51 行こう、今、なりたい私へ(魔女見習いをさがして)
「魔女見習いをさがして」は、「おジャ魔女どれみ」シリーズ20周年を記念して、2020年に封切られたアニメ映画です。
最大の特徴は、“どれみの記念映画なのに、どれみが主役でない”こと。
これって結構とんでもないです。
「仮面ライダー」50周年記念の映画に、仮面ライダーのフィギュアがちらりと出てくるだけだったら、どうでしょう?
怒り出しませんか?
普通、こういう記念作品というのは、主人公のその後を描いたり、時代を現代に置き換えて現代風に作ってみせるなどの方法をとります。
それを、この映画では、敢えて“かつて「どれみ」シリーズを見ていた女性達”を主人公に据えました。
「どれみ」が放映されていた世界の未来という、メタな舞台です。
喩えて言えば、“「ウルトラマン」を見て育ち、今でも好きだけど、特撮と全く関わりのない仕事に就いた青年”が主役のドラマのようなもの。
ある意味、視聴者(観客)が生きている現実が舞台なのです。
どれほど異端な存在か、伝わったでしょうか。
「おジャ魔女どれみ」シリーズは、1999年から4年間にわたって放映されたテレビアニメで、東映オリジナルのアニメ(著作権が東映にあるアニメ)です。
1作目の「おジャ魔女どれみ」(通称「無印」)では、どれみ、はづき、あいこの3人が魔女見習いとして魔女になることを目指し、
2作目の「おジャ魔女どれみ#では、3人におんぷを加えて、魔女界の次期女王候補である赤ん坊:ハナちゃんを育て、
3作目の「も~っと!おジャ魔女どれみ」では、ももこを加えて、再び魔女を目指して魔女界の元老院魔女から出される課題のお菓子を作り、
4作目「おジャ魔女どれみ ドッカ~ン!」では、急成長したせいで魔女の証である水晶玉を失ったハナちゃんを魔女見習いを経て魔女に戻すべく見守る、
という物語になっています。
魔法という超常の力を扱いながらも、どれみ達には大した魔法は使えず、人の心や体に影響を与える魔法を使えば反動が襲うという不便さで、どれみ達は人間としての力で様々な壁を乗り越えてきました。
最終的に、どれみ達は魔女になる資格を得たものの、魔法を捨てて人間として生きる道を選びました。
前置きが長くなりました。
この映画は、そのテレビシリーズを見て育った3人の女性
一流商社のOL:ミレ 27歳 はづきが好き
教師を目指す大学生:ソラ 22歳 どれみが好き
絵画修復師を目指すフリーター:レイカ 19→20歳 あいこが好き
の3人の交流をメインに進みます。
「どれみ」シリーズの舞台となったMAHO堂のモデルとされる洋館を訪ねて偶然出会った3人が、連絡先を交換し、いわゆる聖地巡りを一緒にしていく中で、それぞれが抱えている悩みを飲み込んでいくという内容です。
名前がかなり不自然ですが、それも「どれみ」っぽい。
「どれみ」の本名は、春風どれみ。
元々、「どれみ」シリーズの舞台は美空市で、魔法のステッキや変身アイテムは楽器という設定でした。
だから、この映画の主人公達の名前も、ドレミファソラシドから取られているのです。
メインの3人が、自分の推しキャラと違う性格なのも面白いですね。
ソラは、どれみ推しの割に、はづきのような性格です。
眼鏡キャラですし、眼鏡が時々不透明になるのもはづきっぽい。
レイカはあいこ推しですが、どれみっぽい。
標準語ではないものの、しゃべり方や表情が、コミカルな時のどれみによく似ています。
「うちは世界一不幸な美少女じゃ」なんてセリフもありましたし、どれみのモノマネをしているようにすら見えました。
ミレは…はづきには似ていないけれど、特に似ているキャラはいません。
敢えて言えば、合理的なももこに、歯に衣着せない傾向のあるおんぷが混じった感じでしょうか。
結論から言うと、かなり客を選ぶ造りになっています。
制作者側は、“「どれみ」シリーズを見ていなかった人でも楽しめる作品にした”と言っていますが、多分、「どれみ」シリーズをかなり真剣に見ていて、今でもある程度覚えている人でないとわからない(or共感できない)部分が多いと思います。
鷹羽は、もちろんかなり覚えているクチなので、滅茶苦茶刺さりました。
冒頭、シルエットのどれみ達5人が、3人の幼女に「大きくなったら何になりたい?」と訊いています。
その近くから、タンポポの綿毛らしきものが飛び散り、そのうちの3つが、大きくなった女の子の元に届く。
3人は、いずれも順風とはいえない環境にあって。
そして、シルエットのどれみ達が映って、スローテンポにアレンジされた「おジャ魔女カーニバル!」が流れ、満月をバックにタイトルが映る。
