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いつの間にか夕暮れが近づく時間になっていて、私は寒空の下、ジェイドさんと2人でホルンの街を歩いていた。

王都ほど雪が積もってないから、歩くのはそう大変でもない。

山の麓にあるこの街は、西から東へと強い風が吹くそうで、雪は降るけど、道に積もるというよりは、建物の側面に雪の壁が出来るような積もり方をするらしかった。

よく見たら、建物の西側には窓がついてないのだ。

道に積もらなくて済む代わりに、壁の雪が溶けては歩道に流れ出して、それが凍ることがよくあるそうで、歩く時はそれに注意しなくちゃいけない。

カナダ暮らしの頃は、そこんとこも気をつけてたから、たぶん大丈夫だろう。

どんくさいとは評される私だけど、生活の中で身につけたスキルは、ちゃんと定着するのだ。

教授が決断したあとも、なにやらずっと考え込んでいたシュウさんが一緒に外に出ることはなく、今も教授と話があるから、と王立学校の一室にこもっている。

あ、携帯、預けっぱなしだ・・・まあいいか。

あとで合流したら受け取ればいいだろう、と意識を切り替えた。

少し前を歩くジェイドさんは、ほとんど前を向いたままだ。

もちろん会話もない。

ちょっと気を抜いたら、すぐに置いていかれて迷子になってしまう自信があるから、私も黙々と彼について行くことだけを考えて歩いている。

今日の宿泊先は、それなりのホテルだそうで。

これは、シュウさんが蒼の騎士団のホルン支部、その宿舎に泊まると言い出したのがキッカケ。

私をそこに泊めるわけにはいかないと、ジェイドさんがホテルをとってくれたわけだ。

彼は本当に、優しい。

ずっと感じているけど、本当に優しい人だ。

私は彼の斜め後ろを歩きながら、彼の髪を眺めていた。

金色だと思っていたそれは、照明の当たり具合に左右されるようで、今は光沢のない、ハチミツ色に見えている。

髪をかけて空気に触れている耳が、吹き付ける風と寒さで痛そうだった。

でも私には、この凍てつく寒さが張り詰めた心にちょうど良い。




予約してくれた部屋は、お屋敷でお世話になっている部屋をそのまま持って来たかと思うくらい、よく似た雰囲気で驚いた。

壁の色も、家具も、なんだか落ち着く。

落ち着くだなんて、いつの間にそんなことを感じるようになったんだろう。

「・・・うちの両親が、このホテルが大好きで・・・。

 建築した方にお願いして、王都の家を建ててもらったそうです」

先に私を通してから入ってきた彼は、部屋の鍵をベッドサイドに置いて言った。

「へぇー・・・」

私は荷物をソファに置いて、それに相槌を打つ。

歩いている間、彼は私をまともに見ようとしなかったけど、私だって今は、まともに彼の顔を見る心の余裕はなかった。

彼の後頭部だけを見ていればよかった時間は、どれだけ気が楽だったことか。

カバンの中を漁るふりをしながら、彼に声をかける。

「あー、ジェイドさん。

 先にシュウさんとジェイドさんの荷物、置きに行ってもらっていいですよ。

 私、持ってきた服を掛けてから行きますから」

言いながら、ゆっくりとした動作でカバンから服を取り出してはソファに並べる。

下着も持ってるし、手が塞がってるのを見れば、彼も自分の荷物を持って出て行くはず。

そう思っていたのに、返事は一向に聞こえてこなかった。

「・・・ジェイドさん?聞こえてます?」

不思議に思って、もう一度声をかけながら振り返る。

「聞こえてますよ」

間近で聞こえた声に、体が跳ねた。

本当に驚くと、私は声が出ないらしい。

いつの間にそこに。

心は悲鳴を上げているのに、それが伝わらないなんて、損をしてると思う。

振り返って目に入ったのは、空色の瞳が私を見下ろしているところで。

しばらく直視しないようにしてたからか、衝撃の強さにどう反応したらいいのか分からない。

固まったまま目を見開いた私を見て、彼が表情を歪めた。

・・・そんなカオしないで欲しい。

そう思ったら、言葉が勝手について出た。

