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「おとといの時と、全然違う・・・!」
ルルゼの焦った声が、地下の研究室に響く。部屋のある場所がそうさせるのか、その声はよく反響してよく響いた。まるで、私達の心を何度も揺さぶろうとしているみたいに。
「違うって、何が?」
団長が彼女に寄り添って尋ねると、彼女は古代石に目を向けたまま口を開いた。
「ああ動いてるな、って思ってから少し時間があったの。あの時は。
でも・・・今日は、動き始めたと思ったら、急に・・・」
彼女が言い終わるよりも早く、淡く光を放つ古代石からホタルが生まれ出る。黄色くて、握りこぶしくらいの大きさの光の玉が、石の上にふわりと浮かび上がった。
「大丈夫だ」
そう言ったのはシュウさんだ。彼は、小さな花の入った琥珀を眺めていたらしく、胸のポケットにそれをしまい込んでいるところだった。
ルルゼが言うには、あの古代石の中にはシュウさんによく似たホタルが入っているんだそうだ。
・・・ということは、お姉ちゃんのお腹の赤ちゃんに宿っていたものが、お姉ちゃんが世界を渡る時に器から切り離されてしまったということなんだろう、と教授が言っていた。
お姉ちゃんが戻ってきたら、もう一度赤ちゃんに宿ってくれるのかどうかは分からないけど、ともかく大事にとっておくことにして、シュウさんが胸ポケットに保管しているのだ。
カンガルーか何かみたいで微笑ましい、なんて思ったりもしたけど、お腹の赤ちゃんが器だけの状態になっているということなんだから、実際には状況はよろしくない。
・・・少なくとも、この世界に生きるんだとしたら。
そんないろいろも全部受け止めたんだろうシュウさんが、不安そうにしている彼女に向かって頷いた。
「なるようになる」
「・・・前向きー」
団長が肩を竦めて、ルルゼが言葉も曖昧に頷く。
私はそんな3人とテーブルの上に転がっている古代石を交互に眺めていた。
「あの黒い穴は・・・」
ふいにジェイドさんの声が聞こえて、私は視線を上げる。彼は、教授に向けて言葉を発しているらしかった。
視線をテーブルに戻した私は、2人の会話を片方の耳で聞きながら古代石を見つめる。
「・・・おとといの黒い穴は、壁画に描かれていたんでしたね」
「うん、そうだよ」
「父さんは、マートンを覚えてます?」
「ああ、彼か。確か今は・・・終わりの塔にいるんだっけ」
「ええ・・・彼が渡り人と異世界について研究していたことは知ってますよね。
彼が以前、ミナに話した内容を聞いたことがあるんですが・・・。
彼女の話では、この世界の古代の時代には、彼女の世界のそれによく似た文明が栄えて
いたらしいんですよね。
魔法も存在していて、大きな戦争があって文明が滅びた、という内容だったはずです。
・・・もしかしたら、マートンが壁画の内容を自分に都合の良いように解釈したのかも
知れませんが・・・」
お姉ちゃんがいた頃の話なんだと気づいた私は、テーブルに目を落としたまま、彼らの話を黙って聞いていることにした。
このタイミングでジェイドさんが話を始めたということはきっと、必要だから。
私は、彼の口からお姉ちゃんの名前が出てきても、体のどこかが針でちくりと刺されるような、目を瞑ってしまえば済むような小さな痛みを感じなくなっていた。
そんな自分に、内心でほっと息を吐く。
「うーん・・・その可能性が高いけど・・・。
マートンの研究って、まだ残ってるの?」
「王宮に保管してます。
・・・ホルンに持って行ってもらって構わないので、お願い出来ますか」
「うん、ちょっと気になるしね。
今日のこれが落ち着いたら、アッシュ君にも了解を得よう」
「助かります。
・・・つばき?」
静かに耳を傾けているところへ声をかけられた私は、ゆっくりと視線を上げる。ジェイドさんが、穏やかなカオをして、私を見ていた。
「ん?」
小首を傾げて返事をした私に、彼が言う。
「今の話、今度聞いてもらえます?」
「うん。もちろん」
彼の中に私がいることを実感して、私は頷いた。
そして、彼のことをお姉ちゃんに話したい、聞いて欲しい、と思ったその時だ。
テーブルの上に転がっていた古代石の1つが、淡い光を放ち始めた。
「お姉ちゃん・・・」
思わず呟いた私の背中を、何かが走っていく。
それは悪寒でもないし、彼に触れられた時に感じるぞくぞくしたものとも違った。でも、確かに何かを感じた私は、両手を痛いくらいの力で組む。
すると、目の前で信じられないことが起こった。
テーブルに置かれた古代石は5つ。その中の1つの上にホタルが浮かんでいる。1つはたった今光を放ち始めた。そして・・・。
「こんなことって・・・」