正直、この時点で、鷹羽のテンションはダダ下がりでした。
真っ先に映ったミレが棒読みでがっくりきたこともそうですが、なにより、
月が笑ってなかった
からです。
「どれみ」世界で満月と言えば、“月が笑う夜”です。
魔女界への入口が開く夜の象徴です。
いかに舞台が現代世界とはいえ、ほうきに乗ったどれみ達のバックの満月が普通の月だなんて…。
けれど、見ていくうちに持ち直しました。
MAHO堂のモデルになったとされる洋館を見に行った3人は、三者三様のアプローチで個性を見せています。
外から写真を撮りまくり、門扉が開いているのを見て敷地に入るソラ、既に敷地に入ってドアノブまでいじっているレイカ、内見名目で鍵を入手しているミレ。
本当に、鎌倉にモデルの洋館があるのかは知りませんが、もしあったら、こうして聖地巡礼する人がいてもおかしくないんだろうなと思いました。
ミレは「無印」からのリアル世代、ソラは「ドッカ~ン!」からのリアル世代、レイカは配信などで見た世代ですが、多分一番ディープなのはソラでしょう。DVDを揃えているようですし。
3人は、当時の玩具である魔法のステッキから取り出した、好きなキャラの色の魔法玉をお守りのように大切にしています。
現物を持っていないのではっきりはわかりませんが、多分、半透明のプラスチックの球だと思われます。
リアル世代でないレイカは、父が地方に行くたびにおもちゃ屋を覗いて探してくれたという設定です。
たしかに鷹羽自身、シリーズ終了5年後くらいに、小さなおもちゃ屋に残っているのを見た記憶があります。
この辺は、ぽっぷのお陰ですね。
どれみの妹であるぽっぷは、「無印」中盤で魔女見習いになっています。幼くて夜起きていられないために昇級試験を受けられず、「ドッカ~ン!」ラストまで魔女見習いのままでした。
どれみ達の変身アイテムやポロン、見習い服などは、番組ごとにリニューアルされますが、ぽっぷだけは「無印」時代のもののままでした。
旧商品を売り続けられるようにという理由だったと聞いていますが、そのお陰で、「無印」終了からだと8年くらい経っていたのにまだ売れ残っていることがあったのですね。
事情を知っていると、これもある意味リアルです。
映画のストーリーとしては、中途半端です。
3人は、それぞれ問題を抱えていますが、それがちゃんと解決したかと言えば疑問を感じざるを得ません。
レイカは、幼い頃に両親が離婚して母親に引き取られましたが、既に母を亡くし、ヒモのような彼氏に金を吸い取られている毎日です。
父に会いたいと言うレイカに、ミレが魔法を勧めてみたり、という辺りから、非常にコメディチックです。
落とした魔法玉が弾みに弾んで、知らない女の子のリュックに入り、追いかけてようやく回収してみたら、父が入院している病院にいたという…。
この辺りは、「どれみ」シリーズで魔法でドタバタをやっている時のニュアンスに近いものがあって、クスリと笑えます。逆に、「どれみ」を知らないとかなりナンセンスですが。
そして、出会えた父は、レイカを知らないフリをしました。
再婚した妻と、その娘の前で、前妻との娘との再会など喜べるわけがありません。
娘だと気付いた描写はあるので、知らないフリに気付くこともできるのでしょうが、いっぱいいっぱいになっているレイカは額面どおり受け取ってしまいました。
ここから急にシリアスになって、レイカが安直に魔法を使うことを勧めたミレに八つ当たりしたり、仲直りしたりと、急展開。
普通の映画だったら、この展開は、相当ひどいです。
「どれみ」の関連映画だと思うから、魔法玉が偶然異母妹のリュックに入っても“ああ、どれみの魔法って、こういう展開するよね”なんて思えてしまう。
あいこの父が勤める会社が倒産し、あいこが大阪にいる母に引き取られる話になった時、合体魔法で願った“あいこと別れない方法”は、求人雑誌の山でした。そこから新しい就職先を見付けたことで、あいこは美空町に残れたのです。
万能ではない、でも何か起きてくれる、どれみの魔法──そういったフィルターがあるからこその展開です。
ソラは、教育実習に行った先の小学校で発達障害の子に過剰に感情移入したことで周囲からたしなめられ、教師になる理由を見失っていました。
元々、両親が教師だったことから、流されて教師を目指すことになったのですが、発達障害の子に寄り添うような教師を目指す方向に舵を切ったようです。明言されていませんが。
てっきり、そういった施設への就職を目指すのかと思ったんですけど、いずれにせよ教員免許はいるのかな?
