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私にとって、この世界で友達だと確固たる何かをもって言える、初めての相手。

でも彼女は今、立てこもっている。






今日も、彼の大きな手が私の髪を結い上げてくれた。

赤い花の髪留めは、もはや私のトレードマークになっているらしい。擦れ違う人の視線が、やたらと私の頭上をいくのを不思議に思っていたら、ジェイドさんが隣でくすくす笑って。

お姉ちゃんの時は、シュウさんが後見をしている証みたいなものを持っているおかげで、苛めてやろうという人達も出てこなかったと言うから、この赤い花の髪留めとジェイドさんの庇護がイコールで結ばれていると認識されることはそれと同じだ、と教えてくれた。

ヘイナに行く前と同じように雑用をこなして、鉄子さんにカップケーキを渡しては微妙な表情をされ、図書館に行けば何故かキッシェさんが寄ってくる・・・。

そんな、とことんまでに日常らしい日常を取り戻した私の1日は、お屋敷に戻ったところで、それまでとは違う展開を迎えた。



「・・・で、」

一緒にお屋敷にやって来たシュウさんが、ため息混じりに言葉を漏らす。

「お前はそこで何してる」

その言葉の先には、紅の団長が檻の中の獣のように廊下をうろうろ、うろうろ・・・正直、昨日の夕食の席での憮然とした態度からは想像もつかないような姿だった。

私達は玄関から入って階段を上がろうとしたところで、ピンク色の髪をした獣がうろうろしているのを見つけてやって来たわけだ。

「入れてもらえない」

団長が短く答えた。その間にも足が止まることはなく、うろうろしている。

「・・・団長、ルルゼに何したんですか」

私は無意識に眼差しをきつくして、彼を見てしまった。

彼女が団長を部屋に入れないなんて、よっぽどのことが起きたとしか思えないのだ。

「何もしてない」

間髪入れずに言葉を返す彼に、私は呆れて息を吐く。

「そんなこと言ってるから、入れてもらえないんですよ・・・」

「・・・は?」

私の言葉が癇に障ったのか、彼が威圧感を全開にして私を睨んだ。

少し前の私だったら、こんな彼が怖くて仕方なかっただろうけど、残念ながら私は成長しているらしい。いや、少し神経が太くなったのかも知れないけど。

その証拠に平気そうにしている私の前に、ジェイドさんが彼の視線から私を隠すように佇むことはなかった。

・・・この人は、この会話を中でルルゼが聞いてるとも思わないんだろうか。

私はそっと息を吐いて、状況を見守っているジェイドさんとシュウさんに言う。

「私、ルルゼの話聞いてきます」

「ええ」

ジェイドさんの場にそぐわない穏やかな声に思わず微笑むと、シュウさんが団長に向かって口を開いた。

「お前、ちょっと頭冷やした方がいいんじゃないか。

 ・・・彼女が匂いを消したら、取り戻すのは大変だぞ」

匂い、と聞いて団長が一瞬視線を落とす。

・・・匂いを消すって、一体どういうことなんだろう。

そう思うも質問出来るような雰囲気でもないのは分かっているから、私はそっとジェイドさんを仰ぎ見る。

すると彼は、軽く肩を竦めただけだった。

「この後、教授の研究室に行くんでしたよね」

「ええ」

尋ねると、彼が頷く。

私は考えを巡らせて、もう一度口を開いた。

「じゃあ、ルルゼを連れてジェイドさんの部屋に行きます。

 それからでも、時間は大丈夫ですよね・・・?

