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ルームメイト  作者: けせらせら
42/44

7-1

   7


 あれから二日が過ぎた。

 涼子はすでに辞表を会社に提出し、実家へと帰る準備を進めていた。そして、涼子は安村を会社近くの喫茶店へと呼び出した。

 涼子からの電話に、安村はすぐに会社を抜け出して姿を現した。

「大変だったみたいですね」

 安村は涼子を気遣うように言った。「加奈子ちゃんから聞いたんですが、本当に会社を辞めるんですか?」

 事件後、加奈子は涼子を心配して、何度もメールを送ってくれていた。

「ええ。実家に帰ろうと思うの。もともといつかはそうするつもりだったから。それがちょっと早くなるだけよ」

「残念です。でも、そのほうが事件のことも早く忘れられるかもしれませんね」

 安村はそう言ってコーヒーを口へ運んだ。どこか安村は緊張しているように見える。なぜ自分が呼び出されたのかがわからず、気になっているのかもしれない。

「安村君、私、時々考えるの。どうして奈津子さんは、忠志さんに復讐しようとしたんだろうって……」

 その涼子の言葉に、安村はわずかに眉をひそめた。

「そんなこと考えないほうがいいですよ。早く忘れたほうが――」

「でも、ハッキリさせたいことってあるでしょ」

「それは……まあ」

 涼子の思いに同意するように、安村は小さく頷いた。

「安村君はどう思う?」

「そうですね……それは彼女の旦那さんや子供が事故で死んだからでしょう。僕はその辺の事情はよくわからないけど、その原因を作ったのが川渕さんだったってことじゃないんですか?」

「違うわ。忠志さんは事故には関わっていない」

 もし本当に忠志が事故に関わっていたとすれば、仙道はもっと早く奈津子の犯行に気づいたことだろう。

「本当ですか? じゃあ、川淵さんは山辺さんの誤解で殺されたってことですか」

 安村は神妙な顔つきで言った。

「そう……誤解。でも、奈津子さんは勝手にそう思いこんだわけじゃないわ。誰かによって誤解させられてたんじゃないかって思うの。いかにも忠志さんがあの事故の原因を作ったような話を聞いてそう思いこんだんじゃないかって」

 まっすぐに安村を見つめながら涼子は言った。

「嘘ってことですか? どうしてそんなことが?」

「私、奈津子さんが使っていたパソコンの履歴を見てみたの。奈津子さんはいろんなネットの掲示板を使って、あの事故の原因となった人を捜していたみたい。それを知った誰かが嘘を教えたんじゃないかしら」

「ネットですか。誰でもネットじゃ平気で嘘をつきますからね」

「そうね。でも、奈津子さんはその情報を信じてしまった。でも、奈津子さんだって簡単に信じたわけじゃないわ。いろんな興信所を通して調査していたみたい。だから、単なる嘘なら奈津子さんも気づいたはずよ。問題は忠志さんが本当にあの日、長野に行っていたってこと。その事実があったから、だから奈津子さんは嘘を信じて誤解したの」

 奈津子の荷物のなかには、興信所の報告書がいくつも残されていた。奈津子が何を思い、何を考えていたのかは、それを読んだ涼子には少し理解出来る気がした。

「運が悪かったんですね」

「運? どうして?」

「偶然、嘘と同じように川淵さんが長野に行っていたってことでしょう?」

「違うわ」

「どういうことですか?」

「その嘘をついた人は忠志さんが長野に行っていたことを知っていたと思う。知っていたからこそ、あえてそんな嘘をついた」

「何のために?」

「忠志さんを奈津子さんに殺させるために」

 その言葉に一瞬、安村は息をのんだ。

「そんな……どうしてそう思うんです?」

「少なくてもその人は忠志さんのことを直接知っていたはずよ。知っていて奈津子さんに嘘をついた。それなら忠志さんが長野に行っていたことも知っていたと考えてもおかしくはないわ」

「……」

「でも、忠志さんがあの日、長野に行ったことを知ってるのはほんの数人だけ。私だってずっとそのことは知らなかった。安村君、あなたは?」

「僕も知りませんでした」

「そうかしら」

「ど、どういう意味ですか?」

 一瞬、安村が言葉に詰まる。

「あなたは知っていたんじゃないの?」

「え? どうしてですか? どうしてそんなふうに思うんですか?」

「あなた、忠志さんから春に車借りてるでしょ?」

「……ええ」

「忠志さんは変な癖があって、ちょっと遠出するような時は行ったことがある場所でもナビを使う癖があった。あなたもその癖に気づいてたんじゃない? 加奈子ちゃんもその話してたわ。きっとあの日も、忠志さんは時間を計るためにナビを使った。あなたはそのナビの記録から忠志さんが長野へ行ったことを知ったんじゃないの?」

