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後日談6








そのあとは、運ばれてきた食事を美味しくいただきながら、いろんな話をした。というか、私はほどんど聞いているだけだったけど。

ジェイドさんのお母さん・・・リジェルさんは、1年の半分くらいを北に隣接している大国で過ごしているんだそうだ。国境付近の街で、学校の先生をしているという。だから教授は、週末になると帰ってくる奥さんのために、国境に近いホルンの街に家を建てたんだそうだ。そして、リジェルさんは春の長期休暇に入ったから、教授の滞在している王都へやって来たわけで・・・。

いつもホルンの街で自分を待っていてくれる夫が、王都にいるなんて不思議だと思った彼女は、いろいろ聞き込みを開始した。最初は、王都に愛人でも囲い始めたのかと疑ったらしいけど、ジェイドさんが相手に内緒で結婚しているらしいことを聞きつけて、疑惑が興味関心へと移行したわけだ。

・・・このあたりで、教授への疑惑はかなぐり捨てていたらしい。

ともかく、ジェイドさんの戸籍上の妻である私をひと目見てみようと、あの焼き菓子店を探し出して入ってみたそうで。

しかも、どういう経緯でそうなったのかは謎だけど、“ジェイドの妻には、他に好きな人がいるらしい”という憶測の元、私に接していたから「別れてしまえ」という発言に繋がったのだという。このあたりが、彼女の言う“勘違い”なんだろう。

彼女曰く「小姑みたいな息子が結婚出来るなら、多少強引でも・・・」と思っていたそうなので、彼女なりに息子を思って必死だったのかも知れない。

私は乾いた笑みを浮かべる意外に、どういう反応を返したらいいものか考えるばかりだった。

・・・思いやりが斜め上に向かうあたりは、ヴィエッタさんを彷彿とさせる。

そういえばヴィエッタさんは来ないのか、とジェイドさんに尋ねてみると、「照れ屋さんなんですよねぇ」と苦笑していた。私に謝ってくれたくらいだから、きっと怒ってはいないんだろうけど。


2人は久しぶりに長期間一緒にいられるから、明日の朝ホルンへ戻るそうだ。食事の後のお茶を飲まずに、連れ立って部屋へと戻っていった。

教授は、自分が疑惑の目を向けられていたなんて露ほども知らずにいたらしく、「そんなこと考えてたなんて、僕の愛が足りてなかったんだねぇ」とにっこり微笑んだ。それを見たリジェルさんは、頬を赤らめて「そんなことないわ」・・・なんて。

完全に2人の世界に浸ったままの彼らが立ち去ってすぐ、「本っ当にすみません」とジェイドさんが謝ってくれたのに対して、「大丈夫。ああいうの、見慣れてるんだ」と返したらびっくりしてた。

・・・残念ながら、うちのパパとママも久しぶりに会うと、ああなっちゃうんだ。





肌寒いけど、暖炉に火を入れるまでもない夜。そういう時は、自然と人肌が恋しくなる。少なくとも、今の私はそうだ。

「はい、どーぞ」

「ありがとう」

久しぶりにジェイドさんの部屋でお茶を淹れた私は、カップを2つ持ってソファに腰を下ろした。1つを彼の手に渡す。

「あー・・・」

お風呂に浸かったおじいちゃんみたいな声だ。面白くて思わず噴出してしまった私を全く気にしたふうもなく、彼はふた口めを啜る。

私もカップを傾けながらその様子を横目で見ていると、彼が温かいお茶にぽわぽわしているのが見えて頬が緩んだ。にじり寄ってその腕に自分の肩をくっつける。すると、彼がカップをテーブルの上に置いて、そっと私の腰を抱き寄せた。

「ねえ、つばき」

・・・やっぱり、一緒がいい。

そんなことを考えながら彼の顔を見上げると、柔らかく細められた空色の瞳があって、自分の鼓動が穏やかに跳ねるのが分かった。

「結婚、しましょうか」

突然の言葉に目を見開いた私は、息を吸い込んだまま静止する。それを見て苦笑した彼は、私の手からそっとカップを抜き取った。テーブルの上にかすかな音を立てて着地したカップを見ながら、私は彼の言葉が反芻する。

