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約束の審判  作者: 次野/うずらの


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1/15

とある昼下がり


 こじゃれた街中も少し路地に入れば、まるまる太ったネズミが闊歩する。すすけた雑居ビルの屋上には、周囲に負けないくらい、くたびれた男がひとり。

 屋上の縁に足をかけ、空を見上げていた。

 雲1つない、見事な晴天だった。


 しばらくして、男はこうべを垂れた。


 仕事もできず、なにもやる気になれない、ただ生きているだけの自分には、もううんざりだった。

 あぁ、これで。


「――楽になれる。とか思ってんの?」


 心無い言葉が背後から投げかけられ、男は振り向いた。

 黒のパーカーに黒のパンツ、目深に被ったフードで表情こそ分からないが、口元と口調で面倒そうな雰囲気が伝わってくる。


「そこから飛び降りたら、アンタを知る人がいなくなるまで、ずっと石、積むことになるよ」


 1歩、そしてまた1歩。


「どんだけ綺麗に積もうが、おかまいなしに崩してくる。やめることもできなくて」


 近づいてくる足取りまで、ひどく面倒そうで。


「子どもじゃないから助けもない。ここよりずっとーー」


 それ相応の振る舞い方があるだろう、と男は近づいてくる黒づくめの青年の胸ぐらを掴んだ。


「キミになにが分かるんだっ!!」


 男の剣幕に青年のフードが脱げた。

 服装とは真逆な、真っ白な髪がなびき、鋭い眼光が男を捉える。


「周りがっ……友人たちが眩しくてしかたがなかったっ……。みんな、好きな仕事ができてっ……俺だけ、できなくてっ。それでも、他のことで頑張っていればっ……いつか報われるだろうって……!!」


 常に笑顔を心がけ、懸命に、がむしゃらに働いて。

 変わらない現状に、これじゃだめなんだと、男は自らを追い込んだ。

 気付けば、身体もココロもボロボロで、なにもできなくなっていた。


「じゃあ、なおさら」


 青年が男の腕を掴むと、景色が反転する。

 朽ちた看板、寂れた鐘や建物――――さっきまで見ていたものが青年越しに。


 そして、


「こっちに来んな」と、男を突き飛ばした。


 その勢いで、仰け反る青年。

 背後は宙だ。

 男は尻餅をつきながら、手を伸ばした。


「ぜってー報われねぇから、シゴって」


 青年はそれを掴むことなく、重力に身を委ねた。

 慌てふためく男がどんどん小さくなっていく。


 青年は口角を上げた。


 高層ビルに縁取られた空は、今日も綺麗だった。



    *



「悲観することはありません。早すぎる死は神様からのお導きなのです。貴方の御子息も、貴方の恋人も……神の御許みもとに」


 周りが寂れているわりには、立派な教会だった。

 ステンドグラスから入り込む光が、羽根の生えた女性像の前に立つ人を優しく照らしている。

 折り重なった影だけ見ると、教壇に立つ天使のよう。皆、聞き入っていた。


「私たちはそれを嘆くのではなく、粛々と晴れやかなる気持ちで送り出すことを――」


 大切な人を失った者たちには救いの言葉かもしれないそれを、窓の外にいる猫たちに分かるはずがなかった。

 じっと見つめたって無意味だ。


「にゃーん!!」

「うみゃー!!」

「鳴いても一緒だってば」


 話を中断して私たちにごはんをくれるわけがない、と1匹の黒猫がたしなめるが、他の猫たちは鳴くことを止めない。

 追い払われる前にこの場を去るのが得策だ。


「……静かにしてもらえるとありがたいのですが」


 ほら、言わんこっちゃない。

 違ったのは、教会の中からではなく、裏手のブロック塀に腰掛けていたスーツ姿の男から。

 パリッとしたスーツでネクタイも緩めずに、こんなところで休憩……しているのだろうか。

 表通りのカフェでバリバリ仕事をしていそうな、教会以上に似つかわしくない男は異彩すら放っていた。


「仕方がありませんね」


 懐に手を入れる。

 銃か。

 拳銃、なのか。

 それならしっくりこなくもないのだが、生憎ここは銃社会とは無縁な島国だ。


「少ないですが……」


 そう言ってばらまいたのは、カリカリ――1食分が個包装になっているキャットフードだった。

 皆が夢中になる中、黒猫だけは輪に入らず、距離をとる。その足取りはつたなく、しかし怪我をしているわけではなかった。

 へたくそな四足歩行の黒猫に、スーツの男が気づいたその時だった。


 そばにあったゴミの山に、黒い塊が落ちてくる。

 猫の動体視力が故に、はっきりと見えた、人の形。

 ゴミがクッションになっていようが、それなりの衝撃音に猫たちはびっくりして逃げてしまった。


「派手な行動は慎むように」

「視えないんだから大丈夫でしょ」


 何事もなかったようにゴミの山から生還する、黒いパーカーの青年に、スーツの男はため息をついた。


「――視えてる、ようですよ?」


 男は自分の足下にいる、もう1人の目撃者を紹介する。人間みたいに腰を抜かし、指をさすように前脚を動かす黒猫を。


「なにこの猫」

「あああんだこそ!! なんで無傷っ!?」

「……喋った」

「猫だって喋るわよ!!」

「あ、うん。そう……だっけ?」

「そう、よ――って、分かるの!? 私の言葉っ!?」


 黒猫は彼らこそ救いだ、と目を輝かせる。


「お腹すいたのっ、おにぎりが食べたい!」

「猫のくせに、おにぎり?」

「猫のくせにってなによ!!」


 埒が明かない、と青年は傍観を貫いていた男に助けを求めた。黒猫を抱き上げ、彼の目線に持ってくる。


「ニクスさん」


 呼ばれたスーツの男・ニクスは、黒猫に顔を近づけた。

 遠視、なのだろうか。

 近い。

 近すぎる。

 ニクスという横文字めいた名前でだいぶ引っ張られているが、おとぎ話でよくある、キスしたら元に戻る的なことかと、黒猫は身構えた。

 ひんやりとした額が、黒猫の小さなおでこに重なる。


「末期、ですかね」

「……シにかけ?」

「えぇ。ひとまず、おにぎりを」

「コンビニなら、あっち」

「ちょっと、死にかけってどういうことっ!?」


 物騒なことを口走った2人から、それ以上の説明はなかった。



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