ソラについては、聖地巡りの一環として、修学旅行先を訪れた際、たまたま同道することになった大宮に告白する勇気がほしくて呪文を唱えました。
どれみが当初魔法を欲したのは、“告白する勇気”がほしかったからなので、どれみ推しのソラとしてはアリなのかもしれません。
どれみは、結局、魔法なしで告白をしているわけですが、ソラが呪文を唱えたとて本当に魔法が発動するわけでもないので、これはこれで正しい使い方と言えるでしょう。
ああ、そうそう、告白は当たって砕けました。
ミレは、帰国子女だから空気が読めないというようなことを周囲から言われてはいますが、実のところ、帰国子女──アメリカ育ちだからというのではなく、単に性分として“自分が正しいと思うことを言わずにおれない”だけです。
少々猪突猛進というか、勢い任せな面がありますが、別に帰国子女でなくたってそういう人はいます。
彼女は単独では魔法を使っていませんが、担当していた海外との取引について、一方的なダンピングを拒否して会社を辞め、同じくダンピング要求を拒否したその取引先と独自に取引を開始することになりました。
あと、元の会社の後輩がミレを追って会社を辞め、口説いてきました。はっきりとは描写されていませんが、付き合うことになったものと思われます。
ともかく、彼女達は、「どれみ」を通じてできた友達との交流の中で、自分が進みたい道を見付け、歩み始めます。
「どれみ」と関係があるのかないのか、よくわからない展開です。
でも、どこまでも前向きな「どれみ」を指針にしているからこそ、彼女達は、一流商社を辞めて我を通すであるとか、改めて絵の道に進むであるとかの選択をしたのです。
逆に言うと、これがこの映画の弱点で、「どれみ」というフィルターを観客が共有できなかった場合、“後先考えずにテキトーに動いている”ようにしか見えず、感情移入もできないでしょう。
何がどう繋がっているのか、酔っ払って“どれみにお礼を言いたい”ということで意見が一致した3人は、マジカルステージで「どれみちゃんにお礼が言いたい」と願います。
そして、その直後、どれみ、ぽっぷ、どれみの父の3人とそっくりな声の親子連れの声が聞こえてくるのです。
この子達とは特に会話をすることはありませんし、あくまで早朝散歩中の親子連れという扱いなのですが…。
「いつかは魔法を捨てて、大人になるってことなんだよね~」
というミレのセリフに答えるように、遠くから、どれみそっくりの声の子の
「そんなのやだ! 私は忘れないもん、大人になってもず~っと!」
という声が聞こえます。あくまで、父に向かって何かごねているという態で。
そして、それを聞いたソラが、「ドッカ~ン!」の最終回で、卒業式に出たくないどれみを、たくさんの友達が迎えに来たことを思い出し
「魔法を使ってないのに、魔法みたいだなって。それがどれみちゃんの魔法なのかなって」
と言い。
「魔法」という言葉が、「可能性」とか「自身の力」という意味を持ったのです。
結局、ミレは、前述の外国商社からの輸入雑貨を扱うカフェを開店することとなり、件の洋館を改装しました。
冒頭で「内見」していたことがここで生きてきます。
名前は「mAHO堂」です。「M」でなく「m」です。
ここからエンディングモードなんですが、この集大成っぷりがすごい。
夜になり、カフェを外から眺めている3人の前を3つの綿毛らしきものが店内に入っていきます。
秋なのに、と見ていると、店内にとんがり帽子をかぶった人影が。
慌てて店内に入った3人の前に、アクセサリーを作っているどれみ達5人とぽっぷ、そこに加わる、見習い服を着た幼いミレ達がいました。
幼いミレ達は、どれみから「3人は何になりたいか決まった?」と訊かれ、それぞれに答えます。冒頭からの繋がりです。