・・・結婚か。結婚・・・。

「・・・してるよね?」

考えを巡らせた私の言葉に、彼ががっくりと肩を落とす。

「私の独断でね・・・。

 だから、ちゃんとしませんか、と言いたかったんですけど・・・」

「え、あ、そうなの?」

あまりにがっくりしているから、私は慌てて彼の顔を覗きこむ。それだけじゃ視線が合わずに、思わずうな垂れた彼の肩をぽんぽん叩いてみる。

「ぃっ、痛ぅぅ・・・」

体を捩る彼。

それを見てさらに慌てた私は、咄嗟に手を離して彼と距離を取った。

・・・もしかして、刺された所に響いちゃったのか。

「え、わ、ごごごめんなさいっ」

「・・・私を苛めて楽しいですか・・・?」

「ぜ、全然っ。

 あたた・・・」

ぶんぶん両手を振ったら、手首がじんじんする。そういえば、私の手首もまだ治療中なのを忘れてしまっていた。

「もう、」

私が悶絶している間に立ち直ったのか、彼がため息混じりに両腕を広げて私を囲い込んだ。鼻先をくすぐる香水の匂いを吸い込んで落ち着いた私は、そっと息を吐く。

手首の痛みはいつのまにか治まっていたけど、代わりに鼓動が速くなっていくのを感じて視線を彷徨わせる。そんなふうに息を詰めた私を、気配で感じ取ったのか、彼が低く笑った。

「もうちょっと落ち着いて。

 ・・・それで、ちゃんと話をしたいんですが・・・」

大きな手が私の顔を上げさせて、空色の瞳が静かに見下ろしている。私は何も言わずに、ただ黙ってその表情が穏やかなのを確認して頷く。すると、私がそうするのを待っていたのか、彼は目を細めて小首を傾げた。

「・・・つばき?」

「ん・・・?」

囁きがくすぐったい。思わず肩口に額を寄せると、その肩が少しだけ揺れる。そして、耳の上に飾ってくれた髪留めを外す気配がして、おもむろに顔を上げた。

すると、ぱさりと音がして、薄茶の髪が頬にかかる。こっちに来てずいぶんと手触りが良くなったのは、水のせいかと思ってきたけど、もしかしたら彼の手が毎日触っているからなのかも知れない。

「結婚式はしたいですか?」

「え・・・?」

空色の瞳が、楽しそうに細められるのを見ながら、私は声を漏らしていた。これまた唐突な話の展開に、なんと答えたものか考えていると、彼は珍しく私の言葉を待たず、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。

「結婚指輪は?

 一応、新婚・・・ってことになるのかな、新婚旅行はどうします?

 あ、その前に婚約を飛ばしてますから、婚約指輪も必要ですよね。

 ・・・婚姻届、は必要ないとして・・・あ、結婚式をするならドレスが、」

「ちょ、ストップ!」

頭の中がぐるぐるする。一気に言われても、私の脳みそでは言葉を処理し切れないのだ。質問は、ひとつずつでお願い出来ないだろうか。

「ジェイドさん・・・」

なんだか目まで回りそうで思わず額を押さえて俯いた私に、彼が慌てて私の顔を覗きこんだ。私は彼が何か言う前に、と口を開く。

教授とリジェルさんの血を引くジェイドさんだ。ヴィエッタさんとは兄妹だし。暴走するだけの資質が備わっているに違いない。

「ええっと、私、ジェイドさんと結婚出来て嬉しいんだけどね。

 でもさ、当分は何もしなくていいんじゃないかな」

「えぇ・・・?!」

あからさまに気落ちした様子の彼が、がっくり肩を落とす。でもそこに触れていたら話が進まなくなってしまう。

「急ぐ必要ない気がするよね。

 だって、結婚してることに気づかなかった今までと、これからの何が違うの?」

「・・・全然違うじゃないですか」

目を見開いてから、呆れた、と言いたげに脱力した彼が言葉を紡ぐ。

「いいですか、私と結婚するということはですね・・・。

 補佐官の妻、という肩書きが出来ますよね。

 公式行事や国賓がやって来た時なんかは、人前に出ることもあります」

「そんなの、考えたこともなかったけど・・・そっか・・・」

告げられた内容に、呆然と呟く。

今まで気にしたこともなかったけど、考えてみれば当然だ。彼は陛下を支える補佐官なんだから、国の行事に参加しないわけがないし、人前に出ないわけもない・・・。そして、奥さんがいるなら同伴することだってあるのかも知れない。

