23
案の定というか、なんというか・・・2人は、大いに盛り上がっていたみたいで。
いや、この場合は盛り上がってはないのか。
「おっそいよ!」
教授に、びしぃっ、と指差された私達は、案内された個室のドアを開けたまま動きを止めた。
教授の隣では、シュウさんがグラスを傾けている。
その横には、ワインか何かのボトルが、いち、に、さ・・・3本て。
ひえぇぇぇ。
視線を行ったり来たりさせて様子を伺っていた私に、隣でジェイドさんが大きなため息をついた。
「・・・ね、来なくても良かったでしょ・・・?」
私は正体の分からない、面倒くさそうな雰囲気を察知して、思わず頷く。
教授が「早く早く」と言いながら、自分の隣の席を叩いて待っている。
なんでこう、あの人は無邪気なんだろうか・・・。
ああでも、その反動でジェイドさんとヴィエッタさんが生真面目な育ち方をしたのかも・・・。
目に入る光景にいちいち反応していた私の背を、彼が軽いで押した。
それに抗わずに、一歩部屋の中へ踏み出しながら彼の表情を仰ぎ見る。
困ったように笑うところは、もう何度目になるだろう。
私も苦笑を返しながらコートを脱ぐ。
いい匂いのするマフラーを外して、コートと一緒に部屋の隅に掛けに行こうと、足を踏み出す向きを変えようとした時だ。
「あなたは座って」
言葉と引き換えにするようにして、コートとマフラーを彼がするりと私の手から抜き取った。
なんだか、いろいろ先回りをするのが上手だな、と感心してしまう。
今までもそうだったのかも知れないけど、視点が変わると改めて感心することが増えるみたいだ。
座るように言われたのに、動きの止まった私を見た教授が、ふふふ、と楽しそうに笑い声を漏らしたのが聞こえて。
ちらりと視線を走らせたら、ジェイドさんがコート掛けの前でため息をついているのが、後姿からでも十分見て取れた。
グレーの髪を揺らしながらご機嫌な教授は、てしてし叩いていた席に私を座らせると、手際よく料理を取り分けてから、そういえば、と切り出した。
私は出された料理にフォークを突き刺しながら、彼の方へ視線を向ける。
隣に座るジェイドさんは、シュウさんからワインを注いでもらっていた。
教授とジェイドさんに挟まれる格好で食事を摂るこの状況が、ものすごく身動きが取りづらいのは何故なんだろうか。
・・・でもごはんは美味しいみたいで、ひとまず良かった。
「リアちゃん、エル君が持ってるあの機械なんだけど・・・」
教授の言葉に、シュウさんがワインのボトルを置いて携帯を取り出して、テーブルの上に置く。
コト、と硬い音がして、それはなんだか私に忘れられたのを怒ってるみたいに見えた。
「はい」
私は携帯に目を遣りながら、教授に返事を返す。
ジェイドさんは、勢いよくワインを飲み干したみたいで、ふぅ、なんて息をついている。
どんな話題になるのかは分からないけど、私は神経が研ぎ澄まされていくような不思議な感覚を味わっていた。
もしかしたら、ある程度ふっきれたのが大きいかも知れない。
チクチクは、まだ思い出しては私を攻撃してくるけど・・・。
「これって、何するもの?」
私は無言で置かれた携帯に手を伸ばす。
しばらく切るのを忘れて伸びた爪が、かち、と音を立てた。
「これは、ええっと・・・」
興味津々な教授に気圧されつつも、私は画面を開いて彼に見せる。
「こうやって、ここのボタンを押して・・・」
・・・教授が近い。
「遠くに離れた相手と、話をしたり手紙を送り合うための、機械、です」
言葉が途切れ途切れになったのは、教授が画面を近くで見ようとして顔を近づけてくるから。
これは研究者魂なのか、それとも目が悪いのか。
「へぇ・・・そっか・・・」
私の説明には上の空な返事だけが返されたけど、その表情はキラッキラして。
あげないよ、これ。
そう思って携帯を閉じて、シュウさんに渡す。
渡されたシュウさんは、少し驚きつつも微笑んで受け取ってくれた。
「エル君に聞いたんだけど、これ、ずっと消えずに動いてるんだって?」
「はい、不思議なんですけどね・・・。
その相談も、しなくちゃと思ってたんですよね?」
微笑んだシュウさんを見て、確認するように尋ねれば、彼は「ああ」とだけ言って頷く。
「まだ誰の目にも触れてない?」
「・・・たぶん。気にしたことはなかったけど、ここにいる2人にしか・・・」
「よかった」
硬い声が、シュウさんの微笑を消す。
私も自分の顔が強張ったのを感じて、思わず教授に視線を送る。
