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私は繰り返し祈っていた。

もちろん、今頃ウェイルズ氏と打ち合わせをしているであろうジェイドさんに。


お金をぶちまけた彼女は、きょとん、とした後すぐに、ふんわり微笑んだ。

「・・・ロウファさま」

「動くなって言っただろ」

言いながら、紅の団長が彼女の肩を抱いた。

あの紅の団長が、見たこともない優しいカオをしている。

・・・世紀末だ。

私は何かの終わりを予感しつつも、彼の表情を食い入るように見つめてしまった。

後で絶対ジェイドさんに話さなくちゃ、なんて決意に似たものを抱えながら。

「ごめんなさい・・・でもね、チョコレートの匂いがしたの」

「・・・あー、わかったわかった・・・あとでちゃんと買うから・・・」

咎められて表情を曇らせた彼女の言葉に半ば呆れ気味に、でも面倒くさそうな言葉に甘い何かを隠した彼が頷いた。

私が同じ台詞を吐いたら問答無用で張り倒されそうだ。しかも満面の笑みで。

柔和な雰囲気を纏った彼だけを見ていると違和感しか感じられないのに、彼女と並んでいるだけで普通の人に見えてくるから不思議だ。

彼女が凄いのかと思いきや、どこにでもいるような普通の女の子みたいだし・・・。

2人の世界を外から眺めて感想を抱いたり、想像を広げていた私に、その存在を思い出したらしい紅の団長が、視線を向けた。

その目に宿るのは、剣呑な光だ。

目が合うだけで、精神的に追い詰められるような気がして、思わず目を伏せる。

「・・・ロウファさま?」

彼女の不思議そうな声色が、宙に舞った。

「それで、どうしたんだ?」

私の目を見据えながら、彼が彼女の頬を指先で撫でる。

彼の胸のあたりまでの背丈しかない彼女が苦笑しながら、ゆっくりと首を振った。

「ちがうの、大丈夫。

 ええと、たぶんお金を拾ってくれたんだと思うわ」

私と視線を一切合わせない彼女が、ふわっとした内容の発言をする。

もっとちゃんとフォローしてもらわないと、紅の団長にどんなことを言われるのか、分かったものじゃないのに・・・。

ほわっとした彼女にほんの少しだけ恨みがましく視線を送ると、紅の団長と目が合った。

「なるほどね、それでカツアゲに見えたわけ・・・」

彼女の口から事情を聞いた彼は、一瞬で目の中から剣呑な光を消し去って呟いた。

そして彼がそう呟いたのを聞いたのか、彼女は肩に回された手に自分の手を重ねる。

その顔に浮かぶのは、ほっとしたような、仕方ないな、とでも思っているかのような、そんな表情だった。

「・・・あのぉ・・・私、そろそろ失礼しますね。

 ジェイドさんからおつかい、頼まれてるので・・・」

並んだ2人を前にどうしたらいいのか分からなくなってきて、私はそんな台詞を口にしながら、このやり取りを遠巻きに見ているだろう事務官を振り返った。

彼は他人のふりでもしていたのか、思っていたよりも離れた場所にいる。

「あーそっか。ジェイドも来てるんだよな、そういえば。

 ・・・おい、そこの」

言葉少なだけど、真面目そうな印象の彼の肩が、びくっと震えた。

そこまで怯えなくても、と思っていたら、紅の団長が彼に言い放った。

「雑用ちゃん少し借りるわ。

 ジェイドには、送ってくから心配するなって言っといて」




「ほら、チョコレート。

 一緒に売ってたから、これも」

「ありがとうロウファさま」

にっこり微笑む彼女の向こう、窓の外からは子ども達が元気に遊んでいる声が聞こえてくる。

私は紅の団長から、チョコレートと小さな花束を受け取る彼女の微笑を眺めて、どうしてこうなったのかと考えていた。

彼女が街中で小銭をぶちまけて、それを私が拾って届けたところで、彼が登場したのだ。

いや、登場した後が問題だった。

2人はどう見ても恋人同士に見えたし、そのまま2人で何処へなりとも行けばいいのに、何故か私は彼に半ば強引に誘われて、こうして彼女の住む孤児院へとやって来ている。

