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それは、小さな幸せが手ひどく破壊された記憶。
「ほん・・・っ」
ジェイドさんの声が耳を打つ。
「・・・とうに・・・」
自分でもびっくりするくらいアルコールの影響を受けて、こともあろうにジェイドさんにハグして欲しいなんて甘えたことをお願いした私は。
がっちりハグされた状態で、その盛大なため息を聞いた。
暖炉の火がかなり弱くなってしまったのに、まだ十分暖かいのは、部屋が暖まったからというだけではないのかも知れない。
「どうしようもない子ですね」
ものすごく脱力した声で唸るように言われて、私は口を尖らせる。
反論したいのに、自分の気持ちが上手く言葉に出来ないから、結局それだけで終わってしまうんだけど・・・。
これじゃ本当に、子どもと変わらない。
私が何も言い返さないのをどう思ったのか、彼は矢継ぎ早に言った。
「あなたはそういう物騒なことを言い出す子ではないと思っていましたが・・・。
一応、聞いておきましょうか。
あなたが自分の命を捨ててもいいと思うのは、どうしてです?」
ハグしたままの状態で、彼が問う。
彼が私を引き剥がさないでいてくれたから、私は顔を見て話さなくて済む。
それは今の私には、とてもありがたいことだった。
そっと息を吸って、言葉を紡ぐ。
「・・・14歳の時に、隣の家の人が・・・」
目を閉じて脳裏に蘇ったのは、鈍い光を放つもの。
つりあがった目に、歪んだ口元。
悲鳴のような怒号。
外は雪が降ってたな。
何を言っているのかも、どこを見ているのかも分からなかった。
テーブルにセットされていたグラスやお皿が、次々に壁に叩きつけられて。
1日かけてツリーを飾ったのに。
オーブンからいい匂いがしてた。
髪を振り乱したそれは・・・。
走馬灯なんか見たことないけど、きっとこれが、そういうものなんだろう。
息つく間も与えない速さで、ほの暗い映像が蘇って。
すごく寒い。
もうあれが追いかけてくることは、ないのに。
いつの間にか歯の根が合わなくなって、言葉を紡げなくなっていた。
あれ、おかしいな。
ちゃんとカウンセリングも受けたし、薬が必要になる夜だって、もう乗り越えたのに。
「・・・リア?」
あの時、揺さぶって私の名前を呼んだのは、だれ・・・?
「リア!」
床に、黒と赤が散らばってた。
「息をしなさい、リア!」
何かの錆びた匂いがしてた。
笑いながらガラスの破片を握り締めて・・・・・
ぱちんっ
しゃぼん玉が割れた時のような、軽い音が頭に響いた。
その音に驚いて我に返った私は、瞬きを何回かして、息が苦しいことに気づく。
潜っていた人が、水面に顔を出した人みたいに息を吸い込む私を見て、彼が息を吐いた。
酷いカオをしたジェイドさんが、私の顔を覗き込んでいる・・・。
眠りから覚めた時みたいな感覚に戸惑っていると、彼が言った。
「生きてますね?」
こくりと頷く私。
彼はほっとしたような表情を見せてから、ひどく申し訳なさそうに私の頬に手を当てた。
すると私は、頬がじんじんと痛むことに気づく。
「・・・あ」
「すみません、力技でいかせてもらいました」
「・・・グーですか、パーですか・・・?」
ジェイドさんが、きょとんとして首を傾げた。
知らないのか。
「拳ですか、平手ですか」
「平手です」
ビンタか・・・。
年上イケメンにビンタされるなんて、貴重な経験だ。
くだらないことを考えてしまうのは、自分を追いかけてくる何かから逃げるためだということは、さすがの私も自覚してる。
あれからカウンセリングを受けて、服薬して、環境も変えた。
もう大丈夫だと思っていたのに、取り乱してしまったのはきっと、この世界に来てからずっと、情緒不安定だからだ。
「リア」
「はい」
彼の声が、もう一度私を我に返らせた。
「別に話せなくても構いません。
とりあえず、あなたを追い詰めるものがある、ということは分かりました」
「・・・はい・・・」
じんじんする頬に、これは夢じゃないんだと実感してしまう。
帰りたいと胸が締め付けられるのは、決まって眠りから浮上して、夢から覚めた時だ。
空色の瞳が、じっと私を見ている。
「・・・が。
だからといって、私にあなたを殺めさせるのは間違ってますよねぇ・・・」
指先が、頬から顎につつ・・・と移動してきた。
くい、と目線を上げられて。
何となく彼が怒っているのが分かる。
「・・・ね?」
