63
俯いたルルゼと、ため息をついた団長を交互に見ていると、おもむろに教授が口を開いた。
「とりあえず、ルルゼちゃんにはホタルが見えてるってことが分かったわけだけど・・・」
肝心なことに話題が及ぶ気配に、私は居住まいを正す。
教授は、私達を見渡して言った。
「君は、妊婦さんのお腹を見たことはある?」
「え?・・・あ、はい。あります」
突然の問いかけに一瞬呆けた彼女は、すぐに頷く。
それを見た教授は微笑んで、さらに尋ねた。
「その時は、母体と胎児の、2人分のホタルが見えたのかな?」
「ええと・・・」
彼女の視線が彷徨い始める。その様子は誰を見るでもなく、ただ回想しているように見えた。
「意識して見ていたわけじゃないので・・・」
「うん、思い出せるだけ話してみて。出来るだけ詳しく・・・」
言いよどんだ彼女に、教授が優しく催促する。
彼女は戸惑いがちに頷いてから、言葉を紡ぎ始めた。
「お腹が大きい妊婦さんに会ったことがあるんですけど・・・。
お母さんの光と、お腹の辺りの小さな光が。
・・・確か、細い光の線で繋がってました」
「うん。じゃあ、お腹がぺったんこの時期の妊婦さんには会ったこと、あるかな?」
「・・・あります」
教授の言葉が軽い気がするけど、そこは気にしていないのか彼女が神妙な表情で頷く。
蚊帳の外に放り出されたような私やジェイドさん達は、2人のやり取りをじっと聞いていた。
「その時は、どうだったんだろ?」
「その時は、妊婦さんだって気づきませんでした」
「母親の分の光しか見えなかった、ってことで合ってる?」
「はい」
「うん、分かった」
何かに納得したらしい教授の視線が私達の方へと移される。
残念ながら私にはまだ、教授が彼女にそんなことを質問した理由も、何に納得したのかもさっぱり分からない。
ちらりとジェイドさんを見上げても、彼の視線が下ろされることはなく、真っ直ぐに教授を見ているようだった。
「ホタルは、魂みたいなものだってことだねぇ」
「たましい・・・」
聞き取ったことをぼんやりと繰り返した私に、教授は眉根を寄せる。
「うーん・・・命の灯、みたいなものかな」
「あ、その表現なら、なんとなく分かるかも。
ルルゼ、病気の人の光は弱かったりするって言ってたよね」
「うん・・・弱いっていうか、見えづらくなるっていうか・・・」
彼女が言葉を選ぶようにして返事をくれたのを聞いて、シュウさんが相槌を打った。
「なるほどな。
・・・それなら、人が死んだらどうなるんだ?」
「うん、そこだよね。
僕は、亡くなった人のホタルが、古代石に宿るんだと思ってる」
「どうしてそう思うんです?」
質問したのはジェイドさんで、顎を擦りながら小首を傾げている。
「ほら、ルルちゃんが石がいっぱい並んでる時に言ってたでしょ。
人に宿っているのも、石に宿っているのも同じに見えるって・・・」
「それなら、逆でもいいような・・・。
石が生み出した光が、私達の中に入り込む・・・と考えるのはおかしいですか?」
「ああそれね、」
ジェイドさんにしては、ずいぶんと前衛的な発想を口にしたのに対して、教授が頷いた。
「循環してるんだと思うんだよねぇ」
「じゅんかん?」
繰り広げられる会話についていけなくなった私は、またしても教授の言葉を繰り返す。
教授はほんの少しだけ小首を傾げて何かを考えた後、口を開いた。
「循環・・・ええと、輪廻転生って聞いたことある?」
「あります、一応。
人が生まれ変わる、みたいな話ですよね?」
「それそれ。
器の寿命がきたら、ホタルが石に宿る。
いつになるのかは分からないけど、石から出てきたホタルが、胎児に宿る・・・ってこと」
「だから、妊娠初期の女性の体には、光が1つしかなかったのか」
シュウさんが独り言のように呟いたのを聞いた教授が、うん、と頷く。
「そういうことなんだと思う。
