68
「お姉ちゃん!」
お腹の底から、大声張り上げた。
自分の耳が痛い。力みすぎて、頭に酸素が回っていないみたいに、くらっと意識が傾きそうになる。足の裏に力を入れて踏みしめた。
呼んだ瞬間に、ぞくぞくとした何かが、つま先から頭の先に向けて駆け上がってくる。今までに感じたことのない不思議な、悪寒とも快感とも表現出来ないような、本当に不思議な感覚だった。
「・・・お姉ちゃーん!」
研究室に広がる夜空には、私の目に映るだけでも物凄くたくさんの星が瞬いているように見える。実際は星じゃなくてホタルだけど。
見えてる範囲の中に、お姉ちゃんがいればいいんだけど・・。
「ルルゼさん、どうですか?」
ジェイドさんが私の背後について、夜空を見上げている彼女に問いかける。
すると彼女は、ちらりとだけ視線をこちらに向けて、また上を見上げた。
「なんとなく、それっぽいのは見えるんですけど遠くて・・・。
基本的に、色が全部同じなんです。全部渡り人だから・・・」
「なるほど・・・。
でも、不思議ですね。
この空間の中にいる人間は、中身のホタルが見えて、器が見えなくなるなんて・・・」
私が彼のそんな呟きを、頭上に広がる夜空を見据えながら聞いていると、横から教授の声も聞こえてきた。
「これは僕の憶測だけれど・・・おそらくエルゴンの関係じゃないかな。
こっちとあっちで、何が違うのかといえば、ホタルの色の違いだよね。
ということはエルゴンの質も量も、もしかしたらエルゴンが存在すらしないかも。
それと、姿形が見えないっていうのの関係は分からないけど・・・」
「そうですね・・・まぁ今は、そこを突き詰めている時間はないですから・・・。
理屈はともかく、今見えている中に、彼女が存在していればいいんですが・・・。
エル、彼女の気配を感じることは出来ないんですか?」
「ああ・・・探してはいるんだが・・・」
ジェイドさんの言葉に、シュウさんが首を振る気配がする。
「・・・お姉ちゃん!」
彼らの会話をひと通り耳にした私は、呼吸を整えて、もう一度夜空に向かって呼びかけた。思い切り発した声が、吸い込まれるようにして消えていく。
その時、脳裏をよぎったのは彼女の泣きそうな顔だった。次の瞬間またあの、ぞくぞくとした何かが背中を駆け上がる。
それが何かは分からないのに、私の口が勝手に呟いていた。
「・・・いるよ。この中に。絶対・・・」
すぐ近くで、シュウさんが息を飲んだ気配を感じ取った私は、ほんの少しだけ視線を彷徨わせる。
自分でも、何の根拠もないくせによく言えたもんだと思う。でも、上手く言葉に出来ないけど、予感があったのだ。本当に、お姉ちゃんが近くにいるような気がして仕方がない。
「お姉ちゃんだって、きっと、シュウさんに見つけて欲しいと思ってる。
・・・会いたいって、泣いてた」
両肩をジェイドさんの手が掴んで、私は手のひらをぎゅっと握りこんだ。両手にも両足にも力を入れて、真っ直ぐに立って頭上を見上げる。
「未菜お姉ちゃん!」
大声を張り上げた私は、夜空で瞬いているものを右から左へと流して見る。私にはどれがお姉ちゃんなのか分からないけど、絶対にこの夜空の中にいる。今朝から何かが研ぎ澄まされている私は、迷いなくそう感じる自分を信じていた。
その時だ。
ルルゼが、ふいに思い出したのか口を開いた。
「蒼鬼さま・・・おととい、私達が掴んだ古代石、持ってますか?」
「ああ。ここにある」
夜空から目を離してシュウさんを見ると、胸のポケットから小花が閉じ込められた古代石を取り出しているところだった。
お姉ちゃんがペンダントにして身に付けていたくらいだから、指で摘めるほどの大きさしかないそれに目を向けたルルゼは言う。
「その中のホタルが、ミーナさんを見つけてくれるかも知れません。
ついさっきリアさんが呼んだ時、かすかにですけど、あっちの・・・」
言葉を切って、彼女は私達の見ている右の方を指差した。
「あの辺り・・・だったと思うんですけど、少しだけ光が強くなったんです。
でも、呼んだだけだと一瞬目立つくらいで、ここからじゃ遠すぎて・・・」
「雑用ちゃん、もう1回呼んでみたら?」
言葉を探しながら呟いた彼女の向こうから、団長が顔を覗かせる。
