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ぱちぱち、と暖炉の中で炎が爆ぜる。

ジェイドさんは、「自分の口から話したい」と言ったわりに、なかなか口を開こうとしなかった。

私を膝に乗せたまま、考えを纏めているように見えて、なんとなく話しかけづらい。

お風呂上りだからか、彼の体からほかほかと熱が伝わってくる。

ずっとベッドの中にいた私は薄着だから、その熱が気持ちいい。

あの紙切れのことさえなければ、このまま夢の中に堕ちてしまっても構わないくらいに。

ぱち、とまた暖炉の炎が爆ぜた。

「ミナのことは、」

ふいに、彼が口を開いた。

その瞳が私を捉えることはなく、ただ、どこか一点を見つめて。

その表情は、私の持っている感情の中のどれにも当てはまらないような気がした。

けど、その向こうにお姉ちゃんがいるようにも、思えなかった。

「好き、だったのかも知れません・・・」

・・・きた。

聞きたいけど、聞きたくないお姉ちゃんのこと。

でも、この話をする彼と向き合わないと、ずっともやもやしたまま、これから過ごすことになるんだ。

そう思うと、栗鼠さんが紙切れを見つけてくれて、良かったのかも知れない。

俯きながら一瞬のうちにいろんなことを考えて、私は息を詰めた。

痛いのは、早く終わらせて欲しい。

彼の手が、私の髪を滑りおりていく。

「・・・でも、今となっては、あれは甘えだったのかとも思います」

「・・・あまえ?」

お姉ちゃんのことが、すごく好きだったんだと思い込んでいた私は、彼の言いたいことが、よく分からなかった。

オウム返しをするのと同時に、彼の目を覗き込んだ。

視線を急に動かして少し視界が揺れたけど、彼の腕で囲われてると思うと、怖くない。

空色の瞳が私を見て、柔らかく細められた。

滲み出る甘い何かに、彼がここにいることを実感して、ほっとする。

「ええ」

炎の爆ぜる音に混じって、小さく肯定する声が届く。

「彼女は、初めて会った時からずっと、私に対する態度が変わらなかったんですよね。

 私の方が立場が上ですから、それなりに敬意を払っているのは伝わる・・・けれど、

 どこか気安いというか、ちょうどいい距離にいてくれたというか・・・」

彼は言葉を選んでいるようで、ゆっくり言葉を並べた。

私はそれを黙って聞いていた。

不思議と、気持ちは静かだ。

「お姉ちゃんといて、気持ちが安らいだってこと・・・?」

自分の口からそんな台詞が出ても、跳ね返ってきて傷ついたりしなかった。

彼は頷いて、

「それを、自分だけに与えて欲しいと思ってしまったんでしょうね」

くしゃ、と苦笑いした。

「もうずっと、仕事ばかりしてましたから・・・。

 いつ、どこで自分に戻ったらいいのか、分からなくなってしまっていたみたいです」

「ジェイドさん・・・」

苦しそうで見ていられなくて、私は彼の頬に手を伸ばす。

薄着だから、指先が冷えてるかも知れない。

一瞬触れるのに躊躇した手を、彼の大きな手が捕まえた。

そのまま、ぴたっと自分の頬へを持っていく。

触れた頬はお風呂上りだというのに、ちょっとだけ冷たかった。

「今は・・・?

