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自覚の先に見えるもの

次に真織が目を覚ました時、カーテンの外は赤みを帯びていた。

時計を見ると夕方の時刻を指していて、真織はのそっと上半身を起こす。

幾分か体のだるさは取れているようで、熱も落ち着いた気がすると、真織は自分の額に手を当ててボーっと考えた。

緒凛手製のお粥を食べた後、言われたとおり薬を飲んで横になった。

真織が寝付くまでの間、緒凛はずっとベッドの横で真織の手を握り締めていてくれたのが、今はどこにも姿はない。

しばらくベッドの上でボーっとしていたが、緒凛がいつまでたっても部屋にこないことに違和感を感じ、真織はカーディガンを羽織って廊下に出た。


「――緒凛?」


廊下に出てそう呼んでも、返事はない。

書斎を覗き込んでもリビングを見に行っても、緒凛の姿がないことに、真織は強い不安を感じた。

この広いマンションの一室に、一人きりになったのは今が初めてではない。

けれどこれほど不安に感じたのは初めてで、なぜ自分はこの場所に一人で居なければいけないのか、と、真織は気だるい体に鞭を打って、ありとあらゆる場所を探した。


「緒凛? ……ね、緒凛! どこに居るの!? 緒凛! 緒凛!」


探しても探しても、呼んでも呼んでも見つからない部屋の主の姿。

急な仕事で呼ばれて出て行ったのだろうか、それとも別の用事で外に行ったのか、それはわからないけれど、真織はどうしようもない不安と寂しさに涙をこぼした。


傍に居たい――いや、違う。


傍に居てほしい。


ただそれだけで十分なのに、それすら叶わないのかと考えれば、緒凛にとって自分の存在とは一体何なのかと考えさせられてしまう。

これじゃあもう、熱のせいだとか風邪のせいだとかいいわけできない状況だ。

病気になれば心細くなると聞いたことがあるけれど、果たして今の自分はそれに当てはまるのだろうか。

すべての場所を探しても、緒凛の姿を確認することができず、真織は玄関先でペタンッと座り込んでしまった。

溢れ出してくる涙は止まる事を知らないらしい。

ぬぐってもぬぐっても次々に零れる涙を必死に止めようとするも、涙腺との意思疎通は困難を極める。


「緒凛……緒凛……」


自分でもなぜこんなに泣いているのかわからない状況になったとき、玄関のエレベータードアが開いた。


「真織!? 起きたのか?!」


玄関先で座り込んでいる真織の姿を見て、捜し求めていた人が一目散に駆けつけた。

その姿を見た瞬間、真織の心がすっと洗われたような感覚にとらわれる。

真織が泣いていることを知ると、緒凛はますます驚いてオロオロとしながら真織をなだめながら尋ねた。


「どうした真織? どこか痛いのか?」


心配そうに覗き込んでくる緒凛の表情を見上げながら、真織は涙をぬぐうことも忘れて緒凛に尋ね返した。


「どこ……行ってたの?」

「どこって……買い物だけど」


そう言って手に持っていたビニール袋を真織に見せながら、「そうだ」とつぶやいて袋の口を広げて真織に見せてきた。


「メロンを買ってきたぞ。あとイチゴ。桃もある。それと、元気になれるような食べ物をいくつか買ってきてみた。何か食べたいものはあるか?」


泣いている真織の機嫌をとろうと、緒凛が必死に言う姿がなんとも愛らしい。

何も言わない真織に、緒凛は再び心配そうな表情を向ければ。


「――っ、真織?!」


無意識だった。

意識などしているまもなく、自分の体が勝手に動き、緒凛にしがみつくように抱きついていたのだ。

突然の真織の行動に、緒凛は戸惑いを見せるも、引き剥がそうとすることはない。

ぎゅっとしがみつき、胸元に顔をうずめてくる真織の頭を優しくなでながら、どうしようもなく緒凛はその場に袋を置いて真織の背中に手を回した。


「……だ……」

「ん?」

「やだ……一人にしないで……」


振り絞るように出した唯一の言葉。

恥ずかしさがこみ上げてきて、真織は顔をあげることもできず、さっきよりも力をこめて緒凛に抱きつく。


お願いだから傍に居てよ。

傍に居ると言って欲しいだけなの。

アナタが傍に居れば何も要らないから。

他に何も欲しがらないから。

だからお願い。

ずっと傍に居て――


どれくらいの時間そうしていたかはわからない。

緒凛は真織を受け入れるように、ただぎゅっと抱きしめ返してくれる。

そのぬくもりは、この一ヶ月間、ずっと傍にあったものと同じもので。

ただこれだけのことなのに、どうしてここまで安心できるのだろう。

今の今まで不安だったものがすべてふっとんでしまった。

このぬくもりも、やさしさも、すべて自分のものだけならいいのに。

そう願ってしまうことは間違っているのだろうか。


「真織……」


小さな声で、遠慮がちに呼ばれた言葉に、真織はようやくおずおずと顔を上げれば。

緒凛は今まで見たことのないほど、あどけない笑顔を真織に見せてくれた。


「大丈夫、ずっと傍に居るから。一人にしてごめんな?」


緒凛の言葉に、とまったはずの涙がまた零れだした。

望んではいけないとわかっているのに、その思いがとめられない。


ああ――私は

この人が好きなんだ

これが

この想いが

好きという

愛しているという感情

この零れ出す涙も

こみ上げてくる想いも

