後日談3
ドアベルの音に、私は顔を上げた。
「こんにちは!
・・・お、お姉ちゃん・・・とシュウさんも・・・?!」
にこにこしながら店に入って来たのは未菜お姉ちゃんで、後からシュウさんも顔を覗かせる。
「やだやだ、何で来たのー?!」
咄嗟にしゃがみこんで、カウンターに隠れた私を上から覗き込んだシュウさんが鼻で笑う。
「おい、客だぞ。接客しろ」
「お姉ちゃん、シュウさんが苛めるよぉ・・・」
「なんだその言い草は。心外だ」
「・・・もう、ほんとに買いに来たんだよ?」
その言葉に顔を上げると、苦笑しているお姉ちゃんと目が合った。
「ね、ちゃんと仕事して下さい。
・・・店、員、さんっ」
「うぅ・・・」
本当に買いに来たのか、と言いたいところだけど・・・身内がバイト先に現れた気恥ずかしさと、帰ったら思う存分からかわれるんだろうな、と思う気持ちを全部飲み込んで、私は立ち上がる。よし、とエプロンをはたいて呼吸を整えたところで、背後に人の気配を感じて振り返った。
「ミーナちゃんじゃない!」
歓喜の声に、お姉ちゃんが小さく手を振って頭を下げる。
「お久しぶりです」
「もう、久しぶりじゃないの!
あ、蒼鬼さまも、お元気そうで何よりですね」
「ああ」
前々からの顔見知りらしい3人の会話を聞きながら、私は箱を組み立ててトングを掴んでみる。
・・・お客さんなんだから、とっとと買って帰ってもらった方が良さそうだ。商品よりも甘甘な2人がいると、他のお客さんが入ってこれない気がする・・・。
げんなりした気分で従姉妹夫婦を眺めていると、ひとしきり会話が弾んだ女性2人を見ていたシュウさんが、ふいに軽く頭を下げた。
「彼女が、世話になる」
その様子に慌てたのは、頭を下げられた方だ。
「うわわわわわっ」
両手をぶんぶん振って、言葉にならない言葉を口元で繰り返している。それをお姉ちゃんがくすくす笑って、同じように頭を下げた。
「ミエルさん・・・うちの妹、よろしくお願いします」
「やめて、頭なんか下げないで~!」
ひぃぃ、と可笑しな悲鳴をあげているミエルさんに、顔を見合わせた2人がくすくす笑う。
あっちの世界で会ったお姉ちゃんも、お姉ちゃんが戻ってくるまでのシュウさんも、しんどそうなカオをしてた。だから、2人が笑顔でいてくれるのは私もすっごく嬉しい。大したことしてないクセに、自分が何かを達成したような気分になるから。
午後の優しい日差しが、窓から差し込んでくる。きっと今日なら、日中は上着が要らないくらいに暖かいだろうな・・・。
「あ、そういえば赤ちゃんができちゃいまして・・・」
「できちゃった、とはなんだ」
可笑しな告白にごもっともなツッコミだ。
私はそんな2人を苦笑して見つめて、そっと口を開く。
「・・・も、2人共、ミエルさんが困ってるからねー。
それではお客様、今日は何をお詰めしましょうか?」
トングをぱちぱちさせて小首を傾げたら、2人が我に返ったように瞬きをして、ミエルさんが乾いた笑みを浮かべていた。
お姉ちゃん発案の“せっかく家出してるんだから、アルバイトをして自立しよう”計画は、発案された翌日に早速実行に移された。
具体的には翌日、お姉ちゃん達が王立病院に行っている間に、私はアンとノルガに連れられてミエルさんの焼き菓子店を訪れた。もちろん、何か職を得られないかという相談をしに。
ミエルさんの焼き菓子店とは、お姉ちゃんとアンがガトーショコラを習ったりして縁があるんだと聞いている。だから、ダメもとでアンと一緒にお願いをしに行ったわけだけど・・・あっさりその場で採用してもらえて・・・。
正直こんなに思い通りになっていいのかどうか・・・だって、思い通りになって欲しいことは他にちゃんとあるわけで・・・。
ともかく私は採用されたその日から、エプロンを身に付けて店頭に立って、今日に至る。
「すみませんミエルさん、あの2人・・・」