 ・・・団長?」

この後の予定を確認すると、ジェイドさんが微笑んだ。

そして、匂いのことが話題になってから元気がなくなった彼は、自分の名前を呼ばれて、ほんの少しだけ顔を上げる。

「これ、1つ貸しってことで・・・いいですよね?」

人差し指を立ててみれば、彼の顔がくしゃっと顰められた。


「・・・ルルゼ、」

男性陣が立ち去った後、私は静かにドアの向こうへと声をかける。

静まり返った廊下では、私の鼓動の音も息遣いも、よく聞こえてくる。

「とりあえず、団長はジェイドさん達が連れて行ったよ」

そう囁いてじっと待っていると、やがてほどなくして、ドアがほんの少しだけ開いた。

「ル、ぅわっ・・・と・・・」

彼女の名前を呼びかけたところで、部屋から飛び出して来た彼女を抱き留める。

ふんわりした、花の香りが髪から漂ってきて、私は思わず頬を緩めてしまった。


こぽこぽ、とお茶を淹れる音が耳に心地良くて、これから聞かなければいけないことを忘れてしまいそうだ。

頭の隅でそんな自分を叱咤しながらも、私は彼女が向かいで丁寧にお湯を注いでいる様子を半ば見とれるようにして眺めていた。

「・・・はい、どうぞ」

「ありがと」

差し出されたカップを受け取って、私は口をつける。

ふんわり広がった香りは、やっぱりいつもの通りに優しく鼻の奥の方まで広がっていく。

純粋にお茶を楽しんでいるところで、彼女が言った。

「・・・ロウファさまが、信じてくれなかったのは昨日食堂で言ったでしょう?」

「うん」

なんだか、その口から出てくる言葉にスピードがある気がして、私は内心の驚きを隠しながら相槌を打つことにした。

・・・もしかしたら、誰かに聞いてもらうのを待っていたんだろうか。

「信じてくれないっていうよりも、私の話、ちゃんと聞いてないと思うの。

 それが分かったら、もう、我慢出来なくなっちゃって・・・」

「うん」

「・・・ロウファさま、怒ってた・・・?」

私の胸の辺りを見つめている彼女の瞳が、ゆらりと揺らいだ。

きっと嘘をついても誤魔化しても、彼女には分かってしまうだろう。

「微妙なとこ、かな。

 苛々してるような、困ってるような・・・。

 男の人って、たまによく分かんないよねぇ」

半分は私の感情だけど、正直に話したことは良かったんだろう、彼女が頬を緩めた。

「うん、分からないわ」

「あ、ちなみに、私がルルゼを部屋の外に連れ出したら貸しが1つ出来ることになってる」

思い出して囁いた私に、彼女が声を上げて笑う。

初めて会った時と同じ、鈴を転がしたような澄んだ笑い声だ。

それを聞いてほっとした私は、実は・・・と切り出した。

「その貸しで、ね。ルルゼに協力してもらいたいことがあるの。

 ・・・まあ、団長の許可を得るのもおかしな話だと思うんだけど。

 一応保護者というか・・・反対するとしたら団長しかいないからね。保険のつもりで」

「なあに?」

もったいぶった言い方になってしまったのは自分でも分かっているから、彼女の表情が訝しげに曇ったのを見ても微笑んでいられた。

・・・こういうとこ、もしかしたらジェイドさんみたいになってるかも知れない。

私は複雑な気持ちになりながらも、小首を傾げたまま続きを待つ彼女に向かって、口を開く。

「うん、あのね。

 ルルゼに見てもらいたいものがあるんだ」

「私が見るって・・・普通のものは見えないけど、いいの?」

「もちろん、ルルゼにしか出来ないことをお願いしてるの。実は、ね・・・」

不安そうに声を潜めた彼女に、私は言葉を選ぶ。

ジェイドさんにも教授にも、シュウさんにも了解を得ていないことをしようとしているけど、きっと許してくれるだろう。

「・・・私、この世界に従姉妹がいたの」

「そうなの・・・?!」

まず最初に、と思って伝えたことに対しての反応が大きいことに戸惑いを覚えながらも、私は続きを口にした。

「う、うん。

 ・・・その従姉妹が向こうの世界に戻ってまもなく、私がこっちにやって来たんだけど。

 結論から言うと、お姉ちゃんをこっちに呼び戻す方法を探してるところなの」

「・・・それは、叶いそうなの・・・?」

いつになく真剣な、張り詰めた緊張感をそのままに囁く彼女を見て私はひとつ頷く。

「教授と、ジェイドさんとシュウさんと一緒にね、仮説を立ててるところ。

 ・・・教授の話だと、あともう少しだって。

 でものんびりもしてられないんだ。お姉ちゃん、お腹に赤ちゃんがいるから」

「・・・そう、だったの・・・」

深刻にならないように、と気をつけて言葉を選んだつもりだったけど、彼女は話を聞いて考え込んでしまったようだ。

口をぴっちり閉じたまま、何かを考えているんだろう、テーブルの上を視線が彷徨っているのが分かる。

「それで、その仮説を確かなものにするために、ルルゼに見てもらいものが・・・」

「うん、わかった」

私が最後まで言わないうちに、彼女は頷いた。

その目に何か強いものを秘めているようにも思えて、気圧された私は言葉にならない曖昧なものを口から吐き出す。

「えと、あの・・・あ、ありがと・・・?」

「行こう、リアさん」

「う、うん」

硬い声でそう言った彼女が立ち上がって、私も慌ててそれに倣う。

・・・あ、お茶、もったいないな。

