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雪が、ちらついている。

街は夜更けになっても眠らないらしく、窓の外に見える建物の明かりと街灯はなんだか、夜景みたいで不思議と気持ちを落ち着かせてくれた。

私は、部屋に備え付けられたポットと茶葉で淹れたお茶を持ったまま、なんとなくぼーっと、窓の外を眺めて過ごしている。

ふぅっと息を吹きかけては、ほわりと返ってくる温かな空気を確かめて。

どうして飲みもしないのにお茶なんか淹れたのか、自分でも分からなかった。

いろいろ聞いた後だからか、目が冴えてしまって眠れそうにない。

感情が嵐になってるわけでもなく、恐怖や不安に押しつぶされそうになってるわけでもない。

ただ、何かが足りなくて眠れない。

カップの中に自分の顔が映りこんで、こちらを見ている。

目に映るのが私でなければ眠れるような気がして、部屋を出た。






がちゃり、と夜更けには大きすぎる音と共にドアが開いた。

「・・・どうしたんです」

私を見て小さく驚きの声を上げた彼は、一瞬躊躇した後に部屋の中に向かってちらりと視線を投げかけた。

視線はすぐに戻されたけど、私は見逃さなかった。

その表情が、ぎこちないというか、なんか変というか・・・ともかく、私は彼のカオを見て何か感じるものが・・・。

・・・まさか女の人が中にいたりとか、しないよね。

大人の男の人の事情、的な。

「あー・・・っと、変なタイミングで来ちゃったんだったら、帰ります」

「え?」

突然現れて、顔を見るなり帰ると言い出す始末。

彼が、ぽかんとして声を漏らすのも当然だ。

なけなしの勇気を絞り出してジェイドさんを訪れた私は、完全に腰が引けていた。

女の勘はなんとやらっていうし、歓迎されないようなら退散した方がよさそうだ。

甘い雰囲気に浸ったのが数時間前だということなんて忘れて、私はこの場から消えてしまいたくなっていた。

「ま、また明日。おやすみなさい」

早口でそれだけ告げると、私はくるりと踵を返す。

「ちょ・・・っ」

がしっと手を掴まれたのと、彼の焦ったような、掠れた声が耳元で響いたのは同時。

「・・・どうしたんです、ってば」

「・・・や、えっと・・・」

力を込めて引き寄せられれば、知らない間に彼の瞳が間近にあったのに驚いて、言葉を失った。

眠れないから話し相手になってもらえたらいいな、と思って来たけど・・・。

「やっぱり、いいです。

 先客がいるみたいだし。それじゃあ」

なんでこんなに早口になってしまうのか自分でも分からない。

でも、とにかくこの場から消えてしまいたい。

そう思っていたら、ジェイドさんがふいに手を引いた。

気遣いのある力加減なのに抗えなくて、一歩踏み出してしまう。

私を引き込んだ彼が、開いた手でドアを閉めた。

「・・・んん。ふかふかですねぇ」

そして、ぎゅむ、と私を抱き込んだまま、ほぅ、と息をつく。

これは、お酒の匂いか。

・・・って。ちょっと、ふかふかってどういう意味。

眉がぴくりと動いたのを自覚して、私は彼の肩を叩いた。

そうしている間にも、私の背に回した手を伸ばして、彼は鍵を閉める。

「はいはい、」

肩を叩いた私の背を、ぽんぽんと軽く叩き返された。

そしてゆっくりと体を離れていくのを感じて、ゆっくり顔を上げたら、目の前で空色の瞳が柔らかく弧を描いていて。

ああ、これが見たかったんだな、なんて何かが落ちてくる。

その感覚に、私はしばらく浸っていた。

「で・・・?」

どうしたのか、って話か。

彼は、帰ろうとした私をそのままにしておくつもりはないらしい。

何を伝えたらいいのかと自問自答している間にも、彼は静かに私を見下ろしている。

「でも・・・」

ちら、と視線が部屋の置くの方へといってしまうのを止められない。

気になって気になって、仕方なかった。

知りたいけど、本当に女の人だったらどうしよう。

彼は私の視線がどこに向いているのかを悟ったのか、ふふ、と笑う。

「気になりますか」

背後に広がる空間を目だけで振り返った彼が、頭をぽふぽふしてくる。

素直にこくん、と頷けば、頬をふにふに摘まれた。

「エルですよ。

 ・・・飲んだくれてます」


「飲んだくれてはいない」

いささか不満げなシュウさんが、ソファに身を沈ませつつその手にワインボトルを持ったまま出迎えてくれた。

台詞を聞いて、ジェイドさんが背後で苦笑している気配を感じる。

ついにグラスを使わなくなったか。

羨ましいくらいに肝臓が丈夫だね。

・・・でもお姉ちゃんが戻ってきたら、絶対に怒られる飲酒量なんじゃないかなぁ・・・。

「俺は部屋に戻る。

 ・・・ジェイド、」

ボトルを持ったまま立ち上がったシュウさんは、ちらりとジェイドさんに視線を送った。

私の背後に佇んでいた彼が「ええ」と頷いて、私の前へ出る。

2人は何の話をしてたんだろう。

立ち上がった彼は、普段と変わることのない平然とした様子のままだ。

彼が酔ったらどうなるのか興味はあるけど、一般人が足を踏み入れたらいけないんじゃないかという気がする。

私は特に言葉をかけることなく、2人が何か言葉を交わしているのを一歩離れて見ていた。

そして、部屋を出ようとする彼とすれ違って、ひと言、「おやすみなさい」とだけ、聞こえるかどうかも分からないような囁きをかけたのだった。


この部屋は、私の泊まる部屋よりも少し小さい気がする。

2人でいるから、なのかな。

なんとなくソファに座るのが躊躇われて、私は窓から、建物から漏れる光や街灯の光が歩道に沿って真っ直ぐに伸びている景色を見ていた。

シュウさんの出て行った部屋は静かで、自分の息遣いが耳元で聞こえているような感覚に陥る。

目の前でお茶を淹れてくれてる彼の顔を見たら、なんだかほっとして、少し話せばすぐに眠気がやってきてくれるような気がした。

見つめる先、彼の背中が温かく感じる。

「私は、あなたの淹れるお茶の方が好きなんですがねぇ・・・」

ぐちぐち言いながら手を動かしているのは、私がお茶を淹れるのを拒んだからだ。

「私は、ジェイドさんの淹れる美味しいお茶が好きです。

 ・・・私の淹れるお茶の何がいいんですか?普通だから?普通でしかないんですよ?」

「そうですよ。いけませんか?

