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「そういえば、」

ジェイドさんが口を開いて、私は口に入れたクッキーを咀嚼しながら小首を傾げた。

2人の手元では、ホットチョコレートが湯気と一緒に、ほわほわと甘い匂いを立ち昇らせている。

シャワーを浴びて着替えた私は、ジェイドさんの用意してくれたものをお腹に収めていたところだ。

「うちに、お客さんが滞在してるんですよ」

「・・・お泊りってこと?」

「ええ。お迎えが来るまでの間・・・本格的な春がやってくる頃まで、かな」

まだ気を緩めると頭がもやもやする私のこめかみに、ジェイドさんのキスが降ってくる。

触れ合うことの多い国で生まれ育った私は、パパからこういうことをされるのは、日常茶飯事だった。

・・・いや、ジェイドさんはパパではないけど、これくらいなら軽く流せるくらいの度胸はついたみたいだ。

その証拠に、驚きも赤面もせず、私は彼の顔を見つめていられる。

「・・・お客さん・・・」

「ええ」

私の呟きに、彼が頷く。

考えてみるけど、ふわふわした考えを纏める前に彼の手が私の髪に伸びてきた。

「つばきが眠ってる間にいろいろありましたからね。

 ・・・それは明日にして、今はとりあえずもう一度ベッドに入りましょうか」

彼の苦笑を膜がかかったような耳で聞いて、私は小首を傾げる。

「・・・ん・・・?」

「まだ真夜中ですからね。

 もうひと眠りして、朝が来たら話をしましょうね」

何が可笑しいのか、くすくす笑う彼を眺めながら、私はこくりと頷いた。



結局覚えているのは、そのあたりのやり取りまでで、私は朝の光がたっぷり入る部屋の中で、やっと回路の繋がった頭をフル稼働させていた。

・・・洞窟での出来事は私が何日か眠りこけたせいで、ちょっとした過去になったらしい。まだ、手を突き抜けていった光の雨を鮮明に思い出せるのに・・・。

「あ、あれ・・・?」

背後に体温を感じながら、私は思わず声を漏らした。

すると、私の髪を結ってくれていたジェイドさんが手を止める。

「どうしました?」

「・・・私の指輪・・・」

「ああ、」

再び手を動かしながら、彼が事も無げに言葉を紡ぐ。

「あれなら、父が持ってます。ちょっと調べたいことがあるみたいですよ」

「返してもらえるかな」

「どうでしょうねぇ・・・とりあえず、髪留めは返してもらえましたけど」

そう言って、彼の大きな手が目の前に「ほら」と差し出された。

あまりに近くて焦点を合わせるのが大変だったけど、すぐにあの赤い花の髪留めだと分かる。

「髪留めも、調べてたの?」

「ええ。

 この黄色い石が、古代石なんじゃないかってね。

 これからホタルが発生したでしょう?

 ・・・まあ、詳しいことは本人から聞いた方が早いかも知れません」

言いながらも彼は手を止めることなく、私の髪を結い上げた。ぱちん、と音がする。

私は振り返って、その空色の瞳を見上げた。

「ジェイドさん達はもう話をしたの?