後ろ髪を引かれる思いで立ち上がった私をよそに、いつの間にこの部屋で、家具にぶつからずに過ごせるようになったのか、彼女は颯爽とドアに向かって歩き出した。

面食らってしまった私は、ただただその光景に目を疑うばかりだ。

すると、彼女がドアノブに手をかけて口を開いた。

私を振り返ることもなく、どこか独り言のように。

「私、ぶつからないで歩くのが特技なの」

必要ないはずの緊迫した空気を纏った彼女は、そう呟いた。

「うん」

思わず適当とも言えるような相槌を打った私を、気にするふうでもなく、続けて言葉を紡ぐ。

「あとね、気がついたんだけど・・・。

 私ずっと、誰かの役に立ちたかったみたい」

「うん、助かる」

その役が、今回は私や皆のことだと分かって、自然と頬が緩む。

「大事に守ってもらうだけじゃ、満足出来なくなっちゃったみたい。

 ・・・こんなの、ロウファさまに嫌われちゃうね」

消え入るような声。

この部屋から出ようとして立ち上がったのに、一向にドアノブが下がる気配はない。

・・・ここで私が背中を押したら、団長に逆恨みされて刺されちゃったりするんだろうか。

一瞬恐ろしい考えが脳裏をよぎるけど、そうなったらそうなったで、きっとジェイドさんが私を守ってくれると信じよう。

そう考えて、私はそっと言葉を紡いだ。

「さあ・・・。

 万が一団長がルルゼを嫌いになっても、私は、ルルゼのことが大好きだけどね」

「・・・うん」

こくりと頷いた彼女の柔らかい手が、ドアノブに力をかける。







「・・・なんで無視するんだよ」

仏頂面の団長が、ルルゼに向かって低い声を出す。

しかし彼女はそれに応じることも怯むこともなく、いっそ気持ちいいくらいに、つん、と顔を背けた。

・・・笑っちゃいけないと思いつつ笑えるのは、確実に団長よりも格上だと自覚のある男2人だけで、私は必死に肩が震えそうになるのを抑える。

彼女は今、私の腕に捕まって階段を下りているのだ。

私と反対側にはしつこく声をかけては無視され続けている団長がいて、彼女より先に階段を下りているのはジェイドさんとシュウさん。

万が一階段を踏み外しても、彼らが助けられうように配慮してくれているわけだ。

「団長、貸しがあること、忘れないで下さいね~」

おほほ、と含み笑い混じりに言えば、団長が私を睨む。

もう全然怖くないのを再確認していると、ジェイドさんが言う。

「つばき、あんまり苛めちゃ駄目ですよ。

 男はプライドが高いんですからね、そっとしておきなさい」

いつも思うけど、ジェイドさんは徹底的だ。どちらかと言うと、粘着質な上に。

私はそんな彼の言葉に返事をして、ルルゼを気遣いながら階段を下りた。


このお屋敷に地下があると知ったのは、教授がやって来てからだった。

研究が大好きな彼は、屋敷に滞在するとほとんどの時間ここに篭っているんだと、ジェイドさんから聞いてはいた。

「父さん、入りますよ」

ノックの返事にそう告げたジェイドさんが、まず最初にドアを開ける。

私も流れに逆らわず、ルルゼを伴って中に入った。

中は広くて、私がお世話になっていた客間の3倍くらいはあるだろうか・・・至る所に、書類や用途不明な物が無造作に置かれている。

まるで、王立学校の教授の部屋みたいだ。

そう遠くない過去の出来事のはずなのに、懐かしく思えてしまった私が思わず目を細めていると、隣で私に捕まっていた彼女の手に、力が入ったのが分かった。

「・・・ルルゼ、だいじょぶ?」

振り返れば、彼女は目をぎゅっと閉じて俯いている。

彼女がこうして目を閉じているところを見るのは初めてで、私は少なからず戸惑っていた。

無視され続けてお手上げになったのか、団長は声をかけずにただ、心配そうに落ち着きなく彼女の様子を見守っている。

私は問いかけに答えない彼女に痺れを切らせて、ジェイドさん達に視線を走らせた。

すると、彼女が空いている方の手で目元を覆う。

「あの、まぶし・・・」

かすかな呟きが聞こえて私が小首を傾げていると、教授の声がした。

「やっぱり、見えるんだねぇ」

のほほん、とした緊張感の欠片もない声に視線が集まる。

そこで私は、気がついた。

「・・・教授・・・」

思わず責めるような声が出てしまうのは、自分がやられたら嫌だなと直感したからだ。

「ごめんごめん、箱にしまうから」

そう言った彼は手近にあった箱に、テーブルの上にぎっしり並べてあった石を次々と放り込む。

・・・古代石や星の石を、ありったけ出してみたんだろうけど・・・。

石が箱に放り込まれていくと、少しずつルルゼの表情が元に戻っていく。

ほっと息を吐いてそれを見守っていると、再び教授が口を開いた。

「・・・やっぱり、君が見てるのはホタルなんだね」

今度はさっきと違う、緊張を孕んだ声で断言する。

それに頷いた私は、彼女が眩しさのあまりに目をおかしくしていないかと心配していた。


いくらなんでも、目の前に裸電球がいくつも並べられたような状況、ちょっとやりすぎなんじゃないかと思うよ教授・・・。

その眩しさを想像して思わず非難めいた視線を投げると、彼は眉を八の字にして小首を傾げてみせる。

・・・全然、可愛くない。








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