エピローグ
あの薔薇園は、何匹もの精霊達が協力して私とシリル様のために作ってくれた場所だったらしい。私達が精霊に気付いた瞬間、薔薇園は可愛らしい笑い声と共にまるで夢だったかのように消えてしまって、私とシリル様は王城の庭園にある四阿の中にいた。
私の手元にはシリル様が作ってくれた薔薇の花束だけが残った。
日が沈む直前に駆け込んだラブレー子爵邸では、アレットがおめでとうと言って私に抱き付いてきて、お兄様は時間ぎりぎりまで私を引き止めていたシリル様に文句を言っていた。
お父様とお母様もこれまでの隠し事を謝罪してくれ、家族全員揃って楽しい夜を過ごした。
それから一か月、私はラブレー子爵家から王城と教会に通い、聖女としての勉強を進めていった。これは養成所では一人だけ年齢が離れてしまうからと言う配慮があってのことで、大変でも仕方がないことだ。
そして同時に、ヴァイカート公爵家にも一日おきに通っている。公爵家に嫁ぐものとして、家庭教師を付けてもらうことになったためだ。
更にシリル様のお母様であるフランシーヌ様にも気に入られ、時折二人でお茶をしたりもしている。
当然二か月後に迫った結婚式の準備にも忙しい。
「うう、緊張する」
「何回も来てるお嬢様が緊張しないでくださいよ! そろそろ私、息ができなくなりそうなんですから」
ここはヴァイカート公爵邸の応接間だ。
結婚はまだだが、あまりに多忙でふらふらで、シリル様と会う時間もなかなか確保できずにいた私は、両親同士の話し合いで一足早くヴァイカート公爵家で暮らすことになった。
結婚後この邸で暮らすか、二人で新居を建てるかは、一旦結婚式をしてから決めることになっている。そうでもしないと貴族の結婚がたった三か月でできるはずがない。
様々な細かいことや後からでも考えられることを全て後回しにして、結婚を急いだのだ。『全部最短で恙なく』とは本当のことだったと、何度も驚かされている。
それでも結婚式の質と規模は妥協するつもりはないと言うのだから、流石公爵家といったところである。
今、玄関ホールでは、馬車に乗せてきた荷物を使用人達が私の部屋へ運んでくれている。
「──待たせた」
がちゃりと扉が開いて部屋にシリル様が入ってくる。
私はほっと息を吐いて、強ばっていた顔から力を抜いた。
「いいえ、来てくださってありがとうございます」
「緊張してるのか」
「それはそうですよ!」
前のめりに言った私に、シリル様が苦笑する。
「もう何度もきているだろう」
「今日からここでお世話になるんですから、気持ちが違います」
客として来ているときと、家族の準備期間としての同居では、どうしても心構えが違う。
私が眉を下げて言うと、シリル様はそういうものかと小さく言って、私の前で屈んだ。
「それでも、これで今日からクラリスを家に帰さなくても良いと言うことだろう」
「そ、うですね」
私はぎこちなく笑った。
シリル様はそんな私を嬉しそうに見つめていた。前に椅子があるのに、何もここに屈んでいることはないのに、シリル様はちっとも動こうとしない。
距離が近くて、さっきまでとはまた違う種類の緊張に襲われた。
シリル様が、私が胸元に付けているブローチに目を止める。
「そのブローチには、今もあの精霊が寝ているのか?」
シリル様が眼鏡を指先で上げながら聞いてくる。
私は頷いて、琥珀にそっと触れた。
「はい。何だか、随分ここが気に入っているようでして……」
「せっかくクラリスが私のために選んでくれたのに、と思っていたんだが……ようやく同じものを買うことができた」
「えっ!?」
驚いてシリル様の差し出した小さな箱の中を覗き込むと、そこには確かに私のブローチと全く同じデザインの琥珀のブローチが入っていた。
「クラリスが私のために選んでくれたものは欲しかった。そのものは精霊に入られてしまったが、これで結果的には揃いで身に付けることができる」
シリル様が笑う。
私は真っ赤になった顔で、シリル様が自身のジャケットの襟にそのブローチを付けるのを見ていた。
実際にこうして見てみると、シリル様の容姿に馴染みのある色ではないのに、妙にその姿によく馴染んでいた。なんだか私がそうであるような気がして、嬉しくなる。
「しかし、クラリスが私に自身の色を贈ってくれようとしていたのに……!」
まだ悔しそうに言うシリル様に、私は思わず小さく吹き出した。
私よりも年上で大人のはずなのに、なんだか子供のような拗ね方だ。
「ふ、ふふ……私はおそろいで嬉しいですよ」
シリル様が私の頭を撫でる。
それから最初から決めていたかのように自然な動作で、ジャケットのポケットに手を入れた。
「なら、これも受け取ってくれるか」
シリル様が取り出したのは、また別の小箱だった。
見るからに高級そうなその箱には、私も知っている一流の宝飾店の名前が書かれている。
「こ、れは──」
「結婚指輪は式のときに渡すことになるが、クラリスは聖女の勉強のために王城にも通っているだろう。虫除けにいつも身に付けていてくれ」
シリル様が箱を開ける。
中には、タンザナイトの指輪が入っていた。
シリル様の瞳と同じ、綺麗な群青色だ。
驚いて何も言えないでいる私に構わず、シリル様は私の左手を取って、当然のように薬指に指輪をはめてしまう。
関節で僅かな抵抗こそあったものの、指輪は測って作られたようにぴったりだった。
「良かった。丁度良い」
「待って! こんな高価なもの受け取れませんよ!?」
「安物では虫除けにならない」
言い切るシリル様に私は言葉を詰まらせたが、それでもはっきりと言い返す。
「わ、私にそんなこと……虫除けなんてなくても、誰も気にしませんから」
「そんなはずがない。君はこんなに可愛い」
薬指に触れていたシリル様の指が、そっと私の手の甲を撫でてくる。繰り返されるとなんとなく擽ったくて恥ずかしくて、私は僅かに身を捩った。
「あ……っ」
「クラリスは可愛い。他の誰よりもだ」
「そ、そんなこと」
「ないわけがないだろう? 私はこんなに君に夢中だ」
私の手を持ち上げ、シリル様が指輪の側に口付ける。
ソフィが部屋の端でこの家の使用人達に混じって、全力で気配を消している。見られていると思うと、余計に恥ずかしさが増した。
「分かりました! 分かりましたから許してくださいっ」
もうこれ以上ないほど真っ赤になった私が叫ぶように言うと、ようやくシリル様は私の手を離して、満足げに笑った。
「良かった。約束だ」
「はい!」
全力で返事をした私は、結婚式まで気付かなかった。
この綺麗な指輪には魔法が使われていて、私に触れた見知らぬ男性を強力な水鉄砲で攻撃するということを。
それに気付いたのは結婚式の最中、神父様が私をエスコートするために手を取ったときだ。
びしょ濡れになる神父様。
困惑する私の前で、シリル様は何もなかったような顔をして、精霊達に神父様を乾燥させていた。
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最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!