「荷物、置いてきていいですよ。

 私も片付けたら、そっち行きますから」

視線を手にした服に戻す。

「いえ、ここで待ってます」

「・・・えぇ・・・?」

思わず不満そうな声が出てしまって、しまった、と口元を押さえた。

でもいいや。

「下着もありますし、行ってて下さい」

ちょっと強く言えば、頭の良い彼なら察してくれるだろうし。

「嫌です」

「・・・いやって・・・」

手に力が入る。

ちょっとだけでいいから、1人にして欲しいのに。

ささくれ立った心に、彼の気配が引っかかる。

「・・・分かりました」

波立つ感情を抑えていると、ふいに言葉だけを残して、背後の気配が消えた気がした。

頑なな私に呆れて、荷物を置きに行くんだろう。

私は溜めていたものを、ふっと息と一緒に放す。

掴んでいた服から手を離すと、その部分がしわくちゃになっていた。

ドアの閉まる音がして、彼は部屋から出て行ったんだと分かるのに、私は縫い付けられたように、その場から動くことが出来ない。

ああもう、こんな自分は大嫌いだ。

どれくらい時間が経ったのかも分からなくなった頃だ。

もう一度、小さくため息をついたのと同時に、ソファが沈み込む。

「リア」

声と同時に、背中に暖かなものが触れた。


小さく息を飲んだ私は、腕を回されて、ぐい、と引き寄せられた。

結い上げられた髪に鼻先が埋められたのを感じて、背中がぞわぞわする。

「離して」

声を振り絞ると、彼が黙ったまま腕に力を込めた。

「お願いします。

 ・・・もう荷物置いてきたんですか?

 ごめんなさい、今ここ、ごちゃごちゃしてて・・・だから、ちょっと1人に、」

「駄目ですよ」

髪に鼻先を埋めたまま言われて、言葉が頭に直接入ってくるみたいに感じてしまう。

穏やかな物言いが少しだけ耳障りな響きを残して、言葉がねじ込まれた。

この気持ちを整理しなくちゃ、と思うのに、一方で彼が側にいてくれることに安心してしまう自分を自覚してる。

何も考えたくなくなって、全部放り投げてしまいたくなる前に、どうにかしたいのに。

ごちゃごちゃした気持ちを、どうやっても彼に伝えることは出来そうにないから、1人で向き合いたいと思うのに。

私の言葉を遮った彼は、続けて囁いた。

「1人に出来るわけ、ないでしょう」

そう言って、ゆっくり呼吸をして。

「・・・殺して欲しいだなんて言われた私が、あなたを1人に出来ると思いますか・・・」

「・・・大丈夫です」

「嘘おっしゃい」

「ほんとに、大丈夫なんです」

「帰れないと分かったのに・・・?」

「・・・はい」

突きつけられるたびに、苦しい。

今もきっと、パパとママは私を探してるはずだ。

大変な事を乗り越えた分、2人が私を愛してくれてると実感してた。

あの2人にとっては、私はまだ14歳の頼りなく強がる子どもだということも知ってる。

だから、苦しい。

ほっとしたなんて、彼らの愛情をかなぐり捨てるみたいな真似、よく出来る。

「・・・なら、謝らせて下さい・・・」

「何をですか・・・?」

囁きが、弱弱しくなった。

言葉を拾おうとして、私は耳を澄ませてしまう。

「帰る方法がないことを、あなたに知らせなかったこと・・・。

 本当は、もう少ししたら言おうと思っていたんです、それこそ、今夜にでも・・・。

 あなたが父に、帰る方法を聞いてしまう前に・・・」

私は無意識に、首を振っていた。

軽く振っただけなのに、目の前がクラクラする。

「いいんです、もう。

 本当に、なんとなく気づいてたんです・・・」

そう、薄々気づいてた。

帰りたいですか、って最初に聞かれた時に、彼はその先を口にしなかった。

私も聞かなかったけど、その時はお姉ちゃんのことをシュウさんに伝えたかったし、自分のことは後回しにしようと思っていた。

ううん、考えないようにしてた。

だから、誰にも聞かないようにしてた。

帰る方法がないと分かったら、きっと発狂してしまうと思ったから。

「だって、おかしいじゃないですか。

 帰れる方法があったら、文明の発達に貢献する前にみんな帰ってるでしょう・・・?

