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ルームメイト  作者: けせらせら
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6-1

   6


 涼子は朝からリビングでただ雑誌に視線を落としていた。

 休みであっても、外を出歩く気分にはなれなかった。雑誌に視線を向けてはいても、熱心に読んでいるわけでもない。ただ、何かをしていなければすぐに忠志のことを思い出してしまうからだ。

 奈津子もその涼子の気持ちを察してか、すぐ近くにもいながらも何も話かけようとはしない。

 そんな時、チャイムが鳴った。

 すぐに涼子が席を立つ。

「はい――」

 そこに仙道と橘、二人の姿があった。

「ちょっと教えてもらいたいことがありまして」

 そう言う仙道たちを、涼子はすぐに部屋に招きいれた。警察が情報を晒してくれるとは思わないが、それでも事件について少しでも状況を教えてほしかった。

 リビングに戻ると、奈津子が自分の部屋へ入ろうとしているところだった。

 仙道はすぐに奈津子に声をかけた。

「ひょっとして山辺奈津子さんでしょうか?」

「あ……はい」

 奈津子は振り返った。

「出来ればあなたにもお話を聞かせてもらいたいんですが」

「奈津子さんは、川渕さんとは関係ありませんよ」

 涼子が奈津子を庇うように言った。恵美とは仲が良かったとはいえ、つい最近知り合ったばかりの奈津子を事件に巻き込むのは申し訳ない気がした。

「ええ、でも知り合いだったんですよね? それに川渕さんの奥さんにお料理を教えていたとお聞きしまいた。そのことも確認しておきたいのでぜひお願します」

「私は構いませんけど」

 奈津子は仕方なさそうに後ろ手に部屋のドアを閉めると、仙道の視線を気にしながらソファに座った。

 涼子もコーヒーを仙道たちの前に差し出してから、奈津子の隣に腰をおろした。

「何かわかったんですか?」

 仙道が口を開く前に、涼子のほうが先に訊いた。

 警察が、事件の日の勤怠記録をもとに、社員たちの行動を捜査しているという噂は、加奈子を通して涼子の耳にも届いている。

「それが困ったことに依然手がかりが掴めません」

 すぐに仙道はそう答えた。「あの日、なぜ川渕さんが会社を休んだのかも、そして誰に会っていたのかもまだわかっていません」

「そうですか」

「川淵さんについては悪い噂がほとんどありません。仕事も出来、人当たりも良く、皆に慕われていた。そんな川淵さんがなぜ殺されたのか、まるで動機が見えない状態です」

 まるでお手上げとでも言うように仙道は言った。だが、その目のなかの光は決して弱々しいものではない。涼子たちが自分の言葉に、どんな反応をするかをじっと窺っているように見える。

「ただね――」

 と仙道は続けた。「現場の状況から、犯人はただ、川渕さんを殺すことだけを目的にしていたのではないように思われます」

「なぜそんなことがわかるんです?」

 涼子は訊いた。

「それはですね――」

 仙道は涼子の顔を見ながら言った。「車に残されていたペットボトルのなかから睡眠薬が発見されたんです。おそらく犯人は川渕さんの顔見知りで、二人で車に乗っているときに彼が飲んでいるペットボトルのなかに密かに睡眠薬を混入したのでしょう。その後、眠ってしまった川淵さんの身体を助手席に移し、ガムテープとロープを使って縛りあげた。これは助手席に残されたガムテープの跡でわかります。しかも、その川淵さんはそのガムテープを剥がそうとした痕がありました。つまり、川淵さんは薬から目覚めた後で殺されているんです。いったい何のためにそんな手のかかることをしたんでしょう? ただ殺すだけなら、薬で眠っている間に殺せばいい。そう思いませんか?」

「さあ……」

「犯人は、川淵さんが目覚めるのを待って、何かを聞き出そうとしたのではないでしょうか?」

「いったい何を?」

 涼子がため息とともに言った。

「さあ……そこが我々も苦労しているところですよ。それがわかれば事件は解決するのかもしれません」

 涼子も奈津子も何も答えることが出来なかった。

 仙道は涼子のほうへ視線を向けた。

「先日もお聞きしたんですが、川淵さんはお仕事で何か問題を抱えていたということはありませんか?」

「仕事のことは、普段から何をしていたのかもわからないんです」

「やはりわかりませんか?」

「すいません」

「仕事のことで、社内でもっとも川淵さんの仕事をご存知だったのは誰でしょう?」

「さあ……以前は設計部門だったので、後輩の安村君とは親しくしていたとは思いますが」

「安村さん? その人ならば川淵さんの仕事も知っていますか?」

「いえ、そういう意味じゃありません。川淵さんは去年からシステム部門に異動になってるので、今の仕事については安村君も知らないと思います」

 そう言ってから、涼子は先日、野間口から声をかけられたことを思い出した。その表情に仙道も気づいたようだ。

「どうしました?」

「あ……いえ、実は――」

 と、先日の野間口の言動について、仙道に話した。会社のことを警察に話すというのは、会社を裏切っているような気がしてあまり心地いいものではなかった。それでも、早く事件を解決してもらいたいという気持ちのほうが強かった。

