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「・・・つばき?」

キッチンで思う存分友情を深めていたところへ、ジェイドさんが顔を出した。

私は思わず駆け寄って、その空色の瞳を見上げる。

「おかえりなさい。

 ・・・今帰ってきたの?」

小首を傾げた私を、困ったような微笑みを浮かべて見下ろした彼は、つむじにキスを降らせた。

・・・だから、そういうことは人の目のないところでやってってば・・・。

「帰ってきた時に、この前を通ったんですよ?

 とっても楽しそうだったので、声をかけずに部屋に行ったんですよ」

言いたいことを飲み込んで見上げた私に、肩を竦めた彼が言った。少し拗ねて見えるのは、私が自惚れてるからなのかも知れない。

「そうなの?

 全然気づかなかった・・・」

呆気に取られて呟けば、彼は噴出して肩を揺らす。

そんな表情も仕草も久しぶりな気がして、私は思わず目を細めてしまう。

すると彼が「そうだ」と切り出した。

「父もエルも、どういうわけかロウファも一緒に帰って来たんでした」

「そうなの?!」

耳に入ってきた名前の羅列に驚いて、思わずルルゼを振り返る。

彼女も驚いて息を飲んだようだ。目が虚空を見たまま見開いて固まっていた。

「・・・ロウファさまが、来てるの・・・?」

「ええ」

熱い鉄板を取り出す時に、絶対に動いちゃダメ、と念押ししたのを忠実に守っているのか、彼女は微動だにしない。

それを見ていた私は今になって、彼女用に椅子を用意してあげればよかった、と内心申し訳ない気持ちになっていた。周りに気をつけながらじっと立っているのは、きっと疲れると思うのだ。

・・・分かってはいたけど、相手の立場になるというのは難しい。

そんなことを考えている間にも、彼女は口元に手を当てて何かを考えていたようで。

彼は、聞こえないように気を遣っているのだろうか、そっと息を吐いた。

その表情が、穏やかで優しいことに気づいた私は、何も言わずに彼の口が開くのを見る。

「いつでも会いに来ればいい、と伝えてありますから。

 真夜中になる場合は、窓からの訪問も許可してますし、気兼ねしなくていいですよ」

「・・・はいっ」

蕾が花開くように微笑んだ彼女は、他人の家の世話になっているということに負い目を感じていたらしく「気兼ねしなくていい」というジェイドさんの言葉にほっとしたようだった。

ほっとしたら顔を見たくなったのだろう、彼女の指先がそわそわと落ち着かなくなったのを見た私は、一緒に作ったカップケーキをいくつか籠に入れて彼女の手に握らせた。

「それは?」

彼の言葉に、私は思わず笑みを浮かべて答える。

「カップケーキ・・・ルルゼと栗鼠さんとね、3人で作ったんだ。

 ・・・ジェイドさんの分もあるんだけど・・・食べる・・・?」

「もちろん」

柔らかく細められた瞳が嬉しくて、くすぐったくて、私は頬を掻く。

「いつもの時間に、一緒に食べましょうか」

そのひと言は、私に日常を感じさせる。

ホルンでジェイドさんから話を聞いて、1つしかない選択肢にほっとした私は、こっちの世界で暮らし始めて、ひと月と少し・・・気がつけば、過ぎていく毎日を日常と感じるようになっていた。

