51
かちゃ、
コト、
がちゃがちゃ・・・
ぼんやりする頭で、何かの生活音がしているのを認識した私は、ゆっくりと目を開けた。
・・・なんだろう、ものすごく体がだるい・・・重い・・・苦しい。
「うぅ・・・」
とにかく嫌だ、不快だと訴えたくて口を開いたけど、呻き声しか出て来なかった。
「おっ、気づいた?」
やたらと明るい声が耳に届いて、私はその声の持ち主を連想してしまって思わず顔を顰める。
この気だるい感じの中、彼と相対するのは正直気が滅入る・・・。
私はかけられた声をなかったことにして、もう一度目を閉じた。
次目を覚ました時には、是非ジェイドさんでお願いしたいと思いながら。
「おいコラ雑用」
不機嫌丸出しの声が頭上から降ってきて、私は観念して目を開けた。
「・・・はぁーぃ・・・」
虫の息同然の返事をしてみると、急に目の前に彼の顔が迫る。
「わぁっ!」
驚いて大声を出した私に、彼は舌打ちして顔を遠ざけた。
そして私の鼻先にびしっと指を突きつけた彼は、至極面倒くさそうに言い放つ。
「起きたんなら、そこの執着心の塊みたいな補佐官殿を何とかしろって」
「え・・・?どこに・・・?」
目覚めた時と同じ、身動きできない体のだるさにげんなりしながら、私は彼に問いかけた。
すると彼は、ため息をついて突きつけた指をふりふり、私の顔の左右を指差す。
「・・・体、重いだろ?
ジェイドが雑用ちゃんの体に絡み付いてるんだよ・・・」
「・・・はぁ・・・」
「どうしようもなかったから、ちょっと放置してみたんだけどさ」
・・・確かに誰かに抱きつかれているみたいだ。
彼に言われて初めて、このだるさというか重さというか、それが人によるものだと分かった私は、何とか首を捻ってそれが彼なのかを確かめようとして・・・。
「・・・ちょ、くるし・・・」
結局力強い腕に、半ば締め上げられるかのようにされた。
窒息しそうになりつつも、彼の愛用している香水の匂いが鼻腔をくすぐっていったから、きっとこれはジェイドさんで間違いないんだろう。
・・・でも、なんでこんなことに・・・?
目覚めてからずっと感じていた違和感に向き合って、私はすぐに思い出した。
私達は庭に出て、2つのホタルが衝突して消えてしまったのを目撃した後、お屋敷の中に入ろうとしたところで旋風のようなものを見つけて・・・。
「・・・ジェイドさんっ」
半ば悲鳴のような声で彼の名を呼ぶ。
あの時、その旋風に飲み込まれた私が宙に投げ出された瞬間、彼の腕は私を守るようにして抱きしめていたのだ。
数メートルなのか、数十メートルなのか・・・飛ばされて、地面に叩きつけられるんじゃないかと目を固く閉じて・・・。
でもきっと、あの時彼は私を守ろうとしてくれたはず。
ちゃんと覚えてるわけじゃないけど、彼の腕で苦しい以外の体の不調は、今のところ全く感じられないのだから。
私を守った彼が、同じように全く何もなく、ぴんぴんしているなんて考えづらい。
思い出しながら考えを巡らせた私は、半ば叫ぶようにして彼の名前を何度か呼んだ。
「・・・ジェイドさん、大丈夫?!