 今も、自分に戻れない・・・?」

記憶はほとんどないけど、私はママが刺されたあと、自分が自分でなくなったことがある。

彼の苦しさとは種類が違うだろうけど、それでも、苦しいと思う気持ちがあることは、ちゃんと知ってる。

目を細めて彼が微笑んだ。

「今は、いろんな自分がいていいんだと思うようになりました。

 この年になって、ちょっと恥ずかしいですけれど、ね」

「いろんな自分?」

彼が自分のことを掘り下げて話してくれることに、私は一生懸命に聞き返す。

もっと知りたい。

「つばきがいると・・・、

 気持ちが休まったり、意地悪したくなったり、笑わせてみたくなったり・・・。

 ・・・髪を下ろしたままフラフラしていて、苛々したりもしましたね・・・」

その時のことを思い出しているのか、彼がくすくすと笑い出した。

私だって覚えてる。

まだこっちに来たばかりだったから、髪ひとつで抱え上げられて連行されるとは思ってなかった。

相当面白かったのか、彼はまだ笑っていて。

「あれは忘れて下さい・・・」

彼の頬から手を下ろして、思わずジト目で睨んでしまったじゃないか。

笑いを堪えながら「すみません」と囁いて、彼が私の髪に鼻先を埋めた。

「久しぶりに、苛々を隠すのを忘れてしまったんですよね、あの時は・・・」

「・・・そ、うですか・・・」

耳に近いところで言葉を吐かれると、心臓に悪いんだよね。

そう思っても「意地悪したくなる」と言われたから、絶対反応しないように、と心に決める。

「・・・だから今は、安らぐだけが自分に戻るということじゃない、と分かります」

ぎゅっ、と抱きしめられたら息が詰まって、一緒に胸も、ぎゅっ、となった。

私も、と衝動的に彼の首にしがみつく。

「すごく、体が軽いんです・・・つばきと一緒にいると・・・」

この彼は、よく喋る。

ああもしかしたら、ほんとは結構喋る方なのかも知れない。

半ば感嘆しながら、私は頷いていた。

「それにね、」

くぐもった声が耳に響く。

そ、そこは首筋なので・・・。

嫌がったら意地悪ルートに変更されると思うと、思い切って身を捩ることも出来ない。

いや、本当に嫌かと聞かれたら、嫌ではないけど・・・。

葛藤している間にも、彼はそのまま言葉を紡いでいた。

「与えるたびに、自分が豊かになっていく気がして、すごく充実してるんです」

「・・・ちょっと、難しいです・・・」

急に抽象的に感じて呟いた私に、彼がふふ、と声を漏らす。

首筋に震えが走った。

変な声、出そう。

下ろした髪を隔てて迫ってくるものをやり過ごした私は、溜めていた息を吐いた。

「いいんです、分からなくても」

言われて、そんなもんかと思ってしまう。

言葉の意味は分からなくても、きっと彼は私のことを見てくれてると思える。

なんだか、視界がふわふわ落ち着かなかったのが少し治まってきた気がして、私は尋ねた。

「甘えてたって、どういう意味・・・?」

言葉に込めたのは、単純な疑問。

彼はそれを察してくれたのか、顔を離して話し始めた。

首元がすっとして、なんだか物足りない。

顔には出さないけど。

「そうですね、話を戻しましょうか。

 ・・・今になって、ミナが欲しいと思ったのは、自分が楽になりたかったからで、

 与えて欲しいと、それだけだったんじゃないかと思うんですよ。

 今となっては、自分の手元に堕ちて来るように、計算していた気もします・・・」

「・・・ジェイドさん、駆け引きとかしちゃうんですか・・・」

どこかで過去だと割り切ったのか、私は自覚もなしに彼に訊いていた。

大学の友達は、メールのタイミングや文面、使う絵文字の種類まで計算して、自分の好きな人に近づこうと頑張ってたな。

私はそこに費やすエネルギーがないから、いつも正面突破型で、何人かとお付き合いしたっけ。

大体は向こうから「ちょっと重い」みたいなことを言われて、終了、みたいな。

とにかく、彼が恋愛で駆け引きをする姿が想像出来なくて、首を傾げた。

すると、彼が苦笑したかと思えば、一瞬で熱のこもった視線を送られてしまって、目を合わせていられなくなってしまった。

「・・・本当に欲しいと思ったら、駆け引きなんて出来ないみたいですよ、私は」

