35
ぱち、と目が覚めたら、目の前にジェイドさんの背中があった。
温かくて気持ちよくて、撫でて欲しいと擦り寄る猫みたいに、彼の背中に頬を寄せる。
昨日いっぱい寝たからか、すこぶる目覚めが良かった。
頭はすっきりクリアだし、体も心なしか昨日よりも軽い気がする。
もしかして、ジェイドさんの話を聞いたのと、一緒に眠ったのが良かったのかな。
背中から、彼の鼓動が伝わってくる幸せに身を委ねて、私はもう一度目を閉じた。
「ジェイドさん・・・?」
囁いても、彼の返事はない。
鼓動も規則正しいし、もしかしたらまだ寝てるのかも・・・。
なら、私も眠くないけど一緒に・・・と思ったら、彼が動いた。
「・・・起きてますよ」
ちょっと鼻にかかる声は、寝起きだからなのかな。
それに気をとられていたら、自分がこちらに体を向けた彼の腕に絡め取られたのに、気づくのが遅くなった。
「おはよう、つばき」
大きな窓から朝の光が入って、部屋が爽やかに明るい。
金色の髪がきらきらして、私は思わず手を伸ばす。
見た目よりも硬いことを、触れてみて初めて知った。
もしかして今、ものすごく距離が縮まっているんじゃなかろうか。
「おはよ、ジェイドさん」
髪を摘んでいた手を彼に絡められながら応えると、空色の瞳が柔らかく細められた。
「ねえ、つばき・・・?」
囁きが降ってきて、私は目だけで返事をする。
この距離にいるのなら、言葉なんて必要ないと思うのは強気すぎるんだろうか。
「これからは一緒に寝ましょう」
彼の提案に驚いて、瞬きを数回。
「嘘みたいに、良く眠れました」
「え?」
「つばきは、眠れなかった・・・?」
「ううん、私も・・・」
頷いて言えば、彼が私の頭をぽふぽふする。
口元が笑みを刻むのを見たら、へらりと笑ってしまっていた。
いやいや、昨日の夜一応怒ったフリしとこう、と思ったんだ。
私は慌てて口元を引き締めて、ぶんぶんと首を振る。
それを間近で見ている彼は、くすくすと笑い出した。
しっかりその腕で私を閉じ込めて。
「嘘つきさんは、素直にしてあげましょうね」
言った瞬間に、意地悪な光がその瞳に宿った気がして、私は息を飲んだ。
起き抜けからこの展開、嫌な予感しかしない。
咄嗟に距離を置こうとするのに、彼の腕はがっちり私を捕まえていた。
空色の瞳が獲物を見つめるように、ひた、と私の目を見据える。
そして、毛布の擦れる音がしたかと思えば、素早い動きで私に覆いかぶさった。
昨日の再現をされてるようで、動悸が激しくなる。
朝がやって来たばかりなのに、熱のこもった雰囲気になって、私は慌てふためいた。
「ジェイドさん、仕事・・・」
「行きますよ、今日は、ちゃんと」
言いながらも、その手は私の頬を撫でている。
寝グセひとつない髪が、まっすぐに私に向かって落ちてこようとしていた。
「でもね、その前に・・・」
彼の足が、私の両足を割って入ってこようとする。
必死に足を開くまいと格闘していると、唐突に、耳の後ろを舐められた。
じゅる、と音がする。
「ひ、ぁ・・・っ」
変な声が出たのと同時に、足に入れた力が一瞬抜けた。
その隙を、彼は狙っていたみたいだった。
するり、と彼の足が割って入ってくる。
・・・なんでそんなに手馴れてるんだ。
ある程度はそうだろうと思ってたし、私だってこんなふうに触れられて悪い気はしない。
それくらいに彼のことを想う自分がいることも、ちゃんと分かってる。
でも、やっぱりあまりにも手馴れてると、なんか悔しい。
流されたいけど流されるのが無性に口惜しくて、嫌だ、と首を振りたくなる。
無駄のない動きに嫉妬心が煽られた私は、彼の肩口を少し強めに叩いた。
「もぉ・・・!」
でもその手すら、彼に捕まってしまう。
いつの間にか頬を撫でていた手は、私の腰のあたりを撫で回していた。
ただ触っているだけなのに、どうしてか体が熱い。
その熱に意識が集中してしまって、次に我に返った時には、首筋を舐められては軽く吸われて、が繰り返されていた。
もう変な声しか出てこない。
それも何度も、何度もだ。
翻弄されて考えも纏まらないし、自分が今どんなカオをしてるかなんて、全然分からない。
「・・・つばき」
ふいに呼ばれたのを、ぼんやりする頭で理解して、私は彼の目を見た。
空色が、沸騰しそうなくらいに熱い。
名前を、こんなにも切なげに呼ばれたのは初めてだと思う。
あまりにも濃い雰囲気に飲まれた私は、言葉が出てこなくて目だけで返事をした。
私の目にも、同じような熱が浮かんでいるんだろうか。
だとしたら、もう流されちゃってもいいような気もしてしまう。
