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人の温もりって、こんなに気持ちいいものだったっけ。

日本に移住してからは、ハグする機会も減ったから、忘れてたのかも知れないな。


どれくらい、お互いに黙ったままでいたんだろう。

ずっと聞こえてる彼の心音が耳に心地良くて、時間のことなんか全然考えてなかった。

でも、シュウさんと教授がレストランで待ってるんだよ、ジェイドさん・・・。

思うだけで、口に出来ない私はこの状況に全身で浸ってしまっているみたいだ。

つま先から頭の先まで、温もりを感じることだけに集中してる。

それなのに罪悪感はずっと胸の奥にいて、思い出してはチクリとその存在を主張して、私に幸せに浸りきってはいけないんだと思わせる。

でも、それでいいとも思う。

そうやって、両親が感じる痛みと似たものでもいいから、自分の中にあることに安心出来るような気がするから。

同じ時間を過ごしている彼が何を思っているのかはさておき、私がいろんなことに思いを馳せていた時だ。


「・・・つばき・・・」

油断しきっていた私は、彼のこの突然の言葉に固まった。

この世界にいて、呼ばれることのない名前だと思い込んでいたからか、リアとして生活してたからなのか、とにかく驚いてしまって。

一瞬、自分の耳を疑ったくらいだ。

言葉が出ないどころの話じゃない。

「息、息して下さい」

背中をとんとん、と叩かれて、思い出して息を吐く。

苦笑している彼の胸から、その振動が伝わってきた。

「びっくりしたでしょ」

少し体を離した彼が、意地悪な笑みを浮かべている。

私は足元のささやかな明かりに照らされた、彼の目を見て頷く。

もう、真っ直ぐに見つめることが出来るようになったみたいだ。

「いつから・・・?」

最初に名乗った時、発音が難しいと言って、ぶつぶつ呟いてたのを覚えてるけど・・・。

「割とすぐ、言えるようになってたんですよ?

 でもほら、何がキッカケであなたが壊れてしまうか分からなかったから・・・。

 で、どっちがいいんです?」

「え?」

早口にまくし立てられて、戸惑ってしまう。

すぐに答えられない私を見て、彼は微笑んでいる。

・・・近いよね、この距離。

「ちょ、分かりました。決めます。今。

 だからちょっとだけ、離れ・・・っ」

言いかけて、ぐい、と体が引き寄せられた。

「離れるわけないでしょ、この状況で」

しれっと言い放つ彼。

なんとか顔だけが仰け反って、距離を保つ。

首、伸びそう。

それにしてもジェイドさん、力、強いな・・・!

