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電話を切ってから、奈津子は大きくため息をついた。
灯かりを消した暗い部屋で、奈津子は壁にもたれて蹲っていた。左手にはいつもチェストの上に飾られている写真が握られている。月明かりに照らされたその写真を奈津子はじっと見つめた。
(康平さん……晋平ちゃん)
二人の名前を心のなかで呼んだ。
今夜はゆっくり二人のことを思い出せる。涙も思う存分流す事が出来る。
涼子が恵美のもとに泊まることは、奈津子にとってもありがたいことだった。さすがに今夜だけは、涼子と二人で過ごすほどの精神力はない。
恵美のことも気になっていた。
恵美にはかわいそうなことをしてしまった、と奈津子は思った。これまで何度も恵美と会って話をすることで、恵美の人柄も知ってお互いに打ち解けることが出来た。きっと別の形で出会っていれば、本当の親友になれたかもしれない。
それこそが事を急いだ理由でもあった。
本当ならば、もう一人の女を見つけた後で忠志を殺すつもりだった。だが、恵美の存在に、その決心を揺さ振られそうな気がしたのだ。
(早く立ち直って欲しい)
心からそう思った。
(それにしても……)
と、奈津子はあの時の忠志の表情を思い出していた。
なぜ、忠志は最後まで女のことを喋らなかったんだろう。それが不思議だった。
――そんなこと言えるはずがないだろう。
意外だった。
自分が死に直面すれば、浮気した相手のことも簡単に喋るだろうと予想していた。だが、あの時の忠志の顔は、自分よりも女を守ろうという顔をしていた。
(そんなに大切な人?)
ただの浮気相手ではなかったんだろうか。ひょっとしたら恵美よりも大切な女性がいたのかもしれない。
それとも忠志という男は自分が思っていたような人間ではなかったということだろうか……。
そもそも本当に川渕忠志こそが自分が追い求めていた相手だったのだろうか。
――俺じゃない
忠志の声が頭のなかに響く。
もし、間違っていたのだとしたら……
身体が震えた。
考えれば考えるほど、真実がどこにあるのかがわからなくなってくる。
あの時の忠志の顔が忘れられない。
(だめよ! 考えちゃだめ!)
そう、あれは川渕忠志に間違いない。
川淵忠志は死んだのだ。
次にやらなければいけないのは、もう一人の女を見つけることだ。
車内に、女へのメッセージとなるものを残すことも考えた。だが、へたなことをすれば警察に自分のことが気づかれてしまう恐れがあるため考え直した。
奈津子はじっと握り締めた携帯電話を見つめた。
殺人事件ともなれば、警察が携帯電話の発着信履歴を調べることは容易に予想出来る。
忠志と食事の約束をした電話は公衆電話からかけたもので、自分と忠志を直接、結びつけるものは何もないはずだ。
(まだ捕まるわけにはいかない)
そう。これは天の裁き。
天は自分を後押ししてくれているはずだ。
もう一人の女を見つけるまでは、決して掴まるわけにはいかない。
奈津子はトランジスタラジオに手を伸ばそうとして、すぐに気が変わって手を止めた。
今更、ニュースで事件のことを聞いたところで何の意味があるだろう。自分の決意を揺るがないようにするためには、事件のことには出来るだけ耳をふさいだほうがいい。
自らの気持ちを奮い立たせようとするように、奈津子は写真を胸に当てた。