そう感じる心の底の方に沈殿している罪悪感が、時折チクリとその存在を主張する。

日本に移住したばかりの頃は、パパに会いたくて時々泣いていたけど・・・そういう、自分から何かが欠けたような寂しさは、いつの間にか感じなくなっていた。

・・・今はただ、親不孝な娘でごめんね、と申し訳なく思う。




夕食の席は、とっても賑やかだった。

教授、シュウさん、ルルゼ、紅の団長、ジェイドさん、私・・・こんなに大人数で食事をしたことなんて、今まであっただろうか。


「リアちゃん、もう大丈夫なの?」

食後のお茶を啜っていた私に、教授が問いかける。

「・・・大丈夫って?」

一体何のことを言っているんだろうか、と訊き返した私に、彼は肩から力を抜きながら大げさにため息を吐いた。

「・・・ちょっと君ね、僕の目の前で気を失っておいて何言ってるの」

心配したんだからね、と頬を膨らませてぼやいた彼に、私は、ああ、と思い出す。

「そうでした、ごめんなさい。

 もう大丈夫ですよ。頭もすっきりしてるし、体も痛くも何ともないし・・・。

 お手数おかけしました」

小首を傾げれば、隣のジェイドさんが相槌を打って言う。

「今日も1日、不調を感じることはなかったみたいですね」

「うん」

頷いた私を見ていた教授が、ほっとしたのか吊り上げていた目を穏やかにして口を開いた。

その向こうでシュウさんが、食後のお茶代わりなのか、ワインをグラスになみなみと注いでいるのが目に入ってくる。

その姿を見て見ぬ振りをして、私は教授に視線を移す。

「リアちゃんが眠ってる間に、ジェイドとエル君には起きたことを話しておいたよ」

「えっ」

思わず声を上げてしまった私に、彼は静かに首を振った。

「ごめん、のけ者にしたかった訳じゃなくてね。

 記憶はどんどん薄れていくから、大事なことは早く確実に伝えないと、と思って」

「・・・はい・・・」

いつになく真剣な目をして言われてしまうと、仲間外れにされたような気分がどこかに飛んでいって、代わりに私が子どもみたいに我侭を言っているような気分になる。

若干沈んだ声で頷いた私は、はっとしてジェイドさんを振り返った。膝の上に置いていた手に、彼の大きな手が重なったのだ。

目が合って、空色の瞳が困ったように微笑む。

それを見ていたら、一瞬で波立ちそうになった心が凪いでいった。

「そういえば・・・」

ふいに教授が言葉を発したのを聞いて、私もジェイドさんも彼へと視線を移す。

彼の視線を辿った先には、大人しくカップを傾けているルルゼの姿があった。

「お客さんが滞在中だとは聞いてたけど・・・初めましてだね。

 僕、ジェイドの父で、ディアードと言います。

 皆からは教授って呼ばれることが多いけど・・・好きなように呼んでね」

「・・・そういえば父さんは、研究室と王宮の往復しかしてないですもんねぇ・・・」

横からジェイドさんの声も飛んでくる。

ルルゼは話しかけられたのが自分なのだと気がついたのか、はっとした様子で居住まいを正した。

「初めまして。ルルゼです。お世話になっています。

 ・・・目が見えないので、ご迷惑をおかけするかと思いますが・・・」

「ルル、そんな言い方するなよ」

自己紹介の終わりに申し訳なさそうな表情をした彼女に、横から団長が言う。

それに戸惑いながらも頷いている彼女を見た教授は、ふふ、と忍び笑いを漏らした。

その瞬間団長の顔が、くしゃり、と顰められる。

「・・・かわいいねぇ、2人共。

 事情は聞いてるからね、環境が整うまでのんびり過ごして下さいな。

 ロウファは、なるべく玄関から入ってくるようにね」

「・・・へーい」

お小言に首を竦めるあたり、今日は窓から入ってきたんだろう。このお屋敷の防犯は大丈夫なんだろうか・・・それとも、彼だからあっさり窓から侵入出来たんだろうか。

とりとめのないことを考えていると、私はなんだか2人の間に漂う空気に違和感を感じて、内心で小首を傾げる。

キッチンであんなに嬉しそうにしていたルルゼが、団長の方を全く見ないのだ。

目が見えないとは言え、その胸のあたりの光を頼りに人の気配を感じ取ることが出来るはずだし・・・何より、彼女の表情が翳っているような気がして仕方ない。

私は思わず、彼女に声をかけていた。

「・・・ルルゼ・・・?」

返事をする代わりに、そっと窺うように囁いた私の胸の辺りを見つめた彼女は、ゆっくりと首を振った。

彼女の隣に腰掛けている団長の顔が、みるみるうちに険しくなる。

「あの、」

これは何かあったに違いない、と確信した私は、咄嗟に団長に向かって尋ねた。

「さっき、ルルゼとカップケーキ作ったの、知ってますよね?

