子供ができたからって
「それで、ここにいる訳なんだけれど」
呟いた声が、石壁の簡素な作りの地下牢に響く。
私はひんやりとした外気を誤魔化すように、唯一暖を取れる毛布を引き寄せた。
あれから。
私はロランス様にナイフを向けて破落戸に襲わせたという罪を着せられ、街の警備兵の詰め所に連行された。
しかし私自身が子爵令嬢で、被害者の立場にいるのが伯爵令嬢のロランス様だったため、貴族同士の諍いは管轄外である警備兵には荷が重かったようだ。
やがて私は王宮から派遣された騎士に引き渡され、そこからどんな駆け引きがあったのかは分からないが、数時間後にはロランス様の実家であるフロベール伯爵家の地下牢に入れられていた。
床には薄い絨毯が敷かれているものの、壁は石で作られていて、窓は無い。通気口が天井にいくつか開いているが、隙間といえばそれだけだ。
壁の一面だけが鉄格子になっていて、そこに小さな扉が付けられていた。
簡素なベッドとトイレがあるだけましだと思った方が良い環境だ。
見張りはいないが、唯一の出入り口には鍵が掛けられている。逃げ出すことはとうに諦めていた。
「……これは、私は嵌められたのよね」
激動過ぎて何が何だかさっぱり分からない。
そもそも、これほどまでに恨まれる理由の心当たりすらないのだ。
ロランス様と直接話をしたのは、ジェラルド様に婚約解消を持ちかけたあの場だけ。その後ジェラルド様との関係がどうなったかは知らないが、それは私には関係のないことだ。
「アレット、大丈夫かしら」
一緒に来たのに、待ち合わせ場所に行けなかった。無事に家に帰れていたら良いが、心配させてしまっているだろう。悪いことをしてしまった。
「……普通、私があっちを恨むんじゃ」
そもそも、私はロランス様にジェラルド様を取られた側だ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
ぐるぐると答えがない自問自答を繰り返していると、かつかつと誰かの靴音が聞こえてくる。
私は鉄格子からできるだけ距離を取って、毛布で包んだ身体をぎゅっと抱き締めてその来訪者の訪れを待った。
「あら、小さくなってしまって。そうしていると、本当にその辺の庶民と変わらないわね」
やってきたのはロランス様だ。相変わらず美しい声と姿で、こんな場所にも拘わらず優雅に立っている。
今はどこも傷のない、街で出会ったときよりも装飾の多いドレスに身を包んでいた。きっとあれは切り裂く用に着ていたのだろうと思わせるほどのものだ。
私は立ち上がることもせずに、まっすぐにロランス様を見据えた。
「──……何かご用ですか」
思ったよりも冷たい声が出た。
ロランス様が微笑む。
「貴女とお話がしたいって言ったでしょう?」
「……本当に話したいことがおありだったのですね」
てっきりあの場に私を誘い出すための言い訳かと思っていた。
「ロランス様にとって、私など些細な存在でしょう。どうか解放して、放っておいていただけませんか」
私は努めて冷静に言った。
ロランス様は社交界の華。私のような人間、いてもいなくても人生に大した影響はないだろう。そう思って言ったのに、ロランス様は右手に持った扇の芯で鉄格子を叩く。
「そういう訳にはいかないわ。聞いて。侯爵夫人になれるかと思ったら、あの男、他で子供ができたからってあっさり廃嫡されちゃったのよ……!」
ロランス様が言うあの男とは、ジェラルド様のことに違いない。最近話を聞かないと思っていたら、子供ができて廃嫡されていたとは。
遊んでいることは知っていたが、それなりに考えてしていると思っていた、廃嫡されたということは、相手は反対派閥の人間か庶民のどちらかなのだろう。
もし私がジェラルド様と婚約破棄をしないまま結婚していたら、知らない女性が産んだ子供を何人も育てていた可能性すらある。
「……想像できますね」
本当に婚約破棄されていて良かった。こんな場所でそう納得させられるとは思わなかった。
ロランス様はまだ扇の芯で鉄格子を叩いている。余程腹立たしいことがあるようだが、表情は微笑みの形を崩さないせいで余計に恐ろしい。
「どうして貴女他人事なの。そもそも貴女のせいでしょう?」
「私の?」
「貴女がちゃんと繋いでおけば、私も彼も不幸にならずに済んだのよ」
「えっと」
私には理解できないが、ロランス様の中には私が監禁されるだけの理由があるらしい。
ロランス様が投げた扇が、鉄格子の隙間を抜けて私の額に当たった。痛みに顔を顰めて手で触れると、指先に赤い血がつく。
どうやら切れているらしい。
「それなのに、今度はシリル様と婚約ですって? 私がどんなに誘っても一度も首を振らなかったあのカタブツが、こんなちんちくりんと結婚? あり得ない」
「も、申し訳ございません……?」
とりあえずこれ以上怒らせないように謝罪をしてみる。
いや、謝る理由はさっぱり分からないのだけれど。
ロランス様は形だけでも謝罪されて気を良くしたのか、腕を組んで胸を張った。
「貴女は死ぬまでここにいなさい。大丈夫、安心していいわよ。逃走して行方不明ってことにしてあげる」
つまり、私はロランス様に乱暴を働こうとしたが捕まり、フロベール伯爵家で拘束され、逃亡を図ったがそのまま行方知れずとなる、という筋書きだろう。
いくら王都とはいえ、夜に若い令嬢が一人で歩いていたら危ない。攫われたり事件に巻き込まれたりしたに違いない。行方不明と聞けば、誰もがそう思う。
実際には、この牢の中で命を奪うつもりなのだろう。
「──何も言わないのね。ああ、そうだわ。精霊に頼ろうとしても無駄よ。この中には精霊が入れないようにしてあるから。それじゃ、いい夜を」
そこまで話して満足したらしいロランス様は、こちらに背を向けて石段を上っていく。
一人残された私は、絶望的な状況に頭を抱えた。