胎児にホタルが宿って、光の線で母体と繋がって・・・で、成長するんじゃないかな」
「・・・ずっと・・・」
ルルゼが口元に手を当てて、ため息と言葉を一緒に吐いた。
私に見える世界とは、別の世界を見て生きてきた彼女の瞳が、ゆらゆら揺れている。
「不思議だったんです・・・でも、そういうことだったんですね」
「たぶんね。
・・・だから、ちょっと気になってるんだけど。
エル君の奥さん・・・ミーナちゃんだっけ。
彼女も妊娠してるって話だけどさ、確か、初期なんだよね?」
教授の視線が私に注がれた。
分かってる。妊婦になったお姉ちゃんに会ったのは、私だけだからだ。
「はい・・・」
頷いた私に、シュウさんが唸るようにして息を吐く。顔色が、あまり良くない。
「・・・考えても仕方ないが・・・」
そんな彼を見ていた私は、ふいに手に温もりを感じて振り返った。
ジェイドさんが、膝の上に置いた私の手に、大きなその手を重ねたらしい。
じんわりと伝わる熱が心地良いと感じるのと同時に、自分の手が冷えていることに気づく。
・・・お姉ちゃんのお腹の中の赤ちゃんは、今、何ヶ月なんだろう。もし、本当にホタルが宿って初めて、順調に育つんだとしたら・・・。
掘り下げて考えてみたら、嫌な予感しかしなかった。
自分でも心臓が強く速く、打ち付けているのが分かる。怖い。
思わず口元に手をやると、自分の口から漏れ出る吐息の間隔が、短く速い。
「焦っても仕方ないでしょう。
こちらとあちらで、長期的に見た時間のズレがないとも限りません。
第一、初期とはいえ何ヶ月なのかも分からないんです。やれることを、やりましょう」
ジェイドさんの口から出た、皆に向けてなのか、私に向けてなのか分からないそのひと言は、言いようのない恐怖感を和らげてくれた。
咄嗟に頷いていると、ルルゼが口を開く。
「あの、」
決して大きくはない声に、その場が静まり返った。
すっかりジェイドさんに釘付けになっていた視線を戻せば、背筋を伸ばして真っ直ぐに教授を見詰める彼女の姿がある。
儚げに団長の隣に佇んでいた彼女は、どこに行ったんだろう。
「さっきの石、見せてもらえますか・・・?
リアさんの話を聞く限りでは、ホタル同士が衝突する必要があるんですよね。
・・・探します、私。古代石、見せて下さい」
コト、と木箱の蓋を開ける音が響いた。
「覗き込んじゃうと、また目がやられちゃうと思うから」・・・と、教授がいくつかずつテーブルに並べて、そのひとつを手に取ったルルゼは、石を透かして見たり振ってみたりしている。
私は最初、そんな彼女を眺めていたけど、いつの間にかいろいろなことを消化したらしい団長が、彼女の腰に手を回して寄り添っているのを見て、お茶を淹れることにした。
仲良しに戻ってくれたなら、その方がいいに決まっている。
緩んでしまいそうな頬を自分で抓りながら、お湯が沸くのを待っていると、ふいに背後に気配を感じて振り返った。
目の前に、空色の瞳がある。
自然と口元が綻ぶのを自覚しながら、私は声をかけた。
「・・・茶葉、どっちがいいかなぁ?」
教授の簡易キッチンには、2種類の茶葉がある。
「こちらで。
・・・そちらは、一昨年くらいからずっとあるので、やめておきましょう」
「・・・いっそのこと、捨てちゃおう。えい」
彼が指差した方、古い茶葉を容器ごとゴミ箱へ投げ入れた私を見て、彼が苦笑した。
「思い切りがいいですね」
「いやいや、お腹壊すよりいいよね?」
肩を竦めながら、湧いたお湯を茶葉の入ったポットに注ぐ。
ふんわりと立ち昇ってくる香りに目を細めると、彼が声を潜めて囁いた。
「・・・大丈夫ですか?」
「何のこと?」
彼に倣って、私も声を落とす。ポットから人数分のカップへと注ぎ分けながら。
「・・・あ、もしかしてお姉ちゃんのこと・・・?」
「ええ・・・ショック、受けてません・・・?」
