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「いいですね、本当にお願いしますよ」

「分かってるって。

 ね、大丈夫だよね?」

親子の言い合いに挟まれて、私はとっても困惑していた。

教授は私に笑顔を向けて同意を求めるけど、ジェイドさんは私の腕をがしっと掴んだまま、教授のことを睨んでいて・・・。

「ね、リアちゃん?」

そんなふうに可愛く小首を傾げられても、ジェイドさんが横から腕を引っ張るから、なんとなく頷くのが気まずくて敵わない。

・・・これ、もう結構な時間繰り返してるけどさ・・・。

私は天体盤の太陽がまた高く昇った気がして、腕を掴んで離さないジェイドさんを見上げた。

「・・・あのね、ジェイドさん」

「何です?」

返事をしながらも、彼は私の後頭部に手を回す。

きっと、赤い花の髪留めをチェックしてるんだろう。

今日も今日とて、私の髪を結い上げたのは彼だ。

「ジェイドさん、仕事で来てるんだよね?

 夕方の列車で帰りたいんだよね?

 間に合わなくなっても知らないよ?」

若干目を吊り上げて言ってみるものの、彼はそんな私を見て目じりを下げた。

「・・・どうしてつばきは、怒っていても可愛らしいんでしょう」

そう言って、むぎゅ、と力任せに抱きしめられた私は、彼の腕の中で思い切り息を吸って、それを全部言葉に込める。

「もぉ、早く仕事に行って!」







「リアちゃん、強くなったねぇ」

そう言って、隣でくすくす笑うのは教授だ。

「・・・そうですか?」

私は窓の外に投げていた視線を、声のした方へと投げかける。

ジェイドさんの目の色を、濃くしたような紺色の瞳。

その瞳は、興味が湧くと子どものようにキラキラと輝くのを私は知っている。

そして、そういえば紅の団長からは肝が据わった、と言われたな・・・なんて、思い出した。

「うん。

 ジェイドのこと、上手くあしらうようになったよね」

「・・・あしらうだなんて・・・」

教授の言葉に、どんなことを返せばいいのか分からない私は、視線を彷徨わせる。

車は舗装された道を外れてから少し経って、だんだんと揺れが大きくなってきていた。

「あ、でも・・・」

考えながら手を擦り合わせると、小指に嵌めた指輪に爪が当たるのが分かる。

ホルンの街で、ジェイドさんから話を聞いた後に、露天で買ってもらった指輪だ。

小さな星の石がいくつか連なっていて、その小さな中で光を屈折させて輝いている。

お姉ちゃんが嵌めていた婚約指輪の輝きとは比べ物にならないけど、それでも私にとっては大事なプレゼントだ。

「やっと、普通にしていられるようになったのかな・・・と思います」

「そっか・・・今までは、違ったの?」

教授の穏やかな声が耳を打つ。

この人の声は、いつ聞いても大らかな、包容力の塊みたいな安心感をくれるのだ。

私は、気づけば彼に向けて自分のことを話し始めてしまっていた。

「うーん・・・自分では普通にしてるつもり、だったんですけど。

 きっとどこかで、ジェイドさんにしがみついてたんだと思うんです・・・。

 急にこの世界に放り出されて、一人ぼっちで、でもお姉ちゃんのこともあって、

 不安とか心配とか、怖いとおもう気持ちとか、いろんなものがごっちゃになって・・・」

自分でも、何を並べているのかよく分からないけど、教授は気持ちのままに言葉を紡いでいく私を、静かに見ている。

彼は頭の良い人だから、私が上手に説明出来なくても、全部を語らなくても理解してくれるんじゃないか、なんて、他力本願なことを頭の隅で考えてしまう。

「ジェイドさんに見捨てられたら、どうしたらいいか分からないじゃないですか。

 ・・・少なくとも、ホルンの街に行った時の私は、そう思ってたんです・・・。

 だから、ジェイドさんが言うことだけを信じて、他には目を向けないようにして・・・」

この世界にやって来てから、ホルンでジェイドさんの口からいろいろな話を聞くまでは、私は彼のことを盲目的に信じていた。

今だって、彼は私にとって、無条件に信頼出来るたった1人の人。

でも最初は、他に何を見たらいいのか分からなくなってしまうくらい、弱った私には彼の優しさが沁みてしまって、簡単に言ってしまえば、彼に依存してしまってたんだという自覚がある。

