旅行記
◇ ◇ ◇
北の辺境伯の領地視察は問題なく予定通りに進んでいた。
そもそもこの辺境伯、大変真面目でおおらかな人物だという評判だ。実際王太子殿下も信頼を置いていて、幼少期には剣を習ったこともあるらしい。
今回もかつての剣の師匠の顔を見に来た、というのが本来の目的だろう。
領主館に着いた私達は、与えられた大会議室で整列していた。
「殿下、この後の予定ですが──」
側近の秘書官が王太子殿下に声を掛ける。
王太子殿下はしばらく秘書官と話をした後、護衛として付いてきた私達の方を振り返った。
「この後私達は領主館に滞在する。その間、私の外出時を除き自由時間とする! せっかくの旅行だ、君たちも楽しんでくれ」
意訳すれば、ここでしばらく羽を伸ばしたいということだろう。どうせまた訓練を付けてもらうつもりなのだろうし、秘書官は王太子殿下と共にいるのから護衛が少なくても問題はない。
あの秘書官も聖騎士だ。それも、精霊との相性は私と同じくらい良い。
それを私が知っているのは、私がこの秘書官の実の弟だからである。
リュシアン・ヴァイカート。
ヴァイカート公爵家の長男で、次期公爵だ。
「というわけで、交代で二人は領主館に残ってもらうが、他の者は自由に観光を楽しんで構わないそうだ。交代の順番は任せる。また、もし剣の稽古をつけてほしいものがいたら、今日中に申し出るように。以上」
ここでの滞在予定は四日間だ。
本来どんなに急いでも片道一週間はかかるところを、精霊の力を借りた片道三日という強行軍だった。
王都を十日も離れてしまった。
視察と言ってもほぼ旅行になるのは分かっていたのだから、私が来ることもなかっただろう。いや、兄上が王太子殿下と共に視察をするのだから、私が指名されるのは仕方ないことは分かっている。
ただ、今はクラリス嬢を口説いている最中なのだ。
兄上はもう少し空気を読んでほしい。
この十日、会えない間に振られたらどうするのだ。
母上がクラリス嬢を気に入ったのは分かったが、逆に暴走しないかも不安が残る。父上は母上の頼みは聞き入れる人だから、どうか変な事態になっていなければ良いが。
ともあれ、辺境伯の稽古は魅力的だ。共に来た聖騎士の同僚達も、剣の腕に覚えがある者は皆興味があるようだった。
私も早速頼もうと、兄上の元に声を掛けに行った。
結局、稽古をつけてもらいたい者が多かったため、希望者が稽古の日に王太子殿下の護衛担当になるということに決まった。
私は最終日である四日目の担当だ。残りの三日間は休暇になってしまった。
何をしようか迷ったが、あまり知らない土地に興味はある。
まずは街に出てみることにした。
この領地では工芸技術が発達している。冬が長く寒い地域だということもあり、隣の領地から鉱石を仕入れ、各々の家で加工して売るようになったのが始まりらしい。
クラリス嬢に似合うものが何かあるかもしれない。
そうして、実際に店を見て回って驚いた。
王都の一流職人が売っているような、いや、店によってはそれ以上の技術で作られた品が、庶民でも贅沢をすれば手が届くほどの価格で、店先にいくつも並んでいたのだ。
商人向けのもっと高価なものも並んでいるが、こちらは丁寧にカットされた宝石がついている。
これならば、クラリス嬢への贈り物にしても良いだろう。
文房具もあるのに身に付けるものを贈りたくなってしまうのは、あの無垢な人を私の手で飾りたいと思ってしまうからだろう。
「どれが良いか……クラリス嬢は茶色い瞳と髪をしているから、何色でも映える」
ようやく二人で出かけることができて、明るい場所でゆっくりと見た瞳は、まるで木漏れ日の隙間で照らされる木の肌のように瑞々しく、どこか神聖さすら感じる深さがあった。
クラリス嬢は王都と領地以外にあまり旅行をしてこなかったと、クロードから聞いた。クラリス嬢も冒険小説も好きだと言っていたから、もしかしたらこの領地のことにも興味があるかもしれない。
そう考えると、景色を見るのも楽しくなる。
その日、私は結局贈り物を決められず、代わりに手紙を書いて精霊の力を借りて手紙を飛ばした。王都では使わない方法だが、これならばここからでも今夜のうちに届くだろう。
◇ ◇ ◇
夜、自室でランプの明かりで本を読んでいた私は、こつこつと軽く窓が叩かれる音で顔を上げた。
最初は雨の音かと思ったが、どうやら違うらしい。
椅子から立ち上がって確認すると、それは真っ白な鳩だった。夜の闇の中でもはっきりと白が見える。よく見ると、薄く光っているようだ。
「なにかしら?」
駆け寄って窓を開けると、鳩はすぐに室内に入ってくる。
そしてテーブルの上に降り立つと同時に、ぽんと音を立てて手紙に姿を変えた。
「わっ、びっくりした。シリル様からの手紙か……って、え?」
いつもと同じ封筒に、慣れた筆跡。そこまでは変わりないのだが、厚みがおかしい。封筒がぎりぎり形を成している、といった様子だ。
今シリル様は遠征に行っているらしいが、この手紙はいったいどういうことか。
封を開けた私は、便箋の束を取り出して読み始めた。
そして、五枚目の途中で思わず笑い声を上げてしまう。
「シ、シリル様……! これ、手紙じゃなくて旅行記ですよ……っふふ」
私が冒険小説を好きだと言ったからこんな内容になったのかもしれない。そう考えると、シリル様なりの気遣いなのだと分かる。
それがなんだか余計に可笑しくて、私は読んでいた本に栞を挟むと、代わりにシリル様の手紙を夢中で読み耽った。