私はそれに頷いて、呼吸を整えてお腹から声を出した。今しがた、ルルゼが指差してくれた辺りをめがけて、思い切り。
「未菜お姉ちゃーん!」
「・・・どうだった?」
教授が控えめに言葉をかけて、ルルゼが頷く。その頭の動きには、言葉を探していた時ほどの曖昧さはなかった。
「やっぱり、そうみたいです」
「見つけたね」
緊張を孕んだ教授の声に、シュウさんが相槌を打って私が声を飛ばした方を見据える。
ついさっき私を妹だと言ってくれたことを、彼の横顔に見とれるようにして回想していると、ふいに自分の両肩が重くなったことに気がついた。
「つばき、集中しましょうね・・・?」
「う、うん」
ジェイドさんが少し強めに私の肩を掴んでいるから重いんだと分かって、咄嗟にカクカク頷く。こんな時に、なんてカオをしてるのジェイドさん。
・・・仕方ない。これが終わったら膝枕でも何でもしてあげよう。大サービスだ。ううん、その前に私がめいっぱい甘えさせてもらおう。
ルルゼがお姉ちゃんを見つけたことに安心したからなのか、無意識に気が少し緩んでいるかも知れない。
「それで、この古代石が?」
シュウさんの声に、はた、と我に返った。
そうだ。和んでる場合じゃないんだ。まだ、ここからが正念場。
内心慌てて視線を這わせると、シュウさんが自分で摘んでいる古代石を眺めて眉根を寄せていた。
「こんなふうに自分の見える世界に触れるの、初めてで分からないんですけど・・・。
たぶん、中のホタルが出てきたいのに出て来れないんだと思うんです。
なにか、動きが・・・もじもじしてて・・・」
ルルゼの視線が、小さな古代石を捉えている。集中して、中に留まっているホタルを見ているようだった。
「だから、ミーナさんが見つかれば、そこに行こうとするんじゃないかと思うんです」
「お腹の中の器に、宿ろうとする・・・?」
ジェイドさんの呟きが聞こえたのか、ルルゼが石を見つめたまま頷く。そして、また夜空に目を向けようとした刹那、彼女の顔色が変わった。
「ルル?どした?」
「え?・・・ぁ・・・あっ!」
団長が心配そうに彼女の顔を覗きこむけど、それには全く気づかなかったらしい彼女は、小さく掠れた声を上げたかと思えば、すぐに悲鳴に似た声を発して目を大きく見開いた。その視線は虚空を辿って広がる夜空の先、ちょうど私が大声でお姉ちゃんを呼んだ方向に向けられている。
「どうした」
シュウさんも思わずなのか、緊迫した空気を纏って彼女に目を向けた。
「細い、糸みたい・・・何本も束になって、伸びて・・・。
・・・あっ・・・わかった!いつか見た、妊婦さんのお腹と同じ!
きっと、ミーナさんのホタルに繋がろうとしてるんだ!」
何かを辿るようにしながら言葉を並べていた彼女が、急に手をぱちんと叩く。
そのひと言に、シュウさんの顔が強張った。気のせいか、その瞳がほのかに光を帯びてきているように見える。
「分かった。なら、それを辿ればいいな」
「はいっ。
リアさん、もう一度お願いします」
「うん」
目を閉じて、息を吸い込む。
・・・まただ。背中をぞくぞくするのものが走って、脳裏にお姉ちゃんの顔が浮かんで、肌を何かが突き刺すような感じ。澄ませていないのに、耳からたくさんの音が流れ込んでくる。
背後の体温のおかげで、それに飲まれないでいられる自分を自覚しつつ、私は目を開けた。広がる夜空が目に沁みそうになるけど、それに負けていられない、と心を奮い立たせる。
・・・会えなくちゃ、謝れないんだ。
・・・届け。
「・・・お姉ちゃん、戻ってきて!・・・未菜お姉ちゃん!!」
「・・・見つけました」
「あっちか」
「はい、そのまま真っ直ぐ・・・そう、もっと・・・もっと先です」
吐き出したのと同じくらいの酸素を吸い込んでいる間にも、シュウさんとルルゼは、お姉ちゃんのホタルを捕まえに、シュウさんのホタルを飛ばしているらしく、会話が聞こえてくる。
私は思い切り叫んで、少し酸欠になった頭を軽く振って、後ろを振り返った。
空色の瞳はずっとそこにあって、私を見守ってくれていたらしい。突然振り返った私に驚いた様子もなく、ただ静かに、柔らかい笑みを刻んでくれた。
そして、頑張りましたね、とでも言いたげに頭をぽふぽふして。