お風呂から上がって、ずいぶん経つのに、まだ彼の体は温かい。

熱いくらいだ。

「私には・・・?」

熱に浮かされるようにして、言葉がするりと抜け落ちる。

抜け落ちたそばから後悔して視線を落としていると、彼が何も言わずに手をとった。

思わずその行方を目で追っていった先で、空色の瞳が待っていて。

彼の唇が、私の手にキスするのを目の当たりにしてしまった。

これは、唇にされるのよりも恥ずかしいかも知れない。

顔に熱が集まって、俯きかける。

すると今度は、こめかみにキスが降ってきた。

ちゅ、と軽い音をわざと立てて。

咄嗟に振り向いた私の目と、意地悪な光を孕んだ目がばちっと合う。

そしてそのまま、縫い付けられたように私は目を離せなくなった。

「駆け引きしてると思いますか・・・?」

「・・・さあ・・・」

囁きに、曖昧な言葉を返すと、彼が喉の奥で笑った。

「私は、振り回されてる自覚がありますけどね・・・」

「・・・うそ・・・」

今度は私が小さく笑う。

「嘘じゃないですよ・・・。

 今だって、どうしたら伝わるのか一生懸命頭を働かせてます・・・」

「・・・もう分かったから、だいじょぶですよ」

「ほんとうに?」

彼の瞳から熱が引いて、心配そうに揺れた。

私が大丈夫って言っても、彼は一度じゃ信じてくれないらしい。

そんなにしょっちゅう強がることは、私には出来ないよ。

「ほんとに」

こくん、と頷くと、彼はほっとしたように息を吐いた。

目元が緩んで、甘く微笑む。

「それに・・・、きっと今聞いたことが、お姉ちゃんとのこと全部じゃないと思うけど、

 そんなこと気にしてたら、ジェイドさんが初めてキスした相手まで遡らないと満足

 出来なくなっちゃいそうですもん」

そう、気にしたらキリがない。

たまたまお姉ちゃんだったから、極度に気にして極度に怖がった。

・・・でも、私が特別だって分かったから、もういい。

世の中には、確信犯で姉妹や親戚に近づいたりする男の人もいるかも知れないけど、彼はそういうのとは違うと信じられる。

だから、もういいんだ。

あとは私が、もやもやしていた気持ちをゆっくり消化しよう。

「それに、私だって向こうで彼氏がいなかったわけじゃないし・・・」

今まで恋をしてきたのは、お互いさまだからね。

そういう意味を込めて、彼の目を見つめ返して、ぴし、と固まった。

目が、彼の目が怖い。

空色に青い炎が宿っているのが分かって、私は初めて自分が地雷を踏んだことを自覚した。

あれ、さっきまで私優位じゃなかったっけ。


一瞬だった。

とさっ、と軽い音がして、気づいたら彼が私の顔の両脇に手をついていた。

視線をずらしたら天井が見えて、ああ、押し倒されちゃったんだ、と分かる。

分かりつつも、ものすごく焦った。

「そうでした、失念してましたね」

氷点下の声が降ってきて、彼と目が合う。

その熱に飲み込まれてしまいそうになって、声が上手く出ない。

「つばき、あなたの過去も少し教えてもらえます?」

「え?」

「大丈夫ですよ、嫉妬に狂ったりしませんから」

にっこり笑うカオを見て、絶対に従ってはいけない、ともう1人の自分が警鐘を鳴らした。

ぶんぶん、と首を振る。

「人様にお話出来るような、素敵な恋は経験してませんし!」

「じゃあ、質問しますからね。

 目を、見ていて。絶対逸らさないで」

喚いた私を無視して、彼が言う。

有無を言わせない言い方に、私は声にならない悲鳴を上げた。

もちろん彼は、そんな私にはお構いなしだ。

「手を繋いだこと、ありますね?」

目を逸らすなと言われたら、もうそれに忠実になるしかない。

この体勢で凄まれたら、されるがままが賢い選択だと思った。

「キスしたこと、ありますね?」

でも、この手の質問・・・。

なんだか嫌な予感がした刹那。

「・・・体を重ねたことは、ないですよね?」

否定を肯定しろ、と質問されて、固定していたはずの視線が揺れた。

・・・しまった。

そう思った時には、彼の顔がぶつかるようにして落ちてきて。

「・・・んぅ・・・っ」

息も出来ないくらいの、生まれて初めて経験するような激しい口付けを受けていた。

