74
震える肩が、頼りなくて不安になる。
胸の中に湧き上がった嫌な予感に、一瞬息が詰まった。
「お姉ちゃん?
・・・何かあったの?」
「目が・・・」
「・・・目?」
彼女のか細い声が、顔を覆った両手の隙間から聞こえてくる。それは消え入りそうに頼りなくて、私の記憶の中の彼女とは、全くの別人だった。
「どうしよう、どうしたらいいの・・・?」
「お姉ちゃん、落ち着いて・・・どうしたの、何が、」
肩を揺さぶると、彼女がふいに両手を離して私を見上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔が、痛々しい。呼吸が整わないまま、彼女は口を開いた。
「シュウの片目、見えなくなっちゃったの・・・。
私のせい、私を呼び戻したりするから・・・あの人、目、見えなくなっ・・・!」
半狂乱だ。過呼吸に陥ったみたいに、苦しそうに肩を震わせる。顔を顰めて、ベッドの上で膝を抱えて。しゃくりあげた声が、掠れて消え入るようだった。
「・・・嘘・・・目が・・・?」
半ば呆然と呟いて、私は記憶を辿る。
眼帯をしていた彼の姿。研究室に広がった夜空の下、金色に輝いていた瞳。光の糸を束にして、お姉ちゃんを引き寄せた・・・。
・・・まさか、ジェイドさんは気づいてたから、あんなふうにシュウさんに声をかけたの?
病室に入ってきたシュウさんに声をかけた彼は、少し怖かった・・・。
「罪悪感でいっぱいなのに、苦しいのに、」
記憶を辿っていた私は、彼女の声に我に返った。
「嬉しくて、しょうがないのっ・・・。
ここが、震えるくらい・・・っ」
そう言いながら胸をトントン叩いて、喉に詰まっているものを吐き出すようにして、彼女が言葉を並べる。
「彼がそこまでしてくれたんだと思うと、嬉しくて仕方ないの・・・!
私、自分がこんなに浅ましくて貪欲だなんて、思わなかった・・・。
最低、こんな、母親になるなんて、」
「お姉ちゃん!」
飛び出た不穏な言葉に、私は咄嗟に彼女を抱きしめた。
もう相手が妊婦だろうと関係ない。手首が痛むけど、彼女の方が痛いに決まってる。彼女はちょっと疲れてるのだ。世界を超えた反動で、感情の振り方がおかしくなってしまっているんだ。
そう思うことにした私は、彼女の言葉をなかったことにしようと決めた。一生、誰にも言わずに飲み込もう。
「大丈夫。お姉ちゃんは、望まれてここに戻ってきたんだよ。
・・・嬉しくてもいいんだよ。喜んでいいんだよ」
ぎゅっと強めに抱きしめる。
不安で、怖くて仕方なかった時、暖炉の前でジェイドさんはこうしてくれた。
お姉ちゃんは泣きじゃくる私を、夢に出てくる黒と赤に怯える私を抱きしめて、背中を優しく擦っては叩き、擦っては叩き・・・そうやって、私は寄り添ってもらってきた。
だから、今度は私の番だ。ちょっと大人になったから、今度は私が。
「私、」
そっと囁く。
いつかだったか、私が貰った言葉だ。
「お姉ちゃんのこと、大好きだよ。
そうやって泣いてるお姉ちゃんのことも、大好き。
いろいろ考えて悩んで、言えなくて苦しんでるお姉ちゃん、大好きだよ」
「・・・ふ、ぇぇ・・・」
顔が見えないけど、意味を成さない言葉の羅列の後、盛大に泣きじゃくり始めた彼女に、内心ほっと息を吐く。そうやって、全部流せばいいんだ。いつかの私がそうしたみたいに。
お姉ちゃんのことだから、きっとシュウさんの前では泣かなかったんだろう。泣いたら、傷を負ってくれたシュウさんを否定するみたいに思えて、堪えてたんだろう。
