距離を感じるのは寂しい
「わたしにできることでしたら……」
優しくて私を好きだと言ってくれているシリル様に、してあげられることがあるのならばしたかった。
私は聖女ではないから力は仕えないけれど、精霊に頼みたいことがあるのなら自分でやるだろう。なにせシリル様自身が聖騎士だ。
私にできることならば、力になりたい。
ならばお菓子の差し入れか、お兄様への口利きか。
それとも他に何か、ヴァイカート公爵家の問題だろうか。
自分で言っておきながら今更身構える。
しかしシリル様からの頼みは、私の想像したどれもと違った。
「それでは、あの部屋で話したときのように、気軽に接してくれないか」
私はシリル様の言葉を反芻し、理解したところで目を見張った。
「え……ええっ、無理です!」
あのときは異常な状況だったから私も慌てていた。
今になって思い出せば、公爵子息相手に馬乗りになったり、寝台で隣に座ったり、敬語ではあったがかなり気軽に口をきいていた。
シリル様が名乗っているのは子爵だが、そんなことは関係ない。
とにかく、雲の上の人なのである。
しかしシリル様は私のそんな気持ちは分からないらしい。それとも、わざと気付かない振りをしているのか。
「何故だ?」
「だってあのときは咄嗟に……あんな状態でしたから……!」
キスをしないと出られなかった、などと言うのは流石に恥ずかしいしはしたない。
今だって柔らかかった唇の感触を鮮やかに思い出せるというのに、口にすることなんてできなかった。
違う体温の唇が触れた、あの感触。
ティーカップを傾ける仕草を追ってしまって、慌てて目を逸らした。
「距離を感じるのは寂しい」
「で……ですが……」
「駄目か?」
シリル様は私が最終的には頷くと知っているのか、譲るつもりはないようだった。
実際、正面からまっすぐに群青の瞳で見つめられると、どうしても拒否できそうにない。
その目が僅かに伏せられて、長い銀色の睫毛がかかる。
私は当然のことを言っているはずなのに、何か悪いことをしている気がしてきた。
「わ……分かりました」
気付けば私は頷いていた。
まあ、敬語を使うなと言われたわけでもないから許容範囲だ。最初の接触があんな場面だったのだから、今更取り繕っても仕方がないといえばそれまでである。
シリル様が許すと言っているのだから、甘えてしまおう。
そんな葛藤を終えた私が見たのは、シリル様が心から喜んでいることがわかる満面の笑みだった。
「ありがとう。私といるときは、変に気負わなくて良い。ただ側にいて、楽しいと思ってもらえたら嬉しい」
笑顔が輝いている、とはこういうことを言うのだろう。
私は真っ赤な顔で頷いて、誤魔化すようにティーカップで口元を覆い隠した。
食事を終えて移動したのは、近くで最も大きな書店だった。
道を歩いている間も、シリル様はずっと私を気遣ってくれていた。手は当然のように繋がれていて、これで交際していないなどと言ったら嘘だと怒られてしまいそうだ。
しかし書店に着いて、私は自分から手を離した。
これから選ぶ本を見られたくなかったからだ。
私は冒険小説や青春小説が好きだ。教養になる本でも、令嬢達の間で流行りの恋愛小説でもない。そういったものを好むのはあまり貴族令嬢としては相応しくないのだ。
こっそりと目的の本を手に取った私だったが、隣に並んでいるまだ読んだことがない本が目に止まった。
少しだけ、少しだけと自分に言い訳をしながら、表紙を開き、並ぶ文字の海に潜っていく。
その本も買おうと決めた頃には、随分と時間が経ってしまった。
私は慌てて会計を済ませて、本を隠すように袋を抱える。
シリル様は書店の前のベンチに座って本を読んでいた。
駆け寄ると、シリル様は私を見つけて本を閉じて傍らに置く。
「ごめんなさい! お待たせしてしまいましたよね?」
「いや、問題ない。私も本を読んでいたから」
隣に座るよう促されて、私は少し間を開けて腰を下ろした。
本をシリル様とは反対側に置いて、顔を上げる。
「シリル様は、どういった本を読むのですか?」
当然のこととして、質問をした。
気を遣わなくて良いと言ってくれたのなら、本を読む者としては、他の人が読んでいる本が気になるのは当然だ。
「……」
「シリル様?」
なかなか答えようとはしないシリル様に、私は首を傾げた。
聞いてはいけないことだっただろうか。不安が顔を覗かせたところで、シリル様は違うんだ、と言った。
そして見せられた本は、私もよく知っているものだった。
「──最近は、これを読んでいる」
「鷹の騎士と王家の誓約シリーズ……」
私が書店に寄った目的も、この最新刊を買うためだ。
厚みのある本は製本の手間もあってやや高価な価格設定になっている。それでも自分で買いたいと思うくらいに好きなシリーズだ。
シリル様が読んでいたのは四巻だった。
「クロードから、クラリス嬢はこの本が好きだと聞いて、読んでみたくなった」
犯人はお兄様だった。
私は今更隠す必要もなくなってしまった本が入った袋を膝に乗せ、拠り所にするように持ち手を握って苦笑した。






