［零19－1・二人］

0Σ19-1

「穿焔－うがちほむら－！」

　振り抜いた拳が纏った焔の塊が、ロトの胴体に直撃する。衝撃派と共に吹き飛んだ彼女は宙を舞い、そして地面に転がり落ちた。周囲には焦げ付いた臭いが充満していて私の乱れた呼吸と共に肺が灼け付く。

　地面に転がったロトが何度か立ち上がろうとしたものの、そのまま彼女は気絶したのか動かなくなった。焼き切れたワイヤーが蛇の様に転がっている。

　全身の苦痛を抑え込もうと思い切り息を吐き出す。意識に靄がかかっていて、胴体から溢れ出る激痛と痛みに歯を食いしばる。刺さったままの刀を引き抜こうと手をかけるも力が入らない。その場に崩れ込んだ私の名前を呼ぶ声がして。

「祷！」

　朦朧とする意識の中で顔を上げる。エレベーターから表れたレベッカが、私に向かって駆け寄ってきたのが分かって。私の傷をみて彼女は息を呑む。

「今、止血と鎮痛剤を。しっかりしてください」

「鎮痛剤は駄目だ……リーベラと話がある」

「え？」

　レベッカはそこでリーベラの姿を見て。動揺していたものの、即座に気を取り直して私の胴から刀を思い切り引き抜いた。

　スプレー缶の発泡性液体止血剤を私の傷口に噴射して、ゴム製の包帯で固定される。血が一気に溢れたからか、激痛を遮断しようと意識は何度も遠退きかけていて。それでも私は荒い呼吸を吐き出しながら必死に目を見開き続ける。絶え間ない鈍痛が脳内を横殴りにすると身体が必死に気絶させようとしてくる。

　地面に転がった私の前に、リーベラが立つと見下ろす様な格好となって。レベッカと私を見て、リーベラが意図の読めない表情を造る。

「……リーベラ、まだ続けるのか」

『分からない。そもそも何をもって完了とすべきなのかすら。ムラカサは死んだのか？』

　リーベラの問いにレベッカは躊躇いがちに頷く。その事実にリーベラはその表情を変えることも無く、彼女は傍らに倒れたロトの方へと一瞬視線を向けて。

『始めたのは私だ。だがそこに別の目的を定めたのはムラカサだ』

　始まりはリーベラによるものだった。世界はゾンビという存在で壊れて、そんな中ムラカサさんはその元凶と真実に辿り着いた。そして彼女はリーベラという強大な神の信奉者へと変わりリーベラと共にこの世界を地獄に変えようとした。彼女自身の目的の合致もあっただろうし、否定された父の技術を体現した存在への陶酔もあったのだろう。

　リーベラにとって結末はどうでも良かったし、ムラカサさんにとって結末以外はどうでも良かったのだろう。

　でも私はそうではなくて。

「協力者も信奉者も倒れた今、私はリーベラ……あなたと交渉したい事がある」

　掠れた声を必死に吐き出して私はリーベラに訴える。レベッカが何か言いたそうにしていたが私はそれを、震える手で制した。

　悲劇の始まりは最早何処からであったのか定義できなくて。確かなのは傷付いた彼女が拳を振り上げという事。其処に理由を求めても、きっと人間らしい回答しか存在しない。故にそれを問いかけようとも無意味なのだろう。

　だから必要なのは。今、此処で人を超えられるかどうかでしかない。感情から始まった終わりの見えない道に、理性で幕を引くしかない。人を超える為の一歩であるとも言えた。

「あなたとクラウンクレイドの仮想世界を外部干渉を遮断したスタンドアローンの状態に出来ないか」

『それが提案？』

「そうだよ。そして私達はあなたと今回の一件について公表しない」

『互いの干渉を遮断するという事か。手打ちにしようとでも？』

　それが何を救うのか分からない。

　彼女によって怒りと恐怖を抱え込んだ人間なんて幾らでもいて。彼らにしてみれば認められる事ではないかもしれない。けれどもそれは、その呪いはいつ救いに変わるのだろうか。ならば、私は此処で祈りを重ねることを選ぼうと思った。

「それともう一つ。今の私の記憶や人格をデータとして吸い上げる事は可能だろうか？」

【最終章・クラウンクレイド】

　

　リーベラの居た最深部を離脱し、レベッカと共に埋立地地上に戻った私は、全身から力が抜けそうになってその場に崩れ込む。潮風が激しく吹いていて、瞳の表面が乾いてしまって目を細める。人工島である埋立地は殺風景で、海を挟んで背の高いビルの群れが幾つも続いていくのが見えた。