ルルゼが、言葉を失って口を両手で押さえる。
彼女が見ている世界では、私達が見ている現象よりも衝撃的な光景が繰り広げられているのかも知れない。
私の見ている世界では、テーブルに置かれた残りの3つの古代石全てが、淡く光り始めていた。
「落ち着いて。とにかく、」
教授の声を聞きながらも、私の目はホタルが4つ、生まれ出る瞬間を捉える。
古代石から、ふわりと浮かび上がった生まれたての光の玉が、ふるふると震えて何かを探している・・・私にはルルゼと同じように感じ取る能力はないけど、そんな気がした。
私達の導いた答えが正しければ、このホタル達は宿る場所を探しているはずなのだ。そのために、まずは自分と同じホタルが必要で・・・。
5つも浮かんでいる光の玉が眩しくて、思わず顔を顰めた私は、大きな手に引き寄せられて床に押し倒された。
背中に衝撃が走って、息が詰まる。
頭を打ち付けなかったのは、彼がその手で庇ってくれたおかげだろう。
咄嗟にその名を呼ぼうとして、私は金色の髪の向こうで光の洪水が私達を飲み込もうとしていることに気がついた。
ゆらゆら揺れる金色の光の帯が、白けていた視界に色が戻ってきたことを教えてくれる。
私はそっと手を伸ばして、その光の帯に触れたけど、つるりと指先から逃げていったのを見て、それがジェイドさんの髪だということに気がついた。
「大丈夫・・・ですね」
目の前で空色の瞳が苦しげに歪んでいる。
私はいつにもまして綺麗だな、なんて場違いな感想を抱きながら頷いた。
残念ながら、押し倒されて気がついたら視界が真っ白で、今に至るのだ。頭がぼんやりして仕方ない。
彼は体を起こすと、ぼんやりしている私の手を引いてくれる。身を起こして頭を軽く振ると、だんだんと肌を刺す空気に現実味が戻ってきた。
「今のが、ホタル5つ分の衝撃か」
シュウさんが呟いたのを聞いて、声のした方に視線を投げる。
彼の頬に赤い線が走っているのを見た私は、その言葉の意味を想像して、息を飲んだ。
5つのホタルがぶつかり合って、消滅して、きっと旋風も起きたんだ・・・。
光の洪水が目に飛び込んできて、その瞬間に気を失ったらしい自分を褒めてあげたい。いや、それも可笑しな話だけど、正直、ホタル5つ分の衝撃に耐えられたかどうか想像すると、気絶して大人しくしていた方が迷惑がかからなくて済みそうだったから。
「てことは、単純に考えて・・・あの黒い穴も、5つ分になるのか?」
団長が肩にかかった何かを払いながら、教授に向かって言う。
教授は頭についた何かを払いながら、曖昧に頷いて、そして宙を指差した。
「僕にも何ともね・・・でも、ほら・・・始まった・・・」
その指の指す先を見て、ジェイドさんが私を抱き寄せる。私も思わず彼の胸元を掴んで、ぎゅっと握りしめた。
テーブルの上、おとといよりも高い場所で、ちりちりと何が弾けている音がした。やがてそれはバチバチと大きな音を響かせて、空間を侵食していく。
いつかの理科の実験で見たような光景だった。まるで空間自体が紙で出来てるように見えて、そこへ小さな火が点いて、穴が開いて、その穴が燃え広がって大きくなっていくような。
ぱらぱらと、燃えカスになったものが降ってくる。火の粉のようにも見えるけど、それはダイヤモンドダストみたいにきらきらと輝いていた。
「・・・ルルゼ」
「はい」
シュウさんの呼びかけに、彼女が応える。
「大丈夫か」
お互いに虚空に広がりつつある黒い穴を見据えたまま、言葉を交わす。
彼女はシュウさんの問いかけに、力強く頷いて言った。
「すみません。ちょっと動揺してしまいました。
でも・・・大丈夫です」
「ならいい。
・・・頼む」
彼の言葉が何時にもまして少ないのはきっと、緊張しているから。
おとといの彼女はそんな彼にびくついていたけど、今は違うらしい。
「はい。
昨日、王宮の高い場所から、街に出たロウファさまや教授を探す練習をしたんです」
虚空に開いた黒い穴の中、広がっていく空間を見据えた彼女の横顔は、凄く格好良く、私の目に映った。
彼女は一度息を吐いて、そして言った。
「・・・私、人と違うから役に立てることもあるって、思えるようになりました。
同じことが出来なくても隣に居ていいんだって、やっと。
だからきっと、ミーナさんのこと、見つけます。
絶対に見つけて、蒼鬼さまのホタルが届くように、先導します」
「ああ、頼りにしてる・・・それに、」
そう言ったシュウさんから、唐突に視線を投げられた私は勝手に伸びた背筋に戸惑いながらも、その視線を受け止める。
私にしがみつかれたままのジェイドさんが、その腕に力を込めた。
「リア、君のことも頼りにしてる」
「私・・・?」
呆然と問い返して、私は何度も瞬きをする。