私は震える背中を擦りつつ、落ち着くのをただ待とうと心を決める。そうして、彼女が何かを言うたびに相槌を打って、ただ、寄り添う。
髪の色も目の色も違うけど、この世界にたった一人だけ血の繋がる、従姉妹。
「傍に、居るからね」
頷きの代わりに、私の背中にしがみついていた手に、ぎゅっと力が込められた。
その時だ。
ふいに、ガチャ、という音の後にドアが開いた。続いて、低い声も。
「遅くなって・・・」
言いながら部屋の中へと体を滑り込ませたのは、さっきまで私達が話題にしていたシュウさんだった。手に、鍵を持っている。確かに鍵をかけたはずなのにドアが開くからおかしい、と思った私はなるほど、と納得して彼がやって来るのを見ていた。
思わず声を上げたのは、お姉ちゃんの方だ。
「シュウ・・・!」
「・・・どうした」
慌てて私から体を離して、涙を拭いている。その横で、私はドアを開け放して歩いてくるシュウさんと目が合う。若干眉間にしわが寄っているのは、たぶん気のせいじゃないだろう。
もしや、私が泣かせたんじゃないか、とか思っているのか。さっき聞いた話は全部飲み込み済みだ。お姉ちゃんが泣いてる理由なんか、訊かれても答えないつもりで私は立ち上がる。
その瞬間、お姉ちゃんが私の手を掴んだ。
「え?」
何事かと振り返れば、彼女が目を潤ませて私を見上げているじゃないか。
・・・困った。
振りほどくわけにもいかない私は、すぐ傍までやって来ている彼を見上げる。見上げた私は、さっきジェイドさんの病室ではしていたはずの眼帯がなくなっているその顔を見て、絶句した。
「シュウさん、それ・・・」
「ああ・・・ミナからは?」
鼻を啜りながらも、私から手を離さない彼女を一瞥した彼に尋ねられて、私は静かに頷く。
「・・・ほんとに、目が・・・?」
「ああ。
ほとんど見えない」
あっさり肯定されては、私も何と言えばいいのか分からない。慰めるにしても、相槌を打つにしても、言葉が全く出てこなかった。
視線を彷徨わせて言葉を詰まらせた私に、彼は苦笑いをしながら言う。
「まあ、問題ない。
片方でも見えていれば、それで十分だ」
「でも・・・」
反論しかけたのはお姉ちゃんだ。涙を押し込めたのか、鼻声になってはいるけど目が少し潤んでいるくらいで、真っ直ぐに彼を見上げている。
彼は彼で、そんな彼女を真っ直ぐに見下ろして、そっと言葉を紡いだ。
「その話はもう、十分だ。
・・・後悔などひと欠片もない」
気持ちがいいくらいに、すぱっと言い放つ。この話はこれでおしまいだ、と言われている気分になる。低い声が、そういう威圧感を漂わせた。
彼女は鼻を啜って、仕方なく、といった感じで頷く。頭を垂れて、私の手をぎゅっと握った。
「ミナ」
ベッドの脇に置かれた椅子に腰掛けた彼が、短く彼女を呼ぶ。その声は、聞いたことのない甘さを含んでいる。
新婚夫婦の間に挟まれた私は、とても気まずく居づらいのを必死に隠しながら、彼が彼女の手を取るのを見守っていた。彼女の手が自分から離れていく感覚に、なんとなくまた椅子に腰掛ける。
彼が、空いている方の手で彼女の目じりをなぞっていく。時折苦笑しているのに甘くて仕方ない仕草は、見ていて背中が痒くなった。
・・・本当に、大事にされてたんだ。幸せ、だったんだ。
向こうの世界で聞いた言葉の断片が蘇って、胸の中でひとりごちる。同時に、背中がむず痒いのに泣きたい気持ちになって戸惑う。
勝手な気持ちだけで、そうしたいと思う気持ちで、お姉ちゃんのことをシュウさんに知らせたけど・・・2人を見ていると、そうして良かったのかも知れないと思えた。