「・・・さっきの話と、繋がるわけですね」
後ろからかかった声に振り返れば、ジェイドさんがグラスを置いて真剣な目で教授を見ていた。
でも教授は、一瞬緊迫した場の空気を意に介した様子はなく、さらっと。
「そう。この世界にはない機械だし、もといた世界から離れても消える様子もない。
おまけにエル君がいれば、とりあえず動くから、これを参考にして何かを作ろうと
思う人達がいても、何も不思議はないよね」
「・・・こ、壊した方がいいですか・・・?」
緊迫した雰囲気に怖気づきつつも、何とか言葉を口にする。
教授が私を見て、微笑んで首を振った。
「ううん、それはしなくていい。
今の僕らには、異世界の物はすごく貴重だからね。
それは、持っていても大丈夫だと思うけど、人前で出さないようにね」
「はい・・・じゃあ、」
今までは変な目で見られるのが嫌だったから人前では出さなかった。
でも、ちょっと事情が変わりそうだ。
私が何かを言いかけたところで、みんなの視線が集まる。
携帯の話をしてるからか、教授は興味に瞳が疼いているようにも見えた。
「これ、シュウさんに預かってもらっても、いいですか?」
シュウさんに充電してもらいながらも、私がこの手に大事に持っていたのは、時々携帯を開いて写真やメールを読み返してたから。
でもそれも、もう必要不可欠だとも思えなくなった。
だってもう、あっちの世界にしがみつく必要はないもの。
携帯を開いて、こっちの世界で息をする自分を後ろめたく思ったり、しなくてもいい。
このチクチクするものだけを抱えて、時々苛まれてたら、あっちの世界を忘れたりはしない。
今携帯が必要なのは、シュウさんの方だ。
私が自分の中の何かを確かめている間に、名指しされた彼は小さく目を見開いていた。
「・・・いいのか?」
遠慮がちに問われて、私はちいさく頷く。
「もちろん。
今の私には、ないと困るものじゃないですし・・・」
声が小さくなったのは、思い切って携帯を手放すことに、後ろめたさを感じてるから。
でも、こうでもしないと、私はこっちの世界に向き合えない気もするから。
彼の手の中にある携帯に、心の中だけで「今までありがとう」と告げる。
使い込んだそれは、あっちの世界では流行から遅れてたけど、こっちの世界に来てからは存在感を大きく感じたものだ。
携帯がなかったら、今のこの状況にも結びつかなかっただろうし。
感慨深い思いで携帯を見つめていたら、ジェイドさんが口を開いた。
「そうですね、エルに持っていてもらった方がいいかも知れません。
万が一それが、他国の間者の目にでも留まったらと思うと、ぞっとします」
「・・・だね。
まぁ、珍しい物だからって、そこらの悪い子達に絡まれても、リアちゃんじゃねぇ・・・」
なんだか最後の方は貶されてるような気がしなくもなかったけど、とりあえず私が持っているよりも安全だという判断が下されたらしい。
そのまま、携帯はシュウさんの手元に預けることになった。
たまに、写真を見せてもらいたいな。
こっちの世界にいるしかないって分かって、ちょっとほっとしたのも確かだけど、だからって帰れない寂しさがないわけじゃないから。
「じゃあ、その機械はエル君が持っててね。
僕は、それが動いてるのは、エル君の目が金色になったっていう件と関係があると
思うんだよね」
教授が、携帯を大事そうにポケットにしまったシュウさんを見て呟いた。
虚空を見つめるように言葉を紡いでいるのは、考えを纏める作業を、頭の中で行ってるからかな。
「・・・目が金色に?」
険しい表情をしたジェイドさんが、シュウさんを見て言った。
私も、新たな展開が起こる予感に、空腹感なんてどこかに行ってしまって。
いつの間にか、持っていたはずのフォークはお皿の上に投げ出されていた。
「ああ。
いつだったか、王宮で小火騒ぎがあっただろ」
小火騒ぎ・・・そこはかとなく物騒な気配が漂ってきたな。
ジェイドさんが、何かを思い出しているのか少しの間沈黙する。
そして「あぁ、あの時の」と呟いて、シュウさんに向かって言った。
教授は特に驚くふうでもなく、2人の会話を静観するつもりなのか、何気ない動作でワインをひとくち、ふたくちと喉に流し込んでいる。
「細かいことは割愛するが・・・。
あの時、ミナを飛び降りさせたんだ。で、俺が下で受け止めた」
「ええ、それは聞きました」
飛び降りるって、それ、2階から?3階から?