生きてるよね、ジェイドさん?!」
背中越しに鼓動の振動が伝わってくるから、きっと大丈夫だとは思うけど、だからって無事だとは限らない。
彼の声を聞くまではどうしても不安で、何度も問いかけた。
そして、もう一度彼の名前を呼ぼうとしたところで、彼が大きく息を吐いたのを感じた私は、ほっと胸を撫で下ろす。
硬直してしまったかのようだった腕に込められていた力が、ほんの少し緩んだ。
「・・・つばき・・・?」
「うん、体痛くない?大丈夫?喋れる?」
「・・・ん、あぁ・・・大丈夫です・・・」
その声は思っていたよりもしっかりしていて、ろれつが回らない様子もない。
頭を強打していたら、と心配したけど、声を聞く限りは毎朝の目覚めとあまり変わらないみたいだ。少し戸惑っているみたいではあるけど・・・。
「おーいジェイド。
そろそろ離れてくれないと、手当てが出来ないんだけどー」
紅の団長がジェイドさんの腕に手をかける。
するとジェイドさんは、ゆっくりと起き上がった。
私はその動きをハラハラしながら見守っていたけど、どうやら大きな怪我はないらしく、彼は「よいしょ」と声をかけて私のことも起こしてくれる。
目線が急に浮上する感覚に酔いそうになるけど、深呼吸して彼の空色の瞳を見つめた。
体のあちこちが締め付けられていたからか、血がじわじわと広がっていくのを感じていたら、彼がゆっくりと腕や背中を擦ってくれて。
彼の目の中を探っても痛みを我慢している様子もないのを確認して、私はやっと、彼の手の温かさを感じて頬を緩めた。
手当てをすると言った紅の団長から消毒液を受け取ったジェイドさんが、私の手の甲に出来た擦り傷を消毒してくれる。
たまに沁みるけど、こんなの子どもの頃にはよく作ったもんだ。大したことはない。
私は時折顔を顰めながらも消毒の刺激に耐えて、ふと疑問を感じた。
「そういえば、どうして紅の団長がいたの?」
ちなみに紅の団長は、ソファに並んで座った私達を交互に見て肩を竦めた後、「終わったら食堂に集合」とだけ言い残して部屋から出て行った。
今度は私が消毒液を受け取って、彼の頬に出来た擦り傷の消毒をする。
・・・イケメンは、傷が出来てもイケメンだ。
なんだか変にドキドキしながら、そっと消毒液を浸したガーゼで手当てをしつつ問いかけた私に、彼が囁きを返す。
「パジェイダ家は、彼の実家ですからね」
「実家・・・」
言われた内容に、呆然とオウム返しをしてしまった。
消毒の手が止まった私を見て噴出した彼が、もう少し詳しく言葉を添えてくれる。
「ロウファ=パジェイダ。
東の10の瞳、パジェイダ・・・この家の次男ですよ」
「あー、なるほど・・・」
それなら彼がこの街にいた理由も頷ける。
私は感嘆してから、再び手を動かす。
「長男が10の瞳を継いで、ロウファは騎士団に入ったというわけですね」
彼の言葉に相槌を打ちながら消毒液の蓋をしめる。
他に怪我したところはないか、チェックするつもりで顔をまじまじ見つめれば、彼にがしっと頭を掴まれた。
時々思うけど、ジェイドさん、見た目より力があるよね。
内心で呟いた私をよそに、彼がため息を吐く。
「・・・聞いてます?」
問いかけに軽く首を縦に振れば、彼が私の目を覗き込んだ。
どうやら真面目に聞いていなかったのが、ばれてたらしい。
私は至極真剣な表情を作って彼の目を見つめ返す。
「・・・だって、彼には興味ないんだもん。
それよりジェイドさん、他に痛い所ない?」
どういうわけか鼻唄混じりのジェイドさんに解けかけた髪を結い直してもらった私は、紅の団長の待つ食堂にやって来た。
大丈夫か、なんて社交辞令に頷いて返せば、彼は座るように促す。
ジェイドさんが私に椅子を引いてくれながら、庭から運んでくれたことにお礼を言うと、彼は手をぱたぱたさせた。
食堂は1階にあって、一面が大きな窓になっている。ここから庭に出られるみたいだ。
さっきはカーテンがしめられてたから、全然気づかなかった。
街灯が照らす庭を眺めながら、勧められた椅子に腰掛けていると、ジェイドさんと紅の団長が話し始めた。
私はぼんやりしながら、そのやり取りを聞き流す。大体は仕事の話だからだ。
そして、さっきの光景を思い出していた。
消えたホタルと、その後の旋風。