寄り添っている姿を見てそんなことを思っていた私は、彼らを眺めていて、ふと気がついて口を開く。
「その目、お姉ちゃんと同じだ・・・」
「ん?」
彼が顔だけを私に向けて、小首を傾げる。
私は向けられた目を覗き込んで、頷いた。
「お姉ちゃんの目の色と、よく似てます・・・お揃いだね」
言葉の後半で彼女に向かって微笑むと、彼女は少し黙ってから呟く。
「そう言われると、納得しちゃいそうになるよね」
そういう問題じゃないんだけどな、と付け足した彼女に、彼が微笑んだ。もちろんその手は、ゆっくりと彼女の濡れた頬を撫でている。
「・・・もしかしたら、神経がダメになったわけじゃないのかも。
ちゃんと、見えてる方の目と同じように動いてる」
「どうだろうな」
視線を私に向け、彼女の方へ戻し・・・そのたびに、両目が同じように焦点を合わせようと動いているのが分かって言葉にしてみるけど、どうやら彼は関心がないらしい。肩を竦めて、それっきりだった。
彼女の方へ視線を向けると、小さく首を振って、それだけだ。どうやら本当に、この話はもう十分らしい。
「ロウファとルルゼにも、声をかけてきた」
「・・・あ」
どこかの個室で休んでいるはずの2人の名前があがって、私は声をあげた。
「ジェイドさんは・・・?」
「リアがいないと退屈、だそうだ」
「いやまあ、それはいいですけど・・・1人ですか」
「だろうな」
すっかり忘れてた。彼が今1人で病室にいるのは、どうなのか。いや、大丈夫だろうけど、大丈夫だから安心出来ないというか・・・やたらとベッドから出たがっていた彼が、止める人もいない病室で考えることなんて、たかが知れてるような気がする。
「なんか、嫌な予感が・・・。
ちょっと私、ジェイドさん、」
腕を擦って立ち上がった刹那、やっぱりというか何というか、彼の声が聞こえた。
「来ちゃいましたよ~」
いや、聞いたこともないような、朗らかな伸び伸びとした声だった。
開け放たれたままになっていたドアから、ひょっこりと顔を覗かせたのはやっぱりジェイドさんで、まるで怪我なんてしなかったかのようにスタスタ歩いてくる。
「何で止めてくれなかったんですか・・・」
思わず上目遣いに見て声を潜めた私を、シュウさんは鼻で笑ってくれた。
「止めたところで、だな」
「まったく、」
言いながらジェイドさんは、あっという間に会話している私達の所へやって来て、私の隣に椅子を持ってきて腰掛ける。
呆気に取られているお姉ちゃんの視線が、ジェイドさんを捉えていた。
なんとなく口を挟めない雰囲気に俯くと、膝の上に乗せた手に、彼の手が重なる。はっとして見上げれば、そこには空色の瞳に映る私の姿があった。
「なかなか戻らないから、迎えに来ましたよ・・・つばき」
穏やかな声に、鼓動が跳ねる。きっと、お姉ちゃんとシュウさんの甘い雰囲気に首まで浸かっていたからだ。安静にしてなくちゃダメだ、とお小言をぶつけたいのに言葉が出ない。
結局私は、何も言えずに、こくりと頷くことしか出来なかった。
「ミナ、」
彼の視線が、お姉ちゃんに向けられる。静かに、穏やかに。
「おかえりなさい」
ただひと言そう告げた彼に、彼女は目を伏せる。
「・・・ありがとうございました。
ジェイドさんも、怪我をしたんですよね・・・?」
胸が震えるくらい嬉しい、と彼女は言った。
大事な人に怪我をさせてしまったのに、ここに居られることが嬉しい・・・でも、そう思ってしまう自分に苦しんでいる・・・歪めた表情が、そう言っているような気がした。
でもジェイドさんは、そんなことには構わなかったようで、あっけらかんと手を振る。
「確かに怪我はしましたけど、違うんです」
