25
「まずは、この世界の人間のことについて話しましょうか」
そう言った彼は、何故か苦笑いしていた。
「実は、私も知らなかったんですよねぇ」
「ジェイドさんも知らないこと、あるんだ・・・」
「あのねぇ・・・私はごく普通の人間ですよ、肩書き以外は」
そんなやり取りをしつつも、彼は私の髪を撫でる。
・・・ほんと、普通って言葉に固執する人なんだから。
そんなふうに半ば呆れつつも、私は、そんなジェイドさんをすごく身近に感じるようになった。
「そっか」
何かに後押しされるみたいに相槌を打った私に、彼は話し出す。
「あなたの世界の人間が、猿から進化したというのは、本当ですか?」
「・・・?」
何を訊かれたのか、よく分からなかった。
「この世界では、人類の進化について勉強しないんですか?」
「しますよ?」
問い返した私に、彼がさらりと答える。
何かがすれ違っている気がするけど・・・。
「人類の祖先が猿だなんて、あっちでは子どもでも知ってますよ」
「やっぱり・・・そうなんですね」
彼が、どこか感心したふうな言い方をした。
「こっちでは、皆が知ってることじゃないんですか?」
私は、自分が彼の膝の上に座っていることも忘れて、思わず問う。
もしかして、教育水準、低いんだろうか。
自分の頭でも、そこそこイケるんじゃないかなんて思ってしまったのは秘密だ。
「いえ、こちらでも、人類の進化の過程はほとんどの人間が大人になるまでに知りますよ」
「じゃあなんで、そんなこと訊くんですか?」
「そうなんですよね」
当然の疑問をぶつけた私に、彼は真面目なカオをして頷いた。
どうやら、ここからが本題らしい。
私は自然と背筋を伸ばして、彼の目を見る。
「こちらの世界では、人は、獣から進化したものと教育されます」
「けもの・・・?」
「ええ」
にわかには信じられない言葉に、私は眉をひそめた。
だって、獣って・・・。
「あの、狼とかトラみたいな・・・?」
私の解釈が間違ってなければ、そういうことになる。
どうやったら、4足歩行から2足歩行になって、言葉を獲得するんだろう・・・。
頷いて肯定した彼を見つめても、冗談を言っているようには思えないんだけど。
犬が後ろ足だけで歩いてる動画とか、見たことあったけど・・・でもそれって、人間みたいに手を使うためじゃなくて、単なる芸なんだろうし・・・。
「そんなことって、あるんですか・・・?」
「私にとっては、あなたが猿から進化した人間だと聞いても、信じられませんけどね」
肩をすくめて言われれば、さすがに「嘘でしょ」とも言えなくなった。
これは本当に本当のことなのか。
でも、ちょっとだけ納得出来るような気がしてきた。
「そっか・・・だから、この世界の人達よりも渡り人の方が、新しいものを生み出す力が
優れてる人が多いのかも・・・」
「どういう意味です?」
半ば独り言のように呟いたのを、彼が興味を持ったのか掘り下げようと尋ねてくる。
一般的なことしか知らないから下手なことは言えないけど・・・と前置いて、私は答えた。
「もともと4足歩行に近かった猿が、2足歩行になったのが始まりだって聞いた気がします。
2足歩行になって両手が自由になったら、今度は道具を使うようになって・・・。
それから、火をおこせるようになったり、言葉を扱えるようになったりしながら、文明を
築いていった・・・みたいな話を聞きました。
・・・あんまり真面目な生徒じゃなかったから、間違ってるかも知れないですけど・・・」
もっと真面目に授業受けとけば良かった。
そう思っていたら、うろ覚えな説明に彼は、なるほど、と相槌を打って。
少しの間考える素振りを見せたけど、すぐに口を開いた。
「この世界の人間は、祖先は分かっているんですが・・・残念ながら、進化の過程までは
諸説あってはっきりしていないんですよね・・・。
でも、そうですね。渡り人が創造性に富んでいる理由が、少し分かった気がします」
そう言って目が合った彼は、なんだかキラキラしている気がする。
どこか、そう、教授に似てる。
何かを探求したい気持ちは、遺伝子に組み込まれてるのかも知れないな。
「まぁ、前置きはこのくらいにして、ですね」
「今のが本題じゃないんですか?」
てっきり終わるのかと思っていた私は、少しの驚きと一緒に言葉を口にした。
彼は、ふふ、と笑って頷く。
「私が、獣から進化した人間だということは、もう分かってもらえました?」
髪を撫でていた手が、ゆっくりと背中に添えられるのを感じながら、私は頷いた。
「・・・獣の耳が残ってないのが、ちょっと残念ですけど」
「模造品が売ってますから、明日買ってあげましょうか?」
「ジェイドさんが着けてくれるんですか?」
「いえ? つばきが着けるんですよ。兎のを買ってあげましょうね」
「・・・やめときます。本題、お願いします」
自分からふった話題で自爆しそうになって、私は早口でお願いする。
彼はそんな私に苦笑しながら、はいはい、と続きを話し出した。
「私達には、獣の名残があるんです」
「なごり・・・?