「ただ、一緒にいるだけじゃダメなんだね・・・」

結婚するということは、責任が発生するということだ。

私のこれまでの人生で、責任らしい責任なんて持ったことがあっただろうか。せいぜい大学の単位を落として留年しないように自己責任を持つ・・・その程度だ。就職間際でこっちにやって来たから、仕事の責任だってバイトくらいのもので。いや、バイトだって責任はあるけど・・・補佐官の妻、という肩書きと比べるにはいろいろ足りないものが多いような気がする。

・・・好きだから、配偶者の欄に自分がいてもいいかな、なんて思ってたけど・・・私に出来るかな。大丈夫かな・・・。

考えを巡らせて目を伏せたところで、彼が私の頬を両手で包んで上を向かせた。

「こら、逃げ腰になってますよ」

責めているような口調なのに、その声音が甘くて優しくて混乱してしまう。どんなカオをすればいいのか分からなくて、私はなんとなく彼から視線を外した。

すると、彼が手で私の髪をくるくると弄びながら、そっと耳元へ口を寄せる。

「ごめんなさい。でも、もう、逃がしてあげられそうにないんですよね」

囁きに、背中をぞくぞくしたものが走っていった。一瞬息が詰まって、体がぴくん、と跳ねる。彼の指に絡みついた髪の毛先が、首筋をくすぐって可笑しな声が出そうになってしまう。

「でも私、そういうふうにジェイドさんを支えるなんて、出来そうにない・・・」

ほんのり灯りそうになる何かを振り切って、言葉を絞り出した私に、彼は息を漏らした。ため息のようでもあるし、失笑のようでもある。

「私は別に、有能な部下が欲しいわけじゃないんですけどねぇ」

呟いた彼が、そっと髪から手を離す。そして、そのまま私を抱き寄せた。私が背中に手を回したら打ち身した部分が痛いだろうから、静かにその肩口に額を乗せるだけにしておいて、目を閉じる。髪を撫でてくれる手が気持ちいい。

「すみません。ちょっと脅かしすぎてしまいましたね。

 ・・・人前に出る機会があっても、必ず私が一緒にいますから大丈夫ですよ」

「・・・そうなの?」

・・・ジェイドさんが一緒なら、私はどこに居ても大丈夫な気もする。

彼の手が静かに髪を撫でるのを感じながら呟くと、頷きが返ってくる気配がした。そっと息を吐いた私に、彼が囁く。

「もちろんです。人前に1人で放り出すなんて、そんなことはしません。

 心配で心配で、そんなこと出来るわけないでしょう?

 ・・・私が、ちゃんと守ります」

言いながら、彼が腕に力を込める。少し痛いけど、それくらいがちょうどいい。彼の言葉は本当なんだと思えるから。

そして腕から力を抜いて、おもむろに体を離した彼が私の目を覗き込む。空色の瞳が、とても綺麗で見入ってしまいそうだ。大きく開いた胸元が頼りなくて、なんとなく手を這わせる。すると、そこには貰ったばかりのペンダントがあって、爪が石に触れてカツンと音を立てた。

「守りたいんです」

空色がゆらゆら揺れている。何かを懇願しているような表情に、私は無意識のうちに頷いていた。

「だから、結婚してくれませんか。

 いえ、もうしているんですが、そうじゃなくて・・・。

 安心、したいんです」

だんだんと早口になる彼に、私は内心で少しだけ驚いてしまう。彼がこんなふうに言葉をぽんぽん並べることなんて、滅多にないと思うから。

今、目の前の困って焦っているような表情を見ているのが私だけだということが嬉しくて、何か声をかけようと思うのに胸がいっぱいになりそうだ。

「・・・約束が、欲しいんです」

最後の最後に小さく呟いた彼を見ていた私は、気づいた時には口を開いていた。吸い寄せられるようにして、彼の頬に触れると、その瞳がわずかに揺れる。あどけなさのようなものが滲んでいる口元がいとおしくて、唇を親指でゆっくりなぞる。