大きな手にドキドキして、彼の体温を近くに感じるたびに舞い上がって、今思えば、側にいたいと思うきっかけだって、もとは吊り橋効果だったのかも知れない。

・・・そして、あの街で、彼と初めてちゃんと話をして、こんな私じゃ彼の重荷を増やすだけだと、気づいてしまった。

「でも、それじゃダメだと思ったんです。

 受け身のままでいたら、いつまでも対等になれない。

 別に、今、立場が下だって思ってるわけじゃないし、不満があるわけじゃないけど・・・」

なんとなく手を伸ばして、赤い花の髪留めに触れる。

ホタルを生み出した黄色い石が、つるん、と私の指を滑らせた。

今朝も髪を結ってくれたのは彼だ。丁寧に髪を梳いて、頭を引っ張らないように優しく編みこみを施してくれた。

・・・ほんと、器用すぎて損してるってこと、本人は分かってないんだろうな。

思わず苦笑してしまうのを抑えられなくて、頬が緩んでしまった。

「・・・そっか」

教授の声に、はっと我に返った私は、彼の顔を仰ぎ見る。

その微笑みは、一体何を思っているんだろうか。

そう思って彼の顔を見ていると、紺色の瞳が柔らかく細められた。

「リアちゃんも頑張ってるんだねぇ」

「・・・ど、どうも・・・」

ジェイドさんによく似た表情で、何かを滲ませるように言われて、私もどう言葉を返したらいいものかと鼓動が跳ねてしまう。

なんだか、ジェイドさんに言われたような気分にさせられる。さすが親子、よく似てる。

「それで急に垢抜けたんだね。

 ・・・そりゃジェイドも焦るわけだ。

 我が息子ながら、ほんとに可愛いなぁ・・・」

ぷくく、と教授が忍び笑い混じりに言ったのを、私の耳はうっすらと捉えた。

「焦るって、何をですか?」

可愛いと言ったことには目を瞑ろう。ジェイドさんも不本意だろうから。

この耳は、都合の悪いことは聞かなかったことに出来るのだ。

「ん?」

聞こえていたとは思わなかったんだろう、彼が少し大きめの声を出す。

「ああいや、独り言。気にしないで」

そう言って微笑んだ顔は、ジェイドさんが誤魔化す時の表情によく似ていた。


それから教授と世間話をしている間に、車は目的地へ辿り着いた。

彼の話はどれも面白くて、中でもジェイドさんの子ども時代の暴露話は、2人だけの秘密ということで落ち着いた。


私達がやって来たのは、あの本に載っていた壁画のある場所。

教授は朝早くに王都を出てきたと言って、ジェイドさんと私が朝食を摂りながら、夕方の列車で王都に戻ろうと話していたところへ、いつかのように勢い良く飛び込んできて。

ウェイルズさんは、奥様が静養しているという団長の別荘から、直接雪崩の現場に行くからと家令さんから伝言があったらしい。

今頃ジェイドさんも、目的地に到着してお仕事に励んでいることだろう。大人だから。

そういうわけで、予定通りに今日は別行動で・・・と別れようとして、玄関先であんなやり取りを続けていたというわけだ。

・・・ここに辿り着くまでが長かったような気がするのは、きっと気のせいだ。

教授の側に寄って、私は白いため息を吐いた。


車を停めたところからは、歩いて移動になると聞いていた。

私は久しぶりに長距離を歩くつもりで、軽く足首を回しながら目の前に続いている小道を見据える。

「さ、行こうかね」

彼の言葉に頷いて、私は一歩を踏み出した。

雪融けの進んだ小道は、所々ぼこぼこしている。


・・・今日は、絶対に足を捻らないようにしなくちゃ・・・。








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