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「じぇいどさぁん・・・!」

「いい子だから、力を抜いて・・・ね?」

「いたっ、痛い・・・っ」



「あとちょっとですからねー」

彼の声が耳元で聞こえる。

私は目を閉じたまま、その部分から顔を背けていた。

直視したら、絶対に気絶する。

「も、終わった・・・?!」

「まだ。抜くとこ、見たいですか・・・?」

返ってきた短い肯定に、喉がひくつく。

言葉にならない声が出た私を、彼が小さく笑った。

繋いだ手に力を込めれば、頭をぽふぽふされる。

久しぶりにこんなことしてるから、全身が震えてしまっていた。


「あんたら、ここ病院なんだけど・・・」

私の目の前で、疲労感の漂う声がした。

まだ目を開けられない私は、言葉を詰まらせてぷるぷると首を振る。

だって、怖いんだもん・・・注射・・・!


私達は、昨日教授にお願いされた通りに、採血をしに王立病院にやって来ていた。

話をしてた時は、しっかり頷いてた覚えがあるんだけど、いかんせん注射なんて久しぶりだったのと、思っていたよりも針が太くて、気持ちが縮み上がってしまったのだ。

情けない声を上げながら、先に採血を済ませたジェイドさんに励まされながら針を刺されて、血を抜かれている。

・・・何か喋ってないと、この恐怖には打ち勝てない気がする。

今だって、少し沈黙したら腕にぷすっと刺さる針を想像してしまう・・・!

「分かってますよ。

 ちょっと静かにしてて下さい」

つん、とした声が答えると、もう1つの声が苛々したように震えた。

「いやだから、それは僕の台詞・・・!」

その声を聞いている間に、すぅっと何かが引いていく感覚を覚えて、私はうっすら目を開けた。

瞼をきつく合わせていたからか視界が少しぼやけていて、注射の針が離れていくところが、それとは分からないことがありがたい。

ぼんやりしたものを振りほどくように瞬きを何回かして、私は目の前の人を見る。

白衣を着たその人は、ここの先生なんだろう。

彼に目を奪われている間に、看護士さんが「夜、寝る前までは剥がさないで下さいね」と言いながら、針の刺さっていた部分に、ぺっ、と四角い絆創膏みたいなものを貼ってくれた。

私が頷くのを見届けると、彼女は使った器具を持って個室を出て行く。

久しぶりに注射針を見たせいか、採血をしたせいなのか、心なしか頭がぼーっとする。

放心状態で2人の男の人のやり取りを眺めていると、ジェイドさんが私を見た。

「つばき?

 大丈夫です・・・?」

目の前で手を振って、小首を傾げる彼。

私はそれにゆっくり頷いた。

「ちょっと今、緊張の糸が・・・」

まだ心臓がばくばくいっているのを胸の上から手で押さえて、私は息を吐く。

そういえば、と気がついて、ずっと繋いだ手を解いてみれば、汗でテカテカしていた。

ポシェットからハンカチを取り出して、彼の手のひらを拭く。

「ごめんなさ・・・ジェイドさんの手、汚しちゃった・・・」

そんなことを言った私に、彼はどういうわけか「いいんですよ」と言いながらも、微妙なカオをしてたけど・・・なんで?