ちなみに、彼女のことはいまだに謎だらけで、その名前すら知らない。

私に声をかけてくれたのは、孤児院のこの部屋に入った時の「ここに住んでるんです」のひと言だけだった。

そしてソファに招かれて腰を下ろしたきり、私はどうしたらいいのか分からなくて、ひたすら部屋の装飾品や家具を眺めて過ごしていた。

もちろん、その対象には彼らの甘ったるいやり取りも含まれているわけだけど・・・。

・・・帰りたいよジェイドさん・・・。

そう心の中で呟いたのが聞こえたのか、彼が花束に鼻先を埋めて目を閉じている彼女から視線を外して、まっすぐに私を見た。

彼女を見る時の、あの柔らかい目つきの数パーセントでいいから分けて欲しいものだ。

半ば現実逃避気味に、なんとか彼の視線を受け止めた私は、彼が何か言いだすのを待つ。

視線が合ってから少しの間があって、彼が口を開いた。

でも、彼が言葉をかけたのは私ではなく、彼女の方。

「・・・お茶、淹れてきてくれるか?」

「もちろん。3人分ね?」

「ん、頼むな。火傷するから急ぐなよ。

 あと、ドアは開けっ放しで行って」

「もう、心配性なんだから・・・」

ささやかなやり取りの後、彼女がくすくす笑いながら、言われた通りにドアを開けたままにして、部屋を出て行く。

「・・・悪いね、雑用ちゃん」

心のこもらない台詞に、私は何と答えたらいいのか分からず口を噤む。

はい、いいえ、どちらも正しくないような気がした。

そして気づく。私が欲しいのは、ここに連れてきた理由だということに。

「ちょっと、頼まれてくれない?」

「・・・頼みごとのために、私は拉致されたんですか」

強引な成り行きがあったことを思い出して、今さらだけど、私は沸々と沸きあがってくる何かを抑えながら呟いた。

彼女の存在のおかげで、彼が私の心をささくれ立たせるのを防いでいてくれたんだろうか。

それとも彼女が部屋を出て行ったから、彼の言動が普通に戻っただけなのか。

彼がため息をつく。いかにも面倒くさそうに。

「だから・・・、悪かったって」

この人には何とか誠意を伝えようという意識が欠落してるんだ、と納得することにして、私は呼吸を整えた。

それなら私が少しだけ大人になるしかない。年下なのに。

ジェイドさんの隣に立つんだ、と自分を叱咤すると乱れた鼓動が、それなりに静まっていくのを感じて息を吐いた。

そして言葉を選ぶ。

「・・・いいです、もう。

 頼みごと、あるんですよね。

 ・・・痛いのとか、辛いのとかじゃければ・・・。

 あ、ジェイドさんを裏切るようなこともダメです。がっかりされちゃう」

「おぉー・・・」

「なんですか・・・?」

「いや、ずいぶん慎重になったもんだね。

 基準がジェイドなのが可笑しいけど」

苦笑しながら彼が言う。

「でも、オレのお願いを断るって選択肢はないの?」

興味が湧いたのか、彼が掘り下げようと尋ねた。

いや、私に興味を持たれても困るんだ。

まだ彼女は戻る気配がなく、外からは子ども達の歓声が聞こえてくる。

向かい側では、足を組んで楽しそうにニコニコしている彼。

もしかして、ここが王宮じゃなくて孤児院だから、笑い声に溢れた場所だから、彼は機嫌が良さそうなのだろうか。

私は視線を彷徨わせながら言葉を選んで、紡いだ。

「・・・引き受けたら、ひとつ貸しに出来るかなと思って」

「うわー、ジェイドみたいなこと言い出した!」

彼は手を叩いて笑った。


「だから、友達になってやってよ」

「はぁ・・・まあ、いいですけど・・・」

ひとしきり笑った彼が深呼吸をしてから、私に向かって言ったのは、彼女の話し相手になってあげて欲しい、という内容だった。

私は胸のうちで首を捻ってから、尋ねてみることにした。

「彼女は、それでいいんですか・・・?」

友達って、最初から友達としてあてがわれても仲良くなれるのかな・・・。

たまたま出会って、なんとなく気が合って、いつの間にか連絡を取り合ってお喋りしたり・・・そういうふうにして、関係を深めていくものだと思い込んでた。

「雑用ちゃん、気づかなかった?