 普通じゃない場所で働いて、普通じゃ考えないようなことを考える毎日で・・・。

 普通を求めたらいけませんか?」

「・・・いけなくは、ないですけど・・・」

動かす手を止めることなく彼が言い募ったら、突っかかっていった私の方が尻すぼみしてしまった。

どうやら彼には彼の理屈があるらしい。

やがて彼がカップを2つ持ってきて、そのままソファに腰掛ける。

まだ窓際から彼の動きを見ていた私を、じっと見つめたあと。

「ほら、いらっしゃい」

ことり、とカップが着地する音が響いた。

私はそれに素直に従って、彼の隣に腰を下ろす。

「それで、どうしたんです?」

「なんか、眠れなくて。

 ご迷惑かと思ったんですけど、いつもなら、まだ寝てない時間だと思って・・・って、」

むぎゅ、と横から抱きつかれて、思わず彼を振り返った。

私の話、聞いてくれてましたか。

「・・・ジェイドさん?」

動く気配のない彼に、そっと声をかける。

すっぽり彼に包まれた私は、身動き出来ない。

「・・・んー・・・?」

彼らしくない、寝ぼけた子どものような声。

「・・・眠いんですか・・・?」

尋ねれば、ゆるゆると首を振って否定された。

じゃあ、何だろう。

内心首を傾げていると、おもむろに彼が体を離したかと思えば今度は無駄のない動きで私の膝を掬って、横抱きにしたまま膝の上に乗せた。

「・・・っ?!」

突然のことに言葉を失って、意味を成さない言葉を連発しそうになった刹那。

「騒がない、暴れない、真っ赤にならない」

ジェイドさんが先手を打った。

突きつけられた私は、息を飲んだまま固まって。

「でも息はするんですよ」

彼がくすくす笑いながら動いて、また体が密着した。

早い鼓動が私ので、ゆっくりしたのが彼の。

いつか、ドキドキさせてやりたいと思うけど。

熱くなった頭で考えながら、私はだんだんと静まっていく心を感じていた。

「・・・あー・・・」

湯船に浸かる瞬間みたいな、なんとも表現しづらい補佐官らしからぬ声。

声と一緒に大きく息を吐いた彼に、私は頬が緩むのを抑えられなかった。

「・・・いやされるー・・・」

「・・・ペットですか・・・」

なんとなく呟いた私に、彼が苦笑した。

そして、耳元で囁く。

「後でもう一度結い上げますから、髪を下ろしてもいいですか・・・?」

私は何も考えることなく、こくん、と頷いていた。

彼に問われて、首を横に振ったこと、今まで何回あっただろう。

大きな手が後頭部でするすると動いて、ぱさり、と音がした。

頬に長い髪がかかる。

こっちに来てから、シャンプーが合ってるのかどうかは知らないけど、髪質が随分柔らかくなって、ツヤが出てきた気がするな。

水が合ってるのかも。

硬水かな、軟水かな。

そんな、とりとめのないことを思っていると、彼が鼻先を髪に埋めた。

深呼吸している様子に、なんだか居心地が悪くなる。

冬とはいえ、厚着したまま室内にいたりして、少しの汗をかくこともあるから、そういうことはしないでくれるとありがたいんだけど。

「ペットな時もありますよ」

「・・・えー・・・ちょっとショックですその発言」

思いもしなかったことを告げられて、不満の声が漏れた。

彼はそんな私を気にした様子もなく、つらつらと言葉を並べ出す。