「それで、」

頑張りましたね、と頭をぽふぽふする彼とハンカチをしまう私に、先生が割って入ってきた。

「この子、誰」

どうやらジェイドさんの知り合いみたいだと見当をつけて、私は会釈する。

頭を動かすとふらつきそうだったから、ほとんど目礼だったけど。

「リアといいます。

 少し前にジェイドさんのお屋敷の庭に落っこちてきた、渡り人です・・・」

ざっくりとした自己紹介に、先生が驚いた。

「そうなの?」

目をまんまるにして、ジェイドさんのことを凝視している。

それに軽く頷いた彼は、なんでもないことのように言った。

「ええ。

 少し前、どか雪の日があったでしょう。あの日にね、庭に」

言って、彼は私を振り返る。

空色の瞳が目の前で細められて、私はその日のことを思い出し始めた。

混乱してて、ジェイドさんを指差したりして。

ラズおばさまにも助けてもらったんだよね・・・元気にしてるかな・・・。

「ああ、あの雪嵐の日か・・・君、よかったね」

「え、あ、はい」

先生の言葉で回想から引き戻された私は、曖昧に頷く。

突然視線を向けられて戸惑った私をなんとも思っていないようで、先生はその先を話し始めた。

「そこの横暴補佐官が勝手な契約をしてくれたおかげで、大国の医療機関に派遣されて

 せっせと外貨の獲得に励んでたんだけどさ・・・」

ちくちくと棘を含んだ物言いをしながらも、その目は真剣だ。

向かいに腰掛けているジェイドさんも、少し表情が険しくなる。

「あの雪嵐の日、渡り人が運ばれてきたんだ」

「・・・なるほど」

「怪我でもしてたんですか?」

嵐の日に渡り人がやってくるのは、この世界では周知の事実だ。

とはいえ、実際にそれに遭遇したことのある住人が、どれくらいいるのかは知らない。

都市伝説みたいなものなのかも知れないな、と最近では思っていた。

私の問いかけに、先生が首を振る。

「衰弱してるからという理由だったみたいだけど・・・。

 僕が見た感じでは、そんなことは全然なかった。

 その渡り人をちらっと見る機会があったけど、すこぶる元気そうだったしね。

 ・・・囲っとこうって思惑が滲み出てたよ」

最後の方はため息混じりになって、先生がジェイドさんに視線を送った。

「あれじゃ、本人が気づいてないだけで囚人と一緒だ。

 渡り人の基本的な情報も、本人に伝えてないんじゃないかと勘繰りたくなるくらい。

 リア、だっけ。

 この国に渡ってきたのは、本当に運が良かったね」

私はこくりと頷いて、ジェイドさんの服の裾を掴む。

偶然の一致で、お姉ちゃんの気配が濃く残る土地で、こうして息をしているのだ。

もし他の国に渡っていたとしたら、と考えると恐ろしい。

・・・他の国がいくつあって、それぞれがどんな国なのか全く知らないけど。

今彼の隣にいることを考えたら、それ以外の展開は全部恐ろしいと思えてしまうから不思議。

「その渡り人は、その後どうなったんです?」

彼は言いながら私の手を裾から離して、その大きな手で包んでゆっくりさする。

「・・・分からない。

 僕はもともと借り物医師だからさ、隅っこの方で大人しくしてるしかないじゃない」

先生が肩をすくめた姿は、なんだか子どもっぽかった。

そう思ってみていたら、この話は終わり、とばかりに声色を明るくして、私に向かって手を差し出してくる。

私はその手を凝視して、握手をしようとしてるんだ、と気づいた。

手を出せば、ぎゅっと握られてぶんぶん振られる。

ぶんぶん振られて、視界ががくがく揺れた。

しまった、注射針刺した方の腕だった・・・!