ソラ 「望めば何にでもなれた頃の私」
レイカ「いつか魔法が使えるようになるって信じてた」
ミレ 「大丈夫、魔法はあなた達の中にちゃんとあるから。自分の魔法でどこへでも飛んでいけるから。行こう、今、なりたい私へ」
──大きくなったミレ達がなりたいものを見付けた時、幼い頃を思い出す、そんなシーンです。
「無印」時代の見習い服の6人と、ぽっぷより小さな3人。
この時バックで流れている曲は、「ドッカ~ン!」ED曲「わたしのつばさ」のインストゥルメンタル。
「自分の魔法でどこへでも飛んでいけるから」というミレのセリフは、「わたしのつばさ」の歌詞「いつの間にか育ってた わたしの小さな翼」「飛んでいける どんな空だって」に重なります。
「自分の魔法」も「わたしの翼」も同じこと。内に秘めた心の力。
だからこそ、ここで「わたしのつばさ」が流れるのです。
マジョリカの声に呼ばれた9人が出て行った扉をミレ達がくぐる──このシーンは、MAHO堂から魔女界に通じる扉のオマージュ。
扉をくぐれば、そこにはほうきに乗ったどれみ達がいて。
ここで、再び「おジャ魔女カーニバル!」が流れます。今度は、早さは普通で、小さな子供のコーラスが入っています。
飛び上がったどれみ達に続き、幼いミレ達もほうきを取り出し、ミレ達の「いっけ~~っ!」という声に背を押されるように飛び立つ。
そして、満月をバックに9本のほうき(とマジョリカのちりとり)がシルエットになると──月が笑っています!
冒頭と対照的に、笑う月をバックに魔女見習い達がシルエットで映って物語は終わり、エンディング曲が流れ始めます。
エンディング曲「終わらない物語」は、「ドッカ~ン!」45話で、先々代の女王が復活する一連のシーンで流れた曲です。
こういう選曲が、「どれみ」好きにはたまりません。
しかも今回は、おんぷが歌って、どれみがセリフを言う特別版です。
この映画のような、斜め上のアプローチで作る記念作品というのは、なかなかないでしょう。
ただ、鷹羽としては、その姿勢は高く評価しています。
「ドッカ~ン!」放送当時、翌年の番組を何にするかという検討で、“「どれみ」はもう(人間的に)成長しすぎたから続けられない”という意見が出たそうです。
それに対し、“ぽっぷを主人公にしてでも、続けてほしい”という意見も出たそうですが、スタッフは反対し、結局、シリーズは終了、後番組は「明日のナージャ」になりました。
その翌年からプリキュアですね。
「ドッカ~ン!」時点で、商品売上的にはジリ貧、視聴率的にはまだまだいける、という状況だったという話を聞いた覚えがありますが、少なくとも、続投を願われつつ終了させたスタッフの選択は英断だったと言えるでしょう。
主人公が成長する物語の場合、試練も解決もどんどん過酷になります。
「ドラえもん」が長く続いているのは、のび太が一向に成長せずにいつまでもダメな子供だからです。
時に成長したかに見せながらも、結局はダメ男のまま。
劇場版ではなんか成長した?と思わせても、やっぱりダメ男なのです。
そうでないと、お話が作れないからです。
これが主人公が成長する「まじかる☆タルるートくん」だと、主人公の江戸城本丸が成長しすぎてタルるートがやることがなくなり、仕方なく2代目主人公に交代させたものの、人気が落ちてしまって主人公を本丸に戻して終了、というかたちで打切になりました。
成長した主人公には、襲う試練もグレードアップしてしまうため、どんどんキツい状況になっていきます。
後日談なら、物語としての起伏は必ずしも求められません。
また、前日譚的な続編(時間を遡っての新作)なら、主人公が成長しきっていないからやれます。
