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「針・・・?」

ジェイドさんの硬い声が聞こえる。

私は突然のリュケル先生の針治療発言に鼓動が速くなってしまって、どう言葉を返せば良いのか分からずにいた。

「そ、針治療」

先生が軽く頷いて話し始める。

「さっきアイツにも会ったんだけど・・・」

「もしかして、エルですか?」

出だしでジェイドさんが質問すると、彼はすごく嫌そうな顔をした。

ぱっと見は若々しいのに、顔を顰めた途端に老け込んだ顔になるのが残念だ。

「うん。

 久しぶりに会ったけどアイツ、何であんなに愛想がないんだろうねぇ・・・。

 ・・・ああ、まあいいや」

なんだか愚痴っぽいことを呟いた彼は、手を軽く振ってから話を続けた。

リュケル先生もお姉ちゃんのことが好きだったみたいだし、もしかしたらシュウさんと何かあったのかも知れない・・・なんて、胸の内で考えたりしながら、私は気づかれないように、そっとリュケル先生の様子を伺っていた。

いろいろ想像してしまうのは失礼だとは思いつつも、だ。

「で、その時蒼鬼から聞いたんだけど、リア、足捻ったんでしょ?

 派遣先で針治療、ってやつを勉強してきたからさ。

 受けてみませんか針治療。今なら無料でお試し可能」

「・・・それは、ちゃんとした治療なんですよね?」

ジェイドさんがいかにも不審に思っています、と顔に出して尋ねた。

先生がこくりと頷く。

「うん、あっちでは割と普及してるらしいよ。

 その代わり、ウチみたいに機械を使う治療はそんなに信用されてないみたいだった。

 薬も、野草の類を乾燥させたり、茸とか動物の角とか・・・ちょっと変わってたね」

「なるほど・・・つばき?」

先生のそれらしい話を聞いて、ジェイドさんが私にちらりと視線を寄越した。

これはきっと、私の判断に任せる、という意味なんだろう。

これまでの長くも短くもない時間で経験したことから、なんとなくその意図を汲み取る。

「その針治療っていうの・・・私のいた世界にも、同じ名前の治療法がありました。

 私は、その、試す機会はなかったんですけど・・・」

「針をやるとね、軽く捻ったくらいだったら、たぶんすぐ痛みもなくなると思うよ。

 そりゃまぁ、どれくらいで痛いと感じるかは人によるから・・・」

言いよどむ私に、先生が軽い感じで針治療を勧めてきた。

気休めでも痛くないと言って欲しいところだったけど、仕方ない。

軽々しく大丈夫だなんて言われても、簡単に信用出来ないだろうし・・・。

私が内心ため息をついて、さあ何と答えようかと考えていたほんの少しの間に、ジェイドさんが横から先生に尋ねる。

「即効性があるんですね?」

「それも人によるけど、あっちでは痛めてすぐ受ければ、3回目くらいで良くなるみたい」

「なるほど・・・」

先生の説明を受けて何を思ったのか、彼が私に向かって口を開いた。

視線を左右に行ったり来たりさせたあと、意を決したように私と目を合わせる。

空色の瞳が、わずかに揺れたように見えた。

「受けてみませんか・・・?」

「えっ?」

意外な言葉に、彼を凝視したまま思わず聞き返す。

「ジェイド、分かってる?針だよ?」

先生も確認するように言うけど、彼は視線を逸らさないで、私をまっすぐに見る。

変わらず瞳は揺れているけど、その奥に縋るような色が見え隠れしている気がして、私はその視線を正面から受け止めた。

向かいからは、先生の声が聞こえてくる。

「・・・どっかに捻挫でもした騎士がいないかと思って、蒼鬼に聞いたんだよね。

 そしたらリアがおととい足首を捻ったって言うからさ・・・」

「・・・私で練習しようと思ってたんですか?」

気まずそうに言葉を濁したのを聞いて、背中に寒いものが走った私は、なんとなく体を引いてしまった。

私が注射針1本に取り乱していたのを見ているのに、よく練習させてもらおうなんて考えたもんだ。

お姉ちゃんが先生とくっついてなくて良かった・・・と思ってしまうのは仕方ないだろう。

「練習っていうか・・・忘れないうちに誰かに針、打ちたかったんだよね・・・」

先生の打ち明けた内容に呆れて絶句する私の頬に、ジェイドさんの指先が触れる。

「もしそれで痛みがなくなったら、視察に同行出来ますよね」

「視察?」

私が答えるより早く、先生の言葉を受け取った彼は、ちらりと視線を投げてから答えた。

「ええ、ヘイナに。

 おとといの地震が原因で、雪崩が起きているようなので、程度の確認に。

 あの地方の10の瞳に会って、国庫からの支援が必要なのか話を聞くつもりです」

「何日間?」

「3日のうちに戻るつもりでこなしてきますが・・・どうなるかは・・・。

 王都の老朽化の進んだ区域の復旧で、人員を大幅に取られてしまってるんです。

 蒼の騎士団はこの時期に大規模な巡回をするのが通例ですから、騎士の数も全く

 足りていない状態で・・・。

 この視察はとりあえず私が向かいますけど、補佐官業務も放っては置けません」

東の町で雪崩が起きていたなんて。

あの地震で大きく揺れたのは王都の周辺あたりまでだと聞いてたけど、そんなことが起きていたとは・・・。

そんなことを思いながらも、ぽんぽんと言葉のやり取りがされているのを、黙って聞く。

「・・・で、大変な時期の急ぎの視察にリアを連れて行きたいってわけ?