「じゃあ、約束する。

 私、ジェイドさんの奥さんになって、ずっと一緒にいます」

言葉がふんわりと空気に溶けていく。

こんなことを言う日が来るなんて・・・と、ついて出た言葉に自分で驚いてしまう。奥さん、だなんて現実味のない言葉だ。それでも、彼と一緒に過ごしているうちに少しずつ、馴染んでくるんだろうか。

「ちょっとは、安心出来た・・・?」

小首を傾げると、一瞬ぽかんとしていた彼が微笑んだ。目から砂糖が零れてるんじゃないかと思うくらいの、甘い甘い微笑みだ。その苦しいくらいの甘さに言葉を失っていると、彼が私の手を掴む。

「・・・いいえ」

え、という声が喉から出かかったところで、唇が塞がれる。

「んん・・・っ」

抗議の声のつもりで唸ると、彼が喉の奥で小さく笑った。子どもがするような、、寂しそうなカオをしていた彼はどこに行っちゃったんだろう。いつもの彼に戻ったなら、それはそれでいいんだけど・・・なんだか、してやられた感がある。

私の唸り声が功を奏したのか、唇が離れた。啄ばむようなキスだったのに、息が上がってしまった私を彼が苦笑しながら抱き寄せる。腰に触れた手のひらが熱くて、触れられた場所が痺れてしまいそうだ。

「息、して下さいね。

 ・・・もしかして、」

髪を撫でる彼の、空色の瞳が細められる。子犬のような無垢な瞳はどこに行っちゃったのジェイドさん・・・。

そして、大きな手が私の頬にかかる髪のひと房を、そっと耳にかけたかと思えば、無防備になったそこへ彼の口がにじり寄ってきた。

「少し離れただけで、キスの仕方、忘れちゃったんですか・・・?」

「そんなこと聞かないのっ」

色気が駄々漏れの声に体が竦みそうになりつつも、くすくす笑って上下する胸板を叩く。思い切り叩けないあたり、惚れた弱みだ。悔しいけど。

「やだな、夫を叩くなんて酷いじゃないですか」

涼しげな声でさらりと言い放った彼が、ぽかぽかと胸板を叩いた私の手を捕まえる。そのまま強引に指を絡められて、私が手を引っ込められないようにされてしまった。

腰のあたりにあった手が這い上がってくるのが分かって、慌てて口を開く。

「ちょっと、ジェイドさんっ。

 結婚の話はもういいの・・・?!」

「もういいです。

 結婚はしてますし、言葉は貰いましたし」

「えぇぇ・・・」

あっさり頷く彼に、情けない声しか出せない。そうこうしているうちに、背中のファスナーを摘む気配がして、私は息を飲んだ。

「でもまだ、安心出来なくて・・・」

困りましたねぇ、なんて呟いているのを片耳で聞いていた私は、もう片方の耳で、ジー、とファスナーが下ろされていく音を捉えていた。

これから何が起こるのかなんて、目に見えている。それから逃げようもないことも分かりきっている私は、煩く騒ぐ鼓動を宥めるしかない。

「妻の淹れたお茶を飲まないなんて、酷いよね」

悔し紛れに呟いていると、首筋から肩までが、するりと撫でられた。肌触りの良い生地は、肌滑りも良かったらしい。空気に触れた肌が寒くて、肩がかすかに震えてしまう。

それを見ていたのか、彼が喉の奥で笑った。

「もう少ししたら、冷たいお茶を飲みたくなりますから、ね?」

「・・・ゃ、あ・・・っ」

むき出しになった背中を、大きな手が行ったり来たりし始める。たまに爪が線を描くように蠢いて、喉の奥から言葉にならない声が飛び出てしまう。

彼の瞳に熱が篭っていることに気づいた途端に、病室での出来事が頭の中で自動再生されて、そんなことを思い出してしまう自分に恥ずかしくなる。思わず俯きそうになった私の額に、キスが降ってきた。