 ・・・あの、怒らないで下さいね、あれは私が無理に誘っただけで、」

「別に怒ってない」

言葉の途中、強い口調で遮られた私は呆気に取られて言葉を失う。

・・・こんな団長、初めて見た。

いつも飄々と、底抜けに明るく、そして人をおちょくった態度ばかり取っているんだと思っていたから、とにかく驚いて。

「・・・え、と、じゃあ、」

「信じてもらえなかったの・・・」

てっきり目の見えない彼女を伴って、刃物や火気など危険がいっぱいのキッチンでカップケーキを作ったことに腹を立てているんだと思った私は、彼女がねじ込んできた言葉に驚いて、再び絶句した。

大人の男3人は、そんな私達のやり取りを静かに見ている。

「・・・ルル」

「リアさんは信じてくれたのに」

咎めるように名を呼んだ団長に、間髪入れない彼女の台詞を聞いて、私は思い至った。

・・・ホタルのような光の玉が見える、という告白のことだろう。今までずっと黙ってきたし、団長の多忙さが落ち着いたら話そうかと思う、という感じのことを言ってなかったか・・・。

・・・何か、あったんだろうか。

そう思ってしまったら口を挟みたい衝動に駆られてしまうけど、これは2人の問題のような気もするし・・・と躊躇してしまう。

険悪な雰囲気を纏った2人を前に内心慌てていると、繋がれた手に力が込められるのを感じて振り返った。

ジェイドさんが、肩を竦めて困ったような微笑みを浮かべている。その微笑みが一体何を意味しているのかなんて、私には到底分からないけど。

すると、別の方向から言葉が飛んできた。

「リアが信じた?

 ・・・何の話だ」

声のした方に視線を走らせると、そこには酒瓶を片手にしたシュウさんが・・・。

・・・グラスに注ぐのが面倒になったか・・・。

彼の言葉にルルゼは後押しされたのか、テーブルの中央を見据えて口を開く。

ほぼ同時に、団長も。

「あの、」

「ダメだ」

団長の声の方が大きいからか、彼女の言葉がそれにかき消された。

眉間にしわを寄せたシュウさんが、ごとり、と重そうな音を響かせてボトルをテーブルに置いて、ため息を吐く。

そんな一連の出来事を見守っていた私は、どうするべきかを考えていた。

本当は、気がついたことがあるから、今すぐ話してしまいたいんだけど・・・。

「・・・そろそろお開きにしましょうか」

静かに様子を見ていたらしいジェイドさんの言葉に、団長が無言で立ち上がる。そのまま私達の誰かが声をかける前にルルゼを横抱きにして、颯爽と食堂から出て行ってしまう。

彼女が抗議している声が段々と遠のいていくのを聞いていた私は、そこでやっと、考えが纏まらないまま事態が収束していったことに気づいて、ため息を吐いた。


団長の動きが素早すぎて唖然としていると、沈黙が満ちてきた。団長とルルゼの椅子が引かれたままになっているのを見たら、嵐が通り過ぎたみたいだ、なんてしょうもない感想を抱いてしまって。