彼は苦笑混じりに言いながら、私を見る。
シュウさんが何も言わずに微笑んで、お姉ちゃんの頬を撫でた。
「流れとしては、あなたを呼び戻す過程で怪我をしましたけれどね。
つばきを繋ぎとめるために受けた傷ですから・・・気にされるのは、違う気がします」
重ねられた手が、ほんのり熱い。
「それに・・・」
お姉ちゃんは、どんなカオをして見てるんだろう。シュウさんは、どう思っているんだろう。
気になるのに、お姉ちゃんの病室で見つめ合ったりして恥ずかしいのに、どうしても目が逸らせなかった。
刹那の間に頭の中をいろんな思いが駆け巡る。そして、彼が柔らかく目を細めた。
「これくらいの痛みで一緒に居られるなら、安いものです」
「ジェイドさん・・・」
その言葉に、思わず頬が緩む。すり寄ってしまいたくなるのを堪えて、私はお姉ちゃんに視線を投げた。
「私達の怪我は、私達のものってことで・・・。
お姉ちゃんはこれから、シュウさんのことだけ考えててね」
「大した独占欲だ」
くっと喉を鳴らしたシュウさんが呟いて、ジェイドさんがそれに鼻を鳴らす。重なった手が、ほんの少しだけ力を込めたのを、私はしっかり感じ取っていた。
「・・・ありがとうございました、本当に。
私1人では払えない代償を、いろんな人が少しずつ払ってくれたから・・・」
彼女の呟きが、窓の外に聞こえる小鳥の囀りに混じる。
「申し訳ないくらい、嬉しいです・・・」
シュウさんが、俯いてしまった彼女を抱き寄せて私達を一瞥した。
きっと何かを言いたいんだろうけど、視線に含まれた何かを汲み取ることが出来なかった私は、ジェイドさんを仰ぎ見る。
すると彼は、肩を竦めて立ち上がった。もちろん、手を繋いでいた私も。
彼に手を引かれて、そろそろと病室を出る間際、ちらりと振り返った私は見てしまった。彼らが、長々とキスをしているところを。
・・・せめて、ドアの閉まる音がするまでは我慢しようよ。
「なんじゃこりゃ」
思わず飛び出た言葉に、自分でびっくりだ。
ジェイドさんはそんな私をさらりと無視して、病室のベッドに腰掛けた。
・・・やたらとサイズの大きくなったベッドに。
「今日から、つばきも病院にお泊りですよ」
とても嬉しそうに、鼻唄すら聞こえるんじゃないかというくらいの上機嫌さで言い放つ。
「これ、どうしたの」
お泊り云々は置いておこう。私も気になっていたし、心配だから付いていようかとも思っていたところだった。
冷静さを保って尋ねると、彼がまたしてもさらっと答える。
「入れ替えさせたんです」
「なんでまた、そんなこと・・・」
本当に何でもないことのように言うから、私も呆れて言葉を失う。どのへんを問題にして突付けばいいのか、分からなくなってきた。
「つばきと寝るには、患者用のベッドじゃ足りません」
「あなたも患者でしょ、患者なら患者らしく、1人で寝て下さい!」
「まぁまぁ・・・」
「あーもー・・・」
どうどう、と手の動きで制されて、私は深呼吸する。ダメだ、正面からぶつかっても意味がない。第一、この人は自分の何がいけないかなんて、考えてないんだ。
「ほら、おいで」
ぽんぽん、とベッドの端を叩いて私を呼ぶ彼の表情が、嬉しそうなことったら・・・。
だんだんと自分が絆されそうになっていることを自覚しながらも、長いこと餌付けされて可愛がられた私は、彼の言葉に抗えるはずもなく。
気がついたら怒りや呆れが萎んで、彼の腕の中にいた。
包み込まれる安心感を知ってしまったから、もうこの腕の外には出られない。何度も繰り返された触れ合いに、私は息を吐く。
