4-10
涼子を送り出すと、恵美は部屋に戻って力なくソファに蹲った。
「忠志さん」
その身体が震えている。
涼子の前では弱さを見せないように強がってみせたが、実際には堪えられないほどの悲しみが全身を包んでいる。
昨夜から、ずっと泣きたくなるのを堪えていた。泣いてしまうのが一番楽になることは知っていた。それでも涼子の前で泣きたくはなかった。彼女の前だけでは泣いてはいけないような気がした。
(なぜなの? これは私への罰なの?)
忠志と話しをするようになったのは、涼子よりも恵美のほうが早かった。
その明るい人柄で、恵美は入社してすぐに忠志と仲良くなった。忠志の人柄に恵美は惹かれた。しかし、そんな恵美の気持ちは忠志に伝わる事はなかった。忠志が愛したのは恵美ではなく涼子だった。
――俺たち付き合うことにしたんだ
まるで古くからの友達にでも言うように、忠志は涼子と交際することを恵美に話した。
(私は女として見られてない)
そのことが恵美にとっては何よりも辛いことだった。それでも涼子は大切な親友の一人だった。
(私さえ我慢すれば……)
そう思って恵美は笑顔で二人の交際を祝福した。
忠志のことを忘れようと他の人と交際もしてみたが、どんな時も相手に忠志の姿を重ね合わせてしまうせいか長続きはしなかった。いつも皆と一緒にいる時も、気づくとその視線は忠志を追っていた。そんな自分の本当の気持ちを抑え、恵美は二人の幸せを願った。
それが一年前――
――私たち、別れたの。
涼子の話を聞いて、すぐに恵美は忠志を喫茶店へと呼び出した。自分がこれまで必死に我慢してきたというのに、簡単に別れてしまった忠志が許せなかった。
「どういうことか教えてちょうだい」
恵美の強い態度に、忠志は渋々ではあったが自分の置かれた状況を説明してくれた。
そして、最後に――
「俺は彼女とは一緒にはなれないんだ。ただ、こんな話をしたら彼女は今以上に苦しむだろう。だから、この話はここだけにして欲しい」
愕然とした。
(今でもこの人は涼子のことを想ってる)
忠志の言葉のなかから、涼子へのその強い想いを感じ取った。そして、自分が良い友人ぶって忠志を呼び出しながらも、忠志への思いに再び火がついていることに気がついた。
恵美は思わず口を開いた。
「それなら私と付き合って」
その言葉には自分でもハッとした。だが、もう後には退けない。涼子のことを思えば、自分の行動は卑怯といえるかもしれない。けれど、もう忠志に対する想いを我慢したくはなかった。
驚く忠志の顔が、今でもはっきりと思い出せる。
「何言ってるんだよ。冗談だろ」
「冗談なんかでこんなこと言うわけないじゃないの。私、忠志さんのことずっと好きだったの」
今しかない。今を逃したらもう忠志に自分の気持ちをぶつけられなくなる。その一心から恵美は勇気をふりしぼった。
「俺はいずれ実家に帰らなきゃいけないんだ」
「私、忠志さんについて行く」
「そんな……涼子にどう説明するって言うんだ?」
「涼子には私が話すわ。それに涼子とちゃんと別れるっていうなら、私と付き合ったっていいじゃないの。そのほうが絶対うまくいくわ」
「何めちゃくちゃなこと言ってるんだよ」
確かに目茶苦茶な理屈であることは自分でもわかっていた。それでも恵美は譲らなかった。
「お願い! 忠志さんの望むとおりにするから! 私、忠志さんのためならどんなことでもする!」
唖然とした顔で恵美を見る忠志に、恵美はすがり付いた。
もちろん涼子に対して申し訳ないという思いも心のなかには存在していた。それでも忠志を失いたくという気持ちのほうが強かった。もし、それで涼子を失ったとしても、諦めるしかないだろう。今は、忠志への想いに悔いを残したくはなかった。
結局、忠志は恵美に押し切られる形で付き合いはじめた。
忠志は恵美を大切にしてくれた。だが、本当に愛してくれていたのだろうか。
最終的にプロポーズしたのも恵美からだったし、結婚式についても、このマンションを借りることも決めたのは全て恵美だった。
忠志はただ、恵美を自由にさせてくれていただけだ。
(まるですべてを諦めたように……)
忠志は涼子と別れた時から、自分の本当の気持ちに目を向けるのをやめてしまったように見えた。
それでも恵美は幸せだった。いや、幸せだと思おうとした。一緒に暮らしていくうちに、いずれ忠志も振り向いてくれるだろう。それをずっと待つつもりだった。
それなのに――
たった数ヶ月で恵美の求める日々は消えていった。
「どうして……どうしてこんなことに……」
悔しかった。
(なぜ?)
恵美は震える自分の身体をきつく抱きしめながら、声をあげ打ち震えて泣いた。