穴掘っちゃうとか、食べ物を蓄えちゃうとか・・・、あ、もしかして冬眠ですか?」
思いつくものを並べた私に噴出して、彼は首を横に振った。
すごく真面目に考えて言ったのにな。
なんでそんな、残念な子を見る目つきになるかな。
「人間ですよ。あなたと同じように生活してます。
・・・名残が出るのは、パートナーを見つけた時なんです」
「パートナー?」
なんか、ハッキリしない言い方。
私はちゃんと知りたくて、彼に言った。
「分かりにくいです。
言いにくいこと、なんですか?」
それなら、想像させないで欲しい。
いっそのこと突きつけてくれた方が、助かるのに。
少し言葉が強く出た私を見て、彼が苦笑いする。
そして、すみません、と言ってから私をぎゅっと抱きこんだ。
彼の声が、後頭部から響いてくる。
「面と向かって話すのは、ちょっと・・・。
このまま、聞いてもらえますか・・・?」
珍しい彼の様子に戸惑いつつも、私はゆっくり頷いた。
「この世界の男性は、繁殖相手として望んでいる相手に、自分の匂いを残すんですよ。
獣がマーキングするようにね。
そして、何度も匂いを残すうちに、相手に自分の匂いが定着していくんです」
そこまで衝撃的な内容じゃなさそうで、私は内心ほっと息をつく。
「・・・ほんとに、祖先が獣なんですね・・・」
どこか、歴史の授業を聞いている気分で相槌を打つ。
「ええ。その本能が現れるのは、子孫を残す準備が出来たらだと、言われてます。
個人差はありますが、15歳くらいからでしょうか」
第二次性徴みたいなものなのかな。
想像したら、妙に生々しくて言葉が出なかった。
ジェイドさんが話しづらいのも、なんとなく分かる気がする。
「確かに本能ではあるようですが、私達は人間ですから・・・。
誰でもいいというわけではないんです。
本能が呼び起こされるくらいの相手でないと、そうはなりません」
「なんか、複雑なんですね」
「そうですか?
至ってシンプルだと思いますよ。
・・・好きな人は、誰にも渡したくないでしょう?」
私はその言葉に、こくん、と頷く。
この手が他の誰かの髪を撫でるなんて、考えたら胸が軋む。
まだ、そこまでの気持ちを抱いてるわけじゃないと思い込んでた自分に、びっくりした。
「だから、男は匂いをつけて安心するんです。
この人は自分の手の届くところにいる、ってね」
「ふぅん・・・」
分かったような、分からないような・・・結局私はこの世界の人間じゃないから、もしかしたらずっと分からないままかも知れないな。
おもむろに彼が体を離して、曖昧に相槌を打った私の顔を覗き込んできた。
面と向かっては、恥ずかしいんじゃなかったの。
言いたい気持ちを堪えて、私は彼の顔を見つめ返した。
空色の瞳が熱を帯びているように見えて、体中がざわつき始める。
「だから、つばきも知らない男の人についていったりしちゃ、駄目ですよ?」
熱のこもった視線を向けられたのに、その口から出てきたのは誘拐防止の言葉だった。
子ども達が口を酸っぱくして言い聞かせられる言葉だ。
「・・・また子ども扱い・・・」
思わず口を尖らせると、彼がくすくす笑う。
これは絶対、からかってる。
「そんなこと言われなくても、信用できる人とそうじゃない人くらい、分かります」
「ほんとに?」
「・・・ほんとに」
信用できる人なんて、ごく少人数だ。
ジェイドさんとシュウさん、教授くらい。
自信を持って頷いた私に、彼が興味をそそられたのか目を細めた。