　私の肩を激しく揺らしながら耳元でレベッカが怒鳴る。

「ここまで来れば充分です！　休むべきです！」

　レベッカが私の装備を手早く外していく。担いできた気絶したままのロトを傍らに寝かせて、私は激しい息を何度も吐き出した。止血したものの胴体の傷は激しく疼き痛み、身体が異状を訴えてか発熱と発汗が止まらない。私はその場に仰向けに転がった。指先まで冷え切っていて感覚が消えてしまいそうだった。ただ肉体を蝕む激しい鈍痛だけが全てだった。

　私の傍らにしゃがみ込んだレベッカが私の首筋に手を当てて。

「鎮痛剤を投与します、良いですね」

「……お願い……」

　有無を言わせずといった感じで私の手首を掴み、応急処置用の注射器で鎮痛剤を撃ち込まれる。呼吸が安定せず、視界が白く霞む。世界が無尽蔵に廻り出すように錯覚する。

「……レベッカ」

「はい」

　言いたい事は幾つもあった筈なのに、脳裏を浮かんでいく言葉は上手く掴めず霧散していく。

　まだ何も終わってない。そして、まだ何も始まってない。けれども。

「ごめん、それと……ありがとう」

　鎮痛剤の麻酔効果が効いてきたのか強烈な眠気が襲ってきて。頭痛が脳の中で響くたびに、意識が突き放されて奥底へと沈んでいく。

　私の顔にレベッカが両手で触れてきて。優しくそっと頬を撫でられる。彼女の額と私の額を寄せ合って。傷口から熱が奪われ冷え切ってきた身体に、レベッカの熱が伝わってきて。

「祷はいつだって強くて迷わなくて……こんなになってまであなたは」

「……これが正しかったのか……私には分からない」

「何が正しいかなんて、そんなの誰が一体分かるんですか」

　レベッカがその語調を強める。

「でも、あたしはあなたを信じたかったんです。理屈でも何でもないんです。あたしはあなたの事が……」

　私の視界が眩んで。レベッカがその中で目を細めるのが見えた。彼女の言葉は頭の中で響く鈍痛に邪魔をされてよく聞こえなくて。それでも優しく撫でられる感触だけは確かに感じられた。

「だから大丈夫です。きっとあたし達は先に進めます」

　そう、私達。

　きっとそれは一人じゃ駄目なのだろう。人が人であるが故に。人が人である為に。

　此処に私達がいるように。

「それを信じています」

【作者・茶竹抹茶竹】

【表紙絵・ツチメイロウ】

【脚本協力・アリナン】

　水平線の向こうに昇ってくる朝日が見えた。海面に眩く白い光を幾つも反射させながら、雲一つない空から夜の気配を追い出していく。白に塗りつぶされた青色に微かに橙色が混じっていく。

　幾つも光が瞬いていた星空が消えていってしまう。

　浜辺に腰掛けていた明瀬はその光景に嘆息した。潮風は穏やかで腰まで伸びた髪が微かに揺れる。

　美しい景色と吸い込んだ冷たい空気に、世界は透き通っているのだという叙述的な感傷を覚える。

　手元の釣り竿に反応があって明瀬は現実に引き戻されて、手早く魚を釣り上げた。陽射しを反射して銀に煌めく一匹の魚を手元に手繰り寄せると、慣れた手つきで針を外し角の欠けた年季物のクーラーボックスに放り込む。十匹程の数が既にその中にひしめき合っていて、それを確認した明瀬は満足そうな表情を浮かべて蓋を閉じる。竿とクーラーボックスを担いで立ち上がる。

　海岸沿いに一軒だけポツンと建った家へと戻る。消えていく星空の方を追って歩き、変わらずにやってきた朝から逃れるみたいに。

　家の周辺数キロには長いロープが張り巡らされていて、明瀬はそれを上手く乗り越えた。進入者が無視してロープに触れれば、結び付けた缶が周囲に騒音をかき鳴らす仕組みであった。

「ただいま」

　玄関で帰宅を告げる挨拶の言葉を吐き出す。特に返事も期待していない儀礼的な行為。

　生活の拠点にしているのは、かつては貸別荘であったのだろう小さなコテージで。中に入ってキッチンへ急ぎ向かう。釣ってきた魚をクーラーボックスごとキッチンに上げる。上水道が機能していない為、調理用に貯蔵している水を持ってこようとした明瀬はそこで気が付いた。背後の気配に、振り返り見ずとも誰の物であるのかが分かって。落ち着く為に一つ深呼吸をして。

　明瀬はゆっくりと振り返り、後ろに立っていた少女に声をかける。窓から差し込んできていた朝の陽射しに目を細める。

「おはよう、祷」

「ただいま、明瀬ちゃん」

【クラウンクレイド　完】