「どれみ」の場合、「ドッカ〜ン!」の時点で、もはやどれみ達が大きな失敗をすることはなく、もっぱらハナちゃんが起こした問題を解決する側に回っていました。
「おジャ魔女ハナちゃん」などと揶揄されたりしていたほどです。
テレビシリーズ終了後にOVAで「おジャ魔女どれみナ・イ・ショ」が制作されましたが、これは「も~っと!」時代の語られなかったお話という体裁だったからこそ作れたのです。
今更、後出しの新設定や、なんで今頃出てくるのかわからない強キャラなんぞ、いらないのです。
そういう意味で、“「どれみ」を見ていた人の物語”というスタンスは、とても新鮮で興味深いものでした。
最後にちょっと苦言を。
この映画は、全体的に「どれみ」シリーズを大事にしていると感じるのですが、唯一いただけなかったのが声優の人選です。
特に、ミレ役の松井玲奈さんがひどい。
棒読みレベルで下手なのはまだいいのです。
途中からは、ミレってこういう人って感じで気にならなくなりました。
幼いミレの演技が壊滅的に下手なのも目を瞑ります。
でも、これだけは我慢できない。たぶん、この人、「どれみ」をちゃんと覚えていません。
キャストとしてのコメントでは、「おジャ魔女どれみ」が大好きで、毎週の放送が楽しみだったと言っていますが、具体的にどこがどう好きとはいっていません。
いえ、見てはいたかもしれません。当時は好きだったかもしれません。
でも、今でも好きというわけではないでしょう。
そう思う理由は、マジカルステージの時の呪文です。
ミレ達のマジカルステージのシーンでは、原典どおり
ソラ 「ピリカピリララ のびやかに」
ミレ 「パイパイポンポイ しなやかに」
レイカ「パメルクラルク 高らかに」
と唱えています。
ここがダメダメなのです。
はづきの呪文は
「パイパイポンポイ プワプワプー」
ですが、発音としては
「パイパイポーンポイ プーワプワプー」
と、伸ばすのです。
マジカルステージの時も同じ。
セリフとして読むなら、あるいは文字を読むなら、「パイパイポンポイ プワプワプー」で正解です。
でも、はづきを好きな人が呪文を唱えるなら、絶対に「パイパイポーンポイ プーワプワプー」です。
マジカルステージの時も「パイパイポーンポイ しなやかに」です。
それを、ミレ…というか松井さんは、文字どおり「パイパイポンポイ しなやかに」と唱えたのです!
細かく言うと、あいこも「パメルク! ラルク! 高らかに」と、強調した感じで唱えるところを、レイカは静かに「パメルクラルク」と唱えているのですが、このくらいは許容範囲と思えるくらい、ミレの呪文は違和感がひどかった。
文字で書くと、あるいは設定では、どれみの呪文は「ピリカピリララ ポポリナペペルト」です。「無印」1話でララがどれみに教える時も「ピリカピリララ ポポリナペペルト」でした。
でも、どれみが唱える際は「ピーリカピリララ ポポリナペーペルト」です。
実際、ソラは「ピーリカピリララ のびやかに」と唱えました。
いえね、覚えてなきゃダメだとか言うつもりまではないんですよ。
ただね、“幼い頃に「どれみ」を見ていて、今でも大好きなキャラを演じる”なら、役作りとして“呪文を番組どおりに唱える”は必須条件でしょう。
好きで、見ていて、ポロンを買ってもらって、今でも魔法玉を大切に持っている人が、「ポ」を伸ばさないはずがない!
覚えてなくたっていいんです。演じる前にテレビシリーズを数話見ればわかること。
それすらできていない松井さんは、ダメすぎました。
ほかは許せたんだけどなぁ。これだけはダメでした。
それ以外は、さしたる問題点はありませんでした。
滅茶苦茶、客を選びますが、刺さる人には深く刺さる映画です。
できれば、声優も「どれみ」好きを条件に選んでほしかったなぁ、と思います。