息が少しだけ荒くなった彼は、獣のようにも見えるのに、すごく人間らしくも見える。
ほんの少しの間見つめ合っていたら、腰を撫でていた手が動いた。
片手で器用に、ボタンを外しにかかる。
「ちょ・・・っ?!」
まさか私が熱を出した翌日に、しかもこんな朝っぱらから、本気で触れてくるなんて。
今までみたいに熱を孕んだ瞳の奥には、ちゃんと理性が残っていて、今だって反応を見て楽しんでるだけかと思った私は、肩口が空気に晒されたのを感じて、猛烈に焦った。
何か言わなくちゃと思うのに、上手く言葉にならない。
完全に翻弄されてる。
そうこうしているうちに、彼が私の鎖骨のあたりに唇を這わせ始めた。
それが段々と下に下りようとしているのを感じ取って、身を捩ろうとするけど、彼の強い腕がそれを許してはくれない。
ぞわぞわと何かがせり上がってきて、悲鳴みたいな声が出る。
その抑えきれない声も、彼に奪われて。
そうして、何がなんだか分からなくなった頃だ。
彼がおもむろに顔を上げて、私の目を覗き込んだ。
与えられ続けた熱に翻弄されて、頭がのぼせ上がった私は、なかなか彼の瞳に焦点を合わせることが出来ない。
「ジェイドさん・・・?」
かろうじて掠れた声で彼を呼ぶと、へたり、という擬音語がぴったりなくらい、脱力した彼が覆いかぶさってきた。
「ジェイドさん?」
急に力を抜いてのしかかってきた彼に、体調でも悪くなったのかと心配になった私は、慌てて背中を叩く。
すると、彼が大きなため息をついた。
そこにはもう、私を絡め取ろうとしていた荒々しい熱はないように感じる。
「・・・ごめんなさい、ちょっと悪戯が過ぎました。
このままなし崩しに、というのはさすがに良くないですね」
言いながら、起き上がる。
離れていく体温を追いかけて、私も身を起こす。
やっぱり今までと同じ、意地悪のつもりだったの・・・?
それにしては強引だったように思えて、私は熱の冷めつつある頭を駆使して考える。
困ったように微笑む彼が、嵐の中をくぐってきたかのような、私のぼさぼさになった髪を、丁寧に手で梳きながら続けた。
「つばき・・・?
だいじょうぶ・・・?」
言いながら、器用に外したボタンを、もう一度掛けなおしてくれる。
訝しげなカオをして、呆けたまま返事も出来ずにいる私のおでこに手を当てる彼。
「・・・熱は、もうないみたいですね」
そのカオは、いつもの過保護で心配性な、親鳥ジェイドさんだった。
それから、私は彼の支度が終わるまで暖炉の前に転がっていた。
クッションに頭を預けて、ごろごろと。
こっちでは、床に転がるのはお行儀が悪いんだろうか。
彼は支度の途中で私のことが目に入るたびに近づいて来ては、無言でワンピースの裾をそっと摘んで引っ張って支度に戻って行った。
呆れたように息を吐いたのを聞いたけど、また子どもだな、なんて思われたんだろうか。
そして、支度の整った彼が私を部屋に戻してくれて、栗鼠さんが部屋に入ってくるのと交代で王宮へと出かけて行ったのだった。
結局私は、大事をとって今日も雑用をお休みだ。
寝ていなくてもいいけど、大人しく静養するように、と言われてしまった。
もうなんともない、と言ってはみたものの、彼は首を縦に振ってはくれなくて。
それでも、大丈夫なのに、と何度も呟いていたら「いつまでも味見しかさせないつもりですか?」なんて言われてしまって、恥ずかしさが一周して具合が悪くなりそうになった。
そういうわけで、私は熱が引いたのにも関わらずベッドの上で悶々と、頭の中をぐるぐるする彼の捨て台詞と格闘しているわけだ。
時々変なうめき声を上げては、栗鼠さんが苦笑しているのも知っているんだけど・・・思い出すたびに全身を駆け巡る甘い痺れを、どうやり過ごしたらいいのか分からない。
誰か助けて、と思うのに、これをどうにかしてくれるのはジェイドさんだけなんじゃないかと気づいてしまった。
もう、ここまでくると末期だ。
あの紙切れの謎は解けてないのに、そんなことが本当に小さな塵のように思えてくる。
彼が言うには、「自分への嫌がらせ」だそうだけど、それもなんだか物騒な響きだ。
帰ってきたら尋ねてみてもいいかも知れないな。
そんなことを思って、唸るのを忘れていた時だった。
壁の向こうがにわかに騒がしくなったかと思ったら、突然、ドアが激しくノックされた。
「・・・お嬢様っ」
栗鼠さんが駆け寄ってくる。
突然だったのと、尋常じゃない気がしたのとで、私も飛び起きて栗鼠さんを抱きしめて。
そしてその刹那、ドアが乱暴に開け放たれた。




