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お買い物から数日が過ぎて、自分の服を手に入れた私は更にこの世界に馴染んでいた。

だけどまだ、習得出来ていない技能がある。





「・・・顔の割りに、不器用さんですよねぇ」

ジェイドさんが、意地悪な笑みを向ける。

「う、すみません」

対して私は小さくなって、彼に背を向ける。

器用そうな顔ってどんな顔よ、なんてつっこめる図太さは私にはない。

大きなため息と一緒に彼の手が流れるように動き出すのを感じて、私もこっそりため息を漏らした。

こんなふうに手を煩わせる自分が、情けない。

だけど、ちゃんと頑張って練習してはいるんだよジェイドさん。

「・・・でも、最近三つ編みが上手くなったと思いません・・・?」

「そうですねぇ・・・かろうじて、三つ編みになってますよね」

「・・・かろうじてですか・・・」

「かろうじて、でしょうねコレは」

ぷくく、と必死に笑いを堪える・・・いっそのこと爆笑してくれた方が気が楽なのに・・・彼にしてみたら、私の髪結い能力は幼児レベルなのだそうで。

背後から聞こえる、堪え切れていない笑い声に、私は顔を赤くしてただ小さくなった。

ほんとにね、ここが異世界じゃなかったら、普通の女子大生だったんだけどね。

「・・・やる気はあるんです・・・」

「・・・本当に、仕方のない子ですねぇ」

いつの間に結い終わったのか、彼が頭をぽふぽふ、と叩いてくる。


彼が呆れるのも仕方ない。

私はこの世界に来てからというもの、今日までずっと自分の力で髪を結った実績がなく。

毎日こうして彼に綺麗に結い上げてもらっている。

最初は、私が頑張っているのを知って黙っていてくれたみたいだけど、ある日言われたのだ。

見るに見かねて、という雰囲気が綺麗に当てはまる言い方で。

「明日から毎朝、この時間にお邪魔します」と。

何をしに、とは言わないのが彼の優しさなのか。

以来ずっと、この朝の儀式は続けられているわけだ。

甘えちゃいけないと思うのに、結い終わった後の「ぽふぽふ」が気持ちよくて、ずるずると甘え続けてしまっている。

情けない自分を晒すことよりも、今は誰かに甘えている方が精神衛生上よろしい気がする・・・なんて言い訳をしながら。


ともかく、そうやって、私の異世界での1日は始まるわけだ。






王立学校に向かう準備をしながらも、雑用は容赦なく降って湧く。

いや、ジェイドさんが王都を空けるのは今や王宮中が知るところらしく、その前に大事なことを相談しておこうという人達が群がっている・・・んじゃないかと私は思っている。

だって急に、頼まれるおつかいの量がどかっと増えたから。

ジェイドさんが過労で倒れないか、激しく心配だ。

そんなわけで、蒼の騎士団へのおつかいを頼まれた私は、史料や書類の入った大きくて若干重く感じる封筒を、両手で抱えて歩いていた。

雪がちらつく空が、王宮の廊下にも冷たい隙間風を送り込んでくる。

石造りだから仕方ないのかも知れないけど、私は皮膚も薄いからなのか、床から冷えが上がってくる感じがどうも苦手だ。

ニットで出来たタイツみたいなものを履いているし、ブーツも中がボアみたいになってるから、ガタガタ震えるほどではないけど。

でもやっぱり冷えは女性の大敵だっていうし、私はこの間のお買い物で、ケープを買っていた。

いや、買ってもらっていた。

厚手のニットで出来たそれは、毛布を肩に巻きつけてるみたいで暖かい。

暖かいのと新しい服を身につけるウキウキ感で、私は重い書類をものともせずに足取りも軽く、蒼の騎士団本部へと向かっていた。

実は、おつかいがなくても蒼の本部には顔を出す約束をしている。

誰とだなんて、決まってる。

でろでろにお姉ちゃんを愛してるシュウさんが、写真を見たいと言うからだ。

ここに来て、もう十数日。

携帯のバッテリー残量は、どういうわけか常に8割くらいに保たれている。

・・・この不思議現象には、私なりの仮説があるんだけど・・・。


そうこうしているうちに、私は騎士団のドアをノックする。

ちなみに、ここは誰かが内側からドアを開けてくれたりはしない。

何故かって、それは、ここがものすごく忙しなくて喧騒に溢れた場所だからだ。

民間人が被害届けなんかを提出する方の入り口は、別の所にある。

私がいつも来るのは、業務用入り口みたいな方。

「こんにちはー」

書類を抱えながらドアノブに手をかけると、ぐいん、と引っ張られる感覚が。

「・・・・・っ!!」

不意打ちをくらって、足の踏ん張りがきかなかった私は、引っ張られるまま室内に放り込まれてしまった。

それがまた、ちょうど騎士が出かけるところにかち合ったらしく、目の前にオリーブ色が広がったかと思えば、

「おっ・・・と」

がっしりした腕に、抱きとめられる。

「わ・・・!」

私はいろいろに驚いて、抱えていた封筒を取り落とした。

・・・幸いひとつに纏めておいたから、散らばることはなかったけど。

勢いがつきすぎて、思いっきり騎士の胸に飛び込んでしまったみたいだ。

汗の匂いと、ちょっと埃っぽいのと、なんだかよく分からないけど、とにかく恥ずかしい。