ずいぶんと顔色を窺うような訊き方に、私は小首を傾げて、ああ、と思い至った。
「だいじょーぶ。絶望しないって、決めたから」
零さないようにしながらポットのお茶を注ぎきった私は、彼の目を真っ直ぐ見つめる。
「本当に?」
「ほんとーに・・・心配しすぎ」
彼の鼻を摘めば、些かむっとされた。
お茶をトレーに載せて運んでいると、彼らの会話が聞こえてきた。
「・・・ルル、1個飛ばしてる。ほら、」
団長が穏やかな声で彼女に話しかけている。
近づいていくと、彼が彼女の指先をある古代石にこつり、と触れさせていたところだった。
カップをそれぞれの手近な場所に置いたり、直接手渡す。
「はい、団長。ルルゼの分もそっちに置いといて下さいね」
私が言い終わるのと同時に、団長の手が2人分のカップを持って行く。
すると、古代石を持った彼女が不思議そうな顔をしていたのに気がついた。
「どしたの?」
「この古代石、ホタルが見えないの」
「本当?」
教授が言葉を拾って問いかけると、彼女はあっさり肯定する。
・・・私から見たら、テーブルに転がる古代石はどれも同じに見えるのに。
そして、そんなことを考えている間に、いつの間に用意したんだろうか、教授があの、エルゴンを計測するという装置を取り出していた。
彼女の手にあった古代石を装置にかけて、目を見開く。
「ほんとだ、反応しない」
「エルゴン値がゼロ、ということは、ホタルも宿っていない、ということか」
カップから口を離したシュウさんが呟いた。
「そう。
僕の持論が正しかったら、宿ってたホタルが新しい命に変わったってことかも」
教授がさっき話していた転生説を持ち出したところで、団長が口を挟む。
「じゃあ、明日にでもオレが墓地に持っていってみようか?」
「・・・いやに協力的ですね」
思わず、といった感じでジェイドさんが言葉を零して、団長が顔を顰めた。
「やめてくれるー?
消化したの。消化。
・・・さっきの話聞いた感じだと、死者が多い場所に放置しといたら宿りそうじゃん」
「お前、安直だな・・・」
話の全体を拒絶していた時の彼からは想像もつかないほどの態度に、私が言葉を失っていると、シュウさんがため息混じりに言い放つ。
「え、オレいい案だと思うんだけど。どう、教授?」
「うん、ちょっと本題とはズレるけど、やってみよう。
空の石をいくつか探して持っていってもらって、翌日持って帰ってもらおうか」
「じゃあルル、どんどん見てって」
「え、ええ・・・」
その変わり身に、付き合いの短くないはずのルルゼまで驚きを隠せないようだ。
とりあえず、前向きに状況を捉えてくれるようになったのは喜ばしいけど・・・。
私はそんな2人を眺めつつ、ひとまずお茶を啜る。やっぱり彼女の淹れるお茶には敵わないけど、それでもずいぶん美味しく淹れられるようになったと思う。
その時、彼女が声を漏らした。
「あ・・・」
「どうした?」
団長が瞬時に反応する。
その声が緊張を孕んでいたから、私は思わずカップを下ろして彼女を見つめた。
「・・・このホタル、動いてる・・・!」
「え?!」
そのひと言に反応したのは教授で、咄嗟に彼女の手から石を掠め取って装置にかける。
「・・・計測できる限界ギリギリ・・・これ、もしかしたら石から出てくるかも知れない」
「えぇっ?!」
それを聞いて慌てたのは私だった。
ホタルが出現して、ロクな目に合わなかったのは記憶に新しい。つい最近は、それで気を失うような衝撃的な出来事に遭遇したのだから。
同じようなことを思い出していたんだろうか。ジェイドさんも隣で息を詰めているのが分かる。
私達は目を合わせて、その緊張感を無言で共有していた。
「僕が持ってきた古代石や星の石は、一度ちゃんと数値を調べてあるんだ。
その時には、こんなに強いエルゴンを含んだものなんか、なかった。
時間の経過と共に、中のホタルが成熟してるんだとしたら・・・出てくるんだろうな」