逃げるなとでも言うかのように、目を合わせてきた彼は、とても怖いカオをしていた。
でも、そんなカオするのは私のせいだ。
さっきハグしてくれたジェイドさんは、とっても優しかった。
「・・・ごめんなさい」
強い目に気圧されて、小さな声を搾り出す。
ちゃんと聞こえていたのか、彼は小さく息を吐く。
「どうして発狂する前提で話をするんですか・・・」
指を離しながら、呆れ半分お小言半分の雰囲気で彼が言う。
「そりゃあ、この世界に来たくて来たわけじゃないでしょうけど・・・」
立ち上がって、火が弱くなった暖炉に新しい薪を入れる背中が丸まって、なんだか普通の人みたいに思えた。
灰が舞い上がって咳き込んでいる彼は、庭でバーベキューをするパパを思い出させる。
金色の髪が、暖炉の火に照らされてオレンジ色に染まった。
そして、温もりを失ったラグの上で動かない私に、背を向けたまま、彼は言う。
「情緒不安定、自暴自棄。
もしかしたら、世界を渡った影響なのかも知れませんが・・・」
自覚があるだけに、頭が痛む。
私は何も言えずに、ただ彼の背中を見ていた。
しばらくして、暖炉の中に更に薪をくべた彼が、私の目の前に戻ってくる。
そのカオは、どこか晴れやかだ。
空色の瞳が、楽しそうに細められるのを見て、私の心臓が跳ねた。
炎が燃え盛って、部屋の中に暖かい空気が充満していく。
「働きましょうか、とりあえず」
「・・・え?」
彼の主張はこうだ。
「考える時間、1人になる時間があるから余計なことを考える」
「仕事でもすれば、忙しくて気が紛れる」
「まだ1人で街に出すのは無理がある」
「となれば王宮はどうか。それなら自分の雑用係で決まりだ」
以下、その時の彼と私のやりとりだ。
「それはさすがに、私がやっていい仕事じゃないと思いますよ」
「いやいや、私が誰かご存知でしょうに」
「ジェイドさんです」
「そうですよ、それに補佐官です」
「・・・でも、勝手に人を雇ったらダメなんじゃないですか?」
「職権乱用?」
「そう、それ」
「・・・この程度、たいした乱用じゃないですよね」
「否定して下さいよ」
「細かいことはいいんです。あなたは明日から私の雑用係ですよ」
「だから、細かくないです。ジェイドさん、罷免されても知りませんよ」
「罷免?陛下を言いくるめられる私が、誰に罷免されるというんです?」
「・・・言いくるめ・・・」
「各騎士団は、文句は言いませんよ。
私を罷免したら、翌日からこの国が立ち行かなくなるのが分かっていますから。
さすがに犯罪行為、背信行為に走ったら、全力で潰しにかかってくると思いますが」
「・・・怖い所ですね異世界って・・・」
「いえいえ、あなたが大人しく雑用係をしてくれたら、大して怖い所にはなりません」
「・・・私が何かよからぬことを考えていたら、どうするんですか」
「言ったでしょう、信用してるって」
「・・・ほんとに?」
「ほんとに」
「私、家庭教師くらいしか経験ないですよ・・・?」
「大丈夫ですよ、未経験の方でも大歓迎ですから」
「・・・・・・・・も、やります」
「賢い判断ですね。
これであなたが我が家に滞在している理由や大義名分が出来ました」
「そこまで考えてたんですか・・・?」
「ふふ。理由はいくらでも後付け出来るものなんですよ」
「・・・・・・」
結局ジェイドさんのいいように言いくるめられた私は、彼の雑用係として働き始めた。
用のない時は、史料を読み込んで。
たまに彼の片付けた書類を纏めて、騎士団や事務方の部屋に持って行き。
食事を食堂に取りに行ったり、侍女さんにお茶をお願いしたり。
基本的に彼と四六時中顔を合わせる生活をするようになった。
今のところ息苦しくもないし、それなりに充実した毎日を過ごしている。
どうやら彼の言ったことは私には正しかったようで、余計な事を考える時間がなくなって、マイナス思考に陥ることもなくなった。
どういうわけか方々で、補佐官殿が先着順で仕事をこなしてくれるようになって嬉しい、という言葉をかけられたりして。
別に私が何かしたわけでもなんでもないんだけど。
褒められたり、感謝されるのは悪い気はしない。
ちなみにもともといた雑用係さんは違う仕事にまわされて、大層嬉しそうにしていたそうな。
どんな扱いをしてきたのか、すっごく気になるところだ。
そうして、段々と新しい生活に慣れてきた。
気づけば、私がこの世界に渡って来て、十数日経とうとしている・・・・・。