この人だけに感じるものが

声にならずに溢れ出てくる

神様

叶わずとも

想うことだけは許してください

この人を

好きだと思う

ただそれだけを許してください


「お……りん……」

「どうした?」


擦れた声で緒凛の名を呼ぶと、緒凛は穏やかな声で聞き返す。

自分でもなぜ緒凛の名を呼んだのかわからないけれど、呼ばずにはいられなかった。

どう言えばいいのか――わからなかった。

自分の気持ちをはっきりと自覚した今、彼にどう接していけばいいのかがわからない。

知られてはいけないと思いながら、真織は戸惑いがちに緒凛を見上げ、それからごまかすように静かに言った。


「熱……」

「ん?」

「熱……下がったかも……」

「本当か?」


真織の言葉に、緒凛は真織の額に手の平を当てた。


「ああ、さがったみたいだ。けど油断するなよ? 薬の作用で下がっているに過ぎないからな」


緒凛がそう注意深げに言うと、真織は静かに小さく頷く。

それからゆっくりと緒凛から離れて、緒凛も素直に真織を開放し、床に置いたビニール袋を再び手にとって真織の肩を抱いた。


「メロンを切ってやる。食べられそうか?」

「うん」


真織の返答に満足したような笑みを浮かべ、緒凛は真織の肩を抱いたままリビングへと向かった。


 ◇◆◇


真織が風邪で寝込み始めて三日目。

熱もすっかり下がり、体調も十分回復しているのに、緒凛からの命令で、真織は今日も仕事を休んだ。

緒凛はさすがに三日連続で休むことはできず、今日は真織に何度も謝りながら出勤していった。

三日間寝ていたこともあって、やらなければいけない家事は山ほどある。

けれど今起きて片付けを始めれば、緒凛に怒られるのは目に見えているので、おとなしく布団の中に入っていた。

が、それではあまりにも暇すぎる。

四六時中寝ていたせいもあって、なかなか寝付くことはできないし、かといってベッドから出るわけにもいかない。

考えたあげく、教科書でも読んでいようかと、上半身を起こして眺めていたわけなのだが。

静かな空間にチャイムの音が鳴った。

昼下がりのこの時間帯に訪問者が来ることは珍しい。

時間帯に関係なく、訪問者がいること自体珍しいのだが。

真織はなまった体をのんびりと起こし、ずり落ちそうになったカーディガンを押さえながら玄関へ降りていく。

テレビインターホンの画面を覗けば、意外な人物がそこにうつり、真織は驚きながらインターホンの受話器を取った。


「アゲハ君?!」

『見りゃわかるでしょ。早く入れろよ寒いんだから』


インターホンの向こうで、ムッとした表情を見せる蝶に、真織りは慌ててエレベーターを操作して蝶を迎え入れる。

数分の時間を費やして蝶がようやく部屋にたどり着くと、玄関で待っていた真織を見て機嫌悪く言った。


「凛兄は?」

「緒凛は仕事に……もうすぐ帰ってくるってさっき連絡が」

「げ、最悪。じゃあ今はアンタだけかよ」


蝶の言葉に真織は苦笑いを浮かべた。

どうやら徹底的に嫌われてしまっているらしく、蝶は相変わらず仏頂面だ。

真織が返答に困っていると、蝶は嫌々真織を視界に入れて言った。


「本来、俺は凛兄の兄弟であって客人ではないにしろ、他人のアンタから見れば俺は客人になるわけだ。出向いた客人を丁重にもてなすのがアンタの仕事だと思うけど?」

「回りくどい言い方ね」

「茶ぐらい出せよ役立たず」

「なるほど、実に簡潔でわかりやすい」


蝶の刺々しい言葉に、真織は屁にも思わずそう返して、リビングに歩いていく。

蝶もムッツリと不機嫌丸出しの表情を浮かべたまま真織の後に付いていき、真織がキッチンへ向かったのを横目に見ながら、ソファに態度のでかい様で座った。

真織は呆れながらもお茶の準備を進めていれば、蝶は皮肉っぽく笑って言った。


「風邪引いてるって聞いてたけど元気そうじゃん」

「心配してきてくれたの?」

「はんっ! 誰が。そんな優しさテメェにくれてやるくらいなら溝にはまって流された方がマシ」

「じゃあ流されてしまえ」


真織が負けじとそう言えば、蝶はムッと眉間にしわを寄せて言った。


「アンタ、さっきから誰に向かって言ってんのかわかってんの?」


ふんっと鼻を鳴らしながら、蝶はまるで自分が優位に立っているかのようにそう言えば、真織はわき上がるお湯の火を止めながらはっきりと言った。


「アゲハ君」

「は?」

「は? って何? 誰に向かって言ってるのかって聞いたからアゲハ君って答えただけじゃない」


真織が面倒くさそうにそう言えば、蝶はますます綺麗な顔を歪めて低い声で言った。


「アンタ……俺のことよくわかってねぇみたい――」

「勘違いしちゃ駄目よ」


喧嘩を売るような物腰の蝶の発言に、真織はピシャリと言う。

まさか言葉の途中で話を聞られるとは思っていなかったらしく、蝶が驚愕した表情を見せれば、真織はポットにお湯を注ぎながら言った。


「アゲハ君はアゲハ君。偉いのは君じゃなくて、黒澤財閥を一代で築きあげたお父さんや、それを支えてきたお母さん。現状を保つために必死に働いている緒凛よ」


正論をズバリと言われた蝶は、ぐっと息を飲み下唇をかみしめた。

そんな蝶を見つめながら、真織は悪意のない笑顔を向けて言った。


「お茶、はいったよ」

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