代わりがいない
◇ ◇ ◇
『シリル! まだこんなとこにいるのかよ』
『早くしないとクラリスが大変なのよ。のろのろ走ってるわね』
精霊達が耳元でやいやいと騒いでいる。
「これでもお前達の力を借りて精一杯移動してるんだ……!」
私は手綱を握り直し、馬の腹を蹴った。
今は辺境伯の領地からの帰り道だ。
王都でクラリス嬢を見守っていてほしいと頼んでいた精霊から、クラリス嬢がフロベール伯爵令嬢であるロランス嬢を破落戸に襲わせた罪で囚われたという知らせを受けたのは、出発してから一日が経ったところだった。
それからもう、半日以上が経過していた。
聖騎士達が協力することで多くの精霊達の力を借りて、通常の倍以上の速さで馬を走らせている。王太子殿下と秘書官である兄上は馬車に乗っているが、馬車ごと魔法を使って皆で一斉に高速移動していた。
しかしだからこそ、自分一人きりで行動するときのようにはいかない。急に一人抜けてしまったらバランスを崩してしまう。王太子殿下が乗った馬車を不安定にするわけにはいかなかった。
走っている最中で、立ち止まることができないのがもどかしい。
立ち止まらなければ王太子殿下に相談することもできない。しかし立ち止まるには一度皆で起動している魔法から抜け出なければならない。そしてそれができるのは、次に止まったときなのだ。
「どうか無事でいてくれ──」
クラリス嬢の無事を祈ることしかできずにいた私に、精霊の方が焦れた。
『あーーーもう! 面倒な男ね。ちょっと待ってなさい!』
「お前!?」
私と話していた精霊が、ふわりと馬車の方へと移動していく。それからほんの五分ほどが経ったところで、王太子殿下の命で一行は路肩に停止した。
私は王太子殿下と兄上に呼ばれ、馬車に寄った。
扉が開き、二人の姿が見える。側にはいつも私の側にいる精霊の姿があった。
「事情は聞いた。シリル、君は先に王都に戻りなさい」
王太子殿下の言葉に、私ははっと顔を上げた。
「しかし、任務の最中ですので。急いで戻れば──」
「先程リュシアンから聞いたが、困っている娘は君の婚約者なんだろう?」
「こっ、婚約はまだです!」
「父上から、既に了承はもらっていると聞いたが」
はっと気付いて兄上を見ると、厳しい顔で頷いている。
「私達が王都を出てすぐ、父上と母上がラブレー子爵家に打診したらしい。クラリス嬢は確かにお前の婚約者だ。ちなみに、結婚式は三か月後だ」
「──……っ!?」
クラリス嬢が頷いてくれたのは嬉しいが、式の日まで決まっているなんて聞いていない。いや、今重要なことはそれではない。
クラリス嬢がロランス嬢の企てによって窮地に陥っている。精霊達は結界があって中には入れない。その二つが、どうしようもなく危険なのだ。
王太子殿下はこちらの気持ちなどお見通しだというように笑う。
「こちらは君がいなくても少しの不都合で済むが、あちらには代わりがいない。代役がいない方を優先するのは当然のことだ。──ついでに、適当な貴族の悪事の一つや二つくらい暴いてきなさい」
「それは……はい。ありがとうございます」
これは王太子殿下からの温情だ。きっと精霊が直接話してくれたのだろう。言い方だって、私がここを離れることを気に病まないよう気を遣ってくれている。
兄上も口添えをしてくれたに違いない。
私は正式な騎士の礼をした。
早足で馬に駆け寄ると、光の球がふわふわと寄ってくる。
『シリル、行けるか?』
『ちゃんと説得してあげたわよ』
得意げな精霊達に、私はしっかりと頷く。
「ああ、ありがとう」
そして私は片足を上げて、馬に乗ろうとした。
『そんなんまどろっこしいだろ!』
聞こえたのは、いつも口が悪い精霊の声だった。
これはもしかして──と思ったときには、ぐにゃりと視界が歪んでいる。
「ちょっと待て、お前──!」
『一刻を争うんだよ!』
身体の感覚がなくなる。
これは強制転移だ。
正確な理論が分かっていない上、人にやると体力の消耗が激しいため推奨されず、通常では物にしか使わないそれを、精霊達は突然私にかけたのだった。
視界が暗転した次の瞬間には、強烈に身体が引き戻される。
急に身体の存在を思い出したかのように、ぎしりと関節が軋む。両手を膝について、荒い呼吸を繰り返した。
油断したら吐いてしまいそうだった。
しかしここはもう王都の貴族街の中心地だ。近くに、見慣れた王城が見えている。
それは非常にありがたいことだ。
「うっ……お前達、加減を」
『いいからさっさと行くぞ!』
精霊達が方向を教えるようにふわふわと飛んでいく。
私は異常に早い心拍数を意識してゆっくりと呼吸することで誤魔化しながら、彼等の後をついて駆け出した。