どっちにしても、一般人が飛び降りていい高さじゃないと思うけど・・・。
私は言いたいこと全てを胸にしまいつつ、彼らのやり取りを見る。
「骨の何本かはやられるかと思って覚悟していたんだが・・・。
覚悟して手を広げた時に、落ちてきていたミナの体が、紙風船が放り投げられたような
ゆっくりとした速度で手の中に収まった。
そして気づいたら、目が金色になって、俺の体が光っていた」
ジェイドさんが息を飲んだのが分かって、私は彼を振り返る。
なんだろう、少し、顔色が悪いような気がするけど・・・。
感じた違和感を口にする前に、シュウさんが静かに首を振った。
私は喉元まで出掛かっていた声を飲み込んで、もう一度彼らのやり取りを見守ることにして。
「いや、あれとは違うだろうな。
ともかく、不思議なことが起こったのは事実で、それと目が金色になったことは無関係では
ないと思うんだが・・・」
そこまで話したシュウさんが、教授を見遣る。
ジェイドさんは、彼の話を聞いてゆっくりと息を吐き出していた。
私はそれを気に留めつつも教授に視線を投げて、彼が何か言うのを待つ。
当の教授は、注目されていることを気にしたふうもなく、お皿にいくつか残っていたピクルスを摘んで言った。
「ちょっと思い当たることもあるから、明日調べてみようと思ってる」
「思い当たること・・・」
知らず知らずのうちに言葉を反芻してしまった私は、慌てて口を噤む。
それを見た教授が、ふふ、と笑った。
「うん、だから、明後日もう一度あの研究室に来てくれる?
明後日には、僕も仮説を立てられそうだから」
私はそれに頷いて、わかりました、と言葉を返す。
シュウさんはこの話を聞いていたのか、何かを言う気配はない。
「それから、ジェイド」
教授がジェイドさんを呼んだ。
私を飛び越えた声に、ジェイドさんが視線だけで返事をする。
「・・・僕から話をしてもいいけど・・・」
「いえ、」
控えめに、伺うようにして言葉をかけた教授に、ジェイドさんがキッパリと返して。
私はその声の硬さが、なんだか引っかかった。
彼のカオをちゃんと見たい私は、空色の瞳をじっと見つめる。
「私が話します」
迷いなく言い切った彼の瞳は、なんだか綺麗だった。
「さすが、僕の息子」
穏やかな声が後ろから聞こえるけど、私はまだジェイドさんのことを見つめていた。
まだ、さっき顔色が悪いように感じたことが、どこかで引っかかっているのかも知れない。
「リアちゃん」
名前を呼ばれては、振り返らないわけにはいかない。
「はい」
ゆっくり振り返ると、そこにはニコニコした教授がいた。
難しい話ではなさそうだと胸を撫で下ろして、私は耳を傾ける。
シュウさんは、自分の話は終わったとばかりに、ワインを注いでいた。
まだ飲むの。
半ば呆れつつも、私は教授の方へと視線をずらした。
「おなか、空いてないの?」
彼の視線の先にあったのは、私がお皿の上に投げ出したフォークだった。




