして私は、一つの可能性を連想する。

 この館にいる筈の人物で、未だ目にしていない人物が一人いる。食事の時にも姿を見せなかった人物が。その人物について、彼女は深く言及しなかった。


「加賀野さんのお父さんは」


 彼女が頷いたので、私は何も言えず。また一歩、無意識の内に後退る。炎を灯したまま、手の平を彼女の方へと向けた。そんな私に彼女は静かに首を横に振る。炎に照らされても、その表情は変わらなかった。その表情には決意の様な色が見えた気がした。その事実を知られても、構わないとでも言う様な。


「明日、桜を連れて出発してください。私と夫は此処に残ります。そして桜には、夫の事を決して伝えないで欲しいのです」

「でも、その……、加賀野さんのお父さんはもう既に」


 その先の言葉を、私は口にしなかった。そんな私に恭子さんは静かに首を振る。


「人には、それぞれの人生というものがありますから」

「そんなの」

「生き残るという事よりも、私には大事なものがあるのです。加賀野という家に生まれ、夫を私の人生に巻き込んだ。私には、この家が燃え尽きようとも共に身を費やすだけの矜持がある。それが私の生き方です」


 私には分からない。その言葉を訴えるだけの背景が。そして、どんな過去があったのかも。

 加賀野さんへ父親の死を教えず、そしてこの家から出ていけと、彼女は言う。それは、踏み込むな、巻き込まれるな、そんなメッセージを含んでいると私は思った。


 その根底にあるものは何だろうか。それを愛とでも呼ぶべきものだろうか。

 彼女が命を捧げようとしていること。それを矜持と呼んでいいのだろうか。私には分からない。少なくとも、彼女の死は生者に報いるものではない。此処が終点であるかの様に終わる。それが正しい価値観であるようには、私には思えなかった。

 そんな事を思う私へ彼女は言う。炎が揺らめいて表情に影が差す。故にその一瞬、その表情を覆い隠してしまって。


「誰かの為に生きるのではなく、私は私の為に生きるのです。例え死せる者に変わってしまったものの為に死のうとも、それは私自身が望んだ結果。私の為の生き方」

「だから、止めるな。そう言いたいんですか」


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