・・・また子ども扱い、と言葉にする代わりに視線を投げたら、肩を竦められた。
「・・・もぅ」
言葉とは裏腹に、言わなくても何かが伝わった安心感が私の頬を緩めさせる。彼はそんな私の頭をもう一度ぽふぽふすると、視線を夜空へと向けた。
それにつられて、私もお姉ちゃんのいるはずの方角を見つめる。
「あぁっ、ちがっ、あ、もうちょっと右の・・・それ、そこです!」
「捕まえた、のか・・・?!」
シュウさんが戸惑いの声を漏らして、ルルゼを一瞥する。
けれど彼女はもともと人の体の動きは見えていないのだ。シュウさんの一瞥には気がつかずに、夜空の一点だけに目を凝らしていた。その背後で、仰け反りそうになっている彼女を団長が支えている。
ホルンへ向かう前、夕暮れの食堂で団長に声をかけられた。その時は、得体の知れない雰囲気と神経をささくれ立たせて、感情を隠せなくさせる態度に正直怖かったのを覚えている。
だから、雑用で紅に行くことがあっても、団長とは必要最低限の会話だけを心がけて、なるべく係わり合いにならないようにしていたんだった。ジェイドさんもジェイドさんで、彼に何か言われたら仕返しするから言いなさい・・・とか言うし。それなのに、ヘイナの街で聞かされた“お願い”がそれまでのいろいろを覆した。
・・・ほんとは良い人だって、気づけて良かった。
自分の役目がひと段落したことで緊張の糸が少し緩んだのか、私は彼らを見てそんなことを思っていた。
でも、次の瞬間我に返る。
カツン、カタ、コトリ・・・
私の足元に、何かが落ちてきたのだ。
「なんだろ、これ・・・」
何気なく手を伸ばして拾い上げてみると、それがブローチのような、髪留めのような形をしていることに気がついた。
「ジェイドさん、これ。落っこちてきたんだけど・・・」
手にしたそれを、彼に見せようと振り返る。
すると、真剣な顔をして夜空を見上げていたはずの彼の表情が、一瞬にして凍りついた。目を見開いて、息を止めている。
「何だか、分かるの?」
もしや良くない物なのかと恐る恐る尋ねると、彼が口元を手で押さえて何度か瞬きをした。そして、ゆっくりと私の手の中の物を掴んで、溜めていた息を吐く。
「ミナの、髪留めです・・・エル、」
彼の声は、ほんの少しだけ硬かった。
お姉ちゃんの存在を感じて、暗い気持ちになったというよりは、ただ、彼が動揺している姿に純粋に驚いて、私は何も言えなくなってしまった。
そうこうしているうちに、シュウさんが口を開く。視線は夜空に向けられていて、集中を切らさないようにしているのが私にも分かる。
「ああ、落ちてくる時に見た。
・・・近いな。もうすぐだ。なんとなく、気配も掴めるようになった」
「本当ですか?!」
金色の光を帯びている彼が、微動だにしないまま言葉を紡いで、ジェイドさんが小さく驚いた。
私は彼の手の中にある、お姉ちゃんの髪留めをじっと見つめる。きちんと見ると、青いコインに気がついた。
・・・お姉ちゃんは、このコインに守られてたんだ。私の赤い花と同じ。
そんなことが頭の中を駆け巡って、私は思わず口を開いていた。
「お姉ちゃん!
こっちに来て、お姉ちゃん!」
叫び声が夜空に吸い込まれた次の瞬間、夜空の一部がぱっと明るくなった。ルルゼが言ってたのは、このことか。
すぐそこだ。頑張って手を伸ばしたら届くんじゃないかと思うくらい。
・・・もうすぐ会える。
そんな予感が私を突き動かして、もう一度、と息を吸い込んだ。思い切り、体中に酸素を溜め込んでお腹の底から声を出す。
・・・届け。
「お姉ちゃん!」
「もう、すぐそこ・・・!
思いっきり引っ張って!」
ルルゼの声がうわずっている。
ジェイドさんの両手が、私の肩を掴む。私はお姉ちゃんの髪留めを握り締めたまま、私の声に反応した光を見つめて祈っていた。
ここまで近くに来れば、私に出来ることはない。ただ固唾を飲んで見守るしか出来ない自分がもどかしい。
シュウさんの体が纏っている光が、だんだんと強くなっていく。髪が、重力に逆らってふわりと浮き上がって、その先から光の粒が宙へと流れ出している。
緊迫した状況に反して、それを綺麗だなんて思ってしまう私は、どこか麻痺してしまっているのかも知れない。
「ミナ!