ところが唖然としていたのは私だけだったらしい。いろんな方向からため息が漏れたのを聞いて、ぎょっとしてしまった。

「・・・え。

 何ですか、一体・・・」

お馴染みの3人が一様に息を吐いているのを見て、私は思わずそう口走る。

ジェイドさんが、肩を竦めて私を見た。

「たまーにね、ああなるんですよ。ロウファ」

「・・・そう、なんですか・・・?」

その言葉にジェイドさんだけでなく、他の2人にも視線を遣りながら問うと、頷きやため息が返ってくる。

「それが彼女絡みだったとは思いもしなかったが」

シュウさんの呟きに、ジェイドさんが頷いた。

「仕事の時のカオが、ああじゃないですか。

 ところが、ある日突然憮然とした態度で王宮にやってくることが、年に何度かあって。

 ・・・まあ、そんなことが何年か続くと、周囲も“ああまたか”と思うわけです」

「あの子も普通の子だったんだねぇ・・・」

最後には教授までそんなことを言い出す始末だ。

「・・・大丈夫かなぁ、ルルゼ・・・」

きっとカップケーキを持って行って、すぐに話をしたんだろう。そこで一気に険悪な雰囲気になったに違いない。

彼女が口を開くのに蓋をするかのような団長を見た私は、心配になってしまう。

「平気だろ。

 何年も隠していたくらいだから、大切に囲っていたんじゃないか」

事も無げに言うシュウさんに、教授が頷く。

「・・・だね。

 うちの子でも出来たんだから、あの子なら大丈夫でしょ」

「どういう意味ですかそれ」

シュウさんと教授のやり取りを聞いて、恥ずかしくなって額を押さえて俯いた私とは対照的に、ジェイドさんが低い声で教授を威嚇する。

そんな、緩んだ空気をシュウさんの重々しい声が一蹴した。

「それで、」

その緑色の瞳が貫こうとしているのは、私。

それに気がついてしまったら、背筋が伸びてしまった。

「はい」

緊張を孕んだ返事に、ジェイドさんがもう一度握った手に力を込めたのを感じる。

私はそれに感謝しながらも、シュウさんの口から紡がれる言葉を待っていた。

「彼女が言った、リアが信じた、というのは一体何だ」

そのひと言に、半ば反射的に息を飲んでしまった私は、ジェイドさんや教授からも、シュウさんと同じような視線を受けていることに気がついた。

思っていた通り、皆が聞きたいのは、私が話していいものかどうか迷っていたことだったらしい。


「ジェイドさんには、今夜にでも話そうと思ってたんですけど・・・」

そう前置いて、私はルルゼの秘密を打ち明けた。

本当は本人の承諾をもらっていないから、話すべきじゃないとは思うけど・・・でも、私達にとって、彼女の見ている世界はとても重要だと思うのだ。

「・・・本当に、見えるんでしょうか」

ジェイドさんがにわかには信じられない、というふうに呟く。

それはそうだ。彼は、魔力が存在するのかも知れない、という仮定ですら、正気の沙汰ではないと言い張ったのだから。

「私は、ほんとに見えてると思う。

 それよりも話を聞いて、ちょっと気がついたことがあって・・・」

「気づいたこと?」

教授が身を乗り出して私に尋ねたのに頷いて、私はもう一度口を開いた。

「はい、あの、覚えてますか?

