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口に含むと、ふんわり花の香りが広がった。


「・・・おいしい・・・」

思わず漏らした呟きに、彼女がふんわり微笑む。

「私、お茶を淹れるのは得意なんです」

ソファに向かい合って座って、私達はのんびりお茶を飲んでいる。

美味しいチョコレートも一緒だ。

「・・・実は見えてるとか・・・」

「それね、ロウファさまにも時々言われるんです」

こんなこと言ったらとっても失礼だと分かってるけど、本当に目が見えてないのかと疑いたくなるくらいに美味しいのだ。

私は目が見えてるのに、こんなに美味しいお茶を淹れることなんて出来ない。

信じられない、と感じてしまうのは、この美味しさでは仕方ないと思う。

感嘆というよりはむしろ、尊敬に近いものを抱いた私は、もうひとくち口に含む。

やっぱり美味しかった。

「魔法のお茶だね。幸せな気持ちになるもん」

感じるままに言葉にしたら、彼女がころころと鈴を転がしたような綺麗な声で笑った。

・・・なんて可愛らしい女の子なんだろう。

なんとなく紅の団長が彼女の側にいるのが理解出来た気がした。

その彼は、お茶を飲み干したかと思ったら、すぐに部屋を出て行った。仕事なのか、用事があるのか・・・夕方までには戻って、私を送り届けてくれると約束して。

彼女は、彼がどこに何をしに行くのかということには触れずに、ただ「気をつけて」とだけ声をかけていた。

その表情も、寂しいとか心配だとか、不安そうなものでもなく・・・。

なんだか淡々としているなと思って見ていたのを思い出して、私は尋ねてみることにする。

「・・・リアさん」

「う、あ、はい」

口を開きかけたところで、彼女に先を越された私は、思いもしなかったタイミングで話しかけられてうろたえてしまった。

変な声が出て、思わず口元を押さえると、彼女が笑い声を漏らすのが聞こえる。

「私とロウファさまのこと、聞きたいんでしょう」

楽しそうに言うあたり、詮索されても嫌な気持ちにはならないでくれそうだ。

頷いても彼女には伝わらないから、「うん」とだけ囁く。

「私、目が見えないから、他の感覚が鋭いみたいなんですよね。

 だから、リアさんの気配でなんとなくだけど、分かります」

「すごいね・・・」

本当に彼女、ルルゼはすごいのだ。

お茶の件に限らず、歩くにしてもカップの取っ手を掴むにしても、本当は見えてるんじゃないかと思えるくらいに動きに迷いがない。

慎重な動きだけど、探っているふうでもなく・・・。

私は目隠ししたまま歩けない。たぶん、一歩も歩けないと思うのだ。踏み出す勇気もない。

畏敬の念を込めて言った私に、彼女はゆっくり首を振った。

「たくさん練習したから・・・。

 必要なの、ロウファさまと一緒にいるには」

「団長と・・・?」

「私・・・」

彼女が曖昧な微笑を浮かべて、首を傾げる。

「小さい頃に原因の分からない高熱が続いて、目が見えなくなったの・・・。

 それで、気づいたらこの孤児院に置いていかれてた」

「・・・うん・・・」

なんと相槌を打つべきか考えるけど、取り繕っても彼女には分かってしまうと思い出した私は、ただ小さく頷いた。

彼女は長いまばたきをして、また話し始める。

「その頃の私は、1人では何も出来なかった。暗闇ばかりで、怖くて動けなかった。

 手を伸ばすと花瓶を割るし、一歩踏み出せば躓いて捻挫するし・・・。

 今思うと、本当に酷かったんだけど」

言いながら困ったように笑う彼女は、悲しい話をしているようには見えなくて、私は静かに並べられる事実を受け止めようと耳を傾けた。

「その頃の院長は、そんな私の扱いに困ったみたいで、この部屋に私を閉じ込めた。

 閉じ込められてる間、何をしてたのか覚えてないんだけど・・・たぶん、何もしては

 いなかったんだと思う・・・。

 眠って起きて、着替えさせてもらってソファに座って、食べさせてもらって・・・。

 お人形さんみたいだったって、出会ったばかりの頃、ロウファさまに言われたわ」

「・・・団長とは、いつ・・・?」

事実への反応は、しない方がいいような気がして、団長のことを尋ねた。

彼女は頷く。

「ある日この部屋に入って来たの。

 ・・・窓から」

「窓から・・・?!」

・・・それは、団長らしいというか、なんというか・・・。

素直な反応を見せた私に、彼女はくすくす笑いながら頷いた。

