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シュウさんは、用意されたお茶に少しだけ口をつけたら、すぐに出て行った。

蒼の騎士団も街に下りているから、現場の様子を見に行くのだと言って。

棚から物が落ちてくるほどの揺れだったから、もしかしたら怪我をした人もいるかも知れない。

ジェイドさんが騎士たちの安全も確保するように告げたのを、ドアを開けながら相槌を打った彼は、颯爽と部屋を後にしたのだった。

その無駄のない動きを見ていたら、無駄だらけの私と一緒に探し物なんて、よく我慢してくれてたな、なんて思ってしまった。

やっぱり大人だ。



「リア殿」

「はい?」

鉄子さんに呼ばれて、私は視線を上げた。

手にしたカップからは、ほわほわと湯気が立っている。

「横になって下さい。足を上げましょう」

彼女はそう言いながら近づいてきて、向かいのソファに置いてあるクッションを手にした。

ジェイドさんは、私の足首に貼る湿布をもらいに、医務室に行ってくれている。

1人で留守番していた時に、ヴィエッタさんが突撃してきた記憶はまだ新しいらしく、鉄子さんは「私も執務室の中におりますので」とジェイドさんに告げた。

彼も彼で、それには安心したのか、頷いて出て行ったわけだけど・・・。

「・・・あ、はい」

めずらしく、鉄子さんが私に関心を持ってくれているらしい。

私は不思議な気持ちになりながらも、彼女の言うことに素直に従って、ソファに横になる。

お行儀が悪い気もするけど、誰も入らないと分かっているからいいだろう。

・・・あっちにいた頃は、人前でごろんと転がることに抵抗なんかなかったのにな。

「捻った方の足は、こちらですか?」

「はい」

上から見下ろされて、少し威圧感の増した彼女に頷く。

でもその雰囲気からは想像できないくらいの優しい手つきで、彼女は私の足をそっと持ち上げて、クッションの上に乗せてくれた。

「こうしておけば、多少は腫れを予防出来るかと思いますので」

相変わらず、口調はすごく硬い。

でも、私はそんな人当たりとは裏腹に、彼女が優しい人なのだと知っている。

「ありがとうございます」

お礼を言うと、ふっと目を細めてくれた。

纏う雰囲気はヴィエッタさんとよく似たところがあるのに、印象はだいぶ違う。

「あ、そういえば」

思い出して言葉を紡ぐと、彼女が無言で先を促した。

ゆっくりとした動作で膝をついて、ソファに横になった私と目線を合わせてくれる。

どうしよう、鉄子さんが優しすぎる。

ほんの少し動揺して言葉に詰まると、小首を傾げられた。

・・・無防備な鉄子さん・・・か、可愛いかも知れない・・・。

「・・・何でしょうか」

「あ、と・・・」

言葉を発した途端に、いつもの鉄仮面の鉄子さんに戻ったのを見て、我に返った私は、言おうとしていたことを改めて口にした。

「あの、お見舞い、ありがとうございました」

「いえ・・・」

合わせていた目を逸らす彼女。

なんだか気まずそうにしているのを見ると、お礼を言ったのが間違いだったのかと錯覚しそうになってしまう。

「体調はもう・・・?」

「おかげさまで、元気になりました。

 ・・・と思ったら、こんなんなっちゃいましたけど・・・」

横になったまま肩をすくめると、彼女が口角を少しだけ上げる。

それでも鉄仮面が動いたと、内心驚いてしまった。

「あの・・・答えてもらえなくても、いいんですけど、聞いてもいいですか・・・?」

「内容によりますが」

控えめに尋ねた私に、腰を上げずに、そのままの姿勢で会話をしてくれる。

・・・この鉄子さん、本当に本物なんだろうか。

変な疑問が浮かんでしまうのを、手のひらを握りこんで打ち消した私は、続きを口にした。

「私が、紙切れを拾った話、聞いてます・・・?」

「はい」

恐る恐る言った私に、彼女は間髪入れずに頷く。

「戯言を書いた、陰湿な嫌がらせだと、伺っていますが・・・」

「ああまあ、そんな感じです・・・」

内容までは知らないのか、と内心頷いた私は、その先を訪ねた。

脳裏をよぎるのは、私に関するあの噂だ。

「・・・鉄子さん、その悪戯をした人達がどうなったか、知ってますか・・・?」

「知っています」

「じゃ、」

「直接お尋ね下さい」

身を乗り出しそうになったところに冷たく言い放たれて、思わず固まる。

目を見開いたまま彼女を凝視していると、目を細められた。

それ、笑ってるのか怒ってるのか分からなくて困る。

「紅の侍女は、職務中に得た情報をむやみに口にするわけにはいきません。

 ・・・補佐官殿や団長からの質問でしたら、仕事としてお答えしますが」

「・・・えー・・・」

何の表情も伺わせない、仕事のカオになった彼女には、何を言っても無駄だろう。

とりあえず不満なんだと声を発してみるけど、さらっと無視された。

握りこんだ手を広げて、手のひらにかいた汗をぱたぱたと乾かすように動かして。

「だって、ジェイドさんに聞いても上手くはぐらかされそうなんだもん・・・」

小さく呟いたところで、彼女が声を漏らしたのが耳に入る。

嘘、今、笑った?