事務作業ばっかりしてる毎日で、もやしめいた体つきでもしてるんだろうな、なんて失礼な想像をしていたことは心の中で謝っておこう。

いや、もしかしてその想像、ばれてたのか。

「つ、つばきで・・・ぜひつばきで!」

一生懸命顔を反らしつつ言えば、彼の顔が追いかけてきた。

何かの危機を感じた本能が、逃げろと叫ぶ。

でも、その叫びを聞いた瞬間に、彼の手が私の後頭部をわしっ、と捕まえて引き寄せる。

プールから上がる時の、浮上する感じがして、眩暈に似た何かに目を閉じた。

すると、耳の後ろに吐息がかかる。

「・・・やだっ、ちょ・・・っ」

くすぐったい。

でも笑い声じゃない何かが飛び出てきちゃいそうで怖い。

まだ、私の中をかき乱されてもいいとは思えない。

「ジェイドさ・・・!」

悲鳴に似た声が出たところで、彼の顔がすっと離れていく。

何故か超笑顔でだ。

今まで見たことない、嬉しそうな笑顔だけど、どこか、なんていうか、黒い・・・。

ほんの少し離れた彼が、手のひらで私の頬に触れた。

無遠慮なのに、優しいと感じてしまうのは、恋愛フィルターがかかってるせいかな。

「つばき?」

「ん?」

外人顔から和名が出てくると、なんだか不思議。

そのうち聞きなれるのかも知れないけど・・・。

私は小首を傾げる。

「しつこいようで、申し訳ないけど・・・もう一度だけ確認させて下さい・・・」

彼の瞳が、至近距離で揺れている。

こんなに近くで覗き込めることなんてないから、私はまじまじと見つめてしまって。

彼の方が視線を逸らした。

「恥ずかしいですから、あんまり見ないで下さい」

小さく呟く彼に、なんだか嬉しくなる。

小さく「ごめんなさい」と囁きを返したら、彼がふわりと微笑んだ。

頬に添えられた手のひらが、熱い。

「とにかくです・・・。

 あなたが、帰る方法がないと分かっても大丈夫なのは・・・、」

視線が、見たことないくらい頼りなく彷徨って。

私は思わず、手のひらに自分の手を重ねた。

「ここに居たいって、思うようになったから・・・」

自分で放った言葉がそのまま胸に突き刺さる感覚に、私は視線を落とす。

自覚するたびに、両親を裏切っているように思えてならない。

そうしたら今度は顔が歪むのを抑えられなくて、なかなか視線を上げることが出来なかった。

チクチクと、悲鳴が出るほどの痛みじゃないのに、気になって気になって仕方ない。

すると、ぽふ、と彼の胸にぶつかるのと同時に、香水の匂いが胸の中に満たされた。

それは、感じていた痛みを綺麗に和らげてくれた。

思わず息を吐いた時だ。

「ここ・・・って、どこなんでしょう?」

すっとぼけた声で、けろりと言われて顔が急に熱くなる。

そんな、深夜アニメによくある、ですます口調の童顔少女みたいな言い方・・・。

顔が見られてないのをいいことに、思いっきり嫌悪感を露にしていたら、おもむろに彼が動いて顔を覗き込んできた。

目が逸らせない、不思議な引力に引き込まれる。

「自惚れても・・・」

囁きが零れて落ちていくのを静かに見ていたら、知らず知らずのうちに変な顔になってたのか、彼の口角が、ちょっとだけ上がった。

見惚れてたわけじゃないの。たぶん。

「いい・・・?」

「自惚れても・・・?」

「そう、つばきは、私の所に居たいんだと自惚れても、いい・・・?」

オウム返しに尋ねた私に、彼がまたちょっと笑って訊き返した。

可笑しくもなんともないのに、私もちょっとだけ笑みを浮かべて、ゆっくり頷く。

そして尋ねた。

「ジェイドさんは・・・?

 自惚れたいと思うの・・・?」

小さな囁きを、彼はちゃんと受け取ってくれたみたいで、その笑みが深くなった。

「もちろん、思いますよ。

 今だって、こんなに近くにいてドキドキしてます」

「そのカオ、絶対ドキドキしてない」

刹那の間も空けずに言葉を返せば、彼がふふ、と声を漏らす。

「ばれてました・・・?

 でも・・・すごく、気持ちが安らかですよ」

すごく甘い微笑みに、私も自然と頬が緩む。

「奇遇ですね、私もです」

ジェイドさんの口調を真似たら、どちらからともなく、噴出してしまった。

「でも・・・、私はちょっと、ドキドキしてます」

その言葉を聞いた彼は、嬉しそうに目を細めて。

私の鼓動が、びっくりして嬉しくて、ちょっと跳ねた。




寒くないようにと、コートやイヤーマフで防寒対策をしていると、ジェイドさんがマフラーを巻いてくれる。

私は小さくお礼を言って、彼の香水の匂いが染み付いたそれに口元を埋めた。

和むなぁ・・・。

こうしてると、チクチク痛むものの気配が消えるから不思議だ。

「ジェイドさん?」

視線を感じて、ちら、と彼を仰ぎ見る。

彼は、なんとも形容しがたい表情で、私を見下ろしていた。

どことなく、不機嫌なような。

教授にからかわれた時みたいな、ムスっとした感じで見つめてくる彼に、私は内心首を傾げる。

「本当に行くんですか?やめません?」

「えぇ?

 いやいや、待ってますよ2人とも」

彼はため息を吐いて、ドアノブに手をかける。

でも、なかなか開けようとしない。

完全防備の私は、暖房のきいた部屋の中で長いことこの格好をしているのはどうかと思う。

ちょっと暑くなってきた。

「どうしても行くんですか?」

そんなに面倒なのか、外出が。

「い・く・ん・で・すっ」

声のトーンを低くして言えば、彼が肩を竦めてドアを開けた。

・・・私がワガママ言ってるみたいに見えるから、それ。


鍵をポシェットにしまって、私達は外に出る。

西からの風とはいえ、夜風は肌を刺すように痛い。

ジェイドさんのマフラーがなかったら、髪は結い上げてあるし、きっと首元から体中に冷えがまわってしまってただろう。

歩道に出たところで、彼が私の手を掴む。

手を繋ぐわけでもなく、私の手を持ち上げて・・・彼の腕に絡ませた。

「滑ると危ないから、ね」

イヤーマフをした私の耳元で、彼が声を低くして囁く。

聞こえにくいと思ってそうしてくれたんだろうけど・・・ちょっと、背筋がぞわぞわしてしまって。

寒くて痛いはずなのに、顔が熱くなる。

それを見て彼が笑うから、私はぼすん!と絡めた腕を叩いてやった。


「いたた・・・。

 意外と力あるんですねぇ。知りませんでした」だって。

絶対絶対、痛くもなんともないクセに!







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