いや、受けきれてない。

苦しくて、頭がおかしくなりそう。

何度も何度も角度を変えては、私の中の何かを抉り出そうとするみたいにされる。

「・・・んーっ」

苦しくて悲鳴を上げると、彼が、ぷはっと息継ぎをした。

てゆうか、そんなに苦しいなら、こんなに激しくしなければいいのに。

そう思いつつも、その刹那を逃さなかった私は、体を捻ってうつぶせになった。

ぐるん、と視界が回って酔いそうになる。

けど、そんなことに構っていたら、あっという間に骨も残さず食べられてしまうと思った。

鬼気迫る彼は、本当の獣に見えてくる。

もしかして、男の人って皆こんなもんなのか。

だとしたら、今まで付き合ってきた人達は、一体なんだったんだ。

目をぎゅっと閉じて、ぐるぐると回転する闇の中、思考も一緒に回転する。

私は息を整えてから、ちら、とジェイドさんを見上げた。

「・・・私、病人ですよね・・・?」

ちょっと自制しましょう、のつもりで呼びかけると、彼は綺麗に私の台詞を無視する。

「荒療治、という手もありますよね」

カオが真剣すぎて怖い。

獣が唸ってるみたいだ。

彼の手が、さらりと私の髪を寄せる。

首が空気に晒されて、ひんやりした。

次の瞬間、ひんやりしていたはずの場所に、熱を感じる。

「異世界の人間は、匂いがしないから気づきませんでした。

 彼らの気配も、一切合切追い出さないと安心出来そうにないんですが・・・」

唇の触れた場所から、電気が走るみたいにして痺れていく。

私はどうしたらいいのか分からないまま、彼が与える熱のような何かに耐える。

ぴりぴりとしたそれは、つま先まで突き抜けていって。

それが何度も繰り返されて、変な声が出始めた頃。

自分でもどうしてそんな言葉が出たのか分からないけど、言ってしまったのだ。

まだ全部を差し出せるほどの勇気が、持てなかったからかも知れない。

「・・・ジェイドさんだって、お姉ちゃんとキスくらいはしたんでしょ?

 だから、これまでのことは、おあいこってことで、ね?!」


ぴた、と彼の動きが止まる。


「え?」

思わず間抜けな声が出てしまった。

彼の離れていく気配に、私もつられて起き上がる。

見れば、彼は口元を押さえてうろたえていた。

初めて見る様子に、私もうろたえる。

そして、遅れて小さな怒りがやってきた。

「そっかー・・・キスくらいはしてると思ってたけど・・・」

この動揺っぷり、それ以上のことに及んだってことなんだな。






部屋に戻ろうとした私は、呆気なく彼の腕に捕まって、ベッドに横にされた。

曰く、「朝までに体調が急に悪くならないか心配だから、一緒に寝て欲しい。なんなら殴ってくれても構わない」とのことだったので、大人しく連行されることにしたのだった。

いや、殴ってはいないし、これからも殴ることは絶対にないけど。

そしてふかふかのベッドに私を横たえたすぐあとに、隣に、彼ももぐりこもうとするので、ちょっと待て、と手を出した。

「・・・ここから、」

ベッドの半分のあたりに、指でぴーっと線を引く。

もちろん、一度寝てしまえばそんなの越えてしまっても分からない。

つまらない意地だと、自分でも分かっていた。

彼が不思議そうに私の動作を見ている。

「こっちには、入らないで下さいね」

お決まりの陣地決めをして横になると、彼が声を上げた。

「えぇ~・・・」


その時の彼の声は、獣というよりは、愛玩動物みたいだった。

可愛くて可愛くて、何度も彼にぴったりくっきたくなって。

自分と葛藤しなくちゃいけないのは、本当に大変。


ほんとは、彼とお姉ちゃんとの間に何があったかは、もう、あんまり気にならなくなってた。

ううん、気にはなるけど、でも気にしても良いことはないと分かってるから。


だけど一応、怒ったり傷ついたりしてるふりくらいは、しといた方がいいかな、と思う。

私の精一杯の駆け引きだ。




そして、私は朝になったら彼にキスをしようと決めて、目を閉じた。

昼間あんなに寝たのに、すぐに眠りに堕ちていくのを感じながら・・・。







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