反射神経がいいのは、時として困りものだ。

「すみませ、ん・・・」

咄嗟に離れようとしてその人を見上げると、思いのほか顔が近くにあって、顔に熱が集まり始めてしまう。

こういう時、皮膚が薄いとものすごく損だ。

すぐ赤くなるのは、ずっとコンプレックスなのに。

しかもちょっと好みの顔をしてるとか、何の意地悪だ。

お兄さんもお兄さんで、固まってないで早く離れてくれ。

いやきっと、これはほんの刹那の出来事で、私とその周りだけがスローモーションになって時間が過ぎているだけだ。


「リア」

低い声が、私の周囲の固まった空気を打ち壊した。

ほっと息をついていると、お兄さんも我に返ったのか、悲鳴に似た声を上げて私から離れる。

・・・ちょっとそれ、どういう意味。

ちらりと一瞥すれば、彼も顔を真っ赤にして私を見ていた。

・・・そういう反応されると、もっと恥ずかしくなるじゃないか。

熱くなった顔を手で扇ぎつつ、取り落としてしまった封筒を拾い上げる。

さっきよりも重く感じるのは、気のせいだろうか。

団長の執務室から出てきた様子のその人を見遣れば、眉間にしわを寄せていることに気づいて、首を傾げる。

「こんにちは、シュウさん」

声をかければ、今度は彼が近づいてきた。

さっき私を抱きとめた彼と同じ色の制服なのに、シュウさんが着るとものすごく迫力がある。

いや、それは眉間のしわと目つきのせいかも。

「お前・・・」

私の間近にやって来たシュウさんは、さっきの彼を見て声をかけた。

その彼は、真っ赤だった顔から血の気が引いたのか、若干白くなっていて。

「今すぐジェイドに懺悔した方がいいぞ」

「・・・・・?」

さっぱりワケが分からず、内心で首を傾げていた私に、シュウさんがハンカチを差し出す。

騎士は、逃げるようにして外へ出て行った。

「え?」

やはりその意図が分からずに彼を見上げると、小さく息をついて、手に持ったハンカチをそっと頬に当てられた。

そして、その後すぐにそのハンカチを目の前にかざされる。

白い布に、赤い染みが出来ていた。

「・・・あ」

自分でも、間抜けな声が出た自覚はある。

きっと、ぶつかった時に彼の制服のどこかで掠って切ってしまったんだろう。

痛くもなんともないし放っておけばすぐ治る。

そう笑って言えば、シュウさんが呆れたような顔をした。




「はい、どうぞ」

「ああ、助かる」

まずは封筒を先に渡す。

一応おつかいで来たから、先に雑用のお仕事を済ませなくちゃいけない。

シュウさんは私から封筒を受け取ると、お茶を出しに来た女性の事務員さんに渡した。

今は引き継ぎ期間だそうで、実務をこなす新しい団長が困った時に手助けするくらいしか、彼の仕事はないそうだ。

私はハンカチをポシェットにしまって、お茶を含む。

そして、お待ちかねの携帯を取り出した。

「今日は~・・・こっちの世界に渡ってくる前のお姉ちゃんを見せてあげます」

シュウさんの目がきらりと輝いて、ちょっと可愛いな、なんて失礼な感想を抱く。

執務室は整頓されていて、とっても品の良い雰囲気だ。

ここにお姉ちゃんも何度か足を踏み入れたことがあるらしい。

早く2人が並ぶところを見たいな、と心から思う。

私の携帯は、結構古くて・・・といっても、最近は季節ごとに新しい機種が発表されるから、数年前のものでも古く見える。

なんとなく愛着があって、変えずにいたんだけど・・・ここでそれが役立つとは、それこそ人生って何があるか分からないものだ。

携帯の写真を見るシュウさんの目は、とても優しくて甘い。

これは騎士団の人達に見せちゃいかんのではないか、とジェイドさんに言ってみたことがあった。

そうしたら、去年の春に結婚式をしたという目の前の夫婦は、それはもう口の中がじゃりじゃりするくらい甘くてでろでろな姿をお披露目したらしい。

・・・見たかったような、見なくて良かったような。

とりあえず、お姉ちゃんが幸せだったなら、それでいいか。

ともかく、シュウさんのお姉ちゃんを見る目は愛に溢れていて、私はその表情を見るたびに、出来ることは何でもして、力になりたいと改めて思うのだ。

「このケータイというやつは、エルゴンが切れないんだな。

 初めて見た時は、もう見れなくなるかも知れないと、言ってなかったか」

しばらくじっと画面を見つめていた彼が、ふいに視線を上げた。

目の前でそういう目をされると、取調べを受けているような、ちょっと後ろめたいような気分になってしまう。

「そうなんですよね。

 最初は、バッテリー・・・右上の、小さい四角形の。

 それが段々と空に近づいてたんですけど、どうやらシュウさんが触っている間に、

 少しずつ回復してってるみたいで・・・理屈は全然分からないんですけど・・・」

「・・・俺が触ってる間に・・・?」

「はい。シュウさんがほとんど毎日それに触れてるじゃないですか。

 ・・・で、屋敷に帰って見ると、バッテリーが回復してるんですよね・・・」

言いながら私も彼と同じように眉間にしわが寄るのを感じる。

ほんと、不思議。

CMで、置くだけで充電出来るって商品を見たことがあったけど・・・そのイメージで考えると、シュウさんが帯電人間みたいなことになるの?