ホタル・・・亡くなった人の想いがカタチになったもの・・・髪留めの黄色い石から、ふわりと生まれ出た淡い光は、今思えばとても綺麗だった。
そんなふうに思いを馳せていると、目の前の空に稲光が走るのが目に入る。
突然のことに息を飲んだ瞬間、ばりばりばり・・・と空全体が震えるような、大きな音が耳を引き裂かんばかりに響いた。
条件反射というべきか、肩をそびやかして、それをやり過ごした私を見たジェイドさんが、そっと背中を擦ってくれる。
手のひらは温かいのに、いつもよりも熱の伝わりが甘い気がした。
「・・・明日は壁画を見に行けないかも知れないですね」
「うん・・・」
彼がそっと呟く。
雷に続いて、大粒の雨が窓に叩きつけられる光景に、私はため息混じりに返事をした。
雪の嵐じゃないだけいいのかも知れない。雪は、視界を真っ白に染めてしまうから。
そういえば春先は天気が不安定になるって、テレビで言ってた気がする・・・なんて思い出して、また窓の外を眺める。
嵐は、酷くなってきていた。
・・・彼らはまだ仕事の話をしてるみたいだし、もう少しぼーっとしてても・・・。
「・・・あ・・・あれ・・・?」
庭をなんとなく見渡していた私は、街灯に照らされた芝生の上に何かが光ったのを見つけた。
光ったというよりは、街灯を反射したのだとすぐに思い至って、目を凝らす。
何かあったら困るからと、庭に置いて来てしまった髪留めを拾うのは明日の朝にすることは、ジェイドさんと約束してある。
だから、街灯の光を反射したのは髪留めかも知れない。
そう思いつつも、私はきらりと光った物の輪郭を辿って・・・、体が硬直した。
光ったのは、黒くて小さな物。
それは全体のごく一部で、周りには凹凸があって・・・円形の何かが2つ・・・。
見覚えがあるのだ。
子どもの頃には両親と、成長するにつれて彼氏や友達と、よく行った場所のもの。
「・・・嘘でしょ・・・?!」
まさか、と閃いたものに鳥肌が立つのを抑えられずに、私は自分の両腕を抱きしめた。
「・・・つばき?
寒いんですか?風邪でも引きました・・・?」
ジェイドさんが、紅の団長との会話の途中で私の額に手を当てる。
その間も、私の視線は庭のある一点に縫い付けられたまま動かすことも出来なかった。
頭のてっぺんまで竦み上がって、声が上手く出せない。
寒いわけじゃないと、彼に言いたいのに。
「つばき?
・・・庭に、何か?」
さすがに彼も私の視線の先にあるものが気になったのか、怪訝そうな声色で尋ねた。
答えたいのに言葉が上手く紡げなくなった私は、ひとつ頷いて立ち上がる。
・・・あれを持って来よう。
こうしていても何も変わらないと思い至って、私は彼らが止めるのを聞かずに庭に通じる大きな窓の鍵を開けた。
もう何年も開けていないのか、滑りが悪い窓を力任せに開け放って、外へと飛び出す。
冷たい横殴りの雨、そして雷鳴が轟いているけど、そんなことはどうでも良かった。
ただ、庭に落ちているものを目指して駆けて行く。
水を吸った服やタイツが重くて、足が思い通りに動いてくれないのがもどかしい。
少し遠くからは、ジェイドさんの声が聞こえる。
何て言われているのか全く聞き取れないけど、きっと後で怒られるんだろうな。
そんなことを頭の隅で考えていると、やがて目指していた場所へたどり着いた。
心臓がばくばく音を立てて、肺が痛い。
目の前も、なんだかチカチカしているような気がする。
肩で息をしながら芝生の上に無造作に放り投げられたそれは、まっすぐに私を見上げていた。
すぐ横には、赤い花の髪留めがある。
私は何も起きないことを祈りながら、震える両手で髪留めと、落ちていたそれを拾い上げる。
「・・・嘘みたい・・・」
誰にでもなく呟いた声は、雷鳴と激しく吹きつける風の音にかき消された。
超常現象なんて大の苦手なのに、目の前で起きたことが嬉しくて仕方ない。
嘘みたいだ。
力が抜けて、その場にへたり込む。
雨に打たれておかしくなったのか、私は頬が緩んでしまうのを止められなかった。
そして、まだそれほど水を吸っていないそれを抱えて立ち上がると、再び彼らの待つ食堂を目指して雨の中を駆け出す。
拾い上げたそれを必死に雨から庇いながら。
・・・水を吸っちゃったら、説得力が・・・。
その時の私は、使命感に似た何かを感じていた。