帰って来い、ここに・・・!」
彼の金色に変化した瞳が、苦しげに歪む。ホタルを操る体が辛いのか、もっと別の何かがあるのか、彼は顔をくしゃっと顰めて、すぐそこまで来ているはずのお姉ちゃんを呼ぶ。
「ミナ・・・っ」
その時、彼の苦しそうな声を聞いていた私は、一方で背中を駆け上がってくる、ぞくぞくとしたものを感じていた。まただ。また、この感じ。
体が波打ちそうになるのを、じっと堪えて夜空を見上げる。
「・・・お姉ちゃん・・・」
誰にも聞こえないように呟いて、そっと目を閉じた。せり上がってくるものを何とかやり過ごそうと、私は呼吸を整える。
きっと、緊張しているせいだと思い込むことにして、もう一度夜空を見上げて・・・そして、目に飛び込んできたものに息を飲んだ。
横から、シュウさんの歓喜なのか驚愕なのか分からないような声が飛ぶ。
「ミナ!」
金色の光の、帯のようなものが私にも見えた。そしてそれが、お姉ちゃんの体に巻きついて夜空に浮かんでいる。
「お姉ちゃん・・・!」
あっちで会った彼女と、あまり変わらない姿。真冬だというのに髪を結い上げて、薬指に婚約指輪と結婚指輪を嵌めていて・・・それに、ゆったりしたワンピース姿で・・・。
今なら分かる。こっちにいた時と同じように暮らそうとして、毎日髪を結い上げていたんだ。皆に妊婦が風邪を引いたらどうするんだ、って小言を言われても曖昧に微笑んで誤魔化してた。
・・・髪を結い上げるなんて器用になったね、なんて。知ろうともしなかった。
あの時もお姉ちゃんは、静かに、見えない何かと向き合って戦ってたんだ。1人で。
頭の中を、ぐるぐるといろんなことが流れては消えていった。
お姉ちゃんとした会話、お姉ちゃんの表情、私の言葉・・・そんなことが、いろいろ。
そうしている間にも、彼女の体はゆっくりと私達の方へと近づいてきていた。
「・・・もう、大丈夫そうだね」
教授が息を吐きながら呟いたのを聞いて、私は頷く。
そして、研究室と夜空の境目あたりまで降りてきた彼女に絡まって、錨のような役割をしていた光の帯が、ぱっと消えた。
「あっ」
咄嗟に声を上げた私の口を、ジェイドさんの大きな手が塞ぐ。
同時に、シュウさんが落ちてきたお姉ちゃんを、その両腕でしっかり受け止めていた。
きっと全員が、息を止めていた。そして一緒に、息を吐き出す。
・・・ため息って、大人数で漏らすと結構響くものなのか。
そんな場違いな感想を抱いた私は、手を離してくれたジェイドさんを振り返って、抱きついた。
「良かった、やったねジェイドさん・・・っ」
「ええ・・・!」
同じくらいの力加減で抱きしめ返してくれる腕に、頬が緩むのを止められない。嬉しいのと、大したことはしていないのに何かを達成した感じに、どうしようもなく気分が高揚してしまう。大声を出して、思い切り笑って、踊り出してしまいそうだ。
足元が落ち着かなくて、なんだかふわふわする。
「お姉ちゃん・・・」
彼の腕の隙間から、シュウさんが抱きかかえる彼女の姿を確認する。やっぱり、夢じゃないんだ。呼び戻せたんだ。
「よかった、ほんとに・・・」
高揚した気分から、すとん、と何かがどこかに落ち着いて、じんわりと温かい気持ちが体中に広がっていく。それが、自分の内側からだけじゃなくて、彼の腕や胸からも伝わってきているのを、私はちゃんと感じ取っていた。
彼女は気を失っているようだけど、きっとすぐに気がつくだろう。シュウさんが座り込んで、彼女の額や頬、胸元に手を当てて何かを確認しているのが見えた。
「・・・お疲れ」
「うん」
団長とルルゼも、ほっと息を吐いて座り込んでいる。ルルゼは目を擦って、団長がそれを止めようとそっと彼女の手を掴んでいた。きっと、ずっと目を凝らしていたから、しょぼしょぼするんだろう。
そんな2人を見て、教授がタオルを手に簡易キッチンに向かった。ホタル5つ分の衝撃に、晒された研究室は、全員が寛げるような場所ではなくなっているけど、お湯くらいは出るんだろう。
温かくしたタオルをルルゼに渡した教授も、その場に座り込んだ。
私は皆のことを見回して、もう一度息を吐く。