熱はまだそこにあるのに、なんだか、意地悪なカオをして。
「飴をあげると言われても?」
お菓子なんて、そんなの子どもだまし。
「飴なんか、子どもじゃないんだから」
「お金はどうですか?」
今のところ、生きるのには困ってない。
「お小遣い、たくさん貰ってますから」
「なかなか、良い判断ですね」
彼が私の頬を撫でる。
こんなことで褒められても、逆に貶されてる気分だ。
心の中で憤慨して、彼を見る。
「・・・なら・・・」
彼の声が少し、低くなった。
「誰も知らない、帰る方法を教えてあげると言われたら・・・?」
「・・・・・・っ」
思わず言葉に詰まる。
「そんな質問、しないで・・・!」
衝撃を与えた彼と、揺らいだ自分に腹が立った。
いろんな感情に、あっという間に飲み込まれる。
平気なわけ、ない。
うっすら視界がぼやけてきたのを自覚して、俯こうとするけど、それを彼の手が阻む。
ここで泣いたら、帰りたいと言ってるみたいじゃない。
側にいたいと思うのに、依存心を持ったもう1人の自分が、火がついたように泣き出した。
「・・・ごめん・・・」
囁きを聞くのと、彼の体温を感じるのと、どちらが先だっただろう。
ぼやける視界に気を取られていたら、いつの間にか彼の首筋しか見えなくなっていた。
「酷いことを言いました・・・。
でもね、つばき・・・。
あなたが帰る方法は、ないんです。
だから、そんな残酷な希望を囁かれても、絶対についていっては駄目ですよ。
・・・この世界で、自分の足で立っていて下さい」
彼の言葉が、胸に突き刺さった。
改めて言われると、なりを潜めていたはずのチクチクしたものが暴れだす。
「つばきが自分の足で立っていられるように、ちゃんと守ります。
でも、あなたの足元がぐらついていたら、何度手を貸してもいつか倒れてしまう」
「・・・そんなの・・・わかってます・・・!」
彼の言いたいことは分かる。
それくらいには、私は大人になったつもりだった。
なのに、心が一生懸命に彼の言葉に反発している。
涙なんて、いつ以来だろう。
我慢していたのに瞬きをしてしまったら、次々と流れ出した。
ぎゅ、と彼の腕に力が入る。
「今はまだ、焦らなくてもいいですから・・・」
彼の言葉が、どう響いたのか涙をどんどん押し出していく。
ああ、明日は瞼が腫れちゃうなぁ・・・。
泣いている自分を冷静に見ている、もう1人の私が呟いた。
彼がそっと体を離して、指先で涙を拭ってくれる。
時々冷たい指先が、今はとても温かかった。
「こんな時になんですが・・・」
鼻をすする私に、彼は言った。
「つばきは泣いてても、可愛いんですねぇ」
蕩けそうな笑みを浮かべた彼は、絶対目がおかしいんだと思う。
それからしばらく、私が泣き止むのを待ったジェイドさんは、私の頭をひと撫でしてからソファに下ろして、何かを取りに行った。
久しぶりにティッシュが必要になるくらい泣いた私は、ほんの少しぼーっとした頭を働かせて、さっき聞いた話を反芻している。
獣からの進化、その本能が呼び起こされた時のこと。
正直信じられないけど、逆にそれが、ここは異世界なんだということを思い知らせようとする。
おまけに彼から意地悪な言葉を投げかけられたしで、私は精神的に疲れていた。
今日はほんとに、いろんなことが一気に起こって慌しかったから・・・。
寝不足な頭で、よくここまで理解しようと頑張れたもんだ。
