全部最短で恙なく
「──お父様はお母様が好きでしょう?」
「はい」
「お母様も、お父様のことを好き」
「本当に素敵なご夫婦だと思います」
それはソフィの本音だろう。この家の使用人は、当主夫婦に憧れている者が多い。
政略結婚が多い貴族の中では珍しい恋愛結婚。子供達が成人しても恋人同士のように仲が良い。
そんなの、それこそ貴族令嬢達が好んで読む本の中の話だろう。
だから、私は恐ろしい。
「──……だから怖いの」
そんな両親のようになりたいと思う気持ちは、ずっと私の中にある。
でも幼い頃──ジェラルド様に邪険にされるようになってから、すぐに諦めていた。無駄な期待だと、心の奥に閉じ込めた。
それを引き出すには、勇気もきっかけも足りない。
あまりに唐突に物事が進みすぎていて、気持ちが全く付いてきてくれないのだ。
「シリル様への想いに名前を付けたら、もう戻れないと思うの。だって、私もあんな風に……お父様とお母様みたいに、ずっと想い合える夫婦に憧れてたんだから」
シリル様が私を思ってくれているのだから、私が気持ちを返せば、それだけで恋人同士になれる。
でもどうして手に入れてしまった幸せな関係が、ずっと続くなんてどうして思えるのか。
ジェラルド様にさえ捨てられてしまうほど、私は『ラブレー子爵家の落ちこぼれ』なのだ。どんなに優しくされても、その事実はなくならない。
だからもしかしたら、シリル様だっていつか、どこかの高位貴族の令嬢や本物の聖女に揺らいでしまうかもしれない。
そんな不安がなくならない限り、私はきっとこの気持ちを理由にシリル様を束縛してしまうだろう。
「どきどきしたの。二人で出かけて、手に触れられて……本当にどきどきした」
最後まできちんと読んだことなんてないけれど、それでも本好きとして、恋愛小説の主人公はこんな気持ちになるのかしら、なんて想像した。
アレットに頼んで一冊くらい読んでみようかな、とも思った。
同時にそんなことを考えた自分自身が恐ろしい。
これまでの自分自身と別人のように感じてしまったのだ。
「でも、私と一緒にいることで、シリル様はいつか後悔したりしない? 私は変わらずにいられる? 分からないの。私が信用してないのはシリル様じゃなくて、……私自身なのよ」
「お嬢様……」
ソフィが目を伏せる。
私自身も面倒なことを言っている自覚はある。アレットに話したら驚かれてしまうかもしれない。
私は、ソフィに気にしないでと言おうと口を開きかける。
そのとき、私とソフィしかいないと思っていた部屋に別の人間の気配が割り込んでくる。
「──そういうことなら、話を進めて大丈夫だな!」
突然の声に驚いて振り返ると、そこにいたのはお兄様だった。
そういえば今日は非番で家にいると言っていた気がする。
「なんでお兄様がここにいるんですか?」
私は目を細めて睨んで言う。
しかしお兄様は、全く悪びれない様子でへらりと笑った。
「そんなことはどうでも良いだろう?」
「良くないです!」
「でもとりあえず横に置いておこう。俺が言いたいのは、そんな理由でシリルの求婚を受け入れずにいるのなら、今すぐ受ければ良いということだよ」
「でも」
「良いかい、クラリス。俺が一番に思っているのは可愛い妹の幸せなんだよ。そして俺は、あいつ以上にクラリスを大切に思ってくれる条件の良い男はいないと思ってるんだ」
条件の良い男、という言葉を強調してくるお兄様に思わず苦笑する。
本当は手元にずっといてほしいけどそういうわけにはいかないからね、と戯けてから、お兄様は真面目な顔で続けた。
「ヴァイカート公爵家当主──シリルのお父上からも、正式な書状が届いているんだ。こちらが頷くだけで、全部最短で恙なく結婚できるようにする、と」
「全部最短で恙なく!?」
私はお兄様のあけすけな表現に耳を疑った。
「そうだよ。それくらい、あちらは本気だってことだろう。俺はクラリスに幸せになってほしい。嫌なら断ったって良いと思っていたよ。でも、さっきのが本音なら、絶対にこの求婚は受けるべきだ」
私は最初から全部聞かれていたのだと分かり、今更になって顔を赤くした。
「何を言ってるんですか!」
「父上には話を通しておくよ。クラリスはあいつが帰ってくるまでの間に、気持ちを固めておくようにね」
お兄様はそう言って、勝手に入ってきた私の部屋から勝手に出て行った。
お兄様の背中が閉じる扉に消えるのを見送って、私は溜息を吐く。
「──……これ、結婚が決まったってこと……?」
私の呟きを聞いたソフィが、思わずと言ったように吹き出した。
「そうですね。おめでとうございます、お嬢様」
「ソフィ!?」
「ジェラルド様なんかよりずっと良いです。将来有望ですし、顔も良いですし、何より愛があります」
ソフィが前のめりに言う。
私は困惑を隠しきれないまま、ぐるぐると答えが出ない思考を頭の中で繰り返していた。