 洞窟で、青っぽい光の玉と、黄色い光の玉がぶつかって・・・緑の光に変わって・・・。

 緑の光が、地面に雨みたいになって降って・・・」

「うん、覚えてる」

彼は早口でそう答えて、私を見据える。

瞳に込められた力が強すぎて、言葉が喉元で引っかかりそうになるけど、手元にあった水を流し込んでから、もう一度口を開いた。

「・・・ルルゼ、見たんですって。

 地震が起こる前に、緑色の光の線がしゅしゅしゅーって、走っていくの。

 ・・・彼女、ホタルが見えてるんじゃないかと思うんです」

「ホタルが、って・・・。

 でも今の話では、彼女が見えるのは人の内にある光の玉なのでは?」

ジェイドさんが訝しげに眉をひそめて言ったのに頷いて、私は言葉を探す。

落ち着いて、と心の中で繰り返しながら。

「そうです。

 彼女が言うには、この世界の人達の中にあるのは、黄色い光なんですって。

 でも私の中にあるのは、青い光なんだって言ってました」

「それは、おかしいだろ」

「渡り人は、青いみたいです。

 何度か見たことがあって、団長から私が渡り人だって聞いて納得したって、言ってました」

シュウさんの疑問に答えると、彼は何かを考えるようにして黙り込んだ。

視線がテーブルの向こうに投げられているのを見て、会話を続けるつもりがないことを悟った私は、教授に向き直る。

すると何かが腑に落ちたのか、教授が伏せていた視線を上げた。

「・・・なるほど」

短く紡いだ言葉が、重く響く。

「リアちゃんは、ホタルと僕らの中にあるっていう光の玉が、同じものだと思ってるんだね」

「はい」

私はそのひと言に、刹那の間も置かずに頷いていた。

横でジェイドさんが首を振っているけど、それは無視だ。とにかく今は、教授がどう考えてその答えを導き出したのかを知りたい。

「・・・彼女は、人の中にある光が見えるって言ってたんだよね。

 でも、実際には緑色の光の線を見てるし、それは人の中にある色ではないらしい。

 一方僕らが見た緑色の光は、君の指輪と壁画から発生したホタルが関わっている。

 彼女は人の中にある光を見てると思ってるだけで、本当はそれもホタルなのかも知れない。

 ・・・そういうことでしょ?」

「そうです」

教授の話に頷いて、私はジェイドさんを見る。

シュウさんは、と視線を移せば、まだ何か考えているようだ。

「・・・それがもし本当だとして・・・私達のやろうとしてることに役立ちます?」

慎重派のジェイドさんが疑問を口にするけど、それを聞いた教授は、何でもないことだと言うように、あっさり頷いた。

「もちろん。

 ホタルが古代石や壁画の中から出てくるまでは、僕らはその存在に気づかなかった。

 それはホタルが、何かの中に存在してるからだよね。古代石とか、壁画とか。

 何かの中から発生して初めて、僕らの目でもそれを捉えることが出来た・・・。

 でも彼女は、人の中にある光が見える。

 ということは、もし彼女が見ているものがホタルなら、どこにホタルが隠れているか、

 発生する前に見つけることが出来るってことだ。

 ・・・僕らは、嵐を起こさなくちゃいけない。

 そのためには、確実にホタルが2つ必要だ。これは結構途方もない。

 ヘイナの辺りに住んでいたって、一生に一度拝む機会が巡ってくるかどうかだもの。

 ・・・それがもし、彼女の手を借りることが出来れば・・・ぐっと楽になるよね」

言い終わった教授が、残っていたお茶を飲み干す。一気に喋ったから喉が渇いたんだろう。

私は言葉の羅列に混乱するかと思いきや、ほとんど同じことを考えていたからなのか、言葉酔いせずに済んだらしい。

ジェイドさんは、なるほど、とひと言呟いてため息を吐いた。








暖炉の炎が、ぱちぱちと爆ぜている。

その前に敷かれたラグの上を転がって、私はすっかり寛いでいた。少し遠く、手の届かない場所にいつもジェイドさんが作ってくれる炭酸の飲み物を置いて。

そして、緊張感に満ちた夕食と、その後の会話から解放された私は、うっすらと眠気すら感じ始めていた。

「・・・つばき?」

ふいにかけられた声に、ぱちん、と眠気が霧散した。

「あ、おかえりなさい」

体を起こすのも億劫になっていた私は、ごろんと転がったまま彼を見上げる。

この時間定番の、バスローブ姿の彼がそこに立っていた。眉間にしわを寄せて。

「・・・え、なあに?」

何か怒られるようなことをしたかと思って尋ねると、彼は大きなため息を吐く。

「話が長引きすぎて、カップケーキを食べ損ねました」

「なんだ、そんなこと・・・」

「だから、」

もっと大事なことかと思えば、明日でも食べられるカップケーキのことだったと聞かされて、私は持ち上げた頭を支えている首から力を抜いた。

くたり、と横たわったまま何かを言いかけた彼を見上げる。

すると彼が、するりと私の目の前に、肘をついて腹這いになった。

そして私が何だろう、と見ているところで口を開く。

「・・・これ、」

言いながら、その大きな手で私の頬をひと撫で。

細められる空色の瞳に見入った私に、彼が喉をくっと鳴らす。

「いただいてもいいですか・・・?」


その台詞に、私が思い切り彼の顔を押し返したのは言うまでもない。









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