従姉妹夫婦が店を出たところで店主に声をかけると、彼女は苦笑して首を振った。
「いいのいいの。
蒼鬼さまが頭を下げるなんて思いもしなかったから、びっくりしちゃっただけ。
・・・じゃ、あとヨロシクね」
そう言いながらキッチンに戻ろうとしていた彼女に、曖昧な笑顔を向けた私はドアベルが鳴ったことに気づいて入り口に顔を向ける。
「こんにちは」
落ち着いた声に、私も言葉を返す。
「こんにちは。
・・・ごゆっくりどうぞ」
お客さんが声をかけてくるまでは、そっと佇んでいるだけでいいと言われている私は、一歩後ろにさがって入ってきた女性の姿を盗み見ていた。
綺麗な蜂蜜色が眩しい、優しそうな人だ。目の色は見えないけど、声はあまり高くなく落ち着いていたから、目つきも優しいんじゃないかと思う。着ているものも、どこか落ち着いているけど地味ではない。ひと言で表すとしたら、品の良い、女性だ。
「ここにある焼き菓子やケーキは、」
ショーケースの中を覗き込んでいる女性と目が合わないように、と視線を別の場所へ投げて想像を働かせていた私は、ふいに声をかけられて慌てて顔を上げる。
「お姉さんが作ったの?」
目が合って微笑んだその人は、目元のしわに優しさを滲ませていた。ママくらいの歳の人だろうか。落ち着いた声が、耳に心地良くて私は微笑んだ。
「いえ、作ったのは店長で・・・今、奥で商品を作ってます」
「そう・・・」
彼女の視線がショーケースの中の商品を辿っているのが分かって、私は口を開いた。
「何か、お探しですか?」
「ええ・・・」
窺うようにして紡いだ言葉に、彼女は頬に手を当てて小首を傾げている。
「ここに、美味しいカップケーキがあるって聞いて来たんだけど・・・」
「カップケーキ、は・・・」
私も自分側からショーケースを覗き込んで、彼女に言う。
「すみません、私まだ働き始めたばっかりで・・・。
・・・店長に聞いてきましょうか?」
困った時はすぐにミエルさんを呼ぶように言われている私が、彼女の返事を聞かないまま体の向きを変えようとしていると、声がかかった。
「ああ、いいのよ。
カップケーキの噂を聞きつけたのは、私じゃないの」
くすくす笑うそのカオは、とても可愛らしい。
「・・・はぁ・・・」
でも一体何が面白いのかが分からない私は、どう反応したものかと内心困っていた。すると、彼女がひとつ頷く。
「自分で来ない人が悪いんだから、気にすることないわ」
口の端に笑みを浮かべたまま、「今日はこの中から頂いていくわね」と付け足した彼女は、真剣なカオでショーケースの中の商品を物色し始める。
「えっと・・・はい。
じゃあ、どれをお詰めしましょう」
不思議な会話に戸惑いながらも、トレーとトングを手にした私は、彼女が商品を選ぶのを待つことにしたのだった。
「はい、どうぞ」
会計を済ませて商品の入った紙袋を渡す。もう手馴れてきて、お客さんを待たせることも少なくなってきていた私は、笑顔で一連の作業をこなせるようになっていた。
お姉ちゃんを呼び戻す時に痛めた手首は、無理な動作をすると痛むけど、とりあえず売り子さんをするには問題なく動いてくれる。
「ありがとう」
ふんわり微笑んで紙袋を受け取った彼女は、小首を傾げた。
「お姉さん、お名前は?」
「カミーリアと言います」
「そう、リアちゃんというのね・・・」
目を伏せて、口の中で私の名を呟いた彼女が、顔を上げてにっこりと笑顔を浮かべる。
「私、あなたのこと気に入っちゃった」
「・・・あ、ありがとうございます・・・?」
唐突で何の脈絡もない台詞に、咄嗟にお礼を言う。語尾がちょっと上がってしまったのは、仕方ないと思う。言葉が出ただけ上出来だ。口元が若干引き攣りそうになりつつ瞬きを繰り返している私に、彼女は噴出した。
「あのね、」
綺麗な手で口元を押さえながら、彼女が言う。
「うちの息子のお嫁さんに、なってくれないかしら」