「ま、今度そっちに報告に行くからさ。

 リュケイオン=ヘイム。皆はリュケルって呼ぶから、君もどうぞ。

 そこの意地悪補佐官が何か企まない限りは、僕はこの病院にいるから、何かあったら、」

「いつまで握ってるんですか」

べり、と音がしそうに、私と先生の握手が解かれた。

ジェイドさんが、しっしっ、と手をぱたぱたさせてから、私の手をさする。

ちょっとだけ赤くなっているのを見て、先生は女の人みたいな見た目なのに、意外と握力があるんだな、なんて変な感想を抱いてしまった。

「ああそうだ、採血したものはどちらも、うちの父の研究室に送っておいて下さい」

「はいよー」

リュケル先生の気のない返事を聞きながら、私はジェイドさんに促されるまま立ち上がった。

立ちくらみがないことにほっとしていると、彼がかけてあったコートを着せてくれる。

かたん、と音がして、背後で先生も立ち上がったんだと分かった。

「そういえば、」

コートに腕を通していると、ふいにジェイドさんが視線を投げた。

その目は私を通り越して、後ろに立っている先生を見ているらしい。

「リアとミナは、従姉妹なんですよ」

その時の、先生が息を飲んだ音にはびっくりした。


どうやら、リュケル先生はお姉ちゃんの保護された孤児院で働いていたらしい。

しかもお姉ちゃんのことが好きすぎて、シュウさんのコインを返してこい、と喚いたこともあったんだそうな。

喚いたってそんな、子どもみたいな・・・と絶句していたら、ジェイドさんは笑いながら「彼は少し前まで子どもだったんですよ」と教えてくれた。

それから、「ミナにこっぴどく振られて、少し成長したみたいです。外貨のために大人しく派遣されてくれたんですからねぇ」とも言った。

それがどれくらい凄いことなのか分からないけど、先生が変わったんだということは、ジェイドさんが遠い目をしたことで、なんとなく飲み込めた。

この話は深く聞かない方がいい気がして、私はご褒美のチョコレートを強請ることにして、運転席に座った彼の横顔をじーっと見つめた。








ジェイドさんよりも背の高い彼が、私の頭上に手を伸ばす。

がっしりした、剣を握る手が重たそうな本を引っ張り出していくのを眺めていたら、だんだん首が痛くなってきた。

「リュケルは、元気だったか」

シュウさんの口からも先生の名前が出て、小首を傾げる。

彼は手にしたメモから目を離さずに言う。

「・・・親戚、みたいなものだ」

笑い声を含んだ言葉に、私はなるほど、と頷いた。

「そうなんですかー・・・」

「ああ、奴がミナにちょっかいをかけていたのは知ってる。

 ・・・リアが変に気にして言葉を選ぶ必要はないぞ」

事も無げに言うから、私の方がどぎまぎしてしまったじゃないか。

リュケル先生もお姉ちゃんのことが好きだったなんて聞いたから、きっとシュウさんも気にしてるのかと思ってたのに。

私は古い本の匂いを吸い込みながら、呼吸を整えようとする。

すると、彼が静かに言った。

その腕にはすでに、何冊か本が抱えられている。

「リアは・・・、ジェイドの側を選んだのか」

何気ないひと言に、どきん、と鼓動が跳ねた。

口から飛び出るかと思うくらい、派手に跳ねた。

彼の足が、別の場所へ行こうと方向を変える。

私は思い切り動揺しながらも、彼に着いていくべく、体の向きを変えた。

彼はジェイドさんとは違って、私の動きにはあんまり関心がないらしいから。

そして、やっとのことでか細い声を出す。

「は、はい・・・」

こんなに情けない声、初めて聞いた・・・。

悪いことなんて何もしてないと思うのに、だ。

「・・・あいつは、自分のことを話したか?」

「自分のこと・・・?」

「ああ」

なんのことだろう、と内心で首を捻る。

本ばかりの圧迫感からか、なんだか息苦しくて、私は考えを纏めるのに苦労していた。

「・・・紙切れに書かれていた内容とやらを、見せてもらった。

 ・・・昨日、夕食の後に。すまないな、勝手に」

「いえ・・・」

特に衝撃を受けることでもないのに、体が硬直して動けない。

かろうじて発した言葉で、彼の謝罪を打ち消した私は、どうしたらいいものかと視線を彷徨わせる。

そして、ある疑問が浮かんで、私は口を開いた。

「あの・・・」

彼の緑色の目が、私を見据えた。

お姉ちゃんには、この目がすごく優しく見えるみたいだけど、私には青々とした蔦が絡め取ろうとするように思えて、若干の緊張感が湧いてくる。

「シュウさんは、知ってたんですか・・・?」

紙切れを見たなら、内容に衝撃を受けてもいいはずだと思った。

だって、書庫での逢瀬って、2人の間に何かがあったということ、なんじゃないの。

「知っていたし、あれに書かれていたこと以外のことも知っている。

 ・・・別に、なんてことはないが」

薄っすら笑うカオは、強がっているようにも、何かを隠しているようにも見えない。

私は内心首を傾げて、じっと彼の顔を見つめた。

「・・・本能が暴走したようなものだ。

 言ってしまえば、俺も、本能が優先されて彼女を傷つけない保障などなかった。

 手に入りそうなところで離れてしまわれては困るからな、必死に自分を抑えて・・・。

 まあ、そういうことだ。

 気にするなとも言えないが、気にしていいことなど、ひとつもないな」

内容にも驚いたけど、めずらしく一気に言葉を並べた彼に驚愕してしまう。

口がちょっと開いてしまったのは、見逃して欲しいところだ。

「・・・気にはなりますけど、ジェイドさんの側にいたいし・・・」

思わず、本音が漏れる。

彼の言葉に触発されてしまったに決まってる。

じゃなきゃ、こんな恥ずかしいこと、言えない。

指先でたくさん並んだ本の角をなぞりつつ、言葉を並べた。

「私が好きになったのは、私の知ってるジェイドさんだから・・・。

 もやもやするけど、いいんです。もう決めたんです・・・」

今、一生懸命もやもやを消化してるんだ。

だから、彼の過去についてはあんまり考えたくない。

私は目を伏せた。

彼の靴がこちらを向いたままなのが視界に入る。

ふぅ、と頭上で息を吐く音が聞こえた。

「リア」

短く、単に呼んだだけなんだと分かる声に、顔を上げる。

眉間のしわは怖いけど、こういう、なんでもない声や言葉にはずいぶん慣れた。

そのうちに、目を見ていても緑の蔦が飛んでくることはなくなるんだろうか。

「あいつを時々、休ませてやってくれ。

 余計なお世話かも知れないが・・・」

「休む・・・?

 お休みを取るってことですか?」

私の言葉に、彼が苦笑した。

わああ、今、ちょっと可愛かった。

ジェイドさんの前で言ったら、確実に意地悪スイッチを押してしまう感想を抱いたことを自覚しつつ、私は目を小さく見開く。

「違う・・・ああ、いや、いい。

 そういうところがいいんだろうな、あいつには。

 ・・・それならそのまま、何も考えずに側にいてやってくれ」

「・・・え?

 ああ、はい・・・」

結局、彼は自分の中で納得したみたいだけど、私は捻りすぎて首が痛くなりそうだった。








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