「つばき、」

囁きに、視線を合わせると微笑みが返ってくる。瞳の中に熱が燻っているような気がするけど、ちゃんと理性が残っているのが分かって、私は胸を撫で下ろして小首を傾げた。

「愛してます。大好きですよ」

飾らない言葉が真っ直ぐに飛んできて、体のどこかにすとん、と収まる感覚。不思議だけど、言葉があるべき場所に辿り着いた感覚に、私は頬を緩めた。

「私も、大好き。

 ・・・あとね、愛してるよ」

最後のひと言は囁くような小さな声になってしまったけど、この距離だ。きっと、彼にはちゃんと聞こえただろう。

・・・だって、恥ずかしくて仕方ないのだ。愛、だなんて。パパやママ以外に向けて言ったのなんて、ジェイドさんが初めてなんだから。

「・・・ちょっとだけ、安心出来ました」

「ちょっとだけなの?」

彼がはにかむのを見て、私は必死に言葉にしたのに、と非難めいた台詞をぶつけてみる。上目遣いに呟いた私に、彼はくすくす笑いながら私の両手を掴んだ。

「もっと触れたら、安心出来るんじゃないかと思うんですが」

言いながら、掴んだ私の手を自分の服のボタンに触れさせる。

・・・ぬ、脱がせってことですか。

衝撃的なことを察してぷるぷる震えた私の耳を、彼が目にも留まらぬ速さでぱくり、と咥えた。

「やっ・・・?!」

「ダメですか・・・?」

頷いたらいけない。

頷いたら、次の瞬間には押さえつけられて貪られて、気がついたら体がよれよれになってて声も出なくなってて、1人じゃ何にも出来ないくらいに・・・。

走馬灯ってこういうのを指すんだろうな、と思うくらいの勢いでこれから起こることが頭の中をよぎっていった。

そして、私は気づいた時にはすでに頷きを返していた。しかも、何回も。


熱に飲み込まれる直前に聞いたのは、彼が嬉しそうに喉の奥で低く笑う声だった。

次にはっきりと思い出せる記憶は、冷えたお茶が物凄く美味しく感じたことくらいだ。

あとは・・・本当に好きな人が繋がることが、こんなに幸せなことだったんだと知って、涙が出そうになってしまったことか。







ぽかぽか陽気が、なんとも言えずに気持ちいい。

思い切り空気を吸い込むと、ふんわりお日様の匂いがしたような気がして、思わず頬が緩む。少し離れた場所では、小鳥が私が蒔いたパンくずを啄ばんでいる。

教授とリジェルさんを見送った私は、お屋敷の庭で熊さんからパンくずを貰って餌付けをしていたところだ。熊さんには、たまにこの庭で会う。お屋敷のどこで何の仕事をしているのかは知らない。というか、教えてもらえないんだけど・・・。

「こんなところにいたんですね」

「ジェイドさん!」

ばさばさばさ、と小鳥達が飛び立っていく。私が思わず声を上げたのに驚いたんだろう。

心の中で「ごめんね~」と謝りつつも、やって来るジェイドさんに駆け寄った。そのまま、勢いに任せて飛びついてみる。

「わっ」

驚いた彼は、声を上げたわりにしっかり抱きとめてくれた。シャワーを浴びたから、しがみついた首元からは、まだほんのり石鹸の匂いがしている。ほっと息をつくと、彼も私の首元の匂いを嗅いでいたらしく、くぐもった声を漏らした。

「んー・・・しっかり匂いが定着しましたねぇ・・・」

「匂いが定着?」

「ええ、私の匂いが。

 昨日頑張ったからなのか、私達の相性が抜群に良いのか・・・」

「そういう分析はしなくてよろしい!」

恥ずかしいことを思い出させようとする彼の背中を、ぺしっと叩く。

「あたた・・・夫を叩くとは何事ですか」

「妻に無理させる夫も、どうかと思うよ」

「それを言われると、何も言い返せませんねぇ・・・」

ふふ、と笑い声を漏らす彼に、私も思わず噴出してしまう。すると、ふいに視界の隅、庭の一角に赤い花が咲いているのを見つけた私は、彼に下ろしてくれるように頼んだ。

「どうしたんです?」

両足が地面についた私は、ひとつ頷いて彼の手を引いた。

「ちょっと来て・・・こっち」

ちょっとしたボール遊びくらいは出来そうな広さの庭を、赤い花に向かって一直線に歩いて行く。何も言わずについて来てくれる彼は、やがて私が何に向かっているのかを察したのか、口を開いた。