・・・こんな爆弾発言、アリか。なんだこの破壊力。冗談だとしたら、たちが悪すぎる。
彼女の突拍子もない言葉に、驚いて言葉が出ない。息を吸い込んだまま固まった私に、彼女が微笑んでいる。
・・・親がそんなこと言うなんて、結婚に難のある息子なのか。なんで私なの。大体、初対面の人間に言う台詞じゃないし。それ以前にそういうのってそういうのって・・・。
衝撃の内容に絶句しつつも、頭の中でぐるぐると言葉を回していた私は、ぐるぐるが一周したあたりで口を開いた。
「そ、そういうのって、お互い好き合ってた方が上手くいくんじゃ・・・」
口の中がカラカラだ。口を開けっ放しにして固まっていたらしい。
「あら。リアちゃんは、好きな人がいるの?」
何がなんだか分からないうちに、どういうわけか私は追い詰められていた。
お客さんに、どうしてこんな立ち入った話をしなくちゃいけないのか・・・そう思うのに、真っ直ぐに見据えられて視線を逸らせなかった。ただ、早く他のお客さんが入って来てくれることを祈りながら、私は問われるままに答える。
「い、います」
こく、と頷きかけたところで、彼女が身を乗り出した。
・・・あんまり大胆に手を付くと、指紋が・・・それ拭き取るの大変なんです・・・。
バシ、とショーケースに勢いよく手をついて私の目を覗き込んだ彼女が、いくらか早口になって更に質問を重ねる。
「その人とはお付き合いしてるのかしら。もしそうなら、別れる予定はないのかしら」
「・・・え?」
またしても衝撃的な質問を受けた私は、ぽかんと口を開けてしまった。けど、すぐに我に返って呼吸を整える。
「別れる予定は、ありません」
「・・・そうなの」
彼女が私の言葉に、相槌を打った。息子の嫁に、と言った割にはあっさり頷いているから、別れろとは言わないだろう。
きっと、気まぐれに声をかけてみただけだったんだ。じゃなければ、少し話しただけの焼き菓子店の売り子を、息子の嫁としてスカウトするなんて・・・あり得ない。
私は漠然と会話が終わることを予感して、内心でそっと息を吐いた。
食事を済ませて、後片付けを手伝って。冷やかし半分に2人が買って行ったケーキを、食後のお茶の時間に一緒に食べた。
2人がにやにやしながら私のエプロン姿の話なんかをしてくるから、私はむすっとしながら部屋に戻る。分かっているのだ。彼らが私のことを心配して、話題を選んでいることくらい。
だから、余計に長いこと顔をつき合わせていると辛くなる時がある。
「思春期じゃないんだから・・・」
ごろん、とベッドに横になって呟く。
「・・・ちゃんと退院、出来たかな」
お姉ちゃん達は、王立病院でジェイドさんに会った時のことを詳しく話してはくれなくて、ただ、曖昧に微笑んで「つばきをよろしく、だってさ」と告げただけだった。
何も変化がなければ、彼の退院予定は今日のはずだ。暖かい日で良かった。元気そうにしていたけど、きっと体力も落ちているだろうし。
思いを馳せて、ため息が出る。
本当は、退院する彼に付き添いたかった。ちゃんと元気になったんだと、見届けて安心したかったのに・・・。
・・・帰らなかったのは、私だ。
離れることが、こんなに辛いなんて思いもしなかった。声も聞けないし、元気にしているかどうかすら分からない。誰かから聞いた話なんかじゃ足りないのだ。全然、気持ちがほっとしない。
「会いたいなぁ・・・」
私を保護して、渡り人として登録する時にどういうわけか彼は、自分の妻の欄に私の名前を入れてしまった。妻の欄に名前が入るということは結婚するということで、つまり私は不本意ながら、知らない間に人妻になってしまっていたわけだ。
・・・それは、別に構わない。彼とずっと一緒にいるなら、そういう枠に収まることだって当然あると思っていた。私だって、そういうのに憧れがないわけじゃない。
いや、だからきっと、怒って萎んで悲しくなって後悔してるのだ。