 ちょっと理解に苦しむね。仕事に行くんでしょ?」

いかにも腑に落ちない、といったふうな口調で眉根を寄せた先生が低い声で言ったのを、ジェイドさんはゆるゆると首を振る。

「あなたが考えているようなことが理由じゃありません」

「うわ、出た。秘密主義」

「リュケル・・・」

彼が針治療を勧める理由が思うように掴めないのだろう、半ば投げやりに先生が呟いて、それを聞いた彼が、ため息混じりに言葉を吐き出した。

私は2人の会話を聞いているのが精一杯だったのに、彼がまた私の頬に触れたから、視線も意識も、ぐい、と集中させられる。

そして、耳元に口を寄せられたかと思えば、彼が私にしか聞こえないように囁いた。

「・・・。・・・・・・」

言われた内容に、私はそっと息を吐く。

ジェイドさんらしくて、頬が緩んでしまうのを抑えられなかった。

「ええっと、そうですねぇ・・・」

曖昧に微笑んで言葉を濁したら、もう一度囁かれる。

「・・・・・・。・・・・・・・」

「・・・っ。

 ・・・そっか、そうですよね・・・」

思わず息を飲んで、そして納得した。

そして、向かいで固唾を飲んで私達のやり取りを見守っていた先生に目を向ける。

一瞬の間で呼吸を整えた私は、迷いなくきっぱりと言い放った。

「リュケル先生、私、針、やってみます」

そんな私を見た先生が、「は?」と間抜けな声を漏らして。

そのあと、先生は持ってきていたという治療セットを広げるまで、何度も何度も私に「ほんとにいいの?」と確認してきたのだった。





最初に囁かれた内容は、確か、隣に私が居ないと眠りが浅くて疲れが取れない、というようなことだったと思う。

それはきっと、彼の本音でもあっただろう。

あまりにも彼らしい言い草に、思わず頬が緩んでしまったくらいだ。すぐにでも頷いてしまいたい衝動に駆られた。

でも、リュケル先生の匂わせた通り、彼は補佐官として視察に赴くのだ。私が自分の気持ちだけで、ほいほいついて行っていいわけがない。

だから曖昧にはぐらかして、最後には針が怖いからお屋敷で待っていると、それらしい言葉でまるく収めようと思っていた。

だけど、その次に囁かれたことが私を突き動かした。

図書館でキッシェさんが話してくれた、東の町から少し離れたところに残されているという壁画は、私が気になっているそれなんだということ。

私が一緒に行けば、自分の目でそれを確かめることが出来る・・・と彼は囁いたのだ。

もうひとつ言えば、「私達に出来ることをして、あの2人の幸せを叶えてあげましょう」という言葉が、とどめになった。

教授が私達の血液中のエルゴンの型やらを調べた結果を待っている間、何もせずにいるのも何かが違う気がしていた私は、どうせなら気になることは片っ端から体当たりで調べてみよう、という気持ちになっていたところだったのだ。

だから、目の前に転がっているダイスを振るタイミングは、今だと思えた。

そして、私は気づいたら、リュケル先生に針治療を申し出ていたというわけだ。


針をぷすっと刺されながらも、私は考えを巡らせた。

理由はあとから、いくらでも用意出来る・・・というのは、いつのことだったか、彼の口から聞いた言葉だ。

私は、最初の囁きが本音で、あとは全部用意した後付けの理由なんじゃないかと考えていた。

それがどうした、という話じゃなくて、ただ、そうなのかも知れないな、と漠然と考えていただけなんだけど・・・。

でもそれなら、とその時私は頷いた。

一緒にいたい。彼がぐっすり眠れるなら、一緒に眠りたい。

王宮の人達は皆勘違いしてるかも知れないけど、彼はスーパーマンでも何でもない、ただの男の人だから、きっと放っておいたら病んでしまうだろうな、と私は思っている。

だから、いつまでもただ甘えるだけ、世話をされるだけの雛鳥ではいられないのだ。

一緒にいるために、隣に立つために、私は強くならないといけない。

決して短くはない王宮生活で、私はそれを学習した。

その実践の第一歩が、苦手なものと向き合う程度のことだったとしても、周囲に注目されて悪意のある言葉をひそひそ囁かれるのを耐えたり、羞恥心を遠くに放り投げることだったとしてもいい。

すべては、最初の囁きが本音だという小さな予感のため。

私は生まれて初めて、人のために自分が傷ついてもいいと、本気で思ったのだ。

こんな些細なことで、と笑われたって構わなかった。









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