いつも無愛想で、ジェイドさんと言葉の応酬をして、ちょっと面倒くさそうに私と図書館で資料を探していた彼が、そんなことを言うなんて思いもしなかったから。
「リアさんの声に、反応してたんです。ミーナさんのホタル・・・」
だんだんと広がっていく空間から目を離さずに彼女が言った。
「そうだったね。
・・・たぶん、本人の意識とは別物だと考えていいと思うんだけど。
エル君みたいに自分に宿ったホタルを自由に扱える人間は、そうそういないと思うし」
シュウさんが、教授の言葉に頷いて私を見た。
「そういうわけだから、頼む。
リアの呼びかけに反応してくれれば、ルルゼも見失わずにいられるだろう」
「そういうことなら、声が枯れるまで頑張らないと・・・ね、つばき」
ジェイドさんが私の顔を覗きこむようにして、囁く。
そんなやり取りをしていると、いつの間にか宙に大きな黒い穴が広がっていた。
「おとといの比じゃねぇな・・・」
「うん。ホタルが見えている範囲が広いから、おとといよりも探しやすいかも・・・」
団長が漏らした呟きに、ルルゼが頷いている。
その大きさは、おととい出現したものの数倍はあった。この地下室の天井一杯に広がっている。
突然夜空が目の前に広がったかのようになって、私はその光景に圧倒されてしまった。
・・・こんな、宇宙みたいな空間を渡って、私はやって来たということか。
「単純に5倍の大きさ、5倍の時間もってくれると考えたいけど・・・。
とにかく、急ごう。
・・・きっとこんなチャンスは、もう二度とない」
教授の緊張を孕んだ声に頷いた私は、大きく息を吸った。私に課せられた役目は、とにかくお姉ちゃんを呼ぶことなのだ。
私が、生まれた世界から切り離されてから、いろいろあった。
でも、そのいろいろの始まりは、お姉ちゃんへの懺悔だった気がする。
あっちにいた時に彼女との再会を果たしていた私は、その嬉しさで胸がいっぱいで、突然いなくなった理由が知りたくて・・・。
それなのに、私は彼女の話を全然信じなかったんだ。
お姉ちゃんはいつだって正直に、本当のことを話してくれたのに。
求めるばっかりで、寄り添うことをしなかった。
・・・今なら分かる。
私は、心配する振りをして詰っていたんだと思う。突然いなくなって、置いていかれた気がして寂しくて、やるせない気持ちをぶつけてしまった。
辛い時の支えになってくれて、感謝していて、いつか力になりたいと願った私の気持ちは、なんて薄っぺらいものだったんだろう。
なんて、残酷だったんだろう。
やっと、その気持ちのひと欠片が分かった。
大切な人と引き離されたら、私ならきっと、耐えられない。
次から次へと、いろいろなことが頭の隅で浮かんでは消えて。
「ごめんなさい、お姉ちゃん・・・」
大声を張り上げるつもりで吸い込んだ空気が、小さく萎んで口から吐き出された。
ジェイドさんの手が、そっと、頭をぽふぽふする。
「ごめんなさい・・・」
ああ、ダメだ。全然使い物にならない。
息を吸い込むことすらままならなくて、私は自分に呆れ返った。
・・・大声で呼ばなくちゃ、あんなに遠いのに。届くわけない。
自分を叱咤しても、体と心がちぐはぐで、思うように動いてくれそうにない。
「リア」
「・・・はい」
シュウさんの声に、零れた涙を振り切って返事をする。
その瞳が、柔らかく細められた。そんな優しい目をしてくれたこと、今まであっただろうか。
「ミナが戻ったら、うちに泊まりに来い。
ああ、その時にはおまけがいるだろうから、少し騒がしいとは思うが・・・。
ともかく、謝罪は本人に直接した方が、自分もすっきりする」
「シュウさん・・・」
「ミナが姉なら俺の妹、か」
無数に散らばるホタルを見据えて、彼が呟いた。
その瞬間に、私の中の何かが急に軽くなる。
・・・本当は、ずっと思っていた。
私が来た代わりに、お姉ちゃんが向こうへ行ってしまったんじゃないか。
お姉ちゃんが戻ってくるはずだったのに、私が来てしまったんじゃないか。
誰よりも、シュウさんがそう思っているんじゃないか・・・。
・・・私がお姉ちゃんの打ち明け話の中で、その存在自体を否定した、シュウさんが。
「エル、あなた気持ち悪いですよ・・・」
ジェイドさんが、ぼそりと呟くのを聞いて、私は我に返った。
「・・・煩い」
シュウさんの耳がちょっとだけ赤いのを見て、思わず頬が緩む。
目じりに溜まっていた涙を拭いてくれたのはジェイドさんの指先で、私はそれに励まされるようにして、思い切り酸素を吸い込んだ。
きっと、お姉ちゃんなら聞いてくれる。
私がどんなに荒れていても、子どもみたいに泣き喚いていても、いつもそうだった。
届け。
念じながら、祈りながら、私は声を張り上げた。