ああダメだ、この世界で不自由を感じない私はアナログ人間なんだった。

「もし不都合が生じなかったら、ですけど・・・。

 王立学校の教授に、これも見てもらおうと思ってるんですよね」

「・・・なるほど・・・」

ジェイドさんのいない所で、こういう相談はしない方がいいのかな。

脳裏に不安がよぎったけど、今さら口から出たものはしまえない。

私はカップを両手で包んで、言葉を選んだ。

「渡り人の持ち物が消えてしまうことは、よくあるって聞きました」

「ああ」

彼が短く肯定する。

「実際、私の着てたものとかは、消えちゃったみたいです。

 それなのに、携帯だけは残って、今もこうして動いてる・・・。

 しかもあっちの世界なら・・・1日バッテリーがもてば十分なくらい古いものなんです。

 だから、充電用の機械がない世界で長時間動き続けるなんて、ありえません」

半分自分に語りかけるように言えば、彼が頷いた。

私の話がちゃんと通じてることに安心して、さらに言葉を並べる。

「私が持ってても回復しないし、ジェイドさんにお願いしてみても同じ。

 シュウさんが触れてる時だけ、回復するんです・・・何かあるとしか思えなくて」

この違和感は、私にしか分からないかも知れない。

もともと携帯の存在しない世界だ、無理はない。

でも、どうしてもこの違和感を主張しておきたかったのだ。

この小さな異世界が、今日までちゃんと、ここに存在している不思議を。

「・・・話してみた方がいいかも知れないな」

彼の声に、私は思考の海から引き上げられる。

もともと言葉の少ない彼だ。

一緒に居ると、ついつい自分と対話してしまいがちになる。

「実は俺も、ミナの件とは別に個人的に相談することがある」

彼が頷きながら言った。

携帯を片手に収めて、お茶を啜る。

そこで、はた、と思い出した。

「あの、」

小さく鋭く口を挟むと、彼が片方の眉を跳ね上げた。

「これ、紅の騎士団の人達に聞かれたりしてませんよね・・・?」

「何故?」

こわごわ尋ねた私に、彼は首をかすかに傾げて問い返す。

カップをテーブルに戻して、冷たくなってきた指先を摩る。

「紅の人達が、私のこと疑ってるってジェイドさんが・・・。

 こないだ、団長さんの突撃取材を受けたところです」

「ああ。ロウファが直接行ったのか」

世間話の雰囲気で彼が言うのを聞いていると、どうやら特別警戒するような状況でもないのかも知れない。

もしかして、良くあることなのか。

「大丈夫だ、気にするな。

 奴は奴なりに、職務を全うしているだけだしな。

 ・・・現にミナも、奴に何度か接触されていたし」

「お姉ちゃんも?」

「ああ・・・一般の騎士に紛れていたらしいから、ミナは気づかなかったようだ」

「・・・タチ、悪いですね・・・」

「ああ。最終的には蹴り飛ばしておいた」

「・・・おおお・・・」

さすがシュウさん、必要なら手が、いや、足が出るのか。

義理の従兄弟がこれだけ頼もしいと助かるな。

感心しているのか慄いているのか分からない私に、彼がもうひと言。

「それに、だ。

 俺に関しては、正面からかかってくるように言ってあるから心配ない」

・・・決闘でもする気なのか。





シュウさんで携帯の充電を済ませた私は、ジェイドさんの執務室へ。

まだ沢山雑用が残っているだろう。

廊下に佇む鉄子さんに挨拶をして、ドアをノックしようと手を上げた、その時だ。

「リア殿」

鉄子さんに話しかけられた。

突然で、しかも名前を呼ばれたのなんか初めてのことで、びっくりして固まってしまう。

もしかして空耳だったのかも、なんて、しょうもないことを考えて。

「お呼び止めして、申し訳ありませんが・・・」