至って冷静な物言いに、あの洞窟でのやり取りを思い出す。
あの時も教授は冷静で、取り乱すな、飲まれるな、と言ったっけ・・・結局、気絶して手を焼かせてしまったけど・・・。
思い出していると頭の芯が冷えていく感覚に陥って、私は呼吸を整えた。
旋風が起きた時も、洞窟で光の雨を見た時も怖かった。でも、それに目を瞑ったら、お姉ちゃんを呼び戻すなんて夢のまた夢だ。
速くなりかけた鼓動を宥めて、私は深呼吸する。
「・・・なら、この部屋、片付けないと」
「そうですね・・・万が一、あの旋風が起きたら・・・後々が面倒ですね」
呟いた私に、ジェイドさんが同じように呟いた。
「えー・・・僕、片付け苦手なんだよぅ。
・・・ルルちゃん、ちょっとこれ持ってて」
「はい」
私達の呟きなど意にも介してくれない教授は、装置から古代石を取り出して再びルルゼに預ける。
「それに、僕の推測だから・・・勘、と言ってもいいくらい」
「カン・・・?」
シュウさんの呟きに肩を竦めながら装置を床に置いた教授は、彼女を見た。
「ホタル、どんなふうに動いてるの?」
「ええと・・・こう、ゆらゆら、ぷるぷる、って・・・」
尋ねられた彼女が、目の前に石をかざして言葉を選んでいる。
視線がたまに揺れるのは、中に入っているらしいホタルが動いているからなんだろう。
「たまに、ぐにょーん、て・・・伸び縮みしてます」
聞いているだけだと、どうにもコミカルだ。
私は直前まで感じていた緊張感を手放すことにして、ほぅ、と息を吐いた。
「なんか、お腹の中の赤ちゃんみたいだね」
「見たこと、あるんですか・・・?!」
ジェイドさんが驚いて目を見開いている。
「あ、そっか」
そういえば、彼らは写真ですら見たことがなかったんだ。だから、当然エコーなんてものも存在しないんだろう。
「うん、と・・・あっちの世界に、そういう技術があるんだ。
妊婦さんが検診する時に見せてもらうんだけど、記録として残しておいたものを、
たまたま見る機会があったの。
・・・お腹の中で、くるくる動いたりするんだよ。大きくなると、欠伸したり、手足を
伸ばしたりして・・・。それに、似てるなぁ、って思ったんだ」
「へぇぇ・・・すごいねぇ・・・」
上手く説明出来たんだろう、教授が目をキラキラさせている。
ジェイドさんはといえば、ため息を漏らしていた。
「なるほどねぇ・・・」
まさに異世界の話。信じられない、とでも言いたそうだ。
私はそんな彼に苦笑して、もう一度彼女を振り返る。
そして気づいた。様子がおかしい。
どうしたの、と声をかけようとしたところで、彼女が小さく声を上げた。
「ホタルが、石から出てきそうです・・・!」
「置け、早く!」
刹那の間も空けずに団長が彼女の手から石を取り上げて、テーブルの上に放り出す。
見た目の割りに、カツン、という決して重くはない音が響いて、石が転がった。
すると回転が止まった瞬間に、ぼんやりと石が光り始める。
鼓動が跳ねたのを感じた私は、思わず息を飲み込んだ。
「・・・おいジェイド」
シュウさんが言った。
「はい」
ジェイドさんがそれに答えるのが聞こえた。
私はテーブルの上で光る石から目が離せなくなってしまっていた。
どうしたらいいんだっけ、と半分パニックで半分冷静さを保とうとしている頭を駆使して、私は考える。
考えるのに、何一つ纏まらずに言葉にすることが出来ないままだ。
「教授が補佐官だった頃、恐ろしいくらいに勘が働くことで有名だったよな」
「ええ。失念してました。すみません」
そのやり取りを聞いて、私はなんとか視線を石から剥がして教授に向ける。
・・・彼の目は、キラキラしていた。いっそのこと憎らしいくらいに、少年みたいだ。
そして、ぼんやりと光っていたものの輪郭が曖昧になっていって、ふわり、と光の玉が宙に浮き上がったのだった。