「・・・終わった・・・ね」
「ええ。やっとね」
大きな手が私の頬を滑った後、抱きしめたまま背中を擦ってくれる。
「頑張りましたねぇ・・・」
「また子ども扱い・・・?」
お決まりの台詞を聞いたような気分でくすくす笑っていると、私は自分の体の違和感に気がついた。
「・・・あれ・・・?」
「つばき?」
どう表現したらいいのか分からず小首を傾げると、彼も同じように首を傾げる。
「ううん、何か、変な感じが・・・」
虚空を見つめ、意識を自分の内側に向けて言いながら、私は背中を駆け上がってくる、あのぞくぞく感に戸惑っていた。
戸惑っているうちに、つま先の感覚がなくなっていく。そして、それに気づいた時にはもう、変化は起きてしまっていた。
「つばき・・・?!」
戸惑う彼と、同じ高さで視線が合う。
つま先が、床から離れているんだと気づいた時には、ふわり、と一気に体が浮き上がってしまっていた。
がっ、という衝撃と一緒に、彼の腕に引き寄せられる。
「や、なにこれ・・・?!」
何かが、私の体を宙に浮かせて引っ張っている。不思議な力が働いている。
・・・怖い。
抗えない力だと、本能で察しているからなのか。私は悲鳴をあげることも出来ずに、必死になってジェイドさんの首にしがみついた。
「ジェイドさん・・・!」
振り返れば、そこには夜空が広がっている。
無数の星が瞬く、下から見上げた時には綺麗だと思ったその光景に恐怖を感じた瞬間、悟った。
このまま私の体が浮き上がってしまったら、あっという間にあの暗く広がる空間に吸い込まれて星の1つになってしまう、と。
もしかしたら、あっちの世界に戻れるのかも知れない。
そこには大事な人がいて、自分の居場所があって・・・でも、そんなの、嫌だ。
あっちに戻れるならまだ救いがあるなんて・・・そんなこと、いつの間にか思えなくなってしまったんだ、私。
視界の隅に映りこんでいる皆は、驚いて声も出せなくなっているようだった。シュウさんはお姉ちゃんを抱えて動けないし、団長はルルゼが怯えているから動けない。教授も、口を開けたまま硬直してしまっていた。
仕方ない。私だって目の前でこんなことが起こったら、動けないと思うから。
「どういう、ことです・・・っ」
焦燥感が滲み出る声に現実が戻ってきて、恐怖が増す。彼が、焦って戸惑っている。彼にも、どうしたらいいか分からないということなんだと、私は理解してしまった。
そして、ほんの少し立ち向かう気持ちが殺がれた瞬間を狙っていたかのように、何かが私の腕をつるりと滑らせた。
彼の首にしがみついていたはずの腕が離れて、体が急に宙へと吸い込まれそうになる。
終わった、と思った刹那、がくん、という衝撃と一緒に彼の両手が、私の両手を捕まえてくれた。ほっと息を吐いて、私もぎゅっとその両手を握る。
・・・よく考えたら、こんなに必死になったこと、あったかな。
おかしなことを考えながらも、私はその両手を離すまいと力を込めた。
「ジェイドさん・・・っ」
でも、すぐに分かった。
1人の人間の力が、世界を超える力に敵うわけ、ないんだ。
このままじゃ、ジェイドさんまで巻き込んでしまう。
だから、と私は言葉を紡いだ。こんなに大事に言葉を口にしたこと、きっと今までなかった。
「あのね・・・好き、大好き」
「つばき・・・?!」
これが、別れを惜しむ時間を稼いでいるに過ぎないと分かってる。だから、大事なことだけを大事に言おう。
「ジェイドさんが好きなの、でも、ごめんなさい・・・」
「何言って・・・」
最後に見る表情が、初めて見るカオだなんて可笑しいな。
何かが一周して頬が緩んでしまった私は、何かを催促するように背中を這うぞくぞくした感じに諦めを抱く。
その瞬間、私を引き上げる力が強くなって、片手が離れた。離れてしまったら、見えない壁に阻まれているかのように、自分の体が言うことをきかなくなる。もう、あの手に私の手は届かないと分かった。
・・・ああ、何て言えばいいのかな。何て言えば伝わるんだろう。
空色の瞳が歪んでいくのを見て、その時の私は結局、何も言えなかった。