「なるほど、設計部長の野間口さんですか」

 そう言って、仙道は横に座る橘と顔を見合わせた。やはり、警察は社内のことで、既に何か掴んでいるのかもしれない。

「川淵さんは、何か仕事が原因で殺されたってことでしょうか?」

 その問いかけには仙道は答えようとしなかった。そして――

「ところで――山辺さんにお聞きしたいのですが」

 突然、仙道の目は奈津子にむけられた。

「は、はい」

 奈津子は少し警戒するように身を固めた。

「川渕忠志さんとは親しかったんですか?」

「いえ――ほんの数回会った程度です」

「奈津子さんは川渕さんとはほとんど面識がありませんよ」

 涼子が奈津子を庇うように言った。

「ええ、奥さんからもそう伺ってます。なんでも奥さんにお料理を教えていたそうですね?」

「はい……ほんの数回ですけど」

「では、川渕忠志さんともお会いしてますよね?」

「ええ……」

 奈津子は困ったような顔で小さく肯いた。「お休みの時はご主人もいらっしゃいましたから」

「お二人で話をするようなことはありませんでしたか?」

「いえ、いつも恵美さんが一緒でしたから」

「川淵さんのお宅に行かれた時、ご夫婦以外の方とお会いしたことはありませんでしたか?」

「ありません」

 その奈津子の答えを聞いて、仙道はすぐに奈津子への質問を諦めたようだ。

 仙道は再び涼子のほうへ視線を向けた。

「上杉拓也という人物を知っていますか?」

 突然出された名前に涼子は面食らった。すぐに頭のなかで、その名前が誰なのか思い出そうとしてみる。だが、当てはまる人間は誰も思い浮かばなかった。

「すいません……ちょっと思い出せません」

「この若者です」

 仙道はポケットのなかから一枚の写真を取り出して、涼子へと手渡した。

 一人の若者が写真に写っている。

 それを見て、涼子は小さくあっと声をあげた。

「この人なら、前に見たことがあります」

 間違いない。その若者は以前、涼子の部屋を見張っていたことがある人物だ。ただ、ここ最近はまったく姿を見せなくなっていたのですっかり忘れていた。

 涼子はそのことを仙道に話した。

「そんなことがあったんですか」

 涼子の話が終わると、仙道は少し考え込むような顔をした。

「すいません。確信がもてなかったもので」

「山辺さんは?」

 仙道に促され、涼子は奈津子へ写真を渡した。

「いえ、私は……よくわかりません」

 奈津子もすぐに答えて、仙道の前に写真を返す。

「そうですか。実は先日、泉区で殺人事件がありまして、この上杉拓也という若者が殺されました」

「殺された?」

「上杉拓也はピーピング・アイという興信所で働いていたんですが、部屋からは携帯電話やノートパソコンが無くなっていました。犯人が盗んでいったものと思われます」

 そう言いながら仙道は写真をポケットに押し込んだ。

「あの……その人が何か?」

 まだ、その若者のことをどうして訊かれているのかがわからなかった。

「事件の夜、川淵さんのマンションに泥棒が入ったそうですね。そこで採取された指紋と、上杉拓也の指紋が一致しました」

「それじゃ……あれはその人が?」

「そう考えるのが自然でしょうね。そのことで教えてほしいんですが、川淵さんは浮気してましたか?」

「え?」

 思いがけない質問に涼子は面食らった。

「つまりね、藤井寺さんが聞かれたように何を調査してたのかがわからないんです。興信所に頼むとしたら浮気調査という可能性もありますから」

 一瞬、涼子は言葉に詰まった。

 忠志が浮気などするはずがない。しかも、そんな調査をいったい誰が依頼したというのだろう。

 恵美の顔が頭をよぎる。

「そんなはずありません……」

 搾り出すように涼子は答えた。

「そんなはずがない? どうしてそう言えるんです?」

「あの人は、そんな人じゃありませんから。何を調べていたかは、興信所に聞いてみればわかるんじゃありませんか?」

 涼子の答えに、仙道と橘が顔を見合わせる。

「それが上杉拓也は興信所の仕事として、川淵さんを調べていたのではないようです。考えられるのは、個人的に誰かから依頼されたということになります」

「個人的?」

「上杉拓也はネット上で個人的に仕事を受けていたようです。もちろん単なる盗み目的ということもありえます。しかし、川淵さんの知り合いであるあなたのことを調べていたのだとすれば、そこに何か事情があると考えるほうが良いでしょう。何か思い当たることはありませんか?」

 仙道の言うことは理解出来た。だが、思い当たることなど何もない。

「いえ……」

「そうですか」

 そして、再び仙道は涼子のほうへ顔を向けると――「ちなみに昨日の夜、7時頃ですが……藤井寺さんはどこで何をされていましたか?」

「昨日は仕事の後で、会社の友人と食事をしていました」

 相手はいつものように加奈子だった。急に安村から約束をドタキャンされたという理由で、涼子が国分町の店に連れて行かれたのだ。他にも品質管理部門の男性社員二人が一緒だった。

「では、社員の人たちが見てますね」

 仙道は納得したように小さく頷き、ちらりと橘を見てから今度は奈津子に顔を向ける。「参考までに、山辺さんは?」

「私はここに……一人だったので証明することは出来ませんけど……私、疑われてるんでしょうか?」

「いえ、これは皆さんに聞いていることです。気になさらないでください」

 すぐに安心させるかのように、やわらかな表情で橘が言った。

 仙道が捜査に関して鋭く質問をして、橘がそのフォローをする。この二人はあえてそういう役割を演じているのかもしれない。

 仙道は一度、その橘のほうへ視線を送った後、さらに言った。

「川淵さんについては、まだまだわからないことが多くあります。しかし、そのわからない部分を少しずつ解いていくことできっと真相を突き止めることが出来ると考えています。もう少しです」

 ずっと仙道という女刑事のことを苦手だと感じてきた。だが、この人ならば事件を解決してくれるかもしれない。

 涼子は以前とは違う期待を込めて仙道の顔を見つめた。


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