「そんな……確かに川淵さんから車を借りたことは事実ですけど。そもそも僕がそんな嘘をつく理由なんてないじゃないですか」

「あるわ」

「……何ですか?」

 安村は強張った表情で涼子の言葉を待った。

「あなたが会社の設計情報を盗んだから」

 その涼子の言葉に安村の目が泳ぐ。

「どうして……?」

「さすがに驚いてるわね。そのことを知っているのは会社の役員と忠志さんだけのはずだから?」

 涼子はそう言って安村の顔を見つめた。安村は少しの間、黙ったままで視線を動かしていたがやがて――

「……やっぱりあなたに話したんですね?」

 そう言って安村は唇を噛んだ。「誰にも話していないと言ったくせに」

「忠志さんの名誉のために言っておくけど、忠志さんは嘘なんてついてないわ。忠志さんからは何も聞いてないわ」

「じゃあどうして知ってるんですか?」

「忠志さんは誰にも話さずに設計情報漏えいの調査をしていた。でも、忠志さんもシステムの専門家じゃない。だから専門機関に調査を依頼していたの」

「専門機関?」

 安村がごくりと唾を飲む。

「ええ、忠志さんはそこに資料を渡していたの。それが先日、私のもとに届いたのよ」

「……」

「安村君、顔色が悪いわね。大丈夫?」

「ええ……その資料って……」

「そうよ。詳しい分析結果が入ってたわ。私みたいな素人でもすぐにそれがどういうものかわかる資料だったわ」

「そんなところにオリジナルがあったんですね」

 安村は唇を噛んだ。

「あなたは調査の結果を聞いていたんでしょう?」

「結果が出てすぐに問い詰められました。ずいぶん叱られましたよ」

「それがバレるのが嫌で忠志さんを殺そうと思ったの?」

「……」

「答えて」

 涼子の言葉に安村はゆっくり口を開いた。

「川淵さんはもみ消してくれると言ってくれました」

「忠志さんはあなたのことを会社に報告しないつもりだったのね」

「川渕さんは良い人でした。調査の結果を黙っていてくれると言ってくれました。そのうち全てうやむやにして報告してくれるって。だから反省してやり直せって」

「じゃあ、どうして?」

「それでも川渕さんは事実を知ってるじゃないですか。 顔を合わすたびに、僕は息苦しかった。いつも見張られている気がしたんです」

「それはあなたの勝手な思い込みでしょ?」

「そうですよ。でもね、僕は毎日追い詰められていく気分だったんです」

「だから奈津子さんが忠志さんを殺すように仕向けたの? どうして奈津子さんを利用したの?」

「ただの偶然ですよ。たまたま僕はネットで彼女のブログを見つけたんです。毎日のように、事故への憎しみを日記にぶつけていた。彼女の強い憎しみはブログからも感じられました。あの人なら、川渕さんを殺してくれるかもしれないと思ったんです。いや、殺せないにしても、会社にいられないようにしてくれるかもしれないってね」

「それで奈津子さんに嘘を?」

「嘘? そうですね。でも、川淵さんがあの事故の日に長野に行ったことは事実です。それにほんの少し想像を加えただけのことです。僕の嘘なんてほんの小さなものですよ」

「卑怯だわ」

 次第に涼子は目の前の安村に対する怒りに我慢出来ずになってきた。「「あなたのせいで忠志さんは死んだのよ。奈津子さんだって、あなたのせいで振り回されて死んでいったのよ」

「……」

 安村は何かを考えるように黙ったまま少しうつむいている。

「あなたは罪を償うべきだわ」

 すると安村は顔をあげた。

「渡してもらえませんか?」

「何を?」

「川渕さんが残した資料ですよ」

 安村は少し青い顔をしているように見える。

 その顔を見て涼子は安村という男の人間性に気づいた気がした。自分のやったことに反省する間もなく、自分のこれからに不安を感じ怯えている。忠志に自分が会社の情報を持ち出していると知られたとき、きっとこんなふうに怯えた顔をしていたに違いない。

「あなたは……自分がやったことをわかっているの? こんなことになったのもあなたのせいなのよ。それなのにあなたはまだ自分だけが良ければいいと思っているの?」

「お願いです。渡してください。いくらですか? いくらで売ってもらえるんですか?」

 安村は必死に食い下がる。だが、涼子にはその姿に苛立ちを覚えた。

「あなたは最低だわ。あなたになんて絶対資料は渡さない」

「どうするつもりですか? 川淵さんはもみけしてくれると言ってたんですよ」

「もう忠志さんはいないわ」

「でも、藤井寺さんも川淵さんのことが好きだったんでしょう。それなら川淵さんの意思を継ぐべきなんじゃ――」

「勝手なこと言わないで」

 安村の自分勝手な言い訳に思わずカッとなった。「皆、あなたのせいで死んだのよ」

 涼子の言葉に安村は一瞬、言葉を止めた。

 だが――

「……なんとでも言えばいい」

 やがて、吐き出すように安村は言った。「あなたがどんな資料を持っていようと、あなたには僕をどうすることも出来ないはずだ」

 勝ち誇ったように安村は言った。

 確かに安村のことを法律で裁くことは出来ない。

 悔しかった。

「話は終わりですね。僕はこれで――」

 そう言って安村が立ち上がろうとする。

 その時、その肩を背後から伸びた手がぐいと押さえつけた。

 ギョッとして安村が振り返る。

 そこに仙道の姿があった。


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