「2話・届かぬ存在(後編)」【クラウンクレイド閉鎖領域フリズキャルヴ】
CCH2-2
「あたしは夜長畔です。あたし達の拠点はお二人を歓迎します」
その言葉と共に少女は動く。焔を操り火球をぶつけてくるような相手に対し怖気づく気配もなく。
自分達を保護することに、何故夜長と名乗る少女がそれほどまでに執着するのか。祷には分からない。
だが夜長は力づくでもその目的を成そうとしている。夜長が身を傾け駆け出した。
夜長の周囲の不可視の壁がその歩みに合わせて動き出す。接触したものを削り薙ぎ倒し壁は迫りつつあった。
祷の脳裏を過るのはゾンビのひしゃげた死体。
迫ってくる夜長の姿は決して恐ろしいものではない。ゾンビのような恐怖を感じさせる外見ではない。
可愛らしい夜長がただ追ってくるだけ。だがその圧は物理的に具現化して迫る。
「祷!」
「逃げよう、明瀬ちゃん」
祷はそう判断する。焔を操る能力や以前遭遇した魔女、例えば電撃を操る魔女や念動力を用いる魔女達と違い、あの壁に直接的な攻撃能力や飛び道具としての射程能力はない。
踵を返し夜長に背を向けて走る。距離をとる、単純ながら効果的な一手。
祷と明瀬は住宅街の車道を走る。両脇を民家の塀で囲まれた車道を抜けて開けた交差点へと進入しようとした瞬間。
祷と明瀬は何かにぶつかった。身構える暇もなく身体を硬い何かにぶつけてよろける。
「痛っ」
何かにぶつかった衝撃に祷は目を凝らす。目の前には何もない。
「いや、違う」
太陽光の反射で微かにその物体の輪郭が見えた。祷の背丈を超える透明なガラスのような物体。道を塞ぎ二人の行く手を阻む「不可視の壁」。夜長の周囲に展開された壁とは別に、祷達の進行方向に突然壁が生じたのだった。
目を凝らして見なければ認識するのも難しい透明な壁。それは弧を描きドーム状の形をしているのがわかる。ドームの頂点はおそらく2メートルを超え、それがなだらかな曲線を描いて目の前に壁として存在している。道を埋め尽くすほどの広さ。
夜長を中心として、その周囲に同様のドーム状の不可視の壁が存在していると祷は推測する。
「彼女の魔法は複数、そして遠隔でも発生させることが出来るのか」
道幅を埋め尽くすほどの巨大な壁。察するに交差点の中心に発生したドーム状のバリアが進入を拒んでいる。ドーム状の壁と直角の塀は当然その間に隙間が生じてはいるものの、人が通るには厳しい隙間だ。
不可視の壁はその耐久性を誇示するかのように電柱を薙ぎ倒していた。壁の発生地点にあったものを押し退けて出現したようだ。
壁自体に攻撃能力はない。だが壁と壁で挟む、「圧し潰す」ことが可能だ。
夜長の周囲に展開された壁が祷の目前に迫っていた。
「明瀬ちゃん、伏せて。人間相手に使うのは憚られるけど、威嚇程度じゃ足を止められそうにない。禊焔を使う」
その言葉の意味を理解し明瀬は身を伏せる。
「禊焔」、祷の持つ魔法の中では最も強力な威力を誇る、人間相手では確実に焼き殺すことが可能な熱線の照射。
その魔法の名を告げ、祷はその手を翳す。放たれるのは巨大な焔。目の前の空間を全て喰らうかのように火炎放射器の如く炎が噴き出す。
その膨大な熱と勢いに振り回されそうになりながらも火柱を操り支配下に置き束ね、太い火柱を線へと集束させる。
「禊焔ならどうだ……!」
焔を束ね熱線へと変えて祷は放つ。空中を鋭く熱線が駆け抜ける。
一間置いて、その熱線は祷の視界を塞ぐ程の盛る炎へと膨れ上がる。全てを薙いで燃やし尽くす焔が空気を食み旋風を起こす。
しかし、熱線は夜長の傍らを駆け抜ける軌道を描くも不可視の壁に阻まれた。
「なるほど、ゾンビ相手には非常に有効ですね。これほどの火力とは驚きました」
そう口にする夜長は多少の動揺を滲ませたが焦りの様相は見えない。
何者も触れえぬ絶対の不可侵領域、少女を中心とした聖域。
その堅牢さを改めて誇示するかのように祷の渾身の一撃は難なく弾かれた。熱線は壁の傾斜を這うようにして湾曲して飛翔、狙いを大きく外した。火花が激しく空中に飛び散り、なだらかに滑り落ちていくことで、ドーム状のバリアが少女の周囲を覆っているという祷の推測に根拠を与えた。
夜長の足を止めることは出来ず祷は背面の透明な壁と少女を囲う壁に挟まれる。その歩を進める度に壁は徐々に迫る。
にじり寄ってくる透明な壁に圧し潰されかねない。あの無数のゾンビの死体はこうやって潰されたのだ。
祷は両手を上げた。
「分かった、そちらの指示に従う」
祷の警戒とは裏腹に夜長はあっさりとそれを快諾した。
「それは良かったです」