「は、はぁ・・・」

振り返ると、するすると言葉を繋げられて、私は間抜けな声しか出てこなかった。

表情はやはり鉄子さんで、何も普段と変わらない。

「その頬の切り傷は、どちらで?」

「え・・・?あ、ああ・・・」

言われて、今まで忘れていたことを思い出した。

そうだ、ちょっと切っちゃったんだった。

「ちょっと、不注意で。

 騎士さんとぶつかっちゃったんですよ」

自虐のつもりで、にへら、と頬を緩ませると、彼女は沈痛な面持ちで頷いた。

鉄子さんが表情を変えるところなんて、初めて見た私は絶句してしまう。

そんな私を見て、小さく息をつくと彼女は言った。

「わかりました。

 では、傷薬と当て布を用意いたします。

 しばらくこの場を離れますが、何かありましたらベルを鳴らしていただければ」

「はい、ありがとうございます」

そんなに大げさにしなくてもいいのに。

そう思うものの、鉄子さんが喋ってくれたことに舞い上がって勢いよく頭を下げてしまった。

で、頭を上げたらすでに鉄子さんはいなかった。素早い。


「顔を見せて」

「え?」

一歩中に入ったら、即。

ケープを脱いだり、おつかいの報告したりとか、することはたくさんあるのに。

すごい勢いで詰め寄られて、両腕を掴まれる。

暖かい部屋に、鼻水が出そうになってしまう私は、それとなく顔を逸らせた。

ジェイドさんには、もう情けない姿は晒したくないのだ。

顔を逸らしたら、今度はソファが目に入って。

ああ、そういえば、いつかもソファで眩暈がして、似たような展開になったっけ。

思い出して、私はあの時の密着度に恥ずかしくなった。

顔が赤くなる。

そうこうしているうちに、彼は無理やりでも顔を見ようと思っているのか、ぐいぐい自分の顔を近づけてきて。

「なん、なんですか・・・?!」

私は彼が近すぎて逃げ出したい気持ちになってしまう。

思わず仰け反りそうになる体を、ぐいん、と引っ張られて再び彼の顔が近くにくる。

息、息が出来ない。

半ば混乱している私の耳が、ジェイドさんの鼻先が耳元を掠めて、すん、と息を吸った音を拾った。

「な・・・?!」

なんてことを、と言おうと口を開いたところで、彼が先に言葉を紡いだ。

「ああよかった、痕、残らなさそうですね」

そう言われて、頬の切り傷のことだと気づく。

最初に言ってくれれば、喜んで差し出したのに。

私は少しだけ恨めしい気持ちになって、彼を見返した。

すると、彼が真剣な目で見つめ返してくるではないか。

「心配したんですよ。

 蒼の騎士がものすごい勢いで飛び込んできて、ものすごい勢いで謝ったもので」

そう言って、一瞬気圧された私の頭をぽふぽふ叩いて。

その手のひらが、私の頭の中からいろんな気持ちを追い出してくれたようで、私は少し目を細めて頷くことが出来た。

「大げさです」

ふふ、と息を漏らす。

それを見た彼も、優しく目を細めて告げた。

「おかえり」





そのあと、彼が鉄子さんの用意してくれた物で消毒してくれた。

子どもの頃は、よく怪我をしてたから慣れっこだ。

そう言ったら、「今も似たようなものでしょうに」だって。

子ども扱いするクセに、時折大事に大事に接してくれる。

こわごわ、そおっと、真綿で包むように。


これで彼のことが気にならないなんて女子がいたら、ぜひお会いしたい。


暖炉の火に照らされた彼の横顔をなんとなく眺めて、私はぼんやりとそんなことを考えるのだった・・・・・。

今日も今日で、暖炉の前で、緩やかに夜が更けていく。








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