・・・理由を教えて欲しい。彼が何を考えているのかを知りたい。
心と行動がちぐはぐで、どうしたらいいか分からなくなってしまっていた。迷子になったようで心細くて、でもお姉ちゃん達にはそんなこと言えなくて。
ジェイドさんに会って話を聞く以外に解決方法がないと分かっているのに、どうしてもあのお屋敷に足を向けることが出来なかった。そうして、今日に至るわけだ。
「・・・意気地なし」
彼を責めたい気持ちと、自分が情けなくてどうしようもない気持ちが、日ごとに膨れ上がっていくのを私は自覚していた。
・・・分かってる。このままじゃいけないってことくらい。
次の日も、その次の日も“息子の嫁をスカウトしに”例のお客さんが店へやって来た。
「なんなのもぉ~・・・」
店にいる間はあくまでもお客さんだから、彼女が帰った後になってやっと、私は地団駄を踏んでイライラを発散しているわけだ。たちの悪いことに、ちゃんとある程度の量のケーキを買って帰るから無碍にも出来ない。そして去り際には「また来るわね」と言い残すのだ。
・・・もういいってば。
「まぁまぁ・・・」
荒れている私をミエルさんが宥めてくれるけど、やるせない気持ちの私が治まるはずもなく。
・・・だって、内容が内容なのだ。
「だって、あんまりですよ・・・」
もともと怒鳴り散らして発散するタイプではない私は、一瞬の怒りの後にそれが萎んで、なんだか悲しくなってしまう。
「そうねぇ・・・別れろ、はないよねぇ・・・」
キッチンから様子を窺っていたミエルさんが、背中を擦ってくれる。
彼女がやって来た初日からずっと、キッチンから私達の様子を見守ってくれていたらしい。私が1人で対応出来なくなってしまったら、出てこようと思っていたそうだ。
・・・優しい店長さんで、本当に救われる。
そう思ったら、ぷくりと涙が膨れ上がって視界を邪魔した。俯いた私に、彼女がそっと尋ねた。
「お付き合いしてる人とは、上手くいってるの・・・?」
首を振って否定すると、膨れ上がっていた涙が零れてしまった。自分で擦れ違いを認めてしまったら、涙が後から後から湧いて零れていく。
彼女が小さく息を吐く気配がして、口を開いた。
「それじゃあ、余計に辛かったね・・・その人とは、話し合ってるの?」
その問いにも、私は首を振って否定するしかない。
「会う勇気、なくて・・・」
「でも、好きなんだよね」
その問いには勢いよく頷いた私に、彼女が苦笑する。
「じゃあやっぱり、会わなくちゃ」
「・・・そう、なんですけど・・・」
エプロンの裾を握り締めて床に視線を這わせていると、彼女が私の背中をぽんと叩いた。
「ウチの焼き菓子持って、会いに行っといで。
アンちゃんとノルガ君を急接近させたのも、私のレシピなんだから。ご利益あるわよ」
「う・・・そうなんですか・・・?」
それを聞くと、そうしてみようかな、という気持ちになるから不思議だ。彼女の顔を窺うようにして顔を上げた私に、彼女はにっこり微笑んだ。
その時だ。ドアベルが鳴って、慌てて私はショーケースに背を向ける。
「こんにちは!
ゆっくり見て行って下さいね~」
ミエルさんが明るい声を上げているのを背中で聞きながら、私は目じりに溜まっていた涙をこっそり指先で拭う。
「・・・そこの、」
「はい」
ショーケースの中身を指しているらしい声に、私は耳を疑った。
・・・いくらなんでも、幻聴まで聞こえるなんて末期だ。
両耳を交互にトントンと叩いて深呼吸した私は、気を取り直してトングを掴む。一度目をきつく閉じて開かないと、目測を誤ってケーキを取り落としてしまいそうだった。
ひと呼吸おいて振り返ろうとしていると、ふいに私の耳に言葉が飛んできた。
「・・・赤い花のお嬢さんを、頂きたいのですが」
理解するよりも早く、その声が幻聴ではない気がして振り返った私の目に飛び込んできたのは、綺麗な空色だった。
・・・嘘だ。
トングが、手から滑り落ちた。