そう言って夜長が見せたのは年相応の屈託ない笑顔であった。祷は拍子抜けする。他意のない無垢な笑みを久しく見ていない気がした。
ゾンビ溢れる死と隣り合わせの世界で、その少女はあまりにも純真なように思えた。
あり得るのだろうか、祷はそう考える。おそらく多くの死と悲劇を目の当たりにし、様々な傷を負った筈であろうに、こうまでも純真で綺麗な存在で居続けることが可能なのか。
夜長の周囲に展開していた壁が徐々に小さく縮小していき彼女の手の届く距離ほどの大きさになると消失した。
近づいてきた夜長に対し祷は警戒を抱いたままであったが、一方の夜長はまるで友人に対し振舞うように笑顔で祷の前に立つ。
「先程も名乗りましたが、あたしは夜長畔。あなたたちは?」
「祷、こっちは明瀬」
「祷さんと明瀬さんですね、宜しくお願いします。今、周囲にバリアを貼りますね」
夜長を中心として壁が展開されていく。空中にガラスの破片が舞い散るようにして出現し、その欠片同時が結合し身を寄せ合い空中に「貼り付けられる」ようにして固定し壁となっていく。祷達もまたその壁の内側に居た。
祷はその意味を理解する、夜長に護られているのだと。
周囲の状況を興味深く観察する明瀬の姿を見て夜長は言う。
「『フリズキャルヴ』、周囲に透明なバリアを展開するあたしの魔法です。ゾンビの侵入や接触はもちろん、炎や乗用車の衝突にも耐える耐久力があります。あたしと一緒に移動してください、さっきみたいにまた頭ぶつけたら大変ですから」
手のうちを明かし、バリアの内側に招いきれる。その無防備とでもいえる警戒心のなさに祷は拍子抜けした。他に隠し玉があるのかもしれないが、この状況でなら、壁の内側にいる今ならば攻撃が通る可能性があるにも関わらず少女の振る舞いにそれを警戒する素振りはない。
祷に対して明瀬がそっとハンドサインを出した。
様子見の提案だった。祷は肯定する。
この少女が一体何者であるのか、祷にも興味があった。
夜長と共に移動する。近くに置いてあったリュックサックを夜長は回収した。
「使えるものがないか、この辺りに探しにきていたところだったんです」
そう言ってリュックの中身を見せてくる。水や食料だけでなく乾電池や書籍などがぎっしりと詰まっていて、それを重たそうに夜長は背負った。
「お二人の姿を見つけて慌てて追いかけてきたので、ここに置いておいたんです」
「私達を追ってきた理由は?」
「この近くはゾンビもまだ多いですから危ないと思って。感染していない生存者なら助けなきゃって」
それはあまりに人の良い話だ。
夜長の思考を読み取れるわけではないが、彼女が親切心から救助に至ったことには偽りがないように祷には思えた。
祷は問う。
「君は一人で行動を?」
「はい、あたしには魔法がありますからゾンビも怖くないですし。足りない物資があったり生存者を探しに行くときは、いつもあたし一人で出歩いているんです」
フリズキャルヴ。
夜長の魔法によって展開される壁は確かにかなりの強度であった。ゾンビ程度では突破できないだろう。
一人で危険地帯を歩き回ることが可能なほどの力、そしてそれを実行する丹力。
この可憐で汚れのない少女は一体どのような生存生活をしてきたのか。
夜長は言う。
「みんなで生活している場所まで案内しますね、安全ですし食料なんかもたくさんあるんですよ」
夜長に連れられて向かう先、方角と移動距離から祷には場所の見当がついた。
まさか、と可能性から排除した場所。国内有数のレジャー施設。リゾートホテルまで備える巨大な遊園地型テーマパーク「Dワンダーランド」。
その入口の門が祷達を待ち受けていた。
正面口からではとても園内の全てを見通すことなど出来ないが、遠方に巨大な建造物の姿は見て取れる。
夜長と最初に接触した時の言葉を思い出す。その意味を理解できずとも何を指していたのか気が付く。
園内最深部に存在する超大型アトラクション、映画の世界を再現するために造られた巨大な城。パステルカラーで塗装され、夢物語から抜け出してきたようなファンシーな意匠の建造物、まさに夢のお城。
夜長の言っていた「お城」とはこの事かと。
唖然とする祷の方へ夜長は振り返り笑顔で言う。Dワンダーランドの煌びやかな背の高い門を背後に背負って。
「お二人を歓迎します。ゾンビなんかに恐れることのない世界で一番安全で平和で美しい場所。誰も苦しまなくていい素敵な世界」
夜長と最初に接触した時の言葉にはとある単語が含まれていた。日常生活では聞きなれない単語が。城というものを必要とする存在、「女王」という言葉を確かに夜長は口にしていうた。
「ようこそ、あたしの国フリズキャルヴへ」
「2話・届かぬ存在 完」