テーブルに放置されていたカップに手を伸ばすと、指先に触れた部分すら冷えていた。
でもそれを呷ると、泣いて熱くなった口の中には心地良い。
一気に飲み干したら、頭の中が少しすっきりしたみたいだ。
「つばき、」
ぼーっとしていたら、少し姿が見えなくなっていたジェイドさんが戻ってきた。
さっきと同じように隣に腰掛ける。
手に持っているのは、タオルと、あの缶、なんだろう。
不思議に思って彼の手に視線を留めていたら、ふいに声がかけられた。
「はい、」
こげ茶の、指先ほどの球体だ。
それを目の前に出されて、目で追ってしまう。
「あーん」
言われるがままに口を開けてしまう私、これってどうなんだろう。
半ば反射的に口を開けてしまった自分に呆れつつ、でも彼なら疑う余地もないと諦めに似た感情を抱いてしまう。
私はどうしようもなく、彼を信頼しきっているから。
口の中に放り込まれたのは、甘くてほろ苦い。
「チョコレートだぁ・・・」
大好きなものに頬が緩んだ。
私は甘いものの中でも、チョコレートにめっぽう弱い。
特にほろ苦さの強い、濃いチョコレート。
気分にもよるけど、渋めの緑茶のお茶請けにするのが一番好き。
「まだありますよ?」
微笑んだ彼が、もうひとつ口に入れてくれて。
私はえさを与えられる雛鳥みたいに、素直に彼に甘えていた。
「残りは、もう1つの話をしてからにしましょう」
「えぇぇ・・・」
思わず不満の声が出た私に微笑む。
「チョコレートは逃げませんから、ね」
彼は缶の蓋をしながら、名残惜しそうに彼の手元を見る私に苦笑した。
そうやって、寛いだ雰囲気を作ってくれる彼は、ほんとに大人だな、と思う。
「たしか・・・渡り人の、ことでしたよね・・・?」
今度は私から、話を始める。
ちゃんと聞けたらチョコレートが待ってるから、だなんて、そんなつもりは毛頭ない。
いささか疑惑に満ちた目を向ける彼に気づかないふりをしながら、私は尋ねた。
彼も、話をするつもりでいたのだろうから、私の言葉に頷く。
「ええ。
正直、これは良い内容ではありません」
ひた、と目を見据えられて、私は体が硬直したみたいに動けなくなる。
ただでさえ今日は気持ちが疲れてるっていうのに・・・。
恨めしく思いながらも、明日のお出かけを期待してしまう私は、それほど話の内容にびくついているわけでもないんだと思いたい。
「こっち、来ますか?」
膝をてしてし叩いて言われてしまったら、条件反射のようにして頷いてしまった。
くすくす笑いを隠そうともしない彼が、ひょい、と私を横抱きにして膝に着地させる。
「また、子どもみたい・・・?」
「今はね」
小さな声で尋ねると、彼は否定もしないけど全部を肯定するわけでもなく。
でも、なんだか楽しそうだからいいか、なんて思ってしまった。
「さて、それじゃあ本題ですが・・・」
さらにそのひと言で、大事な話を聞くためのスイッチが入る。
渡り人のこと、私のこと。
ごくり、と固唾を飲んで、彼が話し出すのを待つ。
いつの間にか窓の外には明かりが少なくなっていたのに気づいて、今がだいぶ夜が更けた時間だということを知る。
「渡り人は、体が弱いという話を覚えてますね?」
「はい。
なんか・・・ストレスに気をつけなさい、みたいな話ですよね・・・」
ホルンに来る前に読んだ本の内容を思い出して、私は言葉を紡いだ。
「そう、でも、それが全てじゃないんです」
王宮で管理されてる本なのに、全てじゃない?
