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クラウンクレイド  作者: 茶竹抹茶竹
【零和 一章・目覚めには、ショットガンの口付けを】
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[零1-2・喪失]

0Σ1-2


 私の記憶は明らかに欠落がある。

 シルムコーポレーションの研究所を後にした後から、今此処にいるまでの間の欠落は、此処にいる事を簡単に歓迎できることでは無かった。

 早く誰かに会いたいと思うばかりだった。

 何て事は無い、私は救助されて安全圏にいるのだと、そんな風に言ってくれれば良い。

 明瀬ちゃんがそれでひょっこり顔を出してそう笑ってくれれば、私達は一先ずのハッピーエンドを迎える事が出来るのに。

 それなのに、どうしても。

 その思考は邪魔をされる。

 この建物に人の気配が無い事。

 それが嫌な連想をさせる。

 そう、例えば。

 あの曲がり角から何かが飛び出してくるのではないかという嫌な連想。

 幾度となく経験してきたものに基づく、私の危機管理能力。

 それが、私の鼓動を否応なしに早くさせる。

 そして。その一瞬。

 見えたのは。

 黒く過った何かで。


「此処も駄目か!」


 ゾンビが其処にいた。

 その変色した体表と、隆起した太い血管。

 白濁した瞳からは人間らしい表情の色は消え、犬歯を剥きだして開いた口からは、あの呻き声が漏れる。

 衣類と呼ぶべきものは繊維の欠片も残っておらず、青紫色に変色している皮膚の全容がはっきりと認識できる。

 私は咄嗟に踵を返す。

 廊下の逆側へと走り出す。

 私に確かな狙いを定めてゾンビが走り出した。

 数はざっと見た限り20体を超えている。

 その全てが走っているのが見えた。

 互いを押し退けあうように、廊下の幅一杯を埋め尽くして。

 そんな状況にも関わらず彼らは、猛烈な勢いで迫る。


「全部スプリンターってこと!?」


 今までの経験則では、ウォーカーと比較してスプリンターの比率は低い筈だった。

 20体以上のそれが、全てスプリンターであるというのはあまりにも不運と言える。

 廊下は一直線で遮蔽物の類は無く。

 スプリンターの短距離での運動能力は、人間のそれと比較して遥かに優れている。

 私の足では逃げ切るのは無理だった。

 その猛烈に迫る群れを相手にして私はそう判断し、振り返る。

 右手を持ち上げて、言葉を紡ぐ。

 何度も紡いだ言葉。

 諳んじても一語たりとも違わぬ事のない言葉。

 それと共に右手を勢いよく払う。


「穿焔!」


 だが、その呪文の言葉を放っても。

 何も起こらなかった。

 火の粉の一つすら跳ねる事もなく。


「穿焔! ……穿焔! なんで!」


 魔法が発動しない。

 呪文を間違えていないのに、何も起こらない。

 手元に魔女の杖はないが、それでも呪文があれば発動は出来る。

 筈だった。

 けれども、この危機的な状況を前にして魔法はその欠片すら姿を見せず。

 まるで魔法なんてものが存在していなかったかのように。

 眼前にまで迫ったゾンビの群れに私は咄嗟に踵を返す。

 一体のゾンビが廊下を蹴って跳ね上がる。

 私に向かって飛んできたそれを、私は咄嗟に身を翻して躱した。

 影が頭上を過っていくのを感じる。

 その空気の振動すら全身の感覚器官が捉えていて、その嫌悪感と危機感が全身を這う。

 着地に失敗して勢いよく廊下を転がっていたそれが、悲鳴染みた呻き声を上げた。

 その変容しきった四肢が、真っ白な廊下を転がって、その衝撃でか肩が外れて。

 そのおぞましい見た目に抱く嫌悪感だとか恐怖感だとかを、今さら思い出す。

 まるでそうであることを忘れてしまっていたかのように、私の身体が危機感で震えだす。

 そんな躊躇いを切り捨てて、私は足元に転がったゾンビの上を跳ぶ越える。

 私の脚を微かに乾いた皮膚が撫でる。

 迷えば、足を止めれば、そこに続くのは死でしかない。

 直ぐ背後に、ゾンビの集団が迫っている事を感じながら私は廊下を走る。

 手元には何もなく、頼れるのは自分の脚だけで。

 廊下の途中、他とは趣の違う扉を見つけた。

 扉の横の壁には三角形のレリーフが上下を向いて二つ付いている。

 エレベーターだと気が付いて、私は上向きの矢印を叩いた。

 微かな駆動音と共に扉が開いて私は乗り込む。

 エレベーター内の壁に、文字が浮かび上がるように光って数字が現れた。

 咄嗟に屋上を除く最上階数だった5階を押す。

 滑るように扉が動いて、私の眼前からゾンビの姿が消えた。

 ステンレス調の小窓のない扉が閉じると、その向こうでゾンビが身体をぶつけたのだろう鈍い衝撃が数度響いた。

 その音に私は呼吸を止めて、背中を冷や汗が伝う。

 駆動音と共にエレベーターが悠然と動き出しだして私は壁に背を持たれて長い息を吐き出した。

 危なかった、誰に言うわけでもない言葉を吐き出す。

 気づかない内に手が震えていた。

 魔法が発動しない。

 その事が、その事実が私に重たくのし掛かる。

 考えてもいなかった事態に、私は押し潰されそうになる。

 込み上げてくる吐き気に私は拳を握りしめた。

 今まで、私には魔法という武器があった。

 それがあったからこそ、私はゾンビ蠢く世界で生き残ることが出来たし、明瀬ちゃんを守ることも出来た。

 それが今では、ゾンビから逃げ切ることも出来そうにない無力な存在でしかない。

 知らなかった、忘れていた、想像もしていなかった。

 自分の命を脅かしてくる存在にたいして無力である事の、死と隣り合わせのプレッシャーというものを。

 今まで私はその事に、そしてそんな存在を考えていなかったかもしれない。


「とにかく、状況を確認しないと」

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