 みんな、私と同じで家族が向こうにいるんだから・・・」

夕暮れに染まった空に、雪がちらつく。

南向きの部屋は西日が差すことはなくて、茜色の雲だけが見えた。

冬の穏やかな1日が、もうすぐ終わろうとしてるのを、私は静かに受け入れている。

背中の温もりがそうさせてくれているのは、もう十分すぎるくらいに思い知っている。

「リア・・・」

でもそのうちに、1人でいても不安が襲ってくることも少なくなって。

いつの間にか、自分が発狂するだなんて、考えて怖くなることもなくなった。

寝る前に、目が覚めた後に、向こうの人達を思い出す回数が減っていった。

彼がどんな気持ちで、私の名前を呼んで髪を結ってくれるのか、知りたいと思ってしまった。

「私・・・大丈夫な自分がいやです・・・」

ほら、涙も出ない。

寂しいのに悲しいのに、絶望したはずなのに・・・。

自分の薄情さに、ほとほと呆れてしまう。

1人になったら思いつく限りの謝罪の言葉を並べて、泣けるような気もする。

でも、1人にしないでくれて嬉しい気持ちも、同じくらいの大きさで居座ってて。

それを拾い上げたくて、両手がうずうずしてる。

「・・・ほっとしたんです・・・」

「え・・・?」

彼が虚を突かれたような声を出す。

私は自嘲気味に笑顔を浮かべた。

「帰れないって分かって・・・選ばなくていいんだと思ったら・・・。

 パパもママも、きっと私のこと探してるのに。

 胸が痛むのに、ここに居るしかないって分かったら、力、抜けちゃったんです・・・」

「・・・ああもう・・・」

呟いた私に彼は、腕の力を緩めて、肩におでこをくっつける。

脱力、という表現がしっくりくるようだ。

「じゃあ、私も力を抜いてしまいますよ・・・?」

「・・・ジェイドさん・・・?」

何が言いたいのか分からなくて、彼の名を呼ぶ。

振り返りたいけど、彼のおでこがそれを邪魔していて叶わない。

「ちょっと、そのまま。そっち向いてて下さい」

「えと、えぇ・・・?」

「あなたがあんな話をするから・・・毎日大変でした・・・」

「はぁ・・・すみませんでした・・・」

彼の言いたい事を汲み取ろうとしているうちに、ごちゃ混ぜになった感情は隅の方に追いやられてしまったみたいだ。

私は半ば条件反射的に、その言葉を口にしていた。

背中に吐息がかかるのを意識したら、どうしようもなく居心地が悪くなる。

「発狂したら殺して欲しいだなんて・・・リア・・・馬鹿なんじゃないですか・・・」

「・・・・・馬鹿ですねごめんなさい・・・・・」

「本当に大丈夫なんですか・・・?