「うん、窓から。突然。

 後から聞いたら、この孤児院を設立したのはロウファさまだったみたい。

 お仕事の途中で休憩しようと思って、一番近い入り口がここの窓だったんですって」

「どこを移動したらここになるの・・・」

「ね、私も同じ質問をするんだけど、いつも答えてもらえないの」

その時のことを思い出しているんだろうか、彼女の頬が緩む。

きっと、彼らが出会ってから幾度となく繰り返された会話なんだろう。

「でもいいの・・・どうやって出会ったかなんて、小さなことだもの。

 それで、この窓からやって来たロウファさまは、私を閉じ込めた院長を解雇した。

 ・・・実は、他の問題もいろいろあったみたいだから、私のことが良い理由になって

 くれたんですって・・・。

 そういうことがあって、それからロウファさまが会いに来てくれているというわけ」

彼女の話に相槌を打っていた私は、なるほど、と胸の内で呟いた。

彼の設立した孤児院だったとは・・・というか、彼が孤児院を設立していたなんて、嘘みたいだ。そんな、慈善事業をするような人だったのか。

今日は新たな発見ばかり続いて、なんだか心が忙しい日だ。

「それが、もう何年も続いているの」

「そうだったんだ・・・」

私はカップを傾けながら、彼女が今幸せなんだと感じて微笑んだ。

きっとこのお茶の美味しさは、会いにやって来る彼のために練習した成果なんだろうな。

「それにね、もうすぐ王都にある彼のお屋敷に移ることになっていて」

「王都に?」

思わず聞き返した私と目が合わないまでも、彼女は私を見て頷く。

「ロウファさまが、そうしたら家に帰るように努力するって言うから・・・」

「・・・今まで家に帰ってなかったの?」

「うーん・・・どうかなぁ・・・。

 紅の騎士団のお仕事を私は良く知らないけれど、各地を飛び回っているみたい。

 だから、どこかのお姉さん達のお部屋で寝てしまうことが多いって、言ってたわ」

「・・・えーっと・・・」

衝撃の内容に、なんと反応したらいいものかと考えあぐねる私を、彼女は苦笑した。

「あ、違うの。

 私を守るために、他のお姉さん達のところに通うふりをしてるんですって。

 ・・・紅の団長は恨まれ役だから、私にその矛先が向かないように・・・。

 ちゃんと分かっているから、大丈夫。

 まあ、初めて聞いた時はロウファさまのこと、ぶん殴ってやったけど」

「・・・ぐっ・・・ごふっ、ごほっ」

可憐な少女の口から「ぶん殴る」なんて単語が聞けると思ってなかった私は、「お姉さん」発言に落ち着こうと口に含んだお茶を、あやうく噴出すところだった。

・・・く、苦しい・・・。

咽て涙目になりつつも彼女の様子を伺うと、とても楽しそうに笑っていた。

「拳って、目が見えなくても怒っていると当たるのね」

「ちが、そうじゃな・・・」

言いながらも咽てしまって、それを感じ取った彼女がまた笑う。

ああもう、この笑顔のためならいくらでも咽てあげたくなってしまうじゃないか。

そこまで考えて、もしかして、と気づいた。

団長も、この笑顔のために殴られてやったんじゃないか、と。

「・・・あ、この話を聞いたこと、ロウファさまには秘密にしておいてね」

口元に人差し指を当てて微笑んだ彼女は、とても幸せそうだった。








静かな夕暮れ、もうそろそろ日が落ちて辺りに暗闇が満ちてくるという頃、私はジェイドさんと一緒に庭に出た。

街に出る前に見た光がどの辺りにあったのか、彼が聞きたいと言ったからだ。

ちなみに、戻った私を有無を言わさずに部屋に連れ込んだ彼は、ぱぱっと赤い花の髪留めをつけてくれた。相変わらず器用だ。

同じ所に指輪も置いておいたから、何となく嵌めてみる。やっぱり、いつもあるものがないのは、どこか心許無い気分になるものだ。

そうして庭に立ち、あの辺だったはず、とたどり着いた場所には何もなく、ただ黄色い花の蕾がいくつか見えるだけ。

仕方なく、私達は今日の出来事を話しながら、星が瞬き始めるのを眺めていた。

「・・・ま、そんなところだろうと思ってました」

ジェイドさんが、苦笑混じりに囁く。

「え、知ってたの?」

紅の団長に拉致まがいのお誘いを受けたあたりから話し始めて、ひと通りの説明をしたところで、彼がそう言ったのだ。

私は呆気に取られてしまって、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。