 違和感、感じなかった?」

「・・・違和感は、感じてましたけど・・・」

そう、突き詰めようとしなかっただけで、違和感は感じていた。

小銭を手に乗せた時の、あの驚きようはやっぱり大げさというか・・・。

ううん、もっと前だ。

最初に声をかけた時の、反応かも知れない。

私の方を見ているのに、なんだか焦点が合ってないというか・・・。

黙ったまま記憶を手繰り寄せているところで、待ちきれなくなったのか彼が言った。

「・・・彼女、目が見えないんだ」

低い、淀んだ声。

まるで自分が失明宣告を受けたみたいな、そんな絶望感を漂わせている。

飄々としていて、底抜けに明るくて、でも絶対に奥に隠したものには触れさせないという意志を感じる普段の表情からは、ほど遠い彼。

よほど口にしたくない内容だったんだと、これが彼の弱点なんだと、直感する。

「目が・・・。全然・・・?」

言いながら、私は納得していた。

それなら、突然声をかけられて、手のひらに小銭を乗せられて、驚くのも無理はない。

しかも紅の団長からは、「動くな」と言われていたのだ。近くに彼がいないことも、過剰な反応に繋がったのかも・・・。

「うん、全然。

 ああでも、もしかしたら明るい暗い、おおまかな色、位は分かるのかも知れないけど・・・」

私の独り言のような言葉にも、彼は返事をしてくれる。

こんなにたくさん会話をするのは、初めてだ。

でも、彼に対して何と言えばいいものか考えているうちに、部屋の中に沈黙が落ちてきた。

いつの間にか子ども達の声は聞こえなくなっていて、私は落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせてしまう。

こういう時、沈黙が苦手なくせに、何を言えばいいのか分からないから。

「もうさ、貸しでも何でもいいから、頼むよ」

沈黙を破った彼の、その表情はどこかジェイドさんが苦しそうにしている時に似ていた。

こんなカオを見せられたら、何かしてあげたいと思ってしまうのは、たぶん悪いことじゃないと信じたい。

そして、気づいたら私は頷いてしまっていた。

「じゃあ、私で良ければ・・・」

紅の団長が、ほっとしたカオで「ありがとう」と言う。

ありがとうなんて、この人、そんなこと言う人だったんだ・・・。

いつチクチク攻撃されるか、意地悪されるか、恐々接してきたけど・・・意外と普通の人だったのかも知れない。

それこそ、ジェイドさんやシュウさんの言うとおり、職務に忠実なだけで。

「オレ、お茶飲んだらちょっと出かけてくるから、頼むな。

 ・・・その前にちょっと彼女の様子見てくる。大丈夫だとは思うけど・・・」

「はい、あ、」

「うん?」

引き受けてもらって会話がひと段落したと思ったのか、彼が席を立とうとする。

腰を上げかけたまま静止した彼を、私は引きとめた。

「・・・私、夕食までにジェイドさんの所に戻らないと・・・」

「ああ、うん。だいじょぶだいじょぶ」

水を差すようで悪いと思いつつも言うと、彼は手をぱたぱた振りながら部屋から出て行った。




・・・もうとにかく意外・・・。

静かになった部屋の中、私は1人きりで渦巻く気持ちを整理していた。

何かがたくさん詰まった息を吐き出して、私はひとつ伸びをする。

思っていたよりも緊張していたみたいで、体中にじわりと血の気が広がっていくのを感じた。

仕事柄とはいえ、人の粗探しみたいなことばかりしてると思ってた彼にも、大切に思う人がいるんだという事実は、私を驚かせた。

実際には、彼女がどういう存在なのか教えてもらってないけど・・・たとえ妹だとしても、大切には変わらないだろう。

どうして話し相手が必要なのかは、まだ聞いてないけど・・・私が上手く利用されるとか、そういう展開にはならなさそうだ。

あんなカオした彼に、もし私が騙されてるとしたら、私の目はその程度だってことだ。

考えを巡らせて、気づいたことにそっと目を伏せる。

・・・今まで彼のことを苦手だと思わせていたのは、目の前にあった彼の姿じゃなくて、私の思い込みだったのかも知れない。


窓の外から、再び子ども達の声が聞こえてきた。

耳を澄ませて、その中に紅の団長と彼女の声が混じっているのに気づく。

・・・あれ、お茶はどうなったんだろ・・・?

半ば呆れ気味に思ったものの、2人の声が子ども達のそれに調和している気がして、私はなんとなく頬を緩める。

壁画を見に行くのは明日だ。教授が合流してくれる約束になってるから、その辺のスケジュールは彼にお願いしてある。

だから、今はこのまま微笑ましい空気の中、のんびりお茶を待っていても大丈夫だとは思う。

目を閉じると一生懸命働いてるジェイドさんの姿が瞼の裏に浮かんで、今日は寝る前に彼の肩を揉んであげようかな、なんて思いを馳せた。







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