「やっと、」
「ん・・・?」
同じように息を吐いたらしい彼の言葉に、なんとなく声を漏らす。
耳元で響く声は、いろいろなものを含んでいるような気がした。
「ひと段落、ですねぇ・・・」
「ジェイドさんの、気持ちが・・・?」
穏やかな日差しがたっぷり届く病室は、照明が要らないくらい明るい。小鳥の囀りと、時折街の喧騒らしきものが遠くに聞こえる。
陽だまりの中にいるような気持ちで囁いた私に、彼は少し笑った。本気で口にしたわけじゃないと、彼はきっと知ってる。
「私の気持ちは、もうずーっと、あなたのところにありますけれど・・・」
笑っている彼の胸から振動が伝わって、私まで笑いたくなってしまう。ちりり、と手首が痛むのは、きっと私が嬉しいからだ。
「んっ」
唇だけで、ぱくりと耳を齧られる。不意をつかれて、変な声をあげた私に、今度は彼が囁いた。
「ねえ、つばき」
「え・・・?」
艶やかな声が聞こえて、大きな手がそわそわと落ち着かない動きをしている。そっと体を離されて出来た隙間に戸惑って、彼の名を呼ぼうとした瞬間、今度は突然唇に噛みつかれた。はむ、と。
全身から色気が駄々漏れなのに、突然の色気のないキスに頭が混乱する。すると、呆気に取られた私を、彼はまた笑った。
「そろそろ自分たちのことにだけ目を向けても、いいと思いません・・・?」
「えと、ん・・・ぅ・・・」
何か言おうにも、彼の唇がそれを許してくれなくて、私は早々に言葉を紡ぐのを諦める。目を閉じたら、ドアに鍵かけて来たんだっけ、なんて、そんなことが頭をよぎった。
それが分かったのか、ただ触れるだけだったキスが息継ぎも許さない、とでも言うかのようなものに変わる。与えられる熱に翻弄されて、すぐに息があがる。
彼が何かを引っ張って、私の頬にさらさらと何かが触れた。それが自分の髪だと分かった私の腰が、彼の腕に引き寄せられる。バランスを崩して咄嗟に手を付いた場所が、ほんのり湿っている気がして、目を開けた。
・・・いつの間に脱いだんだろう。
ぐるぐる巻きの包帯が視界の隅に映りこんで、胸板の硬さに戸惑ってしまう私を、彼が喉の奥の方で笑うのが分かる。その瞬間、私は小さな疑問を投げ捨てた。
ずっと触れていた唇が離れて、酸素が肺いっぱいに広がっていく。細胞のひとつひとつまで酸素で満たされていくのを感じるのに、何だか寂しい気持ちになって、気づけば私の手は勝手に彼の頬に触れていた。
すると、彼が目を細める。その瞳が、何かどろどろしたものを湛えているのが分かって、私は息を飲んだ。怖いわけじゃないのに、背筋がぞくぞくする。
空色に見入って目を逸らせないでいると、彼が口を開いて手を伸ばす。
「もう、私のことだけ考えていて」
伸ばされた手が背中に回る気配に、ぞくぞくが止まらない。自分の背後で何が起きているのかに意識がいっていた私は、ゆっくりと近づいてきた彼の唇に気がついたら、視線が剥がせなくなってしまう。
「ジェイドさん・・・っ」
返事の代わりなのか、胸元をぬるりとしたものが伝う。それが熱くて熱くて、呻いてしまう。体の奥の方が、きゅうぅ、と縮んでは戻ってを繰り返しているのが分かる。むず痒さに似てる。でも、違う。
言われた通りだ。触れられたら、彼のことで頭がいっぱいになる。自分を見失ってしまう予感に、私は間近にあった彼の肩に唇を押し付けた。
熱に浮かされた頭が覚えているのは、彼の吐息。それに混じって聞こえる私の名前と“愛してます”と途切れ途切れに囁く声。私は、ただ繰り返し頷いていた気がする・・・。
結局退院は3日延びた。理由は訊かないで欲しい。