そんな私に、彼は少し考える素振りを見せてから、そっと微笑んで口を開いた。

「ええ、詳しいことは知りませんでしたが・・・。

 一応私にも、情報網がありますからね」

「情報網・・・?」

彼の言葉の意味が分からなくて首を傾げると、辺りの暗さの中でも空色が綺麗な瞳が私を見下ろして、柔らかく細められる。

「それについては、また今度・・・。

 ともかく、彼が仕事に打ち込んでくれていた理由が分かって良かった」

「・・・あれって、打ち込んでたの?」

正直な感想が口をついて出た私を、彼は困ったように微笑んでぽふぽふする。

「彼女を王都に住まわせるために、怪しい動きのある貴族や商家をしらみ潰しに調査して

 いたのでしょうね。

 陛下の指示以上のことをしているから、何かあるとは思っていたんです。

 ・・・ま、助かっていたんですけれど、ね」

「・・・そっか、そうだったんだ・・・」

彼の話を聞いて、腑に落ちた。

・・・彼女と一緒にいたくて、環境を整えてたってわけか。

私は大きく頷いて、一歩彼の側に寄る。

腕が触れるか触れないかくらい、彼の体温をやっと感じ取れるくらいに。

まだ言葉に出来ないけど、私だってジェイドさんのために何かしたい気持ちがあるんだと、改めて強く思ってしまったせいかも知れない。

何をしてあげられるのか分からないから、まだ何も出来ないんだけど。

彼は、寄り添った私を黙って抱き寄せた。

緩くくっついた体から、じんわり体温が伝わってきて、思わず頬が緩む。

「・・・さ、体が冷えてしまいますから、中に入りましょうか」

「・・・ん」

心地良い体温が離れてしまうのを名残惜しく思いつつも、どちらからともなく一歩後ろへ下がって体を離した。

風がその間を吹き抜けたのを首を竦めてやり過ごすと、彼が私の背に手を当てて歩き出す。

そして、その時は突然やって来た。

「・・・ん・・・?

 つばき、ちょっと待って・・・?!」

「え?」

後頭部に視線を感じながら、言われるままに立ち止まると、彼がしばらくの沈黙した。

一体何を見てるんだろうと思って小首を傾げたところで、めずらしく焦ったような、緊張感のある声を発した彼の手が、私の髪に触れた。

「髪留めが・・・!」

言いながら彼が性急な動きで、朝早かったせいか、いつもよりもシンプルに纏めてくれた髪を解こうと手を動かすのが分かる。

手間取る何かがあるわけでもないはずなのに、いつもよりも乱暴に髪が引っ張られて痛いけど、彼の必死とも思える息遣いと気配を感じて、私は身動きが取れなかった。

何か、普通ではなさそうだ、と思って身を硬くしていると、耳元で彼の声が。

「・・・つぅ・・・っ」

「な・・・?!」

小さく呻いた彼に、何、と問おうと思うのに言葉が上手く出てこない。

振り返ることが出来ないのが、とてももどかしかった。

そして、急に頭に熱を感じたかと思えば、それが離れていくのが分かる。

「ジェイドさん?!」

私が彼を呼ぶのと、彼が何かを投げ捨てるのとは同時だった。

とさ、と芝生に何かが落ちたのを見た私は、彼の手を取る。

「大丈夫・・・?」

痛いのだろうか、彼が顔を歪めて私を見下ろした。

その視線を受けて、私はこくこく頷いてから彼の手を見る。

指先が、暗くなってきた中でも分かるくらいに赤い。きっと痛いんだろう。

「何があったの・・・?!」

事態の飲み込めない私は、うろたえそうになる自分を叱咤して彼と、芝生に投げ捨てられた私の髪留めを交互に見た。

そして、はっと気づいた。

髪留めの真ん中、花の中心部分の黄色い石が、光っていることに。

「分かりません・・・でも、それが急に光りだして・・・」

手の痛みが和らいできたのか、彼が私の腰を抱いたまま少し後ろへ下がる。

何が起きたのかは分からなくても、様子のおかしいものからは距離を取っておくに限る。

私はされるがまま、彼に従った。

「・・・どうして、急に・・・」

呟いた私に、彼は何も言わない。

ただ、私を抱き寄せる腕に込められた力は、いつもと違うと教えてくれた。

そして、固唾を飲んで見ていると、その光がゆらゆらと揺れだす。

「誰か呼びに・・・」

私が我に返って見上げて言うと、彼が息を飲んだ。

それにつられて、私も視線を戻す。

「・・・え・・・?!」

そこにあったのは、ふわりと浮かぶ黄色い光。


私が昼間見た、あの光と同じものだった。








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