 ・・・洞窟でのこととか、壁画のこととか・・・。

 もしかして私が寝てる間に、シュウさんも入れて3人で作戦会議とかしちゃったの?」

ほんの数日意識がなかっただけなのに、自分が仲間はずれにされたような寂しい気持ちになってしまった私は、半ば責めるように彼に言葉を向けてしまう。

彼はそんな私を見ると目を細めて、そっと息を吐く。その顔に浮かぶのは、困ったような甘い微笑みだった。







「・・・リアさん?」

そこにいたのは、ヘイナの孤児院にいるはずの少女だった。

「ルルゼ?!」

思わず声を上げて駆け寄ると、彼女はふんわり微笑んで立ち上がる。

「何で、どうして?」

思わぬ再会に、抱きつきたい気持ちが沸き起こるけど、彼女の目が見えないのを思い出した私は、広げかけた両手を、ぐっと握り締めて堪える。

すると、その様子を少し遅れて部屋に入って来たジェイドさんがくすくす笑って見ていた。

「つばき、彼女がお客さんですよ」

「え、そうなの?」

にこにこしている彼と彼女を交互に見て、私は尋ねる。

「はい。少しの間、お世話になることになって。あ、の・・・実は・・・」

相変わらず視線が合うことはないけど、彼女がこの再会を喜んでくれているのは伝わるから、私は頷きながらその言葉を聞いていた。

彼女が口ごもるまでは。

どこを見ているのかは分からないけど、そんな彼女の言葉を、彼が引き継ぐ。

「あの時・・・たぶん、つばきが洞窟で気を失った直後、地震が起きたんです。

 それほど大きな揺れではなかったけれど、彼女のいた孤児院の一部が破損しまして」

「・・・また地震・・・?」

王都での揺れを思い出して、言葉が喉につっかかる。

彼女は平気そうに微笑んでいるけど、なんせ目が見えない中での揺れだ。怖いに決まってる、と心の中で結論付けて、私は彼女の手を取った。

「大変だったんだね」

「あ、ううん。大丈夫、ロウファさまがすぐ来てくれたから」

そう言って柔らかく微笑む姿を見て安心した私は、そっと頬を緩める。理由はどうあれ、再会出来たことは素直に嬉しい。

「破損自体は大したこともなく、子どもたちも普通に生活してるんですが・・・」

そこまで言って、彼が沈黙した。

その目が、左右に小さく揺れる。

「私が今まで通りに生活するには、ちょっと無理があるの。環境も、人手も。

 だから、ロウファさまが交渉してくれて、ここで春までお世話になることに」

「・・・そういうことです。

 部屋も余ってますし、何かあっても使用人の目が届きますしね。

 ・・・あと、ロウファに1つ貸しが出来ますし」

最後の部分が引っかかるけど、とりあえずルルゼが春までいることは理解出来た私は、彼に向かって頷いた。

「・・・ルルゼに会う時は、玄関から入るように、言っといた方がいいと思う」


私の言葉に小首を傾げたジェイドさんは、ほどなくして1人で仕事へ出かけて行った。

今日はまだ、眠りから覚めたばかりの私は王宮へ行くのを止められているからだ。

・・・といっても最近、実は私が雑用をする必要なんか、これっぽっちもないような気がして仕方ないんだけど・・・。

ともかく、洞窟でのことは夕食の後に話をすることになったのだ。もちろん、シュウさんも教授も一緒に。

ふんわりと果物の香りが漂って、私は大きく息を吸い込む。

「・・・癒されるなぁ」

ぽつりと呟けば、彼女がころころと鈴を転がしたような声を上げた。

どうぞ、と淹れたてのお茶を差し出されて、私はありがたく適温のそれを口に含む。

いつかも口にした味が広がって、自然と頬が緩んだ。

すると、ふいに彼女が口を開く気配がして、私はカップを口から離して耳を傾ける。

「リアさん」

その声がいくらか硬い気がして、私は内心で小首を傾げた。

沈黙を相槌だと受け取ったのか、彼女は続ける。

「・・・あの、私、」

「どうしたの・・・?」

どこか決意に満ちた彼女の様子に、私は思わずそう声をかけていた。

やすらぎの香りと、彼女の纏う空気がちぐはぐな気がして、私はどこか落ち着かない気分になる。

彼女が、すぅっ、と息を吸い込む。そして、言葉を紡いだ。

「・・・変なこと言ってると、思わないでね・・・。

 ・・・見えるの、ほんとは」

真っ直ぐに私を見つめる瞳は、とても強い光を放っている。

私はそれに気圧されて、言われたことの衝撃を受け止めるのに精一杯だった。何も言葉を紡げなくなった口から、速くなった鼓動が飛び出そうだ。

そんな私をどう受け取ったのか、彼女はゆるゆると首を振る。

「・・・でも、たぶん、私が見てるのは皆とは違うものだから・・・」

「ごめ、ルルゼ、ちょっと言ってる意味、分からない」

見えるのに、違うというのは、一体どういう意味なのか。

この頭は、やっと今朝回路が繋がったばかりで、難しいことを理解するにはまだ時間が必要だ。

私は言葉を途切れ途切れに伝えて、何かを覚悟したかのような彼女を見つめた。

「・・・あの日、見たの」

「あの日?」

彼女の言葉を反芻した私に、こくりと頷いて、彼女はその先を話し始める。

「地震が起きた日。

 ・・・私、よく窓際に立つの。

 明るいとか、暗いとか、色が白っぽいとか・・・そういうことは分かるから、お日様の

 光を感じて風に当たるのが好きで・・・。

 だから、あの時もそうして窓際で・・・。

 そうしたら、急に、緑色の光の線がいくつも、下の方を走っていって・・・」

「緑色の、光・・・」

うわ言のように漏らした呟きに、彼女がゆっくりと頷く。

「そう、それを見たすぐ後に、地面が揺れて・・・」

にわかに信じられない告白に、私は何をどう言えばいいのか分からなくなっていた。

ぶつけられる内容を受け止めるのに精一杯で、彼女の反応など、全く気にかけてもいられなかったのだ。

すると、絶句したまま固まる私を察知したのだろう、彼女が小さな声で言った。

「・・・でも、今回だけじゃないの。

 ずっと、もう目が見えなくなってからずっとそうなの。

 いろんな色の、光るものが見えるの。嘘じゃないの、」

「分かった、分かったからちょっと待って」

切羽詰ったようにとめどなく流れ出る言葉を遮って、私は彼女を止める。

人の話は最後まで聞かなくちゃいけないとは分かっているけど、それ以上情報を入れられたら、理解するための回路がショートしてしまう。

彼女は一瞬体をびくつかせたけど、私が落ち着こうとお茶を流し込むのを待ってくれているようだった。

ぶつけた台詞はそのまま、自分自身に言い聞かせたようなものだ。

不可思議なことがこの世の存在することなんか、自分が違う世界に渡ってきただけで十分思い知っている。

けど、だからといって、彼女の言葉をそのまま信じることは出来ても、混乱しないでいられるかどうかは、私にとってはまた別の話だ。

「・・・ふぅ・・・」

喉を潤して、深呼吸をすると脳に酸素が回り始めるのが分かる。

これなら話を再開しても大丈夫そうだ、と私は彼女に目を向けた。

「ごめんね、途中で止めて。

 ・・・ルルゼの話、信じるから・・・もうちょっと、ゆっくり話そう、ね?」

お茶を飲んで滑らかになった舌で、私は言葉を紡ぐ。

「それで、光が見えるって・・・どういう?」

彼女はそっと頷いて、その口を開いた。

けど、その内容はとても衝撃的だった。


「生きている人の中に、黄色い光が1つずつ入ってるのが見えるの。

 ・・・リアさんは、青いみたいだけど・・・渡り人だからかな・・・?」






「・・・ルルゼ、お茶のおかわりお願いします・・・」

かろうじて絞り出せた言葉は、それだけだった。

・・・もっと落ち着かないと、受け止めるにはとてもじゃないけど衝撃的過ぎる。


どうか話が終わって、気絶しませんように。









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