「ああ、あの花ですか?」

「うん、あ・・・やっぱり・・・!」

椿によく似た花が咲いていることを確認した私は、そっと言葉を紡いだ。

「この花ね、私のいた世界の、椿っていう花にすごく似てる。

 私の名前の、もとになった花なの・・・たぶん、あっちのとは違うんだろうけど・・・」

向こうでは、もう少し肌寒い時に咲いていた気がするから、全く同じものではないんだろう。それでも、私にとって特別な花に酷似していることが、嬉しくて堪らない。鳥肌が立つ。

「つばき、ですか。

 こちらでは、何でしたっけ・・・カミルとか、カメルナとか、そんな名前でしたね」

「私のもうひとつの名前、覚えてる・・・?」

「ええ、カミーリア、でしたっけ」

覚えていてくれたことが嬉しくて、こくん、と頷いて笑顔を浮かべた私に、彼がそっと私の腰を抱き寄せた。昨日の夜とは違う温度の温もりが、触れ合った所から流れ込んでくる。

「カミーリアも、カメリアっていう椿の別名から付けたんだって」

「似てますね。もしかしたら、同じ花なのかな・・・」

「そうだったら嬉しいな。もう見ることもないと思ってたから」

ぽつりぽつりと言葉を繋いで会話していると、彼がふと思い出したように話し始めた。

「そういえば、この花は幸せを呼び込む花として有名なんですよ。

 春先に咲くでしょう?

 だからだと思うんですけど・・・開いた花には、幸運が宿ると聞いたことが・・・」

ずいぶん縁起がいい花だ。向こうでは、花の落ち方が縁起が悪いから、と武家では嫌悪されてきた花だと聞いたことがあるけど・・・。

「そっか・・・」

なんだか自分が褒められているような気がして気分がいい。花を眺めながら頬を緩めていると、彼が私の頭をぽふぽふして言った。

「その花、付け根から取れると思いますから、部屋に持っていって飾りましょうか?」

「いいの?」

思わずその顔を見上げると、彼は微笑んで頷いた。

「もちろん。

 部屋に飾ったら、支度をしないとね」

「・・・ほんとに、いいの?」

彼の言葉に、窺うようにして問いかける。花の話じゃない。私の、これからの話だ。

「つばきのしたいと思うことを、して下さい。

 あのエプロンも、よく似合ってましたし、ね?」

小首を傾げた彼は、いつもの彼だ。何かの感情を隠しているような気配はない。空色の瞳が、揺れないで真っ直ぐ私を見て、ほんの少し柔らかく細められている。

それを見て少しの間息を詰めていた私は、そっと息を吐いた。

「ありがとう・・・。

 ジェイドさんは、すごーく良い夫です」

少しだけ背伸びをしてキスをしてみたら、彼がとても嬉しそうな笑顔を浮かべて囁いた。

「最高の褒め言葉ですねぇ」




それからというもの、朝の庭先で小鳥にパンくずをやって、部屋に飾る季節の花を選ぶついでにキスをする、というのが私達の暗黙の了解になったわけで。

時には喧嘩して、私がお姉ちゃんの家に泊まり込んではジェイドさんが迎えに来て、シュウさんと夜通し飲んで、次の日ガンガン痛む頭を抱えて仕事に行くこともあったりして。

私はミエルさんの焼き菓子店で仕事をしながら、そのうちに王都でカップケーキのお店を持とうかな、なんて企んでいたりする。


結婚に関する一連のイベントは、ゆっくりゆっくり進んでいる。ジェイドさんは婚約指輪から、と思っているらしいけど、私は星の石・・・ダイヤモンドの指輪をつけるわけにもいかない。だから、代わりに赤い石で指輪を作ろうとしているそうだ。

それが完成したら、次は結婚指輪だと張り切っている。


そして実は最近、いつ切り出そうかと考えていることがある。




もしかしたら、小さなジェイドさんがお腹にいるかも、なんて言ったら卒倒しちゃうかな。驚きすぎて。それとも嬉しすぎて暴走するかな。

どっちになっても、滅多に見れない彼の姿を独り占めするんだと思うと、とっても気分がいい。カウンターの中で鼻唄交じりなのを、ミエルさんが呆れられたって気にならないくらいだ。

・・・だから、もう少しだけ、彼が気づくまでは黙っていようかな、と思っている。








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