「こうしてると、ほんとに癒されるんです。

 でも、昨日の夜に言ったことも、ほんとですよ?

 守りたいと思ってます」

「・・・そんな恥ずかしいこと・・・言わなくていいです・・・!」

改めて言われると、どうしようもなく胸が疼く。

恥ずかしいを通り越して、体がむずむずしてくる。

今すぐ走り出したい気持ちだ。

こんなこと言える人、実在してたんだね。

「まぁまぁ・・・。

 とにかく・・・つばきが、こうやって普通にしてくれてると、癒されるんですよ。

 世話を焼きたくなるし、守りたくなるし、可愛がりたくなるし・・・」

耳元で普通に喋らないで欲しい。

いつもより、言葉が真っ直ぐに入ってきちゃうから。

声だって、聞こえ方が違うんだから。

うるさく騒ぐ心臓を宥めながら、私はそんなことを思っていた。

「つばきが来てから、私は毎日がとても充実してるんです」

髪を梳きながら、彼が私の顔を覗き込んでくる。

私は真っ赤になった顔を見られるのに抵抗があって、つい、顔を俯けてしまった。

小さく笑う声が聞こえる。

「ほんと・・・? 私が来て・・・?」

気が緩んで、言葉が雑になって。

彼が私のこめかみにキスをした。

だから耳元で、音を立てないで欲しい。

これじゃあっという間に茹で上がってしまう。


「まだ、眠くありませんか・・・?」

せっかく淹れてもらったお茶はそのままで、しばらく彼が私の髪を梳いたり指に巻きつけたりと遊んでいて。

静かな時間が流れる中、私はその問いかけにゆっくり頷いた。

私はまだ、犬を抱いてテレビを見ているみたいな格好の彼の腕の中にいる。

これがまた温かくて落ち着いて、もうペットみたいに可愛がってもらってもいいんじゃないかと思えてくるから不思議だ。

「それなら、少し話をしましょうか」

「話・・・?」

「聞いて欲しいことが、いろいろあって」

髪を解いてずいぶん軽くなった私の頭を、彼が撫でる。

この手、好きだな。

「本当は明日、ゆっくり話そうと思ったんですが・・・せっかく今一緒にいますし」

「難しい話だと、途中で眠くなっちゃいそう・・・」

彼の言葉を理解できるのか不安な私は、思わずそう呟いていた。

見上げた瞳は、優しく細められているけど。

「私は今話をして・・・。

 明日はゆっくり、2人で街を見てまわったら楽しいだろうな、と思ってますけれど」

頭を撫でていた手がゆっくり下りてきて、今度は頬を押さえた。

俯きそうになる顔を、支える手。

私を見る、青い目。

・・・好きだな。

一瞬でいろんなことが脳裏をよぎって、私は答えていた。

「がんばります」

彼の口元が綻んだのを見て、私も自然と笑みを浮かべる。

「じゃあ、簡単なことから順番に話しましょうか。

 眠くなったら、寝てしまえばいいですよ。

 ちゃんとベッドに寝かせてあげますから、心配しないで」




「そうですね・・・、

 話しておきたいのは、渡り人のこと・・・それから、この世界の人間のこと・・・」

「渡り人のことは、もう・・・」

「ええ、でも、あなたに知っておいてもらわないといけないことが」

「・・・他にも・・・?」






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