思わず彼女の表情を凝視してしまった。

すると、私の反応が気に食わなかったのか、彼女はうっすら浮かんでいた笑みをさっと消してしまう。

もったいない、と思うのは自然な心の動きだと思う。

「私の口から聞いたということを、補佐官殿に気づかれないように振舞えますか?」

彼女の問いかけに、私はすぐさま首を振った。

彼に秘密にしておくなんて、出来っこないだろう。

紙切れのことだって、あっけなく白状してしまったくらいなんだから・・・。

「それが出来ないなら、直接尋ねた方が利口かと」

「・・・そう、なんですよねぇ・・・」

ため息混じりに彼女の言葉に頷くと、私は採血した方の腕をまくる。

四角い絆創膏もどきには、血が一滴もついていないみたいだ。

「せめて、もうちょっとポーカーフェイスが出来ればいいのになぁ」

すぐに表情に出てしまうのままじゃ、いけないな、とは思うのだ。

けど、どうしても、感情の波を内側に閉じ込めておくことが出来ない。

子どもだな、と自覚してしまう。

「・・・強くならないとな、とは思ってるんですよ・・・」

「・・・」

彼女が何かを言いかけて、口を閉じた。

何を言いたかったのかは全然分からないけど、彼女が普通の人並みには感情の起伏を持ち合わせているんだと分かって、頬が緩む。

今日は鉄子さんに驚いてばっかりだ。

「・・・明日から、王宮周りの走りこみでもしますかね・・・」

「それは方向が間違っています」

真顔の鉄子さんは、やっぱり怖かった。







・・・結局、昨日はジェイドさんと一緒にいる時間がほとんどなかった。

何度目になるか分からないため息を吐いて、私は落ちている本を拾い上げる。

歴史書の類は、それほど厚いものばかりでもなくて、私にも扱いやすかった。

読む機会がたくさんある本ほど扱いやすいサイズにして置いてあるのかも、なんて考えながらほぼ空の状態の本棚に、手にしたそれをしまっていく。

渡り人の史料なんか、誰が必要とするんだ、と言わんばかりの分厚さだった。

あれは絶対に、手にとってさらっと見てみよう、みたいな食いつき方を想定してない仕様だ。

私は半分うわの空のゆっくりした動作で、海と化した本の中から1冊ずつ手にとっては、空の本棚に戻す作業を繰り返す。


昨日はあのあと、ジェイドさんが湿布を持ってきてくれたけど、その後はまた執務室から出て行って、ほとんど会話なんかないままお屋敷に帰った。

帰ったら帰ったで、ジェイドさんは部屋に篭って仕事をするしかなかったようで、私を暖炉の前に呼ぶ時間も取れないみたいだった。

申し訳なさそうな、しゅんとした表情を見てしまったら、何も言えなくて。

当たり前だけど、紙切れの件の顛末なんか、口に出せる状況じゃなかった。

「・・・だいじょぶ、かな」

誰もいないと分かっていると、独り言が零れてしまう。

思うのは、今も執務室と各騎士団を行き来しているだろう彼のこと。

地震の被害は、王宮よりも街中の方が大きかったらしく、その対応に追われているらしい。

幸い、大きく揺れたのは王都くらいのものだったらしいから、各団長が出張する、なんてことにはならずに済んだ、とジェイドさんの口から聞いた。

髪を結うのも、今朝は栗鼠さんと交代してたくらいだから、きっと寝不足だと思う。

平気そうなカオをしてたけど、クマが出来たせいか、顔色が良くなかった気がするし。