私は内心で小首を傾げていた。
沈黙したことで、先を促されたと思ったんだろうか、彼が続ける。
「確かに、体は弱いんです。
でもそれは、この世界に根付いてない存在だから、という前置きが付くんです。
そんな儚い存在が、自分で受け止めきれない衝撃に出会ってしまった時のことを、
あなたに知っておいてもらいたいんです・・・」
少し腫れて重くなった瞼を無視して、私は彼の目を見た。
頼りなく揺れる、空色。
その時、私は彼が躊躇していることに勘付いてしまった。
彼だって言葉を選びたいだろうに、私は急きたてるようにして言葉を放ってしまう。
「大丈夫です、言って下さい。
・・・一気にぶちまけてもらった方が、いいです・・・」
「・・・それなら、一番大事なことを先に・・・」
彼が口を開いた。
さっきの獣がどうの、という話から察するに、これは私の常識から外れた内容なんだ。
だから、上手く伝わるように言葉を選んでくれてたんだ。
そう思うようにして、私は彼の言葉を待つ。
「渡り人は、消滅してしまうことがあるんです」
彼の言葉が、するりと耳を通り抜けていった。
捕まえようとしても、なんだか頭の上をぐるぐる回っているみたいで。
「しょうめつ・・・?」
意味が分からない、と言いかけて、自分の声が掠れてしまってることに気づく。
ああ、さっきお茶飲みきったんだった。
回路の切れた頭で、そんなことを思うと、私は彼の手がほんの少し震えているのを感じた。
それは、心細かった夜にハグしてくれた腕じゃなかった。
初めて見たそんな彼に、思わず首に手を回して、彼の頭を抱きこむ。
こんな頼りない彼、初めて見た。
目に入ったら、もう、自分のことはどうでもよくなって。
「大丈夫です。私、大丈夫ですから」
何を思っているのかなんて教えてもらえなくても構わなかった。
ただ、すごく不安げな表情をした彼を、抱きしめてあげたいと思ってしまったから。
「大丈夫なわけ、ありますか」
抱き込んだ頭から、声が響く。
少しの怒りを含んだ声に反して、彼の腕は正直だった。
私を、ぎゅっ、と抱きしめたから。
ああ、さっき私を呼んだのは、彼自身のためでもあったんだな、なんて。
自惚れに近い気持ちになる。
「分かってますか、消えてしまうんですよ・・・?!」
くぐもった声が、私の胸元で響く。
抱き込むには背が高すぎて首が痛いだろうけど、そんなの心の痛みに比べたら、どうってことないだろう。
彼は補佐官だから。
過労で倒れるんじゃないかと心配になるくらい、仕事に追われる姿を見てきた。
平気なカオして特別な場所で過ごしてるけど、ほんとは、普通の人なんだよね。
私みたいに、選択を迫られて逃げてしまいたくなる気持ちになること、あるんだよね。
彼の言葉に何度も頷きながら、思い出していた。
教授が言った言葉。
耳に入らないように水面下で動くのと、絶望から守るのとは、違う・・・。
きっとジェイドさんは、忙しい仕事の合間に私を気にかけて、私に気づかれないように、絶望を呼ぶ状況から守ってくれてたんだろう。
帰る方法がないことを告げなかったのも、きっと、そのひとつで・・・。
それなら、「この世界で自分の足で立て」というあれも、この話をするための前置きだったのかも知れない。
なんて用意周到。
それなら彼の心が音を上げるのだって、当然なのに。
・・・頭が良すぎるのも、困りもの。
「消えるということは、いなくなるって、ことです・・・!
光の粒になって、ふわりと、髪の毛一本残さずに・・・!」
「ぅあっ」
抱き込んでいた頭が暴れて、私は腕を解いてしまった。
あまりの乱暴さに、思わず悲鳴に似た声が漏れる。
飛び出したジェイドさんは、真っ直ぐに私を見ていて。
空色の瞳が、小刻みに揺れていた。
なんでそんな、泣きそうなカオ、するの。
「・・・泣きそうです」
「誰が」
「ジェイドさんが」
「どうして、」
間近で見つめ合っていることなんて構わずに、言葉が飛び交う。
最後にボールを投げたのは、彼だった。
「あなたが平気そうにしてるんですか・・・」
一瞬言葉に詰まった私は、深呼吸してから彼に向き合う。
「・・・平気じゃないです・・・」
言葉と一緒に大きく息をつくと、彼が頬をそっと撫でた。
「正直、まだ怖さを感じるだけの理解、出来てないんだけだと思いますけど・・・。
・・・実は、別のことで胸がいっぱいで・・・」
こんな気持ちになるなんて、私はもう壊れてるのかなぁ。
彼が不思議そうに見つめ返しているのを、私は心地良いと思いながら受け止める。
やっぱり私、壊れてた。
感情のネジを、どこかに置いて来ちゃったみたいだ。
「ジェイドさんが、いろいろ考えてくれてたの分かったら、そっちの方が大事だって、
思っちゃったんです。
ああでも、明日になったら思い出して、怖くて発狂するかも・・・」
「また発狂ですか」
「いや、これは言葉の綾ってやつで・・・」
「軽々しくそんな単語を口にしないように」
いつの間にか何かから立ち直った彼が、お小言を言い始める。
私は彼の首に手を巻きつけたまま。
「ね、ジェイドさん」
伺うように声をかければ、彼が真っ直ぐに視線をよこした。
見てくれてることに安心しつつ、私は気になっていたことに触れる。
「チョコ、食べてもいいですか?」
彼の口元が引きつったのは、言うまでもない。