 本当は、強がってるだけだったりとか・・・?」

「それが大丈夫なんです・・・残念なことに・・・」

ため息混じりに吐き出すと今度は、ぐいんっ、と体を捻られた。

腰、腰が。

新手のエクササイズみたいなことになりそうで、私は一旦腰を上げて座り直す。

向かい合った彼は、空色の瞳をじっとこちらに向けていた。

あんまり見ないで欲しい。

そう思うのに、目を逸らせないでいると、彼が両手で私の頬を包んだ。

「どう大丈夫なんですか、言ってごらんなさい」

薄暗くなった部屋の中、非常用の足元の照明だけで彼の表情を確かめる。

真剣すぎて、言葉以上の何かを拾い上げるのは無理そうだった。

確かなのは、彼が私のことを必要以上に心配しているってことだ。

「どうも、何も・・・大丈夫は、大丈夫ですよ・・・」

「私を安心させて下さい。

 じゃないと、本当に囲い込んでどこにも出せなくなってしまいます・・・」

困り果てた私に、彼は逃げ道を用意するつもりはないらしい。

冷えた指先が心地いい。

きっと今、私の顔はかなりの熱を発してると思う。

もしかしたら、彼の目から滲み出てる何かがいけないんじゃなかろうか。

「・・・だから・・・」

これはもう、観念するしかないみたいだ。

「・・・しばらく前から、髪を結う練習、してないんです・・・。

 ジェイドさんに結ってもらうの、好きだから・・・」

彼が目を見開く。

それはそうだ。

だって、帰りたいってキッパリ言った本人が、発狂しちゃうって怖がってた奴が、ころりと気持ちを切り替えて、可笑しなことをのたまってるんだから。

「・・・呆れてますよね、そりゃそうですよね。

 忘れて下さい今の、なし。なしでお願いします。

 でも私だって帰りたい気持ちがなくなった罪悪感でごちゃごちゃしてるんです。

 ちゃんと気持ちを整理したかったんです。

 だから1人にして欲しかったのにぃぃぃ・・・・」

語尾が変になったのは、彼が私の頬をむにむにしたからだ。

私がふざけたんじゃない。

「・・・ああもう・・・」

私の頬をむにむにしながら、彼は微笑んだ。

雰囲気と動作がまるで噛みあってない。

「・・・本当に」

甘ったるく目を細めたと思ったら、やんわり抱きしめられた。

男物の香水の匂いが鼻先をくすぐって、私は目を閉じる。

誰にも似てないはずなのに、よく知る誰かのような気がしてしまう。

「本当に、ここに居てくれます?」

こくん、と頷くと、背中に回された手が僅かに動いた。

迷いなく答えてしまえば、いっそのこと罪悪感も一気に襲ってきてくれる気がする。

そうしたら、少しの間それと向き合えばいいように思えてしまって。

「・・・私、ジェイドさんの側にいる時は、帰りたいって思わないみたいなんです・・・」

そっと、驚かせないように彼を抱きしめ返す。

いつかのハグとは、違うんだと分かってる。

「可愛い子ですねぇ」

しみじみ呟かれると、鼓動が跳ねた後に、なんだか微妙な気持ちが広がった。

「子って・・・」

「まだ、コですよあなたは」

くすくすと、忍び笑いを漏らす彼に、少しムっとしてしまう。

「・・・じゃあ、どこかで修行して、大人になってから出直してきます」

「こら」

間髪入れずに彼が鋭い声を発した。

「そういうことを言うと、屋敷の外に出しませんよ」

「どうして?」

面と向かって言わなくてもいいのって、とっても気持ちが素直になるんだな。

不思議と凪いだ心を曝け出しても、傷つくことはないだろうと安心出来る。

「・・・教えて欲しいですか?」

目を閉じていると、彼の声を全身で聞いているような気分になる。

それは心地良くて、ずっとまどろんでいたいと思わせた。

もしかしたら、あのハグの夜にそれを感じていたのかも知れないな。

「教えて欲しいです・・・。

 私は、ただ保護されて面倒を見てもらう、雛鳥なんですか・・・?」

いつかシュウさんが言っていた台詞を引用すると、彼がため息をついた。

よく覚えてますね、なんて、呆れたふうな言い方をして。

「ええ、雛鳥ですよ。

 あんまり可愛いから、大事に育てて、いつか美味しくいただこうと思ってました」

「・・・ました?」

いろんなところが引っかかる表現に、私は眉をひそめる。

たまに、彼の言葉は難解で分かりにくい。

今度、私の理解力のなさってやつを、ちゃんと知ってもらわないといけないな。

そんな感想を抱いていると、彼がゆっくりと体を離す。

瞳が向けられるたびに、ドキドキしたり安心したり。

いつから、そうなったんだろう。

この歳で、それはないんじゃないの、なんて自分につっこんだりもして。

「あまりに美味しそうだから、ちょっと我慢が出来なさそうなんですよねぇ」

困りましたね、なんて。

私その目、知ってるの。

パパがママを見る時の、柔らかくて甘くて優しい目。

いつか私にも、そんな人が出来たらいいなって思ってた。

ああでも、この人、言ってる内容が若干あれだ・・・・・。

耳の輪郭をなぞる指が、ものすごい熱を孕んでるのを感じ取る。

「それなのに、誰かの手に渡るだなんて、考えただけで気が狂いそうです」

物騒なことを言うクセに、壊れ物を扱うみたいに私を引き寄せた。




パパ、ママ、ごめんね。

今度の結婚記念日には、私がケーキを焼いてあげる約束してたのに。


懺悔をする場所が彼の腕の中だなんて、きっとまたお小言を言われるに違いない・・・。


あと、シュウさんと教授にも、待ち合わせに大遅刻して怒られるんじゃないかな・・・。





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