・・・かといって、私が執務室にいても手伝える雑用がひとつもなかったから、こうして図書館の本の片付けにやってきたわけだけど・・・。

もちろん反対はされた。

足は捻ってるし、1人で動くのを心配するのは当然といえば当然だ。

でも今日王宮に入ってから「補佐官殿の逆鱗は、薄茶の髪に赤い花」と何かの合言葉みたいな囁きを何度も耳にしていた私は、それが私を指すということも分かっていた。

紙切れの件で、誰かが執務室に呼ばれてそれらしいことを理由にすでに処罰されているとしたら、きっとしばらく私に構おうなんて思う輩はいないだろう。

彼も時間に追われていたし、うやむやなまま執務室を出てきてしまったけど・・・。

帰りは王宮の入り口までは車イスで、階段は手すりに掴まって片足で跳んでくか。

捻挫も初めてじゃないし、10年前くらいまでは結構運動してた方だ。なんとかなる。

こんなの、異世界に渡ったことに比べたら、自力でなんとかなりそうな気がするし。

そんなことを考えつつも、離れたら離れたで、ジェイドさんのことが気になって仕方ない。

こりゃもう、重症もいいとこだ。

大きく息を吐いても、何も出て行ってくれない。


私は本の海に座り込んだまま本を拾い上げては戻し、とにかく気を紛らわせようと手を動かしていた。

足には今朝取り替えた湿布が貼ってあって、まだ歩くと痛みがある。

執務室を出たところで運良くシュウさんに会って、階段は抱き上げて下ろしてもらって。

それから蒼の騎士団本部で車イスを借りて来たはいいけど、図書館の中に入ったら本だらけだから、結局ずりずりと座ったまま這って、本の海までやって来た。

カウンターにいたキッシェさんが、抱き上げて連れ行くと言ってくれたけど、丁重にお断りしておいた。

本棚に掴まりながらだったら立ち上がっても大丈夫だから、とりあえず手の届く範囲の片づけを半分違うことを考えながらこなす。

ふと気づいたら、自分の周りが他よりも低くなってきていた。

このまま今片付けている場所から本を拾い上げていたら、雪崩のように本が流れてきて、昨日と同じく埋もれてしまうかも知れない。

私は這いずって、少し移動しようと手を伸ばした。

不規則に重なり合った本の表で、手がつるん、と滑る。

「よいしょ・・・っと」

バランスを崩しながらも落ち着いた先で、同じように本を拾い上げて、固まった。

そこにあったのは、一冊の本。

他と同じように、海の一部になっていた本だった。

でも、偶然開いていたページの挿絵に、私の視線は釘付けになる。

少し離れていたそれを引き寄せて、目の前に持ってきたところで絶句してしまった。

「・・・壁画・・・?」

心臓がばくばくいっていることから気を逸らすために、ひとりごちる。

いつか学校の授業で使った資料集にも、似たような雰囲気の絵が載せられていたような。

白黒だし、ところどころ掠れて描かれた線が見にくいけど、この四角いものは見覚えがある。

そこに描かれていたのは、私のいた世界の景色かと思うような、高層ビルや列車だった。

この世界に来て一度も見たことのないものが、歴史書の類の中に閉じ込められていたのを見つけて、私は背中に寒いものを感じてしまう。

そして、しばらくその挿絵